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第22話 親子

今回もフィクションでございます。


ごゆっくりお楽しみ下さいませ!


◯浜田地方総監部 エントランス 1324i


 入り口に入ってすぐにある受付の脇に、護衛艦“とさ”へ異動したばかりの、第1種夏服を着用している長浦海里航海士と御船祥子船務士が待ちぼうけを食らっている所であった。

 取り次いでもらおうとしたのだが、事情を知っているらしい受付の男性1曹から、相手が電話に出ず様子を見に行くと言われたために待たされる事になった。

「まさか、浜監の幕僚長から直々に呼び出されるなんて、全く思わなかったよ。」

 待ちぼうけを2人に食らわせた張本人は、浜田地方総監部ナンバー2である“幕僚長”であった。

 なお、ここのトップは“地方総監”で、階級は他の地方総監と同じ海将が、前述の幕僚長に関しては海将補が就任している。

「祥子、ごめん。」

 緊張で表情が引き締まり、する必要もない不動の姿勢をしている御船に対し、長浦は暗い表情をして何処と無く落ち着きが無くなっている。

「あぁ、大丈夫だって。気にしないで・・・って言っても、私が緊張しちゃってるから、海里も気にしちゃうよね。」

「それもあると言えば、あるけど・・・」

 御船は、言葉を濁す長浦にぎこちない笑顔を見せると、休めの姿勢で正対する。

(よう)は、幕僚長の事が言いたいんでしょ?大丈夫だって。防大や江田島(えたじま)の時から海里と一緒にいるとさ・・・、ベタ金の方々とか、どこかの偉い方々とかが声かけてくるから、慣れたつもりだよ。・・・でも、まぁ最近は“いわしろ”にいたから、すっかり忘れてたけどね?」

 なお、【ベタ金】とは海将補以上の者の事を言い、海将補以上の乙階級章に由来している。

【江田島】は、広島県江田島市江田島町に所在する海上自衛隊幹部候補生学校の通称の事で、これ以外の通称として、陸空自衛隊と同様に【幹候校】や、旧海軍兵学校から幹候校へ転用された庁舎の見た目から【赤レンガ】とも呼ばれている。

 なお、筆者も時折間違えるのだが、江田島の読み方は【えたじま】であり、【えだじま】ではない事を付け加えておく。

「それで確認だけど、防大2年の時、第1大隊指導教官だった長浦2佐は、海里の家とは関係無いんだったよね?」

「うん。今は1佐の長浦康二徳島教育航空群(徳教空群)首席幕僚は(うち)とは関係無いけど、海上訓練指導隊群(FTC)(訓指群)の舞鶴海上訓練指導隊(舞鶴FTG)(舞指隊)にいる長浦3佐と、掃海隊群(掃群)掃海業務支援隊(掃支隊)にいる5期上の荒茅2尉は・・・、実は家の親戚なの。」

「えっ!?うそっ!?5期先輩の荒茅2尉も!?ヨット部の買い出しで、私と他の先輩とで行った時に初めて会ったけど、自己紹介したら知ってる風だったのって、校友会の後輩ってだけじゃなくて・・・まさか・・・」

 校友会とは、一般大学で言うところの“部活”や“サークル”等に相当するもので、柔道や剣道といった運動部、吹奏楽等の文化部、自動車や美術等の同好会等からなっている。

 防大らしい部活等を挙げるとすると、“銃剣道部”(運動部)・“軍事史研究部”(文化部)・“防衛学研究同好会”(同好会)・、“儀仗隊”(その他)等であろうと思われる。

 防大生は全員運動部に入る事が義務付けられ、掛け持ちとして文化部・同好会・その他に入部出来る事になっている。 

「お兄ちゃんに祥子の事は話してあったから、覚えてたんだと思うよ?」

 そう言ってから長浦が御船を見ると、驚きのあまり目を丸くしている。

「やっぱり話をしてたの!って、海里って荒茅2尉の事、お兄ちゃんて呼んでるの!?」

 言われた長浦は、御船の言ったことを少し理解していなかったが、徐々に自身の言った事に気が付き、しっかり理解出来ると思わず右手を口に当てる。

「も、もとへ、荒茅2尉!昔の癖だから気にしないで!部内では絶対にそんな事言ってないからね!?」

 半歩御船から離れると、両手を激しく振って強く否定する長浦。

「それは分かったけど、そもそも海里の親戚の事、初耳のオンパレードだよ!?防大同期の友達としてはこれ結構な重要事項なんだから、もっと早く教えといて!?はぁ・・・失礼してなきゃ良いんだけど・・・。」

「ごめん。なんか、ちょっと言いそびれたら、タイミングが無くなっちゃって・・・。隠すつもりは無かったんだけど・・・。」

「お父さんの長浦幕僚長の事は、入校初日に中隊指導教官の田名部静香3海佐が『長浦学生、お父様の長浦1佐はお元気ですか?』って声をかけて来てたから、皆にすぐに広まったけど・・・。せめて、私達同期くらいには教えておいてくれない?」

 中隊指導教官とは防大での“次席指導教官”の事で、3等陸(海、空)佐が教官として訓練を指導するのである。

 そして中隊指導教官も含め、階級及び指揮系統順で次に掲げる。


・幹事〔陸将(主に師団長経験者。防大初期の頃で陸将補が充てられていた時代、1人だけ海将補が任命された事がある)〕

・訓練部長〔陸(海、空)将補〕

・学生隊指導教官〔統括主席指導教官、1等陸(海、空)佐〕

・大隊指導教官〔主席指導教官、2等陸(海、空)佐〕

・中隊指導教官〔次席指導教官、3等陸(海、空)佐〕

・小隊指導教官〔指導教官、1等陸(海、空)尉〕

・助教〔陸(海、空)曹〕


 この他に通常の座学の授業では、防衛学系等は自衛官が教えていて、基礎教育には文官である教授や准教授等も教鞭を執っている。

「ごめん、分かったよ。」

 長浦が御船から言われた事と、防大当時を思い出してしまった事により俯いていると、男性1曹が駆け寄ってくる。

 長浦は足音を聞き慌てて顔を上げると、立ち止まった1曹から挙手敬礼を受け、御船と共に答礼する。

「お待たせして申し訳ありませんでした。只今ご案内します。こちらへどうぞ。」

 1曹が左手で行き先を指し示すと、長浦と御船は表情を引き締めて、制帽の位置を整える。

「お願いします。」

 長浦がそう言うと、1曹の先導で階段に向かって歩き出した。

「長浦3尉、御船3尉。長浦幕僚長は今どなたかと面会中だそうですが、そのまま気にせず入室するようにと伺っていますのでお伝えします。」

 階段を登りながら1曹に話しかけられ、御船が疑問の表情を浮かべ見上げながら聞き返す。

「面会中?どなたかは分かりますか?」

「いえ、長浦幕僚長とは部屋の外でお会いしましたので、どなたかまでは伺っておらず存じ上げません。申し訳ありません。」

 1曹と会話をしながら歩いていると、3人は浜田地方総監部幕僚長室の前に到着し、案内していた1曹が扉を開け、入室要項に従って2人が入室すると、彼は扉を閉めて自分の持ち場へ戻っていった。

 2人が入った部屋のほぼ正面にある応接ソファーには、長浦智洋(ともひろ)浜田地方総監部幕僚長が、左手で持っていた食べかけのパウンドケーキをテーブルに置かれた白い小さな皿に載せようとしている所だった。

 智洋は金で錨と桜の海上自衛隊マークが描かれた、海自仕様のコーヒーカップを持ち上げると一口すすると、テーブルに置かれている、同じく金の海自マークの描かれたソーサーに戻す。


(筆者注:今回、長浦姓が2名いますので、ここから今話の最後まで、それぞれを名前で呼ぶことにさせていただきます。なお、今話以降は原則断り無く使い分けますので、ご了承下さい。)


 その正面には緑色の服の男性が座っているのだが、海里と御船からは、後頭部と背中の一部が見えるだけである。

 海里と御船は服装から応対客は陸上自衛官だと分かると、今度はなぜ陸上自衛官が海上自衛隊の施設である浜監にいるのか、また、長浦幕僚長は何故応対中であるにも関わらず入室を促したのか、よく分からず戸惑ってしまう。

 すると、その陸上自衛官はすっと立ち上がると、回れ右で海里と御船に正面を見せる。

 その顔を見た海里と御船は、驚愕で言葉を失う。

「1週間ぶりです。長浦3尉、御船3尉。」

 そう言って挨拶したのは、陸自出雲駐屯地に所在する部隊、第304施設隊渡河器材小隊所属の浜山陸斗3等陸曹である。

「「浜山3曹!?」」

 驚く海里と御船にとりあえず座るよう促し、着席したのを見やり、智洋は立ち上がるとテーブルに自身が使っているのと同じデザインのカップとソーサーを置き、コーヒーの入ったデカンタから御船のカップにコーヒーを注ぎ始める。

 海里、御船、浜山は慌てて勢いよく立ち上がるのだが、智洋は気にすることなく、今度は海里のカップにコーヒーを注ぐ。

「ほらほら、座って飲みなさい。どうせ、ここには4人しかいないんだから、細かいことは気にしないで良い。ほら、海里の好きな“くらま”のパウンドケーキも買ってきてある。2人も良かったら食べなさい。」

 そう言って笑顔を崩さずに、海里の前へパウンドケーキの入った箱を差し出す智洋。

「あ、ありがとうございます、長浦幕僚長。」

 大人しくパウンドケーキを2つ手に取り、海里は自分と御船のコーヒーカップの脇にそれぞれ置く。

「さて、御船3尉とは久しぶりだね。海里の面倒を見るのも、大変じゃないかな?」

「いえ、そのような事はありません。」

 御船と智洋が会話をしているタイミングを見計らい、浜山は喉を潤そうと自分の前にも置かれている、智洋が使っているものと同じデザインのカップを手に取ろうとする。

「浜山陸曹、個人的な事で君にちょっと聞きたいことがあるんだ。」

 丁度そのタイミングで智洋に突然話の矛先を向けられ、浜山は慌てて手を引っ込めて背筋を伸ばす。

「な、何でしょうか!長浦幕僚長!」

「そんなに緊張しなくてもいい。幕僚長の私にとっては大した事ではないから落ち着きなさい、浜山陸曹。いや、それでは緊張するか。個人的な事だから、浜山君と呼ばせてもらおうか。いいね?」

「はい、了解しました!」

「聞きたいのは、浜山君はうちの娘とどういう関係か、なんだよ。」

 和やかだった空気が一瞬のうちに凍てついてしまったが、その空気を作った張本人である智洋は、我関せずと食べかけのパウンドケーキを手に取ると、1口でうまそうに食べる。

 そしてコーヒーを飲むと、浜山に笑顔を浮かべながら視線を向けたのだが、受け取った浜山は蛇に睨まれた蛙のように、萎縮してしまう。

「もしかして、答えられないような関係かな?浜山君。」

 実際は特別な関係という訳ではなく、海里達“いわしろ”の乗員数名と、浜山達小隊の数名とで出雲大社へお参りに行ったりしている程度である。

 だが、浜山が気にしたのはその事ではなく、2人を引き合わせる切っ掛けを作った岩代の事であった。

 2人の関係を深い仲ではないと話をすれば、出会いの理由を聞かれる事になるのはほぼ間違いなく、深く追及されれば艦魂騒ぎの前に知り合った理由を説明せねばならず、芋づる式に岩代の話をしなければならない。

 今のところ艦艇の乗員間以外には艦魂達の話は伝わっていないはずで、部外秘ともなっている。

 そう言った理由から考えあぐねている振りをして、岩代の事を言わずにやり過ごす以外に、浜山にはその場をどうにかする方法が無かったのである。

 海里の方も浜山へ救助艇を出そうにも、岩代の存在がネックとなり、どうにも出来ない状況になってしまっている。

 一方で巻き込まれる形になった御船はと言うと、岩代達の事情は承知の上ではあるが、本心では海里に対し浜山を彼氏としてさっさと紹介していれば、こんな針のむしろの様な場に同席することも無かったのにと思ってしまう。

 ただ、御船も尉官らしく外見では何事にも動じていないよう振る舞いつつ、自分にとばっちりが来ないように祈る事も忘れてはいなかった。

 そんな重苦しい空気に業を煮やし、智洋はソファに浅く座りなおすと目を細め視線を鋭くし、少し体を前の方に倒して、浜山と真剣に向き合う。

「うちの娘とは、船酔いが切っ掛けで知り合ったと聞いているんだが、他からは協同転地演習の合間にとも、呉で娘に声をかけたとも聞いている。どれが本当か答えてもらおう、浜山君。」

 智洋の言葉に、浜山が握り拳に力を込めて答えるために口を開けると、左にいた海里が勢いよく立ち上がる気配を感じて、思わず見上げてしまう。

 海里の左手側にいる御船も、驚いた表情のまま海里を見上げる。

「海里、どうしたんだ?口をパクパクさせて?息苦しそうな金魚じゃあるまいし、落ち着いたらどうだ?」

「お父さん!それ、誰から聞いたの!?」 

 海里は驚きのあまり大声を出し、しかも智洋の事を普段の呼び方になっているのにも、本人は気付いていない。

「協同転地は“いわしろ”副長の小松から・・・」

 智洋は智洋で海里の言い方を咎めることをせず、海里からの質問に答えようとして、言葉尻を遮られてしまう

「そうじゃなくて、船酔いの件誰から聞いたの!?誰にも言ってないはずなのに、なんで!?」

 海里は興奮するあまりテーブルに両手をつき、智洋に詰め寄るような格好になっている。

 御船は大慌てで素早く立ち上がると、海里を座らせようとしながら、智洋に何度も頭を下げる。

「長浦3尉!落ち着いて!座って!幕僚長の前です!長浦幕僚長、大変申し訳ありません!!長浦3尉、お願いだから座って!」

 海里を無理矢理座らせると、智洋に謝罪してから海里に説教を始めてしまう。

 智洋と浜山は呆気にとられてしまうのだが、御船に怒られている海里を見ていた智洋は、最初は堪えていたものの我慢しきれなかったのか小さく笑い出し、ついには思いっきり笑ってしまう。

「いや、みんな済まない!家での海里そのままだから、つい笑ってしまったよ!」 

一頻(ひとしき)り笑って落ち着いたのか、智洋は呼吸を整えるとデカンタを手に取ろうとする。

「「「私が!」」」

 3人はそう言いながら同時に立ち上がるのだが、智洋はさっさとデカンタからコーヒーをカップに注ぎ入れてしまう。

 智洋は気にせず座れと言っているが、幹部自衛官としてマナー等も叩き込まれている2人の3等海尉と、この場で唯一の陸自所属で下士官である3等陸曹は申し訳ないといった表情のまま、総監部幕僚長の言うことを聞く他に無かった。

「浜山君の船酔いが切っ掛けと教えてくれたのは、昨日“しらぬい”にいた3佐の岩代君だよ、海里。」

 コーヒーを飲んで落ち着いた智洋の放った言葉に、浜山は唖然としてしまう。

(また・・・また、岩代3佐だ・・・。もう、3佐からは逃げられないんだろうな・・・あはは・・・ははっ・・・)

 半分放心状態の浜山をよそに、海里はさらに質問する。

「“しらぬい”になん・・・失礼しました。何故行ったのですか?」

 自衛官として叩き込まれた習慣よりも、家族として普段から接している自然な習慣の方が強く出てしまうらしく、海里は先程よりもぎこちなくなってしまう。

「“しらぬい”艦長で2佐の田名部静香君から、会わせたい人物がいると言われてね。そこで3尉の不知火(しらぬい)と3佐の岩代、それにLCACの子供達とも会ってきたよ。」

 御船は智洋と海里のやりとりに、何かしらの違和感を感じたのか、会話の切れ目で口を挟んでくる。

「失礼いたします、長浦幕僚長。ではその時に浜山3曹の事を聞いて、こちらに呼んだのでしょうか?」

 御船の質問に智洋の代わりに、浜山が御船の方を見ながらそれは違うだろうと予測を述べた上で、さらに付け加える。

「御船3尉、自分は昨日では無く、数日前“とさ”がここに到着した翌日に、今日から浜田地方総監部広報係だという辞令を受け取りました。その辞令にはその根拠として、『統合運用に関する各自衛隊間曹士交換教育プログラム』の一環だとありましたが、詳しい事は説明されませんでした。」

 そこで区切ると浜山は智洋の方に向いて姿勢を正し、理由を教えてもらいたいと説明を求め、智洋はそれに答える形で説明を始める。

「浜山陸曹がここに来る根拠になった教育プログラムは、『統合任務部隊(JTF)運用時における、各自衛隊曹士間の理解不足によるミスやトラブルを教育で防ごう』という目的で、谷本海幕長達が統幕にいた頃に提唱されたものなんだ。」

 海上幕僚長である谷本の名前が智洋の口から出た途端に、浜山だけでなく海里と御船もそれぞれ顔には出さなかったが、緊張した雰囲気だけは3人とも隠しきれてはいなかった。

「それで今回は、そのプログラムのテストケースとして、たまたま浜山陸曹が選抜された。海自(うち)からは、陸自の海田駐屯地に行く人員を呉の3曹の中から選んで、6ヶ月ほど行ってもらう予定になっている。このケースが上手くいけば、3自衛隊曹士の相互教育も、正式に始まる事になるだろう。」

 防大では各自衛隊関係無く共通で教育しているため、自分の行く隊以外の事も基礎部分は理解されている。

 対して、曹や士の教育は各自衛隊が各々行っているため、自分達と関連している部分の教育は受けてはいると思われるが、統合任務部隊(JTF)のように、空災部隊へ空自だけでなく陸自や空自の航空部隊が組み込まれた指揮命令系統が出来る事もあり、現海幕長谷本の他、陸自と空自も共同でどの様な教育を行うか等、検討を重ねてきていたのである。

「そうだったのですか。自分は岩代3佐達から推薦でもされたのかと思ってしまいましたが、思い過ごしだったのですね。」

 そう言って安堵のため息をついた浜山であったのだが、智洋はそれを見逃さなかった。

「それで、浜山君。まだ質問に答えてもらえていないんだが、どうなっているんだい?」

 どさくさに紛れて曖昧にしてしまおうといった、浜山の浅はかな戦略とも言えない考えは、智洋に通用するはずもなく、答えざるを得なくなってしまう。

「長浦3尉とは、まだ特別な関係という訳ではなく、その・・・」

「『まだ』、か。そうか、なるほどな。」

 浜山の言葉を最後まで聞かずに、どこか納得したように、小さく頷いて手を軽く組む。

「あ、いや、まだと言いますか、その、いや、誤解が!」

 智洋の反応を見てパニックを起こした浜山がしどろもどろになっていると、それが伝染したように、海里も顔を真っ赤にして体を少し前のめりにさせて、曲解していると思われる智洋に必死に説明を始めようとする。

「海里、浜山君。落ち着きなさい。別に、交際を咎めようとしている訳じゃないんだから。御船3尉を見なさい。呆れ返ってるじゃないか。」

 その言葉で海里と浜山、それに智洋から注目されてしまった御船は3人の顔を見て、たじろいでしまう。

「あの!た、確かに幕僚長の仰る通り呆れてはいました!で、ですが、その、注目されるような事は、自分は何も!」

 パニックが御船にも伝染した所で、智洋は柏手を1つ、大きく打つと、自分へと注目させる。

「浜山君、意地悪な事を言って済まなかったな。普段海里から浜山君の事、話をされていたからどういった関係かは分かってはいたつもりだよ。ただ、男親としてはやっぱり寂しさは感じてしまうものだ。君も家族が出来れば、特に娘がいれば、そのうち嫌でも理解できるようになるはずだよ。」

 そう言って笑顔を浮かべる智洋に、3人の目には違う感情も読み取れてしまった。

「さて、久しぶりの親子再会も楽しめたし、娘の彼氏と、娘の友達とも話が出来た。ここ暫く転勤だったり、騒動だったりで忙しかったから、息抜きが出来たよ。」

 海里は、浜山との事を完全に誤解されている事に頭を抱えながらも、現在進行形で起きている自衛艦艇等の異変に智洋も関わっていることに思い至り、今海里達に見せている穏やかな、海里から見て普段家で見る優しい父親の雰囲気を感じ取った上で、後で母親である響子(きょうこ)と相談しながら、智洋の浜山への認識の誤解を解こうと、心に決めたのである。

 そして、そろそろ次のスケジュールの時刻になるため、智洋は浜山だけを部屋に残し、海里と御船に“とさ”へ戻るように伝えた上でこう付け加えた。

「御船3尉、海里は少しおっちょこちょいな所があるから、防大と幹部候補生学校(江田島)の同期として、助けてやってくれないか?」

 そう言われ、御船は海里を少し見やってから、智洋に正対する。

「恐れながら、長浦幕僚長。御命令であれば御請けいたしますが、御願いという事であれば自分には荷が思いので、御辞退させていただきたく思います。」

「どういう事かね?御船3尉。」

「はい、御説明申し上げます。()()でしたら、確かに幕僚長の仰る通りにおっちょこちょいだと、自分も思います。」

 智洋の言葉を追認する御船の言葉に、弁護してもらえると思った海里は思わず驚きの表情で御船を見てしまう。

 御船は視界の端でそれに気付きながらも、それを無かった事のように更に続ける。

「しかしながら、現、護衛艦“とさ”航海士である()()()()3尉は、士官としてきちんと任務を全うしていると、自分は判断いたします。」

「ほう?その根拠は?」

「はい、“いわしろ”の柴田船務長等から与えられた課題等に真剣に取り組み、先任の船務士や船務科員のみならず、航海科、時には機関科等にも赴き、課題を解決しようと取り組んでいます。また・・・」

 そこで海里を横目で少し見ると、視線を元に戻して話を続ける。

「課題の事だけでなく、休憩時間や休暇等の際には、積極的に他の士官や曹士達とコミュニケーションを図り、他の乗員達同士の円滑な意志疎通をも構築しようと努力しています。これは、課題に取り組むので精一杯で、助けられる側にいる自分では、長浦幕僚長からの御命令であれば達成出来るよう努力いたしますと御答えしますが、長浦3尉の御父上としてのお願いと言うことでしたらば、自分の方が長浦幕僚長や長浦3尉に御迷惑をおかけしてしまう可能性があると思います。ですので、重ねて言いますが御願いでしたら、御辞退をさせていただきたく思います。」

 御船の言葉に、しばし沈黙した智洋だったが、何か納得したのか小さく頷き、海里に視線を少し向けてから御船に戻す。

「親にとっての子供への認識は、いつまでも小さい頃のまま、と言うことか。海里と同い年の御船3尉に言われるまで自覚出来なかったのは、私の見る目は親としても将補としても、まだまだだと言う事なのだろう・・・」

 智洋の言葉を聞いて、御船は立ち上がると不動の姿勢をとる。

「自分のような若輩者で、3等海尉の船務士が浜田地方総監部幕僚長の長浦海将補へ意見してしまい、大変申し訳ありませんでした!今の言葉、お聞き流し下さい!」

 そう言って頭を下げた御船に、智洋は笑いながらこう返答した。

「残念ながら御船君の言葉を聞き流す、と言うわけにはいかないな。」

 頭を下げたままの御船は、智洋の言葉に頭を上げる事が出来なくなってしまった。

 何故なら智洋が、今どんな顔をしているのか、確認も怖くて出来ないからだ。

 そして智洋は御船に、こう続けて語りかけた。

「御船3尉のお父さんにはお会いした事は無いが、きっと私と同じだと思う。親にとって、子供は小さい頃のままに見えるし、娘はとびきり可愛いと思える。息子は家にはいないから分からないが、いたらやっぱり可愛いと思うのだろう。」

 智洋は立ち上がると、御船に頭を上げるように言って更に続ける。

「だから、そんな当たり前の事に気付かせてくれた、御船3尉の言葉を聞き流す訳にはいかない。」

 そう言って御船に右手を差し出し、握手を交わす。

 御船は一連の出来事に呆然としつつ、海里と一緒に退室していった。

 残された浜山はと言うと、智洋から青い腕章のような物と、黒いバッグを渡される。

 直ぐにそのバッグの中身を確認するように言われ、大きく開けて覗き込むと、一眼レフカメラの本体や広角と望遠のレンズが1本ずつに加えて、バッテリーやメモリーカードも見える。

「あの、撮影機材が入っているのですが、これは一体・・・」

 浜山の疑問に、智洋はテーブルに置かれた、浜監のスコードロンマークが縫い付けられた腕章を指差す。

 青に近い水色の生地に直接文字が白い糸で、1段目に【海上自衛隊】、2段目に【浜田地方総監部】、3段目に【広報】と刺繍されている。

「その腕章にある通り、君には浜監広報で写真員をやってもらう。指揮系統は辞令通りに浜監広報係にある事になっている。だが、今回は私が君を直接指揮する事になっている。少しの間だがよろしく頼む、浜山陸斗3等陸曹。」

 海将補の智洋が陸曹の浜山を直接指揮するという、どう間違った所でほぼ有り得ない筈の出来事に対する驚きと、今後どういった教育を受けることになるのかという困惑の混じった顔をする浜山に、智洋は嬉しそうに話を続ける。

「因みにそのカメラのメーカー、君も見て分かる通りN社の物でね。海自の光学系もお世話になっているのは、知っていたかな?」

 N社の光学系は戦前の旧海軍時代から(ごく)最近まで、潜水艦の潜望鏡等がそうであるとされている。

 しかしながら近年、海外メーカー製をライセンス生産している二菱重工系関連会社の物が潜水艦の潜望鏡等に調達されるようになったりしていて、一概に全てがN社とも言い切れなくなってきている現状もある。

「話だけは伺ったことがあります。ただ、自分は久里浜で教育を受けておりませんので、長浦幕僚長の御期待に添えるような撮影が出来るか分かりません。」

 浜山の言う久里浜とは、神奈川県横須賀市久比里(くびり)に所在する“久里浜駐屯地”と、そこに所在する“陸自通信学校”の事で、ここでは通信関係の教育に付随している『陸曹写真課程』を指している。

 そしてこの課程を修了すると、陸自通信団隷下で、かつ陸自唯一の専門部隊である“第304映像写真中隊”を始めとして様々な隊に配属されていく事になるのだが、中には警務隊に配属され、隊内で起きた事件事故等の証拠写真を撮影するといった、警察の鑑識のような事も行っている。

 比較として海自では第3術科学校(千葉県、下総(しもふさ)航空基地内)にて、空自では印刷製図員として直接各部隊へ配属され、それぞれで教育が行われる。

「今回は写真ではなく、海自を理解してもらう事が教育の目的だからね。広報として格好もつくし、レポートの作成もしてもらう事になるが、写真も入っていた方が陸幕にも伝わりやすい。」

 智洋に説明されほとんど納得した浜山ではあったが、疑問も残っていた。

「機材をお借りするのは良いのですが、これを使われていた方の機材の手当てはどのようになっているのでしょうか?」

 撮影機材はそう安い物では無く、初心者向けのエントリーモデルの本体だけでもそれなりの金額はするし、レンズも安くて本体より安い物から、高い物ではそれのみで7桁の金額はかかってしまうものまである。

 そんな、官品としても比較的高額な部類に入る機材が貸与されていれば、浜山でなくても気になってしまうのは仕方の無い事である。

「流石に今回の浜山君の話は、私の配属直後に来た話だから、機材も余っていなかったし、君の為だけに準備出来なくてね。」

「それでは、この機材はどなたかの私物なのですか?」

 その浜山の問いに対して、智洋はソファに深く座りなおすと浜山にこう告げた。

「私のだが、機材としては許可してもらっている。それと、そのセットは時々しか使ってないから、期間中は浜山陸曹に管理を任せるよ。」

 涼しい顔で事も無げに言う智洋に対して、自分の横に置いたカメラの入ったバッグに視線を向ける浜山の横顔は、血の気が引いている。

「撮影はレポートに使う前提で、チェックも当然入れさせてもらうが機密事項を除いて自由に撮影していい。」

 その辺りから浜山は記憶が曖昧になり、どうやって戻ったのか分からないままに、カメラバッグと広報の腕章を手にして広報係に用意された自分の机にたどり着いていた。

 一方で1人になった智洋は、呼び寄せた海曹にカップやソーサー等を片付けてもらうと、自分の執務机に座り、固定電話で何処かへ電話をかける。

 相手に繋がらなかったのか受話口から保留音が聞こえ、暫く待たされてから、目的の人物と話を始める。

「今回は急に無理を言って、申し訳ありませんでした。早急に調査を・・・はい・・・・・・はい・・・・・・いえ、その事はまだ伝えていませ・・・坪内?・・・ええ・・・横須賀で・・・では、彼は“いわしろ”で行かせて“とさ”で・・・はい・・・・・・西原に・・・ですが、表向きには・・・ありがとうございます。・・・ええ・・・」

 特別事象調査室の人員の名前を挙げたりしながらメモを取り、時々手を止めて相手に確認したりしながら、話を進めていく。

「・・・以前提唱していただいた事を、このような形で私が利用・・・・・はい・・・確かに仰る通り、使えるのならどんな手段を・・・・・・えっ?長浦海里3尉は、仰る通り私の娘ですが・・・はい・・・そうですか・・・灯台もと暗しでしたか。では、我々の方は彼に協力してもらい・・・・・・はい・・・」

 智洋の電話は、こうして暫く続くのであった。


◯浜田地方総監部桟橋 A1N 護衛艦とさ 1948i


 “とさ”へ戻って御船と別れ、幹部の作業衣に着替えた海里は航海士としての教育を受け、1930から行われた巡検を終えると、1人で分厚いファイルとメモ帳を持ちながら艦内を歩いていた。

 時々立ち止まりながらあちこちを見ては、ファイルを辞書のように探しながら開いて、目的のページらしき所で表や図を人差し指で1つ1つ確認しながら艦内通路を見渡したり、部屋や区画の扉にペン先を向けながら確認をしている。

 現在課業外を利用して、課業中に出来なかった“とさ”の後部の設備を確認して覚えるために来ていたのである。

(“おおすみ”型“いわしろ”は、全長178m、全幅25.8m、基準排水量8,900t、満排水量14,000t。対して今いる“いずも”型“とさ”は、全長248m、全幅38.0m、基準排水量19,500t、満排水量26,000t・・・甘かったなぁ・・・“いわしろ”で慣れてたから大丈夫って、軽く考えちゃってた・・・覚える量が違い過ぎるよ・・・)

 表情ではしっかりしつつも、内心でそんな事を思う海里。

 時々ガスタービン員の曹士達とすれ違い様に挨拶され、今回手にしたファイルはどうやら機関のある区画に関する物であるようだ。

 そんな海里の背後から幹部の作業衣を着た男性が、怪訝そうな顔で近付いてくる。

 海里も足音で気付き、ファイルから目を離すと半身で後ろを見る。

「田浦機関員長じゃないですか!航海士の長浦海里です!」

 その声に、田浦と呼ばれた人物も覚えがあったのか、笑顔で海里の側に駆けてくる。

「おお!誰かと思ったら、噂の長浦航海士か!そうか、今日からだったか!話は君のお父さんから聞いていたけど、本当に、あのちっちゃかった長浦のお嬢さんと一緒に仕事する日がくるとは、俺も年をとったもんだ!」

「お久しぶりです!いつ田浦員長は3尉になられたんですか!?」

 海里よりもやや背が高い田浦は、少し屈みながら海里に肩の乙階級章を指差して見せる。

 海里の着用している3等海尉の乙階級章には、太1本線があしらわれているのだが、田浦の乙階級章の1本線は、海里の着用している3尉の太1本線よりも細く見える。

「違う違う、良く見て。細いだろ?お嬢さんの1個下、“准尉”だよ。お陰で機関員長から(しょう)機関士になるわ、CPO室から追い出されて士官室に行くわで、結構てんやわんやだったんだよ。士官から逃げ切れると思ったけど甘かったわ!はははっ!」

 准尉とは“准海(陸、空)尉”の事で、下士官トップの海(陸、空)曹長と、士官である3等海(陸、空)尉の中間の階級である。

 この准尉の取り扱いは海自と陸空自で異なる。

 陸空自では陸(空)曹長の上位者扱いで、尉官ではあるが部内では下士官と同様である。

 それに対して海自での准海尉は士官扱いとなるため、田浦の言った通り、CPO室又は先任海曹室と呼ばれる部屋から士官室へ移動し、役職も機関員長だった田浦の場合、機関長を機関士と共に補佐する“掌機関士”となっていた。

 なお、部内から幹候校へ行って卒業した者は、准海(陸、空)尉を飛ばし、海里や御船達と同様に3等海(陸、空)尉からとなる。

「挨拶が遅れて済まなかったよ。さっきまで上陸してたから・・・おっと、長浦のお嬢さんが勉強してるのに、これ以上邪魔しちゃあいけないな。操舵室の航海長達に相談出来ない時は、俺達のいる操縦室に来るといい。いつでも相談にのるから。」

 そう言うと、海里の肩を軽く2回叩いて恭しく挙手敬礼すると、操縦室へと歩いていく。

「ありがとうございます、田浦准尉!」

 海里はお礼を言うタイミングを逃しそうになり、彼の背中にそう声をかけて挙手敬礼してから、先程まで見ていたファイルのページを開き、学習の続きを開始した。

 

◯神奈川県横須賀市 NR横須賀線横須賀駅付近の高台 2002i


 島根県の浜監で3尉の長浦と准尉の田浦が邂逅していた丁度その時、横須賀地方総監部(横監)のHバース等を見下ろせる高台に、大塚幹枝(みきえ)の姿があった。

 その視線の先には暗くて分かりにくいが、H1にDDH185“するが”や、Y1にDDG174“きりしま”らしき艦影が見えている。

「大塚さん、お待たせしました。」

 大塚の左手側から鮎沢恵利(えり)が駆け寄って来ているが、大塚の視線は横監に向けられたままである。

「様子は?」

「はい。桟橋の近くまでは行けましたが、それ以上は無理でした。それと対象者ですが、恐らく意図的に隠れている可能性があり、残念ながら長居は危険と判断、後進して来ました。」

 大塚はさほど驚く事無く、寧ろ予想していた事が当たってしまった事に対しての諦めを込めたように、ため息をつきながら右手で柵を掴む。

「そうか・・・。今回は千歳よりも時間はあるが・・・、タイミングと状況が千歳よりも悪すぎる。要人訪問による、あの警戒体制の中で探すとなれば、あの人数に見付かる危険が非常に高い。いくら我々でも、あれでは飛んで火に入る夏の虫・・・。あの方々は面倒な事になるのが分かっていなさそうだから、そっちの方も厄介だ。」

「味方も厄介なんて・・・。もう、本当に勘弁願いたいです。」

 鮎沢も心底うんざりした様子で呟くと、大塚の左側に近付き左手で柵を軽く掴む。

「しょうがない。予定外だが横須賀から一旦離れようと思う。ここにいても、今出来る事が無い。」

 大塚は柵から手を離すと、鮎沢の方を見る。

「行く宛はあるのですか?」

 鮎沢も同じように柵から手を離すと、大塚と視線を合わせる。

「特にこれと言った場所は思い付かないが、あまりのんびり構えてると電車に乗れなくなるだろうし、宿も取れなくなってしまう。」

 鮎沢はスマホを取り出すと地図のアプリで検索を始め、大塚はその画面を覗き込む。

「でしたら・・・横浜に行ってみますか?今からでしたら、帝急羽田行きの急行にも間に合うと思いますし、あちらの今の様子も知る事が出来ます。」

 そう言ってスマホの画面を大塚に見せると、彼女はある施設と、そこを含む一帯に興味を示す。

「なるほど・・・。今から行って1日過ごしてみよう。少し離れているが、資料も昼間には見られるようだし、暇を潰すには丁度いいだろう。それに・・・」

 大塚は鮎沢の地図のアプリを辿々しい手付きで操作すると、離れている別の施設に目印のアイコンを着ける。

「この施設は“女王”の予備知識を仕入れるには丁度良い。横浜から離れてはいるがそこまでは遠くないし、そこからさらに離れるが、行こうと言っていた催しにも行ける。」

 そう言ってもう一度スマホを操作すると、今度は南関東が見える位に縮小し、目印のアイコンとは違う都県を拡大すると、そこにも目印を着ける。

「大塚さん、この催しに行くと時間が合わなくなって任務未達になってしまうと、以前仰ってませんでしたか?」

 鮎沢は画面を見てから大塚を不安げに見ると、渋面を見せているところから、大塚にしても苦渋の決断である事を伺わせた。

「あの時はな。だが、現状では何も出来ない。突発的に予定外の事でも無い限り、“彼女”が今年中に海外へ行くことも無いだろうが・・・」

 渋面を作ったまま少し沈黙すると、大塚は右の指先でこめかみの周辺を押さえ、深く長い溜め息をつく。

「動き回っている“女王”と会うには、時間制限がある。今を逃せば、かなり後回しにしなければならない。少なくとも来年になるまでは、こちらから会いに行く手段が確保出来ない。それと、その事をあの方々が理解していない事は、我々にとってかなり大きな問題がある。」

 大塚は鮎沢にそう言うと、スマホを鮎沢に返す。

「・・・いっそ“女王”との会見の件、引きますか?」

 受け取った鮎沢は、そう言いながらスマホの画面にロックをかけて、上着の内ポケットにしまう。

「出来るならそうしたいが、こき使われてる今は無理だろう。」

「でしたら、我々が主導権を握るしかないです。そうすればこちらで作戦予定を作成出来ますし、あんな飛行機等と言ったものに頼らなくとも、国内での移動は出来ます。」

 鮎沢は今朝の民航機の件が頭に過ったのか、怒りのような表情を見せながらも、言葉だけは冷静さを保っている。

「鮎沢の言う通りだな。それに、こうも情報を小出しにされては、今回のような事があると何も出来なくなってしまうのも問題だ。明日報告だけはして、明後日にでも私から掛け合ってみよう。」

「明後日に、ですか?」

「少し体も休めたいし、そんな時に複雑な事は考えられない。のらりくらりと蛸のように交わすあの方々を相手にするには、今は疲れ過ぎている。」

 大塚は両手で柵を持つと、足元を見つめて乾いた笑いを漏らす。

「捕まってしまったら逃げられないのも、蛸と同じですね。」

「ああ。注意して行動していないと・・・簡単に消されるだろう。」

「不謹慎ですが、その時は私も随伴をさせていただきます。していただいてしまった、御詫びと御礼です。」

 鮎沢は柵から手を離すと、大塚に正対して十度の敬礼のように頭を下げる。

「鮎沢は私よりスマホが使いこなせる癖に、考え方は古臭くて錆び付いているな。それに、そんな御詫びと御礼の仕方があるか。鮎沢の好きに生きろ。今はもう、何もかもが違うんだからな。」

 大塚は顔を上げて鮎沢を見ると、呆れながら鮎沢の頭を上げさせる。

「了解しました。では大塚司令の言う通り、私の好きに生きさせていただきます。」

「そうしてくれ。さて、さっさと横浜に行って、旨い日本酒でも・・・ん?・・・なんだ、あの黒いのは?」

 大塚は鮎沢の後ろに黒く動くものに気付き、何があるのか確認しようとするが、街路灯で明るくなっている範囲のぎりぎり外側にいるため見辛いが、何かいるのだけは分かる。

 鮎沢も振り向き大塚の見たものを、自分でも確認しようとすると、その黒いものが動き、光るものが二つ、自分達の方に向いたのを視認する。

「猫?・・・黒猫・・・のようです。可愛いですね。・・・大塚さん?どうしました?」

 振り向きながら大塚に見えたものを告げると、鮎沢は大塚の様子がおかしいように見え、心配そうに顔を覗き込む。

「いや、何でもない。行くぞ。」

 鮎沢は猫の手前にある階段に向かって歩きだし、鮎沢もそれに従って着いていく。

「はい。」

 黒猫の近くまで歩いていくと、大塚は一度足を止め黒猫をじっと見つめるが、黒猫は逃げる事なく一声小さく甘えるように鳴くと、その場で舌を使って右前足の毛繕いを始める。

 大塚は何でも無かったかと安堵し、鮎沢と共に帝急の汐入駅に向かって歩いていった。

 黒猫は二人が降りて行ったのを見届けるように視線を階段に向けると、伸びをしてから体をバネのように縮め、顔を上に向けると一気にブロック塀に飛び乗って塀の上を歩き、住宅街の暗闇に自身の体色を溶かし混ませるように消えていった。


今回も最後までお読みいただき、ありがとうございます!

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