魔法使いと宿屋の四人
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いつのことだったのかは覚えていません。ですが、そんなに前じゃなかったと思います。
その時のわたしは、きっと今程ぼうっとしてはいませんでした。もしかしたら自覚がなかっただけかもしれません。それでも少しくらいは、自分が魯鈍で心の弱い人間であることを、隠そうとしていたと思います。
わたしのような人間は、ちょっとくらい間抜けに振舞った方が、失敗をしないものです。今でこそそんな風に、少しは狡猾にやることもできるのですが、その時はそんなことは思いませんでした。何か嫌なことをされたり言われたりすると、わたしはいつも虚勢を張って、自分はあなた達と同じようなちゃんとした存在なんだぞ、どうしてそんなことをするんだと、顔を赤くしてそう言っていました。
だからなのでしょう。わたしは誰からも疎まれて隅っこで憮然としていました。頬を膨らませて、できる限り疲弊した顔を見せないように振舞うことに精一杯でした。その時はお兄ちゃんと豊彦くんの折り合いが悪くて、そのこともわたしを嫌にさせていたのでしょう。その時のわたしには、自分の周囲のことは自分ではどうしようもないことだと、そんな風に思い知っていたのでした。
たびたび呼び出されて、クラスメイトに折檻されました。耳に泥を詰められたりガラスの欠片を口に入れられたり。こんなのは大したことじゃないと思い込みました。こんなのはほんの些細な嫌がらせで、わたしは強い人間だから、こんなのは平気で受け流すことができると考えました。そのことを、誰に対しても隠し通しました。
机に座って一人、泣き出しそうにぼけっとしていました。ぼけっとしているのは良いことです。隙だらけになる代わりに、あらゆる恐怖や悲しみから逃れることができます。その時から、無為はわたしの防衛手段になっていました。
そんな時でした。
加賀谷くんがわたしの前の席に座りました。彼はにやにやと、少しだけ嫌らしい顔をしていて、またこういう手負いなのかと、そんな乱暴なことを考えたりしたものです。今ではそんなこと考えもしませんし、考えたとしても態度には出しません。頭を空にしてにこにこしながら、何も分からないことにして適当に距離を取るだけなのでしょう。ですがその時のわたしは尖がっていました。ぎざぎざはーとでした。もうちょっと放っておかれたら、わたしぐれちゃったかもです。いいえ、わたしのことだから、さらに周囲に迷惑をかけてしまう方法を取っていたかもしれません。
わたしは加賀谷くんを追い返そうとしたのです。どうしてそこに座るのかと怪訝に尋ね、自分なんかにどうして関わるのかと、そのような態度を取りました。
『まあ見ていろよ』
加賀谷くんは言いました。そして懐からトランプを取り出して、わたしにシャッフルするように要求したのです。
わたしはどうしてこんなことに付き合わされるのかと思いながら、なるだけ憮然とした風にトランプを切りました。今にして思えば、とっても失礼なことですね。
『どうしたい?』
加賀谷くんはわたしにそう言いました。
『どうしたいって?』
『そのトランプの中身をどうしたい? そして、君が言ったとおりになるんだ。ボクの魔法によってね』
魔法! それはなんと胡散臭い言葉だったのでしょうか。わたしは憤慨しそうになりました。魔法などあるものか、そんなものが使えるのなら、世界に一つでも嫌なこと苦しいことがある訳がないじゃないか。魔法! そんなものがある世界があるのなら、わたしはきっとそこに行きたい。そして全てを捨ててそこに入り浸ってやる。本当だもんそうするもん。思いながらわたしは思いつく限りの無茶な注文をしました。それはこういうものでした。
『じゃあこれ全部、エースにして』
『お安い御用さ。スートはスペードで良いな。開けてみろよ』
いえいえエースと言えばふつうはハートです。スペードなんてちょっと偉そうな形をしているだけじゃないですか。なんて思いながらトランプを一枚一枚捲り、机の上に並べていくと、わたしの表情は少しずつ驚愕に満ちたものになって、苦悶を浮かべ、そして最後に歓喜したのです。
それは本当に、全てがスペードのエースになっていたのでした。机一杯に散らばったスペードのエース。自分の手元からあふれ出したその奇跡に、わたしはただただ興奮しました。
『すごいっ!』
わたしは叫びました。
『これ。どうやったの?』
『だから。魔法だよ』
加賀谷くんは笑いました。
『ボクには魔法が使えるのさ』
そう言って、加賀谷くんは次々と違う手品を披露していきました。シャッフルするたびに枚数が増えていたり、突如として消えてわたしの鞄に入っていたり、カードが一人でに歩き出したり。それは本当に手品というにも嘘臭くて、魔法と呼ぶに相応しくて、わたしは嫌なことを全て忘れてそれに没頭してしまっていました。
『どうやったら、こんなことできるの?』
わたしが訪ねると、加賀谷くんは答えました。
『魔法の使い方かい?』
わたしは頷いて加賀谷くんの答えを待ちました。加賀谷くんはしばし真剣に考え込んで、自分が魔法を使えるようになった秘訣を、こう語りました。
『一番必要だったのは、魔法を使うのを諦めないことだよ。だから、君もがんばってみると良い。なんでも願いが叶えられるよ』
結局、色々な試行錯誤を繰り返したのですが、わたしが本当に魔法を扱えたことは一度もありません。
魔法を使うことなく、生身でたくさんがんばった結果が、今のわたしであり、わたしを取り巻く環境です。それはもちろん、加賀谷くんという大切な友人を含めて。
……加賀谷くんが本当に魔法を使えたのかは分かりません。ただ、彼の披露した手品の内容が、ちょっとふつうの方法ではできないと思います。
彼は、本当に何でも願いを適えられる魔法使いではなくとも、ちょっとくらい不思議な力を扱える人では、あったのだと思います。
そんなことを考えていると、次第に意識が覚醒を始めました。真っ先に思い浮かんだのはどうして自分は生きているのかということでした。
「……?」
そこは宿屋の個室です。隣のベッドは空っぽで誰かが寝ていた形跡もありません。天井の木目の柄が違うことから、天沼さんと一緒に泊まったあの部屋ではないということが分かります。いいえ、そんなことはこの際重要ではないのです。わたしは自分の体をぺたぺたと触りました。相変わらず起伏に乏しいです、けどそんなことも今は関係ありません。
ここは天国なのでしょうか? そうだったら良いと思います。はたして豊彦くんは天国に来れているでしょうか? 信心深さとは無縁の人です、きっと神様は地獄に落とすんだろうなと考えて、自分が結構寝ぼけていることに気付きました。ちょっと能天気過ぎます。
心の中は自分でも驚くほど澄み切っていて、なんだかさっぱりした気分でした。体にも外傷はなく、加賀谷くんと戦っていた時そうだったセーラー服もそのままです。確かあの時は派手にお腹を刺されたのになと、綺麗なセーラー服を見て思います。
豊彦くんはわたしを守る為に戦ってくれました。わたしも一生懸命にやったのですが、加賀谷くんの技は相当なもので、たちまち切り伏せられ、豊彦くんから先に殺されてしまいました。わたしは死体に向かってヒールを唱えたりしたのですが、そんなのが利く訳もなく、みんなに続く形となったのでした。
じゃあどうしてわたしは生きているのでしょうか。
殺されたのは夢? あんなに痛くて苦しかったのですから、夢はきっとないでしょう。天国だとしたらあの時の宿屋にいるはずもありません。ですからわたしは、すぐに結論を導き出すことができました。
「こっちの世界だと、死んでも宿屋に戻るだけ……」
これが一番正しそうです。
わたしは部屋を出ると、豊彦くんやみんなを探しました。隣の部屋をノックすると、ベッドの上で何やら考え込んでいる天沼さんがいて、そこに飯田くんがすぐに飛び込んで来ました。それから三人で次の部屋に向かうと、いまだ疲弊した風に眠り込んでいる豊彦くんの姿がありました。
「起きるんだぁね」
天沼さんが鼻を摘むと、豊彦くんはしばし悶えてから置きだして来ました。その時の目を丸くした表情に、天沼さんと飯田くんは二人でけらけら笑います。
「おまえら……どうして?」
「豊彦くん」
わたしは飛び付くように豊彦くんの傍に行きます。彼が生きていた、それを確かに確認して、ついそんな行動を取ってしまったのです。豊彦くんはわたしのことを受け止めて、しばし背中に手を添えて、それから後ろの二人の方に視線をやりました。
「そうか……こっちで殺されても、死にはしないんだな」
殺されても、死なない。その屈折した世界観に、わたしはなんだかもやもやとしたものを感じました。
「ありうるとは思ってたんだぁね。まあでもなけりゃ、智也もああ平気で人をちょん切ったりはしないだぁね。それにしても躊躇がなさ過ぎて、よっぽど戦闘に慣れてるってことなんだぁが」
「……そうだな」
飯田くんが、珍しく自分から発言をしました。
「あいつはちょっとおかしい」
生き返ることを知っているからと言って、人を殺めてしまうというのは、ちょっと寒気のする話です。そしてわたしは、生き返ることを知らされなかった所為で、友達が一人ずつ殺されていく恐怖を散々味あわされることになりました。
「きっとあいつは、おれ達がそれに気付いていないことを知っていて、教えなかったんだろうな」
「そんな感じだぁね。まったく良い性格してるぞよ」
きゃはははは、と天沼さんは愉快そうに哄笑します。
「すまない。おれがあいつを引きとめた所為だ。謝って済むことじゃぁ、ないが……」
「なになに。別に良いぞよ」
天沼さんは不適に笑んで
「体をちょん切られて死ぬなんてこと、ふつうはできないんだぁね。だから良い経験だったぞよ」
「そうだろうか」
飯田くんが渋い顔をします。
「まあ。でもなんだ。あんなにコケにされて逃げるよりはマシだった」
「ありがとう」
豊彦くんは頭を垂れます。
「おれは良い友人を持った。おれと一緒に戦って、それで死ぬような思いをしても、それで良かったと言ってくれるおまえらに、心から感謝する」
そう言うと、天沼さんはぎょっとしました。ローブから飛び出た頭を亀のように転がして、飯田くんの方を目を丸くして見詰めます。飯田くんは天沼さんと顔を合わせると、不機嫌を装ったような声で言いました。
「いつ、ソレになったんだ? 俺と、おまえが」
ソレ、というのは友達のことでしょう。あれ違うんですか? とわたしは飯田くんの方を見詰めます。天沼さんはほんの少しだけいつもの余裕を失った顔をして、所在なく立ち尽くしておりました。
「気に食わないのか?」
「……そういう訳じゃない。ただ気になっただけだ」
「右に同じ。なんか馴染みない言葉だぁね、それ」
肩を竦め、顔を見合わせる二人です。
「スラングみたいなもんじゃないのかい? 日常会話ならともかく、こんな真剣に口にされると、ちょっと困るものがあるだぁね。……もっとも、言われて嫌な言葉じゃないぞよ?」
そうか。と、豊彦くんは少しだけ歯切れ悪く口にして、それからわたしの方を向き直りました。
「……守り切れなくてすまん」
「いえいえ」
そもそも豊彦くんが謝ることではないのです。豊彦くんは、いつだってわたしのことを助けてくれますが、それを果たせなかったところで彼が気に病むことはありません。
「加賀谷くんを止めなければいけないと思ったのは、わたしも同じだよ。だから、豊彦くんが謝ることじゃない」
豊彦くんは、こういう時、なんでも自分の責任にしたがるところがありました。小さい頃から、ちょこまか付いてくるわたしを引き連れていた所為で、そんな癖がついてしまっているのかもしれない。そんな風に思いました。
「あの後どうなった?」
「お腹刺されて死にました。それから……そうそう」
わたしはにこにこ笑いながら制服のポケットに手を入れました。きっとここにあるはずです。
「これ。もらったの」
豊彦くんをはじめ、みんながわたしの手の中を覗き込みました。そこには捜し求めていたアイテムが添えられています。済んだブルーの捻じ曲がった鍵は、こっちの世界とわたし達本来の現実を繋ぐもの。
「……メモリージェム」
呆然と呟く豊彦くんに、わたしは言いました。
「加賀谷くんがくれてたんだ。わたしこれから殺されちゃうのに、こんなのもらってもしょうがないよぅって思ったんだけれど。ちゃんと意味あったんだね」
「はん」
豊彦くんは肩を竦めました。
「本当に嫌味で陰気な男だよ、あいつは。そんな親切心があるのなら、もっとマシな渡し方をしてくれないものだろうか」
「そうだね。だけれど、これが一番良かったんだとわたしは思うよ」
わたしは首を倒して言いました。
きっと加賀谷くんは、他の誰でもないわたしにメモリージェムを手渡したかったのでしょう。何故って、そうしないと豊彦くんはそれを清くは受け取らないと思ったから。豊彦くんの偏屈な性格が、加賀谷くんにそんな風に写っていてもおかしくはないのです。だけれど加賀谷くんはメモリージェムをわたし達に与えたし、豊彦くんはそれを『親切心』なんて言いました。
「ともかく、これが手に入ったからには、ここに残る理由もない」
ホームシックというものでしょうか。お兄ちゃんのいる家や、豊彦くんと歩いた通学路の景色。みんなのいる学校。それらはわたしにとって、変えがたく大切なものでした。
けれど。同時に、この世界にお別れをすることが、ほんの少しだけ寂しく覚えたのも、間違いのないことでした。
「俺にも異論はない」
飯田くんが険しい顔で口にします。
「あたしもいったん、戻るぞよ。この世界のことはだいたい分かった。そして、時間は有効に使うのがあたしのポリシーなんだぁね。兄貴共もまさか心配はしてないと思うだぁが、余興で話くらいしてやるのも、悪くない。それに」
天沼さんは不適に微笑みました。
「ありすに話が訊きたい。絶対関係あるんだぁね」
「決まりだな」
豊彦くんはベッドから起き上がります。
「家に帰るぞ」
読了ありがとうございます。




