五感消失分割
——一瞬にして、世界が変わった。
戦いで負った痛みは存在をなくし、視界は暗闇に包まれ、音はどこかへ行き、充満していた血の匂いを感じなくなり、口に広がっていた血の味が消えた。
目の前にいたはずの魔王はいない。振り返れば、そこにいるはずの仲間がいない。ただ、暗闇が広がり続けている。——いいや、本当に振り返ったのかも定かではなかった。
わからない。自分は今どんな状態で、どんな態勢で、どんな言葉を発していて、呼吸はちゃんとしているのか、それすらも感じることができなかった。
「———」
助けて。
そう言葉にしたはずだが、果たしてちゃんと形になっただろうか。
「———」
助けて。
念のため、もう一度口を開いてみる。
怖かったのでもう一回だ——助けて。
さらに念押しでもう一回——助けて。
もう一回——助けて。
「…………?」
——おかしい。
いつもなら回復魔法を極めしあの子が一瞬で治してくれるはずなのに。
どうして治してくれないんだろう。
昨日、夕食をつまみ食いしたのをまだ怒っているんだろうか。魔王と戦っている時にそんなこと根に持ってる場合じゃないだろう。こうしている間にも、攻撃されたらこんな状態で避けようがない。
「———!!」
——ねぇ、だから、早く。
——ねぇ!!
この際、フシターネじゃなくてもいい。イブでもゼガーでもカゲトでもいい。誰でもいいから、助けて。
流石にこれは——怖い。
怖い。
こわい。
——それから、何秒、何分、何時間、何日、何年経っただろう。
ひょっとしたら、そんなに経っていないのかもしれない。
けれど、無限に感じられる時の中で理解したことがある。
——これは、『呪い』だ。
——魔王が、私へ送った呪い。
その呪いで五感を失ったのだと、理解した。
しかし、その頃には五感より大事な何かを少女——ピーチュは失っていた。
——
『ポリの森』を舐めていた。その一言に尽きる。
「あ〜!! やっべ、やっべ!!」
短い耳に「ガウ!」という低い鳴き声、だらしなくよだれを垂らした犬畜生に見えるが、あれはマズイ!
現状、使えるものは腰に刺さった短剣のみ。ただの犬ならこの短剣で俺の実力にかかればちょちょいのちょいなんだが、残念ながらただ犬ではなく——
「うわっ!!」
空気を焦がしながら灼熱の球を俺の足元狙って打ってきたのを何とか避ける。危ねぇ。
——口から炎吐く犬なんていない。
あれは、『魔犬』だ。可愛げのないことに決して人に懐くことはないモンスター。しかも攻撃してくる。
そんな『魔犬』が俺の背後に二桁は余裕でいる。
「『ポリの森』に魔犬がいるのは聞いてたさ! でも群れ作ってるのは初耳だよ!!」
一対一ならどうにかなるだろとたかを括って森に入ったらこれだ。
「ひぃ〜!! 火吐いてんじゃねぇよ!! 誰か!! 助けて!! 助けて!! 助けて〜!!」
「その腰に刺さったやつ、借りるね」
助けを求めて叫んでいると、ゴーストのようにふらりと突如、女が目の前に現れる。跳ねた金髪で灰色の目の女。幼さの残る顔立ちに貧相な体つきから子供にも見える。
すれ違いざまに女は俺の短剣を抜き取り、そのままゆったり歩いて『魔犬』の群れの中へ沈んでいった。
「なっ……!!」
とち狂ったとしか思えない行動を思わず立ち止まって凝視する。自殺願望でもあるのか……?
しかし——次の瞬間、聞こえたのは女の悲鳴ではなく『魔犬』の悲鳴だった。「キャウン!」と高い鳴き声が次々と湧き上がってくる。
それと同時に、鮮血が噴水のように噴き上がる。
「ほげー、おっかねぇや」
自分の代わりに飛び込んだ女へその言葉はどうかと思うものの、それが素直な感想だ。
そう、驚くことに女は、『魔犬』に囲まれ足やら腕やら齧られ焦がされながら、短剣で確実に一匹一匹を仕留めていた。
血を引くほど流しながら、気にした様子も痛がる様子もなく、無機質にただただ『魔犬』を刺して殺して刺して殺す。なんとも鮮やかな手並み。
そして気づけば、あっという間に全犬っころを永眠させていた。
「終わったよ……っと」
全身血まみれになりながら俺の元にフラフラと寄ってきたので、思わず肩を掴んで支ええてしまう。血がベトっと手のひらについたが仕方ねぇ。
「へへ、ありがとー」
「そ、それより、大丈夫なのか?」
こうして立って喋っているからには致命的な損傷はなさそうだが、見てるだけで痛々しい。しかし、俺は訳あって魔法の類いを使えない以上、治すこともできない。
「うん。見たら勝手にフシターネが治しちゃうから。……別に平気なのにね」
「いやいや!」
返り血も混じってるだろうが文字通り全身赤く染まっていて平気なことはないだろ!!——と、声を荒げかけた時、人の気配を感じて後ろを振り返る。
「あ!! ダメですよ! また無茶して……っ」
その声は、聞くだけで漂う血の匂いが花の香りに変わりそうなほどに癒しの波動だった。透き通った美味しい空気のような心地よい声だ。
「ピーチュちゃん、わたしたちを心配させないで……」
「んー、心配しなくていいって言ってるじゃない。別に痛くないし」
「そういう問題じゃありませんっ!」
声の主は黄緑の髪を長く伸ばしたエルフの女だ。その女は金髪女をピーチュと呼びながら、回復魔法をかけた。そして、黄緑の髪の女の後ろには顔面蒼白の黒髪の暗そうな男がいる。多分仲間だ。
2人の人物が駆け寄ってきた。
「ひょっとしてあんたがフシターネさん?」
先ほどピーチュの口から出た名前の人物だと半ば確信し、黄緑髪の女に問いかけてみる。
「はい。そうですけど。……あなたは?」
あっさり肯定され、逆に聞き返される。
「俺は——」
——一瞬、偽名を名乗るか迷ったが、面倒だし素直に本名を答えようか。どうせ俺の本名なんて知られてはいない……はず。
「——ツミ。家名はない。ツミだ。今そこのピーチュとやらに助けられた男だ」
「あら、ピーチュちゃんそうなんですか?」
「その男の短剣借りてワンコをグサグサしただけー」
フシターネが確認するようにピーチュを見るとあっけらかんと笑顔でピーチュは答える。
「ああ……この短剣どこから出てきたのかと思ったらあなたのものなんですね。すみません、この子が血まみれにして」
「あー、いいのいいの。なんならあげるよ?」
「でも見たところ高価なものとお見受けします。今、血を拭き取ってお返ししますね」
「そりゃどーも、ところで君の後ろの男は? 誰くんなの?」
覗き込むようにフシターネの後ろにいる黒髪の男をみる。
俺と同じくらいの背丈の無愛想な男だ。さっき、血まみれのピーチュをオロオロしながら見ていたあたり、意外と表情豊かなのかもしれないが。
「……カゲト。魔法使いだ」
「へー、女の子二人の護衛って感じ?」
「そうだな。オレは命に変えても守るつもりでいる」
……突然重い発言ぶっこんでくるなぁ。顔がマジだし。てか、さっき護衛対象『魔犬』にガブガブされてましたがな。
「カゲトはねー、自分が一番軽いこと気にしてんの! バカだよねー、素直に喜べばいいのに」
「ピーチュちゃん!!」
「……?」
ピーチュの言葉をフシターネが名を呼んで咎めたが、俺からしたらよくわからなかった。
軽い……? 何が? 体重?
揶揄された当のカゲトはピーチュの言葉を気にした様子はない。しかし、フシターネはピーチュの肩を掴み、指先を震わせている。
なんだこの空気。えー……内輪揉めなら他所でやって欲しい〜。
「あー、実は俺迷子でさ、よかったら森の外まで案内してくれね?」
空気を読んで空気を無視し、俺はお願いをした。フシターネはそのお願いを受けてピーチュの肩から手を離し、頷く。
「いいですけど、わたしたちこの森で用事があるのでそれが終わってからで構いませんか?」
「もちろんいいさ。一人じゃ不安なんで同行させてくれよ」
「ええ」
——そうして俺たちは森を共に歩くことになった。
しかしまぁ、都合よく進んだものだ。
森で迷っていたらピーチュたちが現れて助けてくれるなんて。
「ところで用事って何?」
「……ここだけの話、『ポリの森』の奥にある洞窟にメタルの実があるんですよ。それを収穫します」
「私たちの収入源! それ売って生活してるの」
「え! 〝あの〟メタルの実がここに生えてるのかよ!?」
——メタルの実。強烈に激臭が特徴のフルーツだ。その希少性から高値で取引されることもある。味は酸っぱいだとか苦いだとか神の味だとか魔王の味だとか色んな説がある。
「鼻が曲がるほど臭いと聞くが、マジなん?」
「うん! でもカゲトに取りに行かせるから大丈夫!」
「おいおい人任せか〜?」
堂々と人任せ宣言するとは大した奴だ。
呆れていると、フシターネがゆっくりと口を開く。
「……カゲトくんは匂い消しの魔法を使えますから」
「えっ? それだけじゃないでしょ? 嗅覚ないから行かせるんじゃんっ!」
フシターネの言葉を弾き飛ばすように、ピーチュは彼女の背中を叩いた。
……ん? 嗅覚がない?
「ピーチュちゃん。そうやってベラベラわたしたちの事情を話すのはいただけないですよ。ねぇ、カゲトくん」
「——オレは、別に構わない。知られて困るようなことにはさせるつもりもない」
「いや、ね、そういうことじゃなくて……」
だんだんこいつらのことがわかってきたな。ピーチュは人の話を聞かない。フシターネは苦労人。カゲトは無口で——。
俺はカゲトの方を向いた。
「嗅覚ないってマジなの?」
「本当だ。しかし勘違いするな。そんなこと、大した問題ではなく、オレにとっては小さなことだ。オレなんかよりも大変なのはピーチュたちだし、仲間として——」
「急に早口でめっちゃ喋るなよ。びっくりするだろ」
カゲトという人間はひょっとしたら無口なのではなくコミュニケーション苦手なのかもな。まっ、俺が言えたことではない。
「…………。そういえばさ」
今度はピーチュの方を向く。彩度のない灰色の瞳と目が合った。
「なーにー?」
「ピーチュはさっきガブガブされても平気そうだったし、痛みを感じてないっぽかったよな」
「うん。私、痛み感じないよ」
「じゃあ、ピーチュは触覚がなかったりする? ……なーんてなっ!」
冗談めかして言ったら、フシターネが俺を睨んできた。美人の怒った顔こわっ。流石に空気読まなすぎたか。
当のピーチュは俺の隣に寄ってきてニコニコと口を開く。そして——
「そうだよ」
肯定した。
「触覚だけじゃなくてぇ、五感全部失ってたんだけどね〜。今は触覚だけない! だから、痛み感じない! あはは!」
取り繕っているわけではなく、本当にそれに対して何も感じてないかのように、あっけらかんとピーチェは笑う。
「……治ったってことか?」
「うん!」
「——それについては、わたしが話します」
無邪気に頷くピーチェを押し除け、俺の隣にフシターネはやってきた。
「業腹ですが……中途半端に、わかって欲しくないですから」
そんな切り出しでフシターネは話し始める。
「わたしたち……ここにはいませんがあと2人仲間がいます。計5人で魔王を倒すべく旅をしていました」
世界人口の三分の一が暮らす世界一巨大な都市を襲撃して恐怖で支配し、我が物とした魔王。何度も討伐隊が組まれては叶うことなく撃沈。挑む者は後を絶たないものの、戦果はあげられない。有名な話だった。フシターネたちはその挑む集団の一つだったということだ。何故そんなことをするのか不思議なものだ。自分たちなら勝てるかも! ……なんて甘い幻想だろう。他の人がやって無理なら俺にも無理と考える方が利口じゃないかと思う。
「魔王幹部を討伐し、魔王とわたしたち5人は相対しました。ピーチュは……その時は魔法剣士だったので前衛で魔王と睨み合っていました。斧使いのゼガーも前衛でしたけど、彼が大きな負傷を負ったので一時的に下がってもらい、わたしが回復魔法をかけていた時です。——魔王は、ピーチュに『呪い』をかました」
忌むべき相手を思い浮かべるように、眉間に深い皺を刻みながら、フシターネは宙を睨みつけた。
「触覚、視覚、聴覚、嗅覚、味覚——五感を失わせる『呪い』」
今度はピーチュを慈しみの視線を向けてながら、続ける。
「4年前……当時14歳だった彼女は、全てを失いました。目も見えない、耳も聞こえない。誰かに触れられた感覚も、食べ物の美味しさも、癒される自然の匂いも、何もかもわからなくなった。一体どれほどの孤独か、わたしには想像もつきません」
「想像する必要なんてないよ。だってー、フシターネは『呪い』かからなかったじゃん。喜べばいい!」
表情を曇らせるフシターネへピーチュは笑いかけるが、表情が晴れることはない。
「……。『呪い』にかけられた時、この子がわたしに助けを求めたこと、瞼に焼き付いています。それでも、わたしは、何もできませんでした」
懺悔するようにフシターネは瞼を伏せる。
「『わたし』じゃない。『わたしたち』だ。フシターネ」
そこまで黙っていたカゲトが沈黙を破りフシターネの言葉を訂正した。
「……全員、何もできなかった。苦しむピーチュに何もしてやることができなかったんだ。だから、フシターネが——」
「でも! わたしは回復担当でしょう!! 戦闘能力もなくて、仲間を癒すこともできないなんて……わたし、わたし……っ」
フシターネは唇を血が滲むほど噛んでいて痛々しい。
……いや、やっぱこの空気やめよう!? 俺がいていい空気じゃないって!
こういうシリアスなの俺苦手だ〜!
この空気をどうにかしたいなぁ。
「あ〜、メタルの実がある洞窟……カゲトが単身のりこむんだっけ? 俺もついてっていいか?」
「うへぇ、お兄さんマジ? あそこ、ちょ〜う臭いよ?」
ピーチュが自分の鼻を摘んで、眉間に皺を寄せて嫌そうな顔をする。それほどまでなんだろう。
「気合いでどうにかするさ。それに、初対面の男と一緒にさせたくないだろ、ナイトさんも」
「ナイトではなく護衛だ」
カゲトの方を向けば、俺の同行の提案に嫌がる様子はなかった。
「……カゲト、せめて彼にも後で消臭の魔法かけてあげてね。匂いが服につくと大変よ」
「わかった」
フシターネとカゲトがそんなやり取りをする。シリアスな空気が緩和されたようで一安心。
と、そんな感じで歩いていけば、お目当てと思しき洞窟に辿り着く。
「ここ?」
「そうです。……くれぐれも、この場所を誰にも口外しないようお願いします」
「了解」
メタルの実が収入源なのだから、この釘刺しは当然のことだ。
「行ってくる。何かあったら合図を」
「はい。わかってますっ」
「へーい!」
合図とは何かわからないが、3人に通じる何かがあるようだった。
恐らくは、一部の魔法使いが使えると噂こアラート魔法を共有してかけている……とかだろう。
アラート魔法なんて俺的には簡単な魔法なんだが、世間ではどうもそうじゃないらしい。つまりは、それが使えるカゲトはそれなりの実力者なわけで。
「何をしている。いくぞ」
「ああ」
洞窟に入るカゲトの後を追う。
岩壁に埋め込まれた光る石によって明るく照らされてた彼の背中を見ながら、無意識に奇襲プランを考えるも、断念。
『魔法が使えない俺』が勝てるビジョンが浮かばなかった。
「何を考えている」
「ん?」
「殺意——オレを殺そうとしただろ」
「……」
怖いなぁ。
「相当な実力者とお見受けしたんで、俺なら勝てるかなーって考えただけさ」
頭の後ろで腕を組みながら、俺は気軽に答える。
あくまで冗談といった風に。
「……。そういうことにしておいてやる」
「あっ、いいんだ」
「お前からは魔力を感じないし、肉体を鍛えているようにも見えない。襲ってこようが、どうとでもなる」
「へぇ……」
その見解に異論はない。
……が、しかし危うい、危うい。危ういことこの上ない。
「あんた嗅覚がないんだろ。そこを突かれるとか考えない? 例えば……毒とか」
「……何が言いたい?」
「いや、五感の一つ失うのって不便だろうなって」
「……」
カゲトはこちらから顔を逸らす。逸らしながら小さく口を開いた。
「俺は……一番マシだ」
「マシ?」
「フシターネは説明しなかったな。どうやってピーチュの触覚以外の感覚を治したのか」
「…………。凄腕の回復魔法のつか——」
「違う」
最後まで言う前に否定されたが、勝手に治ったわけでもあるまい。何とかした誰かがいるはずだ。
「魔法使いじゃない。ただの召喚士だ。……そいつが古来より伝わる呪いの解き方を見つけてきた」
「古来よりって——、……ッ。匂いキツくなってきたな」
俺の苦手なシリアスな話であるものの、興味深く話を聞いていた。
そんな話を中断してまで言及したくなるほど、鼻にツンとくる匂いが進むごとに濃くなっている。
「そうか。俺は感じない」
「嗅覚ないのも便利だな……うわ、まじでキツ……これ」
さっきと逆のことを言いつつ自分の鼻を摘む。
自分から同行するのを提案しておいてなんだが、予想以上だ。今からでも引き返したい。
「安心しろ。もうすぐだ」
「もうすぐっていつだよ」
鼻を摘んでいるため、変な声で八つ当たりのように答える。……が、数分もしない内に、先に光がぼんやり見えた。あれがメタルの実か?
けど……
「う……限界……。これ以上進めねぇよ俺……」
「消臭してくるから待っていろ」
カゲトは光を灯している場所へ足を進めた。そして数秒。
「——!!」
鼻を壊しそうな勢いの匂いが消えた。
厳密にはまだ残っているが、匂いが漂ってくる方向から何も感じなくなったのだ。
「消臭の魔法の効果か……」
「おい」
「うわ……っと!」
「これが、メタルの実だ」
袋を担ぎながら戻ってきたカゲトは俺に向かって何をかを投げてきた。反射的に受け取れば、銀色に輝く小さな光がある。
とは言いつつ、俺の手の中で転がるのだから、100パーセント光ではやく固形物だ。
銀色の苺のような物体。美味しそうには見えないが、興味本位で食べてみたくなる。
「硬いし、味は美味しくないぞ」
「うわ、何。心読むなよ」
一通りメタルの実を眺め、自分のポケットへ入れる。それに対してカゲトは何も言わないし、プレゼントとということでいいんだな、よし。美味しくないならあとで換金することにしよう。
「ところで、さっきの話の続きはしてくれないの?」
「イブが見つけてきた方法でピーチュの呪いを仲間5人で分け合ったって話か」
「いやそこまで聞いてない!! ネタバレ!!」
てかイブって誰だよ!? ……さっき言ってた召喚士のことか?
やっぱこいつ、話し下手だなぁ。
「……お前は、どれかどれか一つ五感を失うならどれがいい?」
カゲトは問いかけてきた。
また違う話題だ。
「ひょっとしてマイペースか? …………五感を一つ失う……ねぇ……。そりゃ、嗅覚だな。一番嫌なのが視覚」
「俺もそうだ」
「あんたもう失ってんじゃん……」
「そうだ。だから俺は一番マシなんだ」
「……」
あー、なるほど。理解、理解。ピーチュの五感消失を5人で分け合った結果、嗅覚喪失担当がカゲトになり一番代償が軽かった……と。ランダムだったのか、話し合いで決めたのか知らないが、何にせよ一番マシだったなら俺は喜ぶ。失われること自体は喜べないがマシな結果であることを喜ぶ。
しかし、この男はそうはいかなかったのか。そういう性分なんだな。かわいそ。
「ピーチュが触覚の喪失だけ残って……で、フシターネは?」
「……」
「視覚も聴覚もあるっぽいし味覚か?」
「……」
カゲトの眉がピクリと動く。わかりやすい。
食の娯楽は得られなくなるが、味覚も十分マシな喪失だ。というか、視覚と聴覚が重すぎる。俺が五感を失うことがあってもこの二つだけはごめんだね。
そう想像するだけで恐ろしくなる。
「——?」
もうすぐ洞窟の出口というところだが、突如、その方向から何かやら声が聞こえてきて首を傾げる。
「——ガーバッハ!!」
「ちょ、やめてくださいっ。髪もちゃくちゃになるでしょう!」
「あはは! もちゃくちゃ! もちゃくちゃー!」
「そうかそうか!」
「耳元で大きな声出さないで!」
「フシターネ、ゼガーに何言っても無駄だよ〜?」
フシターネとピーチュの声に混じって聞こえるのは野太い声だ。ひょっとして野盗にでも襲われてるのでは?
「ゼガー……。なぜ……」
護衛係のはずの隣の男を見ると特に焦った様子もない。
聞き覚えのある声だったらしい。
……ゼガー、か。
洞窟を抜けると、その男の姿がはっきりと見えた。
水色のピアスとチョーカーをしたスキンヘッドの大男だ。半裸という防御力のない格好だが、左手には厳つい斧を持っていて攻撃力は高そうだ。
「よお! カゲト! イブが胸騒ぎするっつーから様子見にきてやったぞ! 何ともないかぁ?」
「うるっさ…………心配どうも。だが、何ともない。」
「そうか!」
——イブ。それはきっとゼガーの隣にいる中性的な青年のことだ。
淡い茶髪を長く伸ばした男はリスや小鳥などの生き物に囲まれながら俺をじっと見ていた。
見ていた——というのもおかしな表現か。彼の瞳は何も映さず、光を宿していない。
俺のことも見えていないだろう。
それなのに、不思議なことに、俺から目を離さず、しまいには俺を指差した。
指を振るわせながら、確かに、『俺』を。
そんなことをするもんだから、みんな俺へ一斉に注目した。
そんな中、イブは声を震わせた。
「なぜ、ここにいる……っ!! 魔王!!!」
「———」
魔力を消臭して魔法を使わないようにしていた。
無害そうな男の姿になってみた。
別に、おかしなとこは——いや、あったかもしれないけどそれにしてもおかしな話だ。
——俺の正体を見破るなんて。
それも、顔を合わせてすぐだ。
一番大事な感覚である視覚を失ったくせに、どうしてだ?
「はぁ……」
イブの周りにいた動物たちが一斉に襲いかかってきた。正体を看破されま以上、魔法禁止の縛りはどうでもいいことだ。魔法を解禁し、ため息を吐きながらその動物たちを一匹残らず丸こげにする。メタルの実とは違って美味しそうな匂いだ。
「いただきます……っと」
まずは焦げた小鳥を拾い上げて口へ運ぶ。その間、ゼガーが俺へ斧を振るってきたのでしゃがんでかわす。
「焦げたものって俺は割と好きなんだよね」
言いながら、今度は焼きリスを鷲掴んで頭から齧り付く。
今度はカゲトとゼガーの連携で、斧と闇魔法の刃が同時に飛んできて、俺の食事タイムの邪魔をする。
ので、掌に魔力を纏って弾き返す。
相変わらず、弱い奴らで、相手がしやすい。さて、いつまでお遊びに付き合おうか。
「ねぇねぇ、どうせ勝てないんだからやめときなよ、みんな」
緊迫した空気の中、気の抜けた声をピーチュが発する。
「ピーチュ、止めるな。俺は、お前を壊したあいつが許せない」
イブは俺を殺意を宿した眼光で居抜きながら、召喚した鷹を肩に乗せ、拳に力を込めた。
「だって、昔戦った時勝てなかったじゃん。デバフ負ってあの時より弱い私たちが勝てるわけないでしょ? みんなおバカさんだよ」
「ふっ……ふはは!」
ピーチュのその言い草に思わず笑う。敵に刺される前に先に味方から刺された気分はさぞ愉快だろう。
あーあ、みんな、固まっちまってる。……聴覚を失ってるゼガーだけ絶えず俺に斧振るってくるけど。
「何が……何が目的なんですか……っ」
歯痒そうに見ていたフシターネが、絞り出すように問いかける。
その問いに答える前に、ゼガーの斧を手で握って止めて、フシターネを見た。
「俺渾身の『呪い』がどうなったのか気になってね。かなり身を削ってかけたものだからさ、気楽に解かれてたらどうしようかと思ったけど、爪痕残ってるみたいで安心したぜ」
そう言って俺はウインクをする。
寿命の半分と、魔力の半分。それが代償だった。
どうしてそうまでしてピーチュを呪ったのか。それは——
「フシターネ、お前がいたから俺は『呪った』んだぜ?」
「———」
初めて相対した時、魔王幹部を倒した奴らにしては強さが足りないと思った。それなのに、俺は殺すことができなかった。
「お前の回復魔法が真底邪魔だったんだ。だからお前でも回復できない手段に頼らざる得なかった」
流石長寿のエルフといったところか。魔力量がかつての俺とも引けを取らなかった。回復担当ではなく戦闘員だったら危なかっただろう。
その真実を知ったフシターネは見てわかるほどに動揺した。
その姿を笑ってやろうかと思ったのも束の間、ぜガーの拳が飛んでくる。俺に掴まれた斧を捨てて素手だ。
さらに、カゲトが七色の光の球——当たったたら凄いことになりそうな魔力の塊を複数撃ってきた。
さらにさらに、空からはイブが召喚したであろう鷹と神聖鳥までいる。
正面からは拳、上からは鳥類の睨み、それ以外からは魔法の球。
「退くか」
ぽつりと呟いてから、瞬間移動魔法——否、魔王城帰還術式で撤退だ。要はもう済んだことだし。
「まーーーてっ!」
「——!?」
転移の光に包まれる中、誰かが俺の手を掴んだ。
———
——魔王城。
そのだだっ広い王座の間へ俺ともう一人は立っていた。
「ピーチュ……お前……」
これには魔王さんもドン引きだよ。何ついて来ちゃってんの……。
「うっひょ〜! 久しぶりに来たここ!」
かつて俺らが戦った場所を見渡して楽しげな声を出す。
「何が目的だよ」
「目的? ないよ? 強いて言うなら〜、イブたちから離れたかった? って感じ?」
「そりゃあどうして? いじめられてたのか?」
「面倒くさいじゃない。五感がどっか抜けてる人なんて」
「……」
自虐か?
「イブに虹が出てるよって言ってもわかんないし、フシターネにー、この料理美味しいねって言っても伝わんないしー、ゼガーは声が大きい! 耳が痛い! カゲトは……余計なこと気にしてなんか暗い」
「俺が言うのもなんだが、お前さん変わったねぇ」
かつて相対したピーチュは仲間にそんな言い草をするような人間ではなかった。少なくとも俺が見ていた感じでは。仲間を信頼し、背中を預け、笑いかけ、士気を高める。チームにおいて支柱のような存在。だからこそ、俺は呪いをかける相手にこいつを選んだ。(さっき言った通り、フシターネがいたからもあるが)
「まっ、五感消失する経験なんてしたら、変わるか」
他人事のように俺は呟く。
———
私の中にかつてあった大事なものはバラバラに砕けて、粉々になってばら撒かれてしまった。
何にもなくなったまま、生きて、生きて、生きて、視覚も、聴覚も、味覚も、嗅覚も、取り戻した時——『私』には持て余すものだと感じた。
怖かった。明るい世界が、感極まった仲間の顔が。それなのに、みんな泣いて喜んでいるのだから不思議だった。
何もない暗闇の世界に、私はきっと慣れすぎてしまっていたんだと、今ならわかるけれど。
「ピーチュ、お前の顔を見せて欲しい」
「えー、イブまたそれー? どうせ目見えないのに」
「それでもだ。頼む」
「へーい」
そんなやり取りを何度もした。
「ねぇ、ピーチュ、わたしの代わりに味見して」
「こんなにいっぱい? 作りすぎだよ〜」
「食べる楽しみ失った分、作る方に夢中になっちゃって……」
そんなやり取りを何度もした。
「ガハハ!! もっと飯を食え!! 大きくなるんだ!」
「うわー! 髪が鳥の巣になる〜!」
そんなやり取りを何度も、
「すまない。俺が代われるのなら、代わってやりたかった。でも、それができない代わりに、俺はみんなを守る」
「守る? カゲトにそんな器用なことできる?」
イブにいくら『愛している』と言われても、フシターネのご飯をいくら食べても、ゼガーに何度頭を撫でられても、カゲトに何度謝られても、きっと、私の大事だったものは戻ってこない。
戻りはしない。
——けれども、
目の前の男を見ていると、砕けた過去の残骸がチクチクと私を攻撃し始める。
「———」
魂の奥が叫んでいた。
目の前の男を生かすなと、殺せと。
許してはならないと。
「———!」
「背後を狙うとか卑怯者だな」
ひとまず背中を蹴り上げようとしたけれど、アッサリ避けられてしまった。
魔王は私から距離を取る。
「卑怯ついでに前に私が考えたことなんだけど——」
五感を全て失っていた時、何を考えていたのか記憶はある。今の自分と地続きな感じではないけど。
「魔王幹部、私たちにやられて悔しかったんだよね。ムキになってたんだよね。だから、どうにか一泡吹かせようとして、呪ったんだよね」
「——!!」
それがかつて自分が考えた理論だった。本当にそうなのかはどうでもいい。思考を乱せればそれでいい。
「隙ありっ」
魔力で即座に形成した剣を魔王の腹目掛けて滑らせた。
「させるか」
流石と言うべきか、片手で止めて来た。さらにカウンターとして、魔力を込めた手刀で私の肩を貫く。
魔王がほくそ笑むのを感じた。
けど、——そんなことで私は怯まないよ。
痛くないんだから。
もう片方の手でまた魔力の剣を握り、今度は魔王の喉元狙って突き刺した。
「ぐっ!!」
「……かなり弱くなったね。魔王」
「……おかげさまでな」
「本当はもう、ずっと辛いんじゃない?」
「……」
「生命力も魔力も弱々しくて、本当にあの魔王? って思ったし今も思ってる——そんなに『呪い』を私にかけた代償って大きかった?」
「……」
「そうまでして『呪い』をかけた意味、置き土産に教えてちょ」
「……お前が、さっき言った通りだよ。部下がやられてイライラしていた。だから、苦しめたかった。最終的に俺の不利益になろうとも」
「おーバカさん」
「実際、お前も、あの仲間たちも苦しんだようで腹が痛いぜ」
「腹痛を自慢しないでよ〜」
「そういうこと、じゃ、な……ぐっ……」
自己治癒が間に合わない様子で、膝をつき、魔王は死を待つのみとなった。
「前戦った時は喉笛掻っ切られようが心臓潰されようがピンピンしてたのに、もう限界?」
「そう、みたいだ、な……。残念、俺が……死んだら『呪い』を、解呪、できる者が……消えて……おま、えらは、一生、……そのままだっ」
「どうせ生きてても解呪してくれないでしょ」
触覚がなくて不便なこともないから、解呪して欲しいとはあまり思わない。なので——。
「ツミ——さようなら」
苦しみに喘ぐ魔王へ、魔力の剣をもう一度振るった。
飛び散る血がかかる。
この男が魔王だと知った時、少しだけかつての自分が戻ってきたような気がした。かつて——空っぽになる前の自分が。
心を壊した……なんて表現をイブやフシターネがするけど、壊れたと思うのはあの人たちにとって今の私が都合悪いからに違いない。自分に合わないから受け付けないから、嫌いになりそうだから、そんなことを言うんだ。
「帰りたくないなぁ……そうだ!」
いっそのこと私が魔王になろう!
新たな魔王として君臨して、イブたちに殺される。そうやって関係性を清算しよう。
念願の魔王討伐をさせてあげよう。
奥で私たちを見守っていた背もたれの長い大きな椅子にジャンプしてどっかりと座る。私には少し大きく、快適に座るにはクッションが必要かもしれない。
「あはは!」
笑い声を響かせた。自分でも何がおかしいのかわからない。わからないが、ただ、笑う。笑って、笑って、笑う。飽きるまで。
——かつて五感を消失した少女は、魔王になった。
しかし、『痛み』を彼女は忘れたままだ。
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