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緑の沼の魔女に関わる人たちの話  作者: 阿寒鴨


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6/8

6.アラン

 よくある話だろう。

 命の危機に瀕した人間が、その危機から救ってくれた人に憧れる、というのは。


 子供の頃、人攫いが流行った。「流行った」と言うとおかしな話だけど、下町のただの鼻垂れのガキまで狙われるくらいには、確かに流行った。

 道端で木の棒を振り回して遊んでいる時に突然後ろから抱え込まれた俺は、猿ぐつわを噛まされて手足を縛られ、馬車に放り込まれた。何が起こったのかもよく分かっていなかったけど、しばらくどこかを走った馬車が急に速度を上げたことで、俺は木箱の間を転がることになった。さらに馬の嘶き、男たちの騒ぐ声、金属がぶつかる音とうめき声が聞こえ、そして馬車はゆっくり止まった。

 体のあちこちをぶつけ、大人の男たちの怒鳴り声まで聞こえて、恐怖のあまりになすすべなく丸まって泣いていた俺は、土埃にまみれた騎士に救い出された。


 騎士に救われた俺は順当に騎士に憧れ、騎士を目指した。

「騎士様の頭が悪くっちゃ話になんないよ!」と笑う母に従って近所の教会で読み書き計算を学び、元騎士という老修道士から体術や剣術の基礎を学んだ。

 年に数回ある従騎士の試験に無事合格すると、貴族出身者はみんな王都の騎士団に入るから、小さくはない街だが従騎士は平民しかいなくなる。似たような境遇で育ち、似たような出来事で騎士に憧れた奴らばかりで、多少厳しくても励まし合って正騎士を目指してがむしゃらに鍛錬に励んだ。



 ネルに出会ったのは、従騎士としての生活も二年ほど過ぎた頃。


「なんだおめー! ガキのくせに文句あんのかあ!」


 先輩騎士との二人一組での街の見回り中、路地裏から怒声が聞こえた。続いて、小さな子供の怯える声。

 二人で駆けつけると、そこには昼間っから赤ら顔の男と、怯える少年を背に庇うように仁王立ちする少女がいた。

 先輩騎士が男を素早く拘束するのを横目に、俺は二人に声をかけた。


「大丈夫?」


 少年は口を引き結んで頷く。少女は…


「ええ、もちろん。なんともないわ」


 薬師の娘のネルと名乗った少女は、答える言葉と勝気に引き結んだ唇とは裏腹に、目尻は少し赤い。心臓がぎゅっとなった。


 聞けば、この酔っぱらい男が少年を怒鳴りつけて手を上げようとしていたところを、彼女が庇っていたらしい。

 無鉄砲を先輩騎士に叱られて小さくなった彼女を、街外れの家まで送り届けることになった。

 道すがら気持ちが落ち着いたのか、拗ねたような表情になって歩く彼女はやっぱり可愛く、それ以降街で見かける度に声をかけ、どうにか恋人の席を作ってもらった。

 穏やかそうな親父さんは、ひんやりとした笑顔で「触れるのは手だけだよ」と言った。


 笑顔は可愛いし、怒っても拗ねても可愛いし、親父さんの手伝いをする真剣な目もいいし、薬草を摘む時に特別優しく動く手も可愛いし、食事の所作は綺麗で、すっと伸びた背筋に一つ括りで揺れる薄茶の髪は柔らかそうで、見え隠れするうなじは……できれば隠しておいてほしい。

 休日の度に食事や近場に連れ出したり、薬草摘みを手伝ったり、季節の祭りに出かけたり、時々贈り物をしたり、たまには俺の家族と食事もしたりして、少しずつ、でも確実に距離を詰めていった。

 友人が連れている女の子ほど感情表現は豊かではなくて、反応もちょっと薄いけど、可愛い彼女が大好きで、会えばいつも気持ちを伝えてきた。

 それなのに……


 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 ネルと出会ってから二年の頃。


「薬師組合が、組合員の薬師から買い取った薬を薄めてかさ増しして販売しているようだよ」


 そうネルの親父さんから告発を受けてから二ヶ月半。

 騎士団の少なくない人員を充てて外からある程度の証拠を集めた後は、決定的な証拠を押さえるために、不正への関与にかかわらず組合の幹部も薬師も全て一斉に家宅捜索することになった。


 ネルには伝えておきたかったが、捜査に関わる情報漏洩を疑われるわけにはいかないと思うと何も言えず。騎士団が動き始めてからは一度もネルと会わなかったし、連絡もできなかった。


 そして始まった家宅捜索では、四十軒を数えた各所で押収した資料の精査と捜査対象者への事情聴取が始まると共に、詰所含めて騎士団施設への外部の人間の出入りが制限された。騎士団で把握していない関係者による接触や情報漏洩、証拠隠滅を防ぐためだ。

 他の街からの応援も含めた正騎士は全て、事情聴取と押収資料の精査に当たることになった。


 人の出入りを制限するということは、当然、下男下女も締め出すことになる。

 さらには団員からの情報漏洩も防ぐために帰宅も禁止されたため、正騎士に満たない団員は全て飯炊きを始めとした雑役に回された。

 団員と捜査対象を含めて二百人以上の人間の身の回りの世話だ。

 それは遠征やその訓練で慣れているし、昼夜は外の飯屋から配達されるものの、毎日の朝飯炊き、掃除、洗濯、使い走りに追われていると、それ以外に頭が回らなくなってくる。


 気付けば家宅捜索開始からニ月が過ぎていた。

 捜査資料が整理され事情聴取も一段落ついた頃、下男下女が出勤できるようになり、団員も順に休暇を取れることになった。

 それから一週間して、ようやく俺も帰宅できることになった。



 すっかり冬の空気に覆われた夕方。

 街の喧騒を抜けて久々の自宅の扉を開けると、母さんのシチューの匂いが漂ってきた。

 強張っていた体から力が抜けるのを感じる。

 外套(がいとう)を脱ぎながら「ただいま」と声を上げると、小さな足音が階段を下りてきた。奥からは母さんの労いの声が応える。


「兄ちゃんだ! おかえり!」


 飛び込んできた弟と妹を抱き上げると、しばらく会わなかっただけで重たく感じる。二人の笑窪(えくぼ)は心から喜んでいることを伝えてくれて嬉しくなる。

 その日は後に帰ってきた父も含め、久しぶりの家族団らんで、ようやく頭が回り始めた気がした。


 ニ月以上ぶりに自宅の布団で眠ると、雑魚寝に慣れた体もやっと芯から休めたらしく、昨夜よりも頭が動いているのを感じる。

 そして回り出した頭が大変なことを思い出した。

 浴室で水がめの水をそのまま頭から浴びて急いで着替え、朝食も摂らずに家を飛び出した。


 自宅からは騎士団本部とは反対方向。

 外の森で薬草を採取するため、街の外れと言える場所に構えられた長屋の一室。

「年頃の娘が住む場所じゃないね」と眉を下げる親父さんに、「静かで空気が良くて、森の香りを感じられて好きよ」と返すネルの笑顔を思い出す。


「ネル! ネル!」


 通い慣れた部屋の扉を叩く。

 少し待つも返事はない。

 落ち着いて見回すと、部屋の周りがやけにすっきりしている。元々それほど物が多い家ではなかったが、薬草を植えてあった鉢には何も植わっていないし、いつも朝早くから開いていた窓は暗く、固く閉ざされている。


 考える間もなく走り出した。

 目的地は騎士団本部。


 貴族相手にも薄めた薬を高く売り捌いていたという事で、重要人物には王都騎士団からの正騎士が聴取に付いた。ネルと親父さんにもそれぞれ王都の正騎士が付いていると聞いていたので、ネルに付いていた騎士を探して走り回った。

 ようやく見つけたその騎士ランドール卿は、朝早い時間にもかかわらず正騎士らしく、そしていかにも貴族らしく整えられた身なりで現れた。

 ランドール卿曰く、ネルの聴取の最後に、身の安全のために街から出ることを勧め、ネルはその提案を受け入れ、一人で王都に向かったという。


「情報提供者の家族だからね。彼女は今は安全な場所に匿われているから心配するな」


 呆然とする俺にランドール卿が追い打ちをかけた。


「君に手紙を書くか尋ねたが、断られたよ」


 ランドール卿は「その後の移動先は都度申告させるが、捜査に関係しない限り、団員であろうと個人的に照会する事はできないぞ」とそう告げて、肩を叩いて立ち去った。

 ただ接触しないだけで守っているつもりになっていた自分の浅はかさに失望した。



 ネルに置いて行かれた事を知った時には自己嫌悪でしばらく落ち込みはしたが、またすぐに会えると信じて、これまで以上に鍛錬に打ち込んだ。

 正騎士でも従騎士でも、年に二度ある騎士団の会合に帯同できれば、自由時間にネルを探せる。それ以外でも王都での任務に呼ばれさえすれば。

 そう思っていたのに。



 最後にネルに会ってから三年半。

 親父さんもネルの居場所を教えてくれないままに街を出て、それきり。


 正騎士になってからは野盗討伐や害獣駆除で忙しく走り回り、ニ年が経ち、ようやく王都騎士団本部での半年間の研修が命じられた。

 あの事件からずっと、誰かの意図で妨害でも受けているのかもと思えるほどに王都から遠ざけられていたが、やっとここに来られた。


 この機会に必ずネルを探し出す。

 もしも隣に他の男がいたら?

 泣くかもしれない。でもネルが幸せならそれでいい。でもできたら俺がまた隣に立ちたい。


 そんなことを思いながら同期と共に騎士団本部の門をくぐれば、中からは聞き覚えのある笑い声。

 嘘みたいな展開に思わず目を向けると、東の街では珍しかった、そしてあれから長く見ていない、柔らかく光を集める薄茶の髪、そこには見覚えのある髪飾りが見えた。


「ネル!」


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