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緑の沼の魔女に関わる人たちの話  作者: 阿寒鴨


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5.マルヴィナ

 ネルを預かってから三年。

 魔女修業を始めたばかりの頃、ネルはしばしば熱を出した。そりゃあ真冬に水を浴びれば風邪もひく。気の毒ではあったがしかし、それはあの子には必要なことだった。

 ネルが熱を出す度、マーシャがまだ生きていた頃、あの子にもよく魔女薬を作ってやったことを思い出した。そしてネルの幼い頃にもそうしてやったことを。


 ネルが無事に魔女薬も作れるようになると、わたしは「紫陽花の魔女」の名を与えた。魔法についてはまだ分からないようだが、何かきっかけでもあればすぐだろう。

 そろそろ良かろうと思い、エドワードを呼んで昔話を聞かせることにした。


「ここからはわたしが引き継ごう」


「マーシャはなぁ、あれは本当に、本来なら魔女の母親の元に魔女として生まれるべき人間だった。なんせ我慢が全くできない娘だったからな」

 話し始めたわたしの顔を、真剣な目が見つめる。

 マーシャと瓜二つの目元に、エドワードと同じ冬空の色の瞳と薄茶の髪。憎らしいほどに二人によく似ている。


 ――わたしたち魔女は、自らが子を産む以外に、魔女の素質を持っていながら普通の人間のもとに生まれた娘に魔女の祝福を与えることで種を撒く。

 その種は、人間として生きることで自然と抑え込まれる魔女ならば当たり前の欲求と、日々の小さな我慢や心身への負荷を糧に成長する。

 そうして育てた種を持つ娘に、十五を過ぎた頃に魔女修業を行うことで刺激を与え、妖精と繋ぎ、芽を出しそして魔女として覚醒させることができる。



 わたしが次の魔女を探して放浪していた時。何かに引き寄せられるように立ち寄った教会で、生まれたばかりのマーシャが洗礼を受けていた。

 確かにわたしは引き寄せられ、またわたしが引き寄せたのだろう。赤ん坊のまだろくに見えもしないはずの両の目は、確かにわたしを見ていた。

 これは、と思ったね。だからわたしはマーシャに種を与えた。

 そしてわたしは両親に十分言い聞かせたはずだった。「人の世で暮らす子として育てろ」と。


 しかしマーシャはとにかく我慢ができない性質の娘だったからか、親兄弟から甘やかされて育てられたのか、種に与えるあらゆる糧が足りなかった。

 あれがまかり間違って王侯貴族として生まれていたらと思うと、今でも恐ろしいよ。


 幼い頃はとにかく抑えが効かず、あちこちで怪我や病気をしては、わたしの魔女薬を湯水のごとく与えることになった。

 祝福を与えたとはいえ、客は客だからね。マーシャの両親には相場通り請求して、わたしはちょっとした小金持ちになったよ。


 七つも越えれば多少は落ち着いたから、わたしも行ったり来たりをやめて国に帰ってきたが、わたしが目を離した隙にまた好き勝手を始めていた。

 その頃にエドワードに会ったんだろう。


 マーシャの父親が営む商会が支援していた医者に、エドワードが助手として付いたようだ。

 マーシャは何もしなかったようだが、生まれながらに魔女の素質を持つ娘だ。


 これはお前も覚えておくべきことだが、魔法では人の心も体も操ることは出来ない。だが魔女が無意識に願いを叶えようとする力はとても強い。足元の草の葉を揺らす風ひとつ、屋根を伝い落ちる雨粒ひとつ、馬に蹴り出される小石ひとつで人の動きは変わる。

 周囲がいつの間にかマーシャの都合の良いように動いていた。


 そして結局エドワードを欲する余りに家も国も捨てさせて、追いかけてきてまで自分のもんにしちまった。

 あれが完全な魔女にならなかったのは、人の世から見れば幸いかもしれん――



「お母さんが、お父さんに何かさせたの?」


 小さな好奇心が見える。良い兆候だ。


「いいや、マーシャは何もしていない。何もしてはいないが、確かに魔女の素質を持って育っていたからね。何をせずとも、そうさせたんだよ。魔女とはそういうものだ」

「なるほど?」

「国を捨てたエドワードは放浪の末にここに流れ着いたと思っていたようだが、結局、わたしがマーシャを魔女にしたいという希望と、マーシャがエドワードを手放したくないという希望がここに呼び寄せたんだろう。そしてエドワードはマーシャと結ばれた」


 ネルからエドワードに視線を移すと、恥ずかしげに目を逸らされた。可愛くないぞ。


「エドワード、おまえは自ら人生を選んだつもりかもしれんが、マーシャに引き摺られていた部分も多分にあるぞ。おまえもおまえで貴族らしいというか、魔女みたいな部分があってここを選んだのかも知れんがな」

「お父さんも何かしたの?」

「エドワードは家を本家筋に譲ったように見せかけて、結局弟に継がせたんだ」

「えっ? お父さん、弟がいたの?」


 ネルの瞳が輝く。

 王都に来てから一度、エドワードを追ってマーシャが来てすぐにここに支店を出したマーシャの親父には会ったが、他は縁遠い親戚ばかりだからな。


「いや、僕が国を出た時にはいなかったよ」

「こいつめ、ここに来て早々……思えばあれもマーシャが引き寄せたのか、わたしが引き寄せたのか。乗合馬車から降りてすぐにわたしを見つけて、子を授かりやすくなる魔女薬を作らせて両親に送りつけたんだ」


 目を瞬かせるネルは、マーシャによく似ている。


「だってねぇ。元婚約者のことはともかく、家まで大人しく乗っ取らせるのは癪だろう。都合良く宝石も余っていたし」


 この優しいふりした底意地の悪い顔。これだから貴族は嫌いだ。

 ネルにはエドワードの意地の悪さが似なくて良かったね。


「とはいえ、マーシャは種を育てる者らしく、我が子を抱くために我儘を通した」

「マーシャは君を身籠っている時に病を得たんだよ」


 ネルは初めて聞いたのだろう。顔色を変えた。


――医者には子供を産めば命の保証はないと言われ、魔女薬でもどうにかなるものではなかった。恐らくは種の影響だろう。

 だがマーシャはおまえを腕に抱くことを諦めなかったし、おまえの成長を見守ることも諦めなかった。わたしもエドワードも諦めなかった。


 わたしたちは、人の寿命を分け与える魔女の秘術を使った。


 わたしは魔女だ。短くとも百五十、長ければ二百年生きる。だがわたしは常々、百年も生きれば十分だと思っていたから、四十年分くらいならマーシャにくれてやるつもりだった。

 エドワードも二十年分を与えようとしていた。

 並の人間ならただ与えられた全てを受け入れるだけだが、マーシャは本っっ当に我慢をしない娘だったからな。自分の寿命を受け入れ、エドワードにおまえを託すため、結局、おまえが十才になるまでの分しか受け取らなかった。

 まあ二人分合わせた六十年分を与えたところで、実際にマーシャに与えられる寿命としてはその半分、三十年ほどになっていたのだが。


 それでも結局、マーシャはおまえが六才になると力尽きた――


 ネルが目を伏せて何か堪えているようだが、これはあまりマーシャには見られなかった表情だな。


――そしてその秘術の際に、マーシャに与えた種をおまえに移すことになった。

 それは本来ならばもっと育っていたはずの種だったが、もうとにかく我慢ができないマーシャが持っていたから、糧が足りなさすぎたんだな。その不足分を補うべく、おまえから存分に吸収することになった。

 おまえがこれまで何事にも好奇心も執着心も薄かったのは、おまえがエドワードに似て我慢強かったことも大きいが、きっと種が原因だ。そして好奇心と執着心がなさ過ぎるが故にまた足りない糧があり、それが恐らく、覚醒の最後の鍵になっている――


 冬空の瞳が難しげに揺らいでいる。


 わたしはネルを迎えに行った時のことを思い出した。

 木々を抜け、草原を抜け、麦畑を抜け、風のように流れる、青々と、きらきらと、生命に満ち溢れた景色。

 わたしのマーシャ。まるでおまえの命のようだった。ただわたしのそばを駆け抜けていったおまえ。


「この先、何かのきっかけでおまえは魔法を使えるようになる。しかしおまえは魔女ではあるが、魔女を母に魔女として生まれたのではないから、魔女としての寿命はないよ。人としての寿命で、人の世で、人の理の中で、おまえはおまえのために力を使いなさい」


 おまえの娘はもうじき、おまえの代わりに魔女になる。

 きっと幸せに生きるだろう。

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