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緑の沼の魔女に関わる人たちの話  作者: 阿寒鴨


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4.エドワード

「やあ、おめでとう、ネル。魔女薬が作れるようになったんだね」

 これまでの経緯をネルに説明する、とマルヴィナに呼び出されて訪れた魔女の家。


「しかし、ネルがアラン君に何も言わずに街を出て、まだ手紙も送っていないとは思わなかったね。僕も君がここまで執着心のない子だとは知らなかったよ。誰に似たのかな」

「おまえだろエドワード。家も国も婚約者も捨てて飛び出した小僧が何を言う」

 少しの呆れを籠めて漏らせば、マルヴィナにすかさず叩きつけられた。


「家も国も捨てたのはマーシャも一緒だよ」

「マーシャは商人の娘だ。商人なんぞ根無し草と同じようなものだろう。それにあれが家も国も捨てたのは、ただの手段でしかない」

 今度はマルヴィナが呆れを込めた目を向けてくる。


「おいネル。おまえ、父親が貴族だったことを知っていたか?」

「えっ、そうなの? お父さん」

 突然話を振られて目を丸くするネルの顔は、マーシャによく似ている。


「マルヴィナは勝手に人の話を洩らすんじゃないよ」

 これだから魔女は困る。


「そういえば、姿勢と食事のマナーにはやけに厳しかったような…」

「お母さんの希望だったからね。今がたとえどんな身分であろうと、美しい所作は人を磨く、と」

「ふうん?」

 訝しむ表情も彼女にそっくりだ。


「まずは父親であるおまえの話からだな、エドワード」

 マルヴィナに促された。


◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 私は小さな領地を治める田舎の子爵家に生まれ、当時は壮健であった曽祖父によってエドワードと名付けられた。

 幼い頃は野山を駆け回り、長じては領地に生える薬草を活かすべく薬学を学び、教師の紹介を得て王都の医者の助手になり、知識と経験を蓄えた。


 私が亡き妻マーシャと出会ったのは、私の師となる医者と出会った頃だった。

 その医者を支援していた商会長の娘で、いかにも叩き上げと見える商会長の巨体の陰から顔を覗かせる、好奇心旺盛な少女。そんな印象だった。


 十五で結んだ婚約も間もなく婚姻に変わるという時期に、王都で遠縁の侯爵家の夜会に招かれた。

 婚約者とはお互い田舎に生まれた同士ではあったが、彼女にはせめて流行に乗った衣装を着せてやりたいと、王都の衣装屋で美しい衣装を仕立てた。装飾品も揃え、当日の彼女はそれまで見た中で一番と言っても過言ではないほどに輝いて見えた。


 しかしその夜会の場で、彼女が侯爵家の三男と恋に落ちたのだ。

 彼女一人の片恋であれば、何も変わらず私の元に嫁いできてもらえばそれで済んだ。しかし実際は、二人は互いの心を通わせてしまったのだ。

 嫁入りするほかない彼女に、継ぐ爵位の無い三男。

 本来であれば叶うはずのない恋であったが、以外な事態を受けて二人は結ばれた。


 社交界で私の悪い噂が流れ始めたのだ。

 曰く「領地のことを学ぶこともなく王都で遊び回っている」だの「貴族令嬢の屋敷をあちこち訪ね歩いている」だのと、具体的には何も言っていないが、しかし全てが事実無根ではなく、だからこそ面白おかしく尾ひれを付けて話題にされる程度の噂。

 実際に私を知っている者であれば、私が医者の助手として王都を走り回って貴族の屋敷を訪れることもあるということを知っていたが、田舎貴族の私をそもそも知らない者からすれば、私はただの女遊びを好む田舎者にしか聞こえない。


 その頃、私は医者の助手として学ぶことを辞めた。

 そうしてみても噂は収まることはなく、互いの両親の間で結婚式を延期するかという話も出始めた頃、あの夜会を主催した侯爵が子爵家を訪ねてきて、ある提案を寄越した。

 侯爵の話をまとめるとこういうことだった。


「王都の社交界で悪い噂に塗れてしまったエドワードに子爵家を継がせるのは得策ではない」

「子爵家が唯一の嫡男を失くして途絶えるのは、侯爵家としては本意ではない」

「遠縁とはいえ血縁のある我が家の三男を子爵家の跡継ぎとして養子入りさせたい」

「子爵家に嫁ぐために学んできたエドワードの婚約者をそのまま迎えたい」


 つまり私さえいなくなれば、あの三男坊と私の婚約者は何の憂いなく結ばれ、家も手に入るということ。

 左右から肩を抱いてくれる愛情深き両親の、その空いている手を握り、私は告げた。


「父上、母上。私は国を出ます。あなた方が間違った教育をしていないことを証明できずに去ることは心苦しいのですが、私がこのまま貴族で在り続けることは難しいのです。私が居なくなれば、いずれ噂も消えましょう」


 そして侯爵の目を見て頭を下げた。


「閣下。私が居なくなろうとも、どうか両親と領民のことはよろしくお願いいたします」


 侯爵が頷くのを確認して、一番大切な事を伝える。


「父上、母上。私が家を出たら、時期を見計らって私の離籍届を提出下さい」


 私の言葉に両親は目を見開いたが、構わず続けた。


「私は薬学を修め、臨床の場で医学も学びました。一人になろうとも町医者として生きることもできましょう。しかしこの先、私が貴族の出であることを利用しようとする者が現れないとも限りません。これ以上の家への負担を避けるため、私は家も名も捨てるべきと愚考いたします」


 その後、両親と侯爵だけで何度かの話し合いが繰り返され、私は侯爵から「餞別」という名目でいくらかの換金制の高い宝石を受け取り、両親と故郷に永遠の別れを告げた。



 幸いにして足代だけは十分にあったため、馬車を乗り継いで駆けるようにいくつもの街を渡り歩き、国境を越え、一年ほどかけてこの国へやって来た。

 マルヴィナが居る国を選んだのは偶然だった。


 一年目は薬師の元でこの地の薬の作り方や使い方を教わった。

 二年目は町医者の元でこの地でよく見られる病気の学び、観察した。

 三年目にこの国で薬師と町医者として働ける資格を取得した。

 四年目、マーシャの家の商会がこの国に支店を持った。

 そしてマーシャと再会した。


 商会長の巨体に隠れるばかりだった娘はすっかり賢く、美しく成長していた。

 そして一年に及ぶ彼女の猛烈な求婚を受けて、私はついに結婚した。

 家も国も捨てた時、きっともう結婚を考えることはなかろうと思っていたのに。

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