3.イーモン
私が初めて緑の沼の魔女マルヴィナと出会ったのは、私がまだまだ素直で可愛い小僧の頃だった。
王城に勤める父に連れられて、双子の弟と共に城内を見学していた時。庭園の角からえんじ色のローブを翻して現れた彼女に、幼い私は目を奪われた。
以来父に頼んで何度も城を訪れ、彼女に会える機会を待ち、何度目かの折に、彼女が緑の沼の魔女と呼ばれ、王家や騎士団に薬を納めていることを知った。
彼女は時折、私と弟に話しかけてきた。季節の花の話であったり、天候の読み方であったり、最近食べた旨い物の話であったり。どれもが取り留めのない話だったが、どれもが私にとっては小さな宝石のように心に残った。
彼女は確かに美しい女性であったが、いつも瞳の奥に陰があるような不思議な人だった。そして私はその陰を知っているような気がして、目が離せなかった。
私は彼女に会うためだけに騎士を目指した。当然両親には強く反対されたが、弟の後押しによって、騎士になるための鍛錬と当主教育のどちらも疎かにしないことを条件として認められた。
思えば弟は、その頃にはすでに覚悟をしていたのかもしれない。
私は文字通り血の滲むような努力を重ねた。朝から体力作りに励み、当主教育を受け、木剣を振るい、体術を学び、そして十二才で従騎士として認められた。
家を継ぐはずの嫡男が従騎士になった。
それを聞いて誰が本気で正騎士を目指していると思うだろう。今ならばそう思う者の考えも分かる。しかし当時の私は分からなかった。
将来を約束された長男坊も数年遊べば家に帰ると思われたのだろう。配属先は、外を平民の騎士に守らせ、内側でぬるく貴族を守るだけの名ばかりの隊だった。
しかしいくら名ばかりとはいえ、騎士団に入れば実力主義。私はただの子供になった。
私が従った先輩騎士は私を一人の見習いとして扱ったが、周囲の扱いはそうではなかった。鍛錬は生ぬるく、雑役ばかりは一人前に任された。
私は自身の決意を周囲に見せるべく、一年は言われるままに何事にも耐えた。次男三男の従騎士よりも多い雑役も、他の従騎士からの嫌味も嫌がらせも、正騎士からの理不尽な暴力も、全て受け止めた。
二年目はまともな精神を持つ先輩騎士と仲間を相手にひたすら鍛錬を積み、切磋琢磨した。
三年目の十五の時の訓練試合で、私を侮り嘲笑った有象無象の従騎士正騎士に一太刀を浴びせた。私のみならず我が家門までをも嗤う者を、私は赦さなかった。
そして私は次期当主の座を弟に譲った。
父からは強く反対され、二週間の間屋敷に軟禁もされたが、私は折れなかった。誰よりも、弟こそが私の味方になってくれたのだ。
「僕は騎士にはなれないけれど、当主にはなれるよ。それに、お嫁さんに迎えたい子もいるから、これで安心だよ」
そう笑った弟の顔は、幼い頃に石垣から飛び降りて遊んだ時の強がりの顔にも見えたが、それはあの頃にはなかった自信によって覆い隠されていた。
それから二年で正騎士に任じられた。特別な効果を持つ魔女薬でなくとも、彼女が作った薬を使える立場だ。
正騎士になった私は、まずは騎士団の掃除を始めた。平民に守られながら騎士を名乗ってふんぞり返り、鍛錬を怠る者共を訓練の場で叩きのめしたのだ。彼女の薬を使うような価値の無い奴らを。
私は登り詰めた。彼女の薬を使う価値のある者だけを残すべく。
そして私に伸された程度で折れるような使えない者が去った穴を上から順に埋めていくと、下がすっかり穴だらけになった。
その穴を前途有望な平民騎士で埋め、貴族出身者で纏め上げる新たな仕組みを上奏し、認められた。それがこの、治安維持のための騎士団だ。
我々は彼女の薬を使うに値する働きをする。
幼い頃も、従騎士の頃も、正騎士になってからも、私はずっと彼女を追いかけた。
花を差し出す幼い私の頭を撫で、飴玉を与えてくれた。
従騎士の頃は生傷が絶えず、彼女は笑いながら、そこらに生えている薬草を潰して呪いの言葉とともに擦り付けてくれた。潰れた豆はいつでも手の平で痛んだが、彼女に一度でも会えたならば別れるまでの時間稼ぎにもなると思って耐えられた。
正騎士として叙任された時には既に彼女の背丈を追い越していたが、彼女はやはり笑いながら「よくやったな」と頭を撫でてくれた。
新たな騎士団を設立した際には「立派な騎士として街を守れよ」と微笑んでくれた。
私が花を贈る度に「こんな婆さんばっかり追いかけてないで、可愛い嫁さんでも貰いな」と笑われるばかりだったが、私は婚約者候補の一人も受け入れずに職務に励んだ。
やはり彼女の瞳の奥には陰が見えた。
だが、私にとってはもはやそれが何であろうが関係なかった。その陰も含めて彼女なのだと、私が生涯をかけて愛する女性なのだと心に決めていた。
五年、十年、二十年。
年を重ね、地位を上げ、いつも彼女を追った。
彼女自ら魔女の祝福を与えた赤子の行方。その夫。遺された幼子。
彼女の全てを知ることは出来ずとも、その断片からその輪郭から、彼女の望みを推察する。
そうして私は、彼女の望みを叶えるために動いた。
東の街で薬師組合の不正が発覚したという報告を受け、時が満ちたと直感で察した。
ここ王都からは事情聴取要員と書記官として貴族出身者の正騎士を応援に送る。私が団長の職を退いたばかりというのも、神の思し召し――いや、魔女の思し召しであろう。
情報提供者とその娘のことはよく知っている。一方的にではあるが。
この機を逃す訳にはいかない。
私は自ら手を上げた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
初夏の空気は日々熱気を増す。
馬から荷を下ろす娘の髪は、陽光を孕み風にそよぐ。
三年前に東の街で起きた薬師組合の不正事件の影響を受けて転居させた薬師の一人娘は、今はマルヴィナを師として魔女修業中だ。
長く一人で暮らしてきた彼女の元に、その積年の願いを叶える為にちょっとした職権を行使して預けた。
そんな娘も独り立ちが近いそうだ。
「やあ、今日もご苦労さま。マルヴィナも元気にしているか?」
「先生は今日もお元気ですよ。朝から調剤室をお掃除されています」
朝から材料の薬草の瓶をひっくり返してしまって。そう言って笑う娘の背中に、強い視線が注がれているのに、私は気付いていた。
最後に顔を合わせてから二年半か。方方走り回らせたが、腐らず食らいついてきたようだ。
彼も十分に育ったようには見える。機は熟したか。
さて、どうなるかな。




