第6話 移り行く情勢
大聖堂の中心に存在する祈りの場にて、クルシュが膝をつき建国の女神像に祈り手を捧げていた。
気がつけば冬が到来し、首都『レーヤン』でも雪が降り始めた。
遥か先に聳え立つペテス山脈の山々と同様、ここも冬に包み込まれてしまったらしい。
激務に追われ、走り回って現場に行ったり事務作業をしたり、時間というのは本当に早く過ぎてしまう。
セトについての調べ事を進めたかったところだが、この一か月ほどでほとんど進んでいない。
単純にセトの伝手を探るのが難しいのと、見つけたとしても話してくれなかったり。クルシュ自身も忙しかったし、とても調べられるような状況ではなかった。
「ふぅ……」
クルシュが祈り手を解いて立ち上がろうとした時、後ろからセレナの声が聞こえた。
「熱心だね」
「このぐらい普通です」
振り向いて答えたクルシュにセレナは軽く話題を振る。
「アースリー教ね。クルシュはどう思う」
グリンブラント教国が国教と定めるアースリー教。
クルシュはセレナからどこか漠然とした質問を投げかけられ、少し悩んだ。
「……それは……いえ、私は少なくとも信仰しています」
クルシュのどこか含みのある言葉にセレナは笑った。
「宗教を悪と断ずることはできない。人々は何かに寄り添わなくては壊れてしまうからね。ただ、寄り添うモノの在り方を見つめるべきだと思うよ。最近は若者の間でアースリー教を信仰しない、という人達も出てきているそうだ」
「……それは」
「この現象は必ずしも悪いことじゃない。国家の基盤に宗教を居座らせることはメリットと同時に根深いデメリットを孕む。私たちは無理に規制を施すのではなく、変化する道を選ぶべきなのかもしれないね」
セレナの言葉は何を言いたいのか、分かるようで分からない、絶妙なラインにあった。
「建国の女神像……逸話は当然知っているか」
「はい」
「曰く、彼女は白い肌に白銀の髪、赤目と青い目のオッドアイだったという」
「そして聡明で人格者。最高の魔術師でもあったと」
「そうだね、まあ特徴を見れば分かるけど彼女は所謂アルビノだったんだろうね。この地域では珍しく、信仰された理由も……まあ何となく理解はできるか」
セレナはクルリを翻って女神像に背中を向けた。
「んまあ、こんなセンシティブな話題は私達の管轄ではないから、本業の話でもしようか」
「はい」
セレナがただ無駄話をするためだけに声をかけた、ということはまずないだろうから、何かしらのわけがあったことぐらい、クルシュも理解していた。
クルシュは背筋を伸ばしセレナの言葉に耳を傾ける。
「聞いてもいるようにガルーヴ戦線が押され気味でちょっとまずいことになってる。増援にはこっちからも数人派遣する予定だけど、人員は決めかねてる。他にも戦線が広がってるせいでそっちにも人員を割かなくちゃいけない。用意しておいて」
用意しておいて、とはつまり戦争に出る準備をしておけ、ということ。
現在グリンブラント教国と戦争中で幾つかの戦線で睨み合っているのがヴォルフス帝国という軍事国家。
今まではガルーヴ戦線を含め、停滞気味で規模も少なかったところいきなりヴォルフス帝国が本腰をあげて攻めに来た。
「おそらく、ヴォルフス帝国がカイマーク共和国と戦争になりそうだからってことで、早めに潰しておこうって魂胆。まあ分かりやすい分、こっちもカイマーク共和国と連携して潰そうとした――んだけど……」
グリンブラント教国の東側にヴォルフス帝国があり、南側にカイマーク共和国がある。
ヴォルフス帝国は近頃、カイマーク共和国と緊張状態にあり戦争まで秒読みに近かった。そのため、抱えている戦線の幾つかを潰すためにガルーヴ戦線などを責めるに至った。
当然、グリンブラント教国はヴォルフス帝国とカイマーク共和国の動きを見ており、ヴォルフス帝国が一時的に勢力をあげて攻めてくることぐらい理解していた。
だからこそ、カイマーク共和国に相互援助を求め、ヴォルフス帝国を囲い込もうとし――ようとしたところで問題が起きた。
「まさかカイマーク共和国がヴォルフス帝国側を取るとはね。困った困った」
ヴォルフス帝国がカイマーク共和国とどのような取り引きをしたのかは分からない。
しかしただ結果だけを見ると、カイマーク共和国はグリンブラント教国からの援助要請に応えなかった。かといってヴォルフス帝国の味方をするわけでもなく、ただ傍観を決め込むつもり。
「果たしてヴォルフス帝国に何を吹き込まれたのやら、私達の次は君たち、ってことが何で理解でいないのかねぇ……」
頭を掻きながら心底面倒そうにため息を吐くセレナ。
「ま、そういうことだから、準備しておいて。初陣がこんなのでごめんなんだわ」
「いえ、別に」
「大丈夫ではないでしょ……ただまあ、期待している。少なくとも広範囲殲滅能力だけなら、君は第一席次に優っているからね」
用件を述べた後、セレナは手をひらひらと振って去っていく。
一人残ったクルシュは胸に手を抱いて覚悟を決めるのだった。
◆
「まったく、陰気な気持ちになるよ」
朝食を食べながらアベルが呟く。
「天井を見上げてみても岩、地面も岩、周囲を見渡してみても鉄格子に囲まれて、景色が新鮮じゃない。いいアイデアも生まれてこないよ、こんなんじゃ」
訴えかけるように目の前で同じように朝食を食べていたセトを見る。
セトは一口、二口、朝食を食べて少し考える素振りを見せてから口を開いた。
「いいですよ」
食べ終わった食器をテーブルの上においてセトが立ち上がる。
「外に出ますか」
「え?! いいのかい?!」
処刑人としてダンタリオンから男を管理するよう言われている。その管理の中にアベルの精神衛生を保つという項目があれば、外に連れ出すということもやぶさかではない。
「いいですよ、別にそういう契約じゃないですし」
「じゃあ、お言葉に甘えて」
セトが牢屋の鍵を外すとアベルがすぐに出てくる。
「先どうぞ」
一応、セトが主従関係としては上なので、アベルはセトが階段を上がって先に外に出るのを待っている。
セトは首を傾げてぶつぶつと小さく呟きながら促されるままに階段を上った。
「別に待たなくてもいいんだけど」
「そういうわけにもいかないさ。僕はこの通り、約束を守る男なのでね」
「吟遊詩人はもっとちゃらいと思ってました」
「なんだか心外だな。僕は世界を旅する身。現地の方から援助を貰ってやっと生きているだけなのだから、やはり恩や義理は大切にしなくてはね」
「そうですか……」
二人が軽く話しながら階段を上るとすぐに太陽の光が入ってきた。
その瞬間、アベルが声をあげる。
「さ――寒いッッ」
「あ、そうでしたね」
牢屋のある地下室は暖炉のおかげでそれなりに暖かかったが、外はそうではない。
冬の凍てつくような寒さに包まれている。
「どうしますか、服用意しましょうか」
「い、いや、別に大丈夫だとも。こう見えて体は強いのでね」
アベルは無事をアピールしたいのか、大げさに手を広げて深呼吸をしている。
セトはその様子を傍から白い息を吐きながら眺めていた。
そしてアベルが一通り久しぶりの外の空気を満喫すると「ふぅ」と呟いてから欠伸をしていたセトを見た。
「久しぶりの外は気持ちがいいね。でも大丈夫かい? 僕が逃げてしまうかもしれないよ?」
先ほど、恩と義理は大切にするといったいた男だから、まさか逃げることはしないだろう。
冗談だ。
しかしセトは冗談に対して本気で答えた。
「いいですよ、逃げても」
「む? それは君が強いから絶対に捕まえられる的なことが言いたいのかい?」
「違いますよ」
セトは軽く笑って右手の手の甲を見せた。
「この契約の期限、冬が開けるまでなんですよ。契約が切れて春が来たらどうせ死刑囚に戻るので。今更一人や二人逃げても関係ないですよ」
セトはそう言って諦観と失笑が混ざり合った表情をアベルに見せた。




