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追放令嬢はゲーム知識と生活魔法でダンジョンを攻略する ~もふもふな相棒と始める、自由気ままな冒険者ライフ~  作者: 速水静香
第二章:湿地の迷宮

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第八話:胃袋を掴むものは、全てを制す

 最高の休息は、最高の冒険の糧となる。

 前世で、徹夜でゲームに没頭した後の休日に、ぐっすり眠って起きた朝のような、そんな爽快な気分だった。心も体も、まるで新品みたいに軽い。

 秘密の泉での優雅なキャンプを終えた私たちは、迷宮の最深部を目指して、再び歩みを進めていた。昨日までの、じめじめとした憂鬱な空気は、もはや私たちの足取りを重くすることはなかった。


「わふん! わふっ!」


 私の少し前を、フェンが弾むような足取りで駆けていく。その銀色のふさふさとした尻尾が、まるでメトロノームみたいに左右にぱたぱたと揺れている。温かいスープでお腹がいっぱいになったからか、彼の機嫌は最高潮のようだった。


「そんなに急がなくっても、ダンジョンは逃げないわよ、フェン」


「くぅん!」


 彼は一度だけこちらを振り返ると、『早く行こうぜ!』とでも言うように、楽しげに一声鳴いた。その黒い瞳は、好奇心でらんらんと輝いている。

 本当に、頼もしい相棒だ。

 泉があったあの隠れた広間から、正規のルートらしき通路へと戻ると、迷宮の雰囲気はまた少しずつ変わっていった。これまでは、ぬかるんだ土と湿った岩肌ばかりだったのが、次第に人工的な石造りの壁や床が見られるようになってきたのだ。


(ふむふむ。これは、ダンジョンの構造が、自然の洞窟から、誰かが作った建造物へと変化しているサインね。ゲームなら、いよいよボス部屋が近いっていうお決まりのパターンよ)


 私のゲーマー脳が、目の前の光景を高速で分析し、お決まりの展開を予測する。

 壁には、意味ありげな紋様が彫られていたり、天井からは、蔦のような植物が垂れ下がっていたりする。そのどれもが、この先に何か『特別な場所』があることを、これでもかと主張していた。

 もちろん、道は平坦ではない。

 行く手には、これまで以上に巧妙に隠された罠や、手強い魔物が待ち構えていた。


 ぷるるん!


 例えば、天井から不意に降ってくる、巨大なスライムの塊。あれには少しだけ肝を冷やしたが、私は咄嗟に風魔法で自分たちの周りに空気の傘を作り出し、べちゃりという汚い音と共に地面に叩きつけられたスライムの直撃を、紙一重で回避した。


「あぶなかった……! フェン、大丈夫?」


「わふっ!」


 フェンは、まるでアトラクションでも楽しむかのように、尻尾をぶんぶんと振っている。どうやら、スリルを楽しんでいるらしい。大物だ。

 あるいは、一見するとただの頑丈な石の壁にしか見えない、擬態型のゴーレム。

 私たちが通り過ぎようとした瞬間、ごごごご、と音を立てて動き出し、その巨大な石の拳を振り上げてきた。


「わんっ!」


 フェンが瞬時に反応し、その足元に素早く駆け込む。ゴーレムの注意が下に逸れた、その一瞬の隙。


「今よ!」


 私は生活魔法を応用し、ゴーレムの全身に、ぬるぬると滑りやすい苔を、一気に発生させた。


 ご、ごご……? ご……っ!?


 突然、全身を緑色の滑らかな苔で覆われたゴーレムは、バランスを崩して、つるん、と派手にすっ転んだ。どっしぃぃん、という轟音を立てて仰向けに倒れたゴーレムは、手足をばたつかせているが、苔のせいでうまく起き上がれないようだった。


「ふふん。見た目は強そうでも、足元が掬えればただの石ころよ」


「わふん!」


 私たちは、起き上がろうともがいているゴーレムの横を、悠々と通り過ぎていく。

 そんな調子で、私たちはあらゆる障害を、もはや遊び感覚で突破していった。

 私の、常識外れの魔法の応用力。

 そして、フェンの、野生の勘と驚異的な身体能力。

 この二つが組み合わされば、新人向けのダンジョンなど、もはや障害にすらならない。

 そして、ついに。

 私たちは、ひときわ巨大な、観音開きの石の扉の前にたどり着いた。

 扉には、カエルか何かを模したであろう、どこか愛嬌のあるレリーフが彫られている。扉の隙間からは、これまでの通路とは比較にならないほど、濃密な魔力の気配が漏れ出てきていた。


「……ここね。間違いないわ」


 私はごくり、と唾を飲み込んだ。

 ギルドの依頼書にあった、『最深部に生息するとされる主』。

 そのご尊顔を、いよいよ拝む時が来たのだ。


「準備はいい、フェン?」


「がるる……」


 私の隣で、フェンが低い唸り声を上げる。彼の全身の毛が、わずかに逆立っているのが分かった。彼もまた、この扉の奥にいる存在の、ただならぬ気配を感じ取っているのだ。

 私はフェンの首筋を一度だけ優しく撫でてやると、重々しい石の扉に、そっと手をかけた。

 ひんやりとした、硬い石の感触。

 ゆっくりと、力を込めて、扉を押し開ける。


 ごごごごごごごご…………。


 長い年月、誰にも開かれることのなかったであろう扉が、地響きのような音を立てて、ゆっくりと開いていく。

 そして、その先に広がっていた光景に、私たちは―――。



「…………でっか」


 思わず、ぽつりと、そんな言葉が口をついて出た。

 扉の奥は、これまでのどの空間よりも広大な、巨大なドーム状の空洞になっていた。天井は遥か高く、どこからか差し込むぼんやりとした光が、壁に生えた光る苔を照らし出し、あたりは薄明るい緑色の光で満たされている。

 そして、その広間の、ちょうど真ん中。

 小山ほどの大きさの『それ』は、鎮座していた。

 緑色と茶色がまだらになった、ぬめぬめと湿った質感の皮膚。樽のように膨れ上がった胴体。そこから、丸太のように太い四肢が、だらりと伸びている。そして、何よりも特徴的なのは、顔の大部分を占める、巨大な二つの目玉。ぱっちりと開かれたその黄色い目は、まるでガラス玉のようにつるりとしていて、感情というものが全く読み取れない。

 口は、顔の横幅いっぱいに、にんまりと笑っているかのように裂けている。

 カエル。

 そう、それは、紛れもなくカエルの魔物だった。

 ただ、そのサイズが、常識からかけ離れているだけで。

 家一軒分はあろうかという、巨大なカエル。

 あれが、この『湿地の迷宮』の主に違いない。


「ぐるるるるるる……!」


 私の隣で、フェンが全身の毛を逆立て、戦闘態勢に入っている。無理もない。あれだけの巨体を前にすれば、どんな生き物だって本能的な警戒心を抱くだろう。

 巨大なカエルは、私たちの登場に気づいているようだった。その巨大な黄色い目が、じっと、こちらを見つめている。

 けれど。


(…………ん?)


 私は、その視線に、ある種の違和感を覚えた。

 威圧感は、確かにある。けれど、その視線には、敵意とか、殺意とか、そういう攻撃的な感情が、全く感じられないのだ。

 どちらかというと、その目は、ぼーっとしている、と表現するのが一番しっくりくる。

 まるで、日曜日の昼下がりに、縁側でひなたぼっこをしているおじいちゃんが、庭先を横切る猫を眺めているような、そんなのんびりとした空気。


「フェン、待って。まだ動かないで」


 私はフェンの体を片手でそっと制しながら、巨大なカエル――主から、視線を外さない。

 他の冒険者なら、問答無用で剣を抜き、魔法を放つ場面だろう。

 でも、私のゲーマーとしての勘が、警鐘を鳴らしていた。


(こいつ、戦うタイプのボスじゃない……!)


 ゲームには、色々なタイプのボスキャラクターが存在する。力で全てをねじ伏せるタイプ、トリッキーな魔法でプレイヤーを翻弄するタイプ、そして、特定の条件を満たさないとダメージが通らない、ギミックタイプのボス。

 目の前のこの主は、おそらくそのどれでもない。

 もっと、特殊なイベントキャラクターに近い何かだ。

 好感度を上げたり、特定のアイテムを渡したりすることで、戦闘を回避してイベントが進行する、そういうタイプの。


(よし、ここは一つ、対話を試みてみましょうか)


 私は、ゆっくりと、一歩前に出た。

 もちろん、言葉が通じるなんて思ってはいない。

 ここでの対話とは、つまり、相手をじっくりと『観察』し、その行動原理や欲求を読み解くことだ。


「こんにちは、主さん。私たち、あなたに危害を加えに来たわけではないの。ただ、ちょっとご挨拶に伺っただけ」


 私は、なるべく穏やかで、敵意のない声色を心がけて、そう話しかけた。

 巨大なカエルは、私の言葉に反応したのか、その巨大な頭を、こてん、と少しだけ傾けた。その動きが、巨体に似合わず、なんだか少しだけ可愛く見えてしまう。

 彼は、相変わらず、じっと私を見つめている。

 いや、違う。

 よく見ると、彼の視線は、私を通り越して、私の頭上、もっと言えば、この空洞の天井近くの、ある一点に、固定されているようだった。


(ん? 何を、見てるのかしら……?)


 私は、彼の視線の先を追って、ゆっくりと天井を見上げた。

 天井は高く、光る苔の明かりだけでは、その全貌ははっきりとしない。

 けれど、その薄暗い天井近くに、いくつか、岩が突き出た足場のような場所があり、その中の一つに、何か黒い塊がうごめいているのが見えた。

 そして、耳を澄ますと、微かに、ぶぅぅぅん、という、不快な羽音が聞こえてくる。


(あれは……虫?)


 目を凝らして、さらによく観察する。

 それは、ただの虫ではなかった。

 体長は、フェンと同じくらいはありそうだ。カブトムシのような、硬質で、黒光りする甲殻。背中には、トンボのような、薄くて大きな羽が四枚。そして、頭部には、カマキリのような、鋭い鎌が二本。

 なんとも、色々な虫の嫌な部分だけを合体させたような、悪夢に出てきそうなデザインの、巨大な昆虫型の魔物だった。

 その魔物は、天井の岩場に張り付いて、時折、ぶぅん、と大きな羽を震わせている。

 そして、その度に。

 目の前の巨大なカエルの主の、巨大な喉が、ごくり、と大きく上下に動くのが見えた。

 さらに、そのにんまりと裂けた口の端から、一筋、たらりと、粘度の高そうな液体が垂れ落ちた。

 よだれ、だ。


 その瞬間、私の頭の中で、すべてのピースが、ぱちん、と音を立ててはまった。


(…………なるほどね)


 私は、にやりと、口の端を吊り上げた。

 謎は、すべて解けた。


「フェン」


 私は、隣でまだ警戒を解いていない相棒に、小さな声で話しかける。


「どうやら、戦闘は回避できそうよ。それどころか、すごく、喜ばれるかもしれないわ」


「くぅん?」


 フェンが、不思議そうな顔で私を見上げる。


「あの主さん、お腹が空いてるみたいなの。そして、食べたいものは、決まってる」


 私は、天井で羽音を立てている、巨大な虫の魔物を、くい、と顎でしゃくってみせた。


「ご馳走は、あそこ。私はハンターになるのよ」



「というわけで、作戦会議を始めます」


 私とフェンは、巨大なカエルの主から少しだけ距離を取り、物陰に隠れてひそひそと話し合っていた。まあ、話しているのは、一方的に私だけなのだが。


「ターゲットは、天井にいる、あの巨大な虫。仮に『ジャイアント・インセクト』とでも名付けておきましょうか。目的は、討伐じゃないわ。あくまで『捕獲』。そして、あの主さんへの『献上』よ」


「わふん」


 フェンは、私の言葉を理解したのか、こくりと真剣な顔で頷いた。


「問題は、どうやって、あの空飛ぶ厄介者を捕まえるか、ね」


 私は、再び天井のジャイアント・インセクトを観察する。

 あの高さでは、フェンの自慢の跳躍力も届かないだろう。私が魔法で攻撃するにしても、下手に刺激すれば、どこかへ飛んで逃げてしまうかもしれない。そうなれば、主さんをがっかりさせてしまうことになる。それは避けたい。


(何か、いい方法はないかしら……。確実に、無力化して、地上に落とす方法……)


 私の頭の中で、前世のゲーム知識と、この世界で学んだ魔法理論が、高速で回転を始める。

 飛んでいる敵の、一番の厄介な点は、その機動力。ならば、まずはその機動力を奪うのが定石だ。

 つまり、羽。

 あの薄くて大きな羽の動きを、どうにかして封じることができれば。


(……そうだわ!)


 ぽん、と。私は自分の手のひらを叩いた。

 いい考えが、ひらめいた。


「フェン、聞いて。いい作戦を思いついたわ」


 私はフェンの耳元に口を寄せ、これから実行する作戦の内容を、かいつまんで説明した。


「―――というわけなんだけど、どうかしら?」


「くぅん! わふん!」


 私の説明を聞き終えたフェンは、『それだ!』とでも言うように、興奮気味に尻尾をぱたぱたと揺らした。どうやら、私の作戦に、全幅の信頼を寄せてくれているらしい。


「よし、決まりね! じゃあ、早速取り掛かりましょう! オペレーション『主さんにご馳走を』、スタートよ!」



 作戦は、二段階に分かれている。

 まずは、第一段階。ジャイアント・インセクトを、地上に落とす。

 私は、物陰からそっと顔を出し、天井にいるターゲットに、意識を集中させた。


(風魔法の応用……イメージは、台風の目。中心は無風だけど、その周りでは、めちゃくちゃな方向から、乱気流が吹き荒れている感じ)


 ただ風をぶつけるだけじゃない。

 ジャイアント・インセクトの周りの空気の流れを、ぐちゃぐちゃにかき乱してやるのだ。そうすれば、あの薄い羽では、まともに飛ぶことなどできなくなるはず。


『乱気流』


 私が心の中でそう唱えると、目には見えない風の魔力が、ジャイアント・インセクトの周囲に集束し、渦を巻き始めた。

 突然、自分の周りの空気が荒れ狂い始めたことに、ジャイアント・インセクトは明らかに混乱していた。


「ぎちちちち!?」


 耳障りな鳴き声を上げながら、必死に羽を動かして体勢を立て直そうとするが、もう遅い。乱気流に煽られて、その体は木の葉のようにきりきりと舞い、あっという間にバランスを崩した。

 そして、岩場から足を滑らせ、重力に従って、まっすぐに落下してくる。


「よし、かかった! フェン、第二段階、お願い!」


 私の合図を、フェンは待っていた。

 落下してくるジャイアント・インセクトの、真下の地面。

 私は、そこに、あらかじめ土魔法を仕掛けておいたのだ。


(イメージは、底なし沼。でも、殺傷能力はゼロ。ただ、一度はまったら抜け出せない、強力な粘土質のぬかるみ!)


 ジャイアント・インセクトの巨体が、地面に叩きつけられる、その寸前。

 地面が、まるで生きているかのように、ぐにゃり、とその姿を変えた。

 どちゃっ!

 という、実に締まらない音を立てて、ジャイアント・インセクトは、私が魔法で作った粘土の罠に、頭から突っ込む形で見事に着地(?)した。


「ぎちぎちぎちぎちっ!」


 もがけばもがくほど、体は粘土に絡め取られ、どんどん深く沈んでいく。自慢の鎌も、羽も、粘土に埋もれてしまっては、何の役にも立たない。

 そして、そこへ。


「わんっ!」


 銀色の閃光が走った。

 フェンが、ジャイアント・インセクトの、唯一無防備にさらけ出されている後頭部めがけて、電光石火の頭突きを叩き込んだのだ。

 ごつん、という鈍い音がして、ジャイアント・インセクトの動きが、ぴたり、と止まった。

 気絶しただけ。もちろん、命に別状はない。

 完璧な、非殺傷での捕獲だった。


「……ふう。ミッション、コンプリートね」


 私は、満足げに一つ頷くと、隣で『どうだ!』と胸を張っているフェンの頭を、力いっぱい撫でてやった。


「すごいじゃない、フェン! タイミングも、威力も、完璧だったわ! さすが、私の相棒ね!」


「わふん!」


 フェンは、くすぐったそうに、でも誇らしげに、私の手に顔をすりつけてきた。

 さて、と。

 捕獲した獲物は、まだ粘土の罠にはまったままだ。

 私は、土魔法を操作して、ジャイアント・インセクトを粘土ごと、そっと地面から持ち上げた。そして、それを、じっと一部始終を、巨大な黄色い目で見つめていた、あの主さんの前まで、ゆっくりと運んでいく。


「主さん、お待たせいたしました。特大の、お届け物です。どうぞ、召し上がれ」


 私がそう言って、気絶したジャイアント・インセクトを目の前に差し出すと、巨大なカエルの主の、ガラス玉のようだった黄色い目に、初めて、きらーん、と輝く光が宿った。



「げろっ」


 それは、カエルが出すには、あまりにも野太く、そしておっさんくさい声だった。

 主は、私が差し出したジャイアント・インセクトを、びろーん、と信じられないくらい長く伸びた舌で、一瞬にして絡め取ると、ぱくり、と一口で丸呑みにしてしまったのだ。

 そして、その巨大な喉を、ごくり、ごくり、と二、三度、満足げに上下させると、最後に、実に豪快な、げっぷを一つ。


「…………」


 私とフェンは、そのあまりの光景に、しばらく、ぽかん、と口を開けて、立ち尽くしてしまった。


(……まあ、喜んでくれたみたいだし、いっか)


 美味しいご馳走にありつけて、主さんはご満悦のようだった。

 その証拠に、彼は、これまで私たちが入ってきた扉とは反対側で、道を塞ぐようにどっしりと居座っていたその巨体を、ゆっくりと、よっこいしょ、とでも言うように、動かし始めたのだ。

 ごごごご、と地響きのような音を立てて、主が横にずれると、その向こうには、さらに奥へと続く、新しい通路が現れた。

 どうやら、戦闘をすることなく、あっさりと道を開けてくれたらしい。


「ありがとう、主さん。ごちそうさまでした」


 私がぺこりと頭を下げると、主は「げろっ」と、また一つ、機嫌が良さそうな鳴き声を返してくれた。

 依頼の目的は、主の確認。それは、もう達成した。

 このまま、この新しい通路を通って、ダンジョンを脱出することもできるだろう。

 けれど。

 主の行動は、それだけでは終わらなかった。

 彼は、道を開けた後、今度は、私たちの方に向き直ると、その巨大な前足で、自分の隣の、何でもないただの壁を、ぽん、ぽん、と二度、軽く叩いたのだ。


「ん? どうしたの?」


 私が不思議に思って首を傾げると、主は、まるで『こっちへ来い』とでも言うように、また壁をぽん、と叩いた。


「わふん?」


 フェンも、何がしたいんだ、とでも言いたげな顔で、主と壁を交互に見ている。

 私は、何か意図があるのかもしれない、と思い、おそるおそる、主が示した壁へと近づいてみた。

 それは、どこからどう見ても、ただの岩の壁だった。隠し扉があるような、不自然な切れ目もない。

 私が壁に手を触れて、ぺたぺたと触って調べていると、主が、おもむろに、その裂けた口を、がばっ、と大きく開けた。


「げろろろろろろろろっ!」


 そして、腹の底から絞り出すような、不快な鳴き声を、その壁に向かって放ったのだ。

 それは、ただの鳴き声ではなかった。


 音の衝撃波。


 空気が、びりびりと震えるのを感じる。

 すると、私が触れていた壁が、まるで共鳴するかのように、ぶるぶると振動を始めた。

 そして、次の瞬間。


 がらん、がらん、がらんっ!


 壁だと思っていたものが、幻だったかのように崩れ落ち、その向こうに、新しい、ぽっかりとした洞窟の入り口が現れたのだ。


「……隠し通路!?」


 私は、驚きのあまり、思わず声を上げた。

 主は、どうだ、と言わんばかりに、胸を(あるのか分からないが)張っている。


「もしかして、これって、私たちへのお礼……?」


「げろっ」


 主は、肯定するように、満足げに一度だけ鳴いた。

 どうやら、美味しいご飯を食べさせてくれた私たちに、何かお礼がしたかったらしい。なんとも、律儀な主さんだ。

 私はフェンと顔を見合わせると、好奇心を抑えきれずに、その新しい洞窟の中へと、一歩、足を踏み入れた。

 中は、それほど広くはなかった。

 けれど、その壁一面に広がっていた光景に、私は、今度こそ、本当に言葉を失った。


「……うわぁ…………」


 壁、一面。

 天井も、床も。

 そこは、まるで、満点の星空をそのまま閉じ込めたかのような、美しい苔で、びっしりと覆い尽くされていたのだ。

 一つ一つの苔が、青白い、柔らかな光を放っている。

 その光は、これまで見てきたどの光る苔よりも、ずっと強く、そして、どこか神々しささえ感じさせた。

 そして、私の、公爵令嬢時代に叩き込まれた薬草学の知識が、その苔の正体を、瞬時に見抜いていた。


(これって、まさか……『星屑の苔』……!?)


 どんな傷や病気も癒すと言われる、伝説級のポーション、『エリクサー』の材料として、ごく一部の錬金術師の間でだけ、その存在が知られている、幻の苔。

 文献でしか見たことがなかった、あの……!

 それが、今、目の前に、これでもかというくらい、群生している。


(い、一枚でも、金貨何枚になるのよ、これ……!? マイホームどころか、お城が建っちゃうかも……!)


 私の頭の中で、そろばんを弾く音が、ぱちぱちとけたたましく鳴り響いた。

 下世話な考えが、頭の中をぐるぐると駆け巡る。

 私は、震える手で、壁からそっと、その苔を一枚だけ、剥がしてみた。

 手に取った苔は、ひんやりとしていて、夜空の星屑をすくい上げたみたいに、きらきらと、優しく輝いていた。


「……やった」


 ぽつり、と。

 私の口から、そんな言葉が漏れた。


「やったわ、フェン……! 私たち、すごいお宝を見つけちゃったわ……!」


「わふん!」


 私のただならぬ喜びが伝わったのか、フェンも、一緒になって、嬉しそうに一声鳴いた。

 『湿地の迷宮』。

 誰も来たがらない、不人気のダンジョン。

 でも、そこには、誰も知らなかった、とんでもない秘密が隠されていた。

 これも全部、あの食いしん坊な主さんと、平和的な交渉を選んだ、私のおかげ。

 戦うだけが冒険じゃない。

 時には、こういう、心温まる(?)出会いと、予期せぬ幸運が待っている。

 だから、冒険は、やめられないのだ。

 私は、手に入れた『星屑の苔』を、落とさないように、壊さないように、大切に革袋にしまうと、隠し通路の入り口で待ってくれていた主さんに、もう一度、深々と頭を下げた。


「本当に、ありがとう、主さん。このご恩は、一生忘れません」


「げろっ」


 主は、もう一度だけ、満足げに鳴くと、ゆっくりと、その巨大な体を、元の場所へと戻していった。

 私たちは、主に見送られながら、彼が開けてくれた、新しい通路へと、足を踏み出した。


 その通路は、外の光が差し込む、出口へと続いているようだった。


 私の手の中には、ずっしりと重い、希望の光。

 足取りは、来た時よりも軽かった。


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― 新着の感想 ―
このダンジョンで、大金になる『星屑の苔』が発見されたと知られたら、沢山の冒険者がやってきて、あのカエルさんも討伐されるだろうな。
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