第六十話:そのオアシスは、そこにあった
どこまでも続く、黄金色の海。
フロンティアの街を出発して、どれくらいの時間が過ぎ去っただろうか。
私たちの旅路は、これまでのどの冒険とも、その景色を全く異にするものとなっていた。
見渡す限り広がるのは、太陽の光を浴びてきらきらと輝く、どこまでも広大な砂の大地。
風が吹くたびに、さらさらと音を立てて砂の粒子が舞い上がり、まるで金色の霧のように視界を霞ませる。
頬に触れる風の匂いが変わった。
フロンティアの、あの生命力に満ちた土と草の匂いではない。乾ききった砂と、遠い昔に風化した岩の匂い。
そして、じりじりと肌を焼く、灼熱の太陽の匂い。
空を舞う鳥たちの姿はどこにもなく、ただ、どこまでも続く紺碧の空だけが、私たちの上には広がっていた。
「わふぅ……」
私の隣を歩くフェンが、少しだけうんざりしたように鼻を鳴らした。
彼の大きな黒い瞳は、この代わり映えのしない景色に、さすがに少しだけ飽きてきているようだった。
「まあまあ、そう言わないの。これも、新しい冒険の舞台だと思えば、悪くないでしょう?」
私がそう言って、彼の頭をぽんと叩くと、彼は「くぅん」と、まるで「主がそう言うなら、付き合ってやるけどさ」とでも言いたげな、少しだけ大人びた声で応えた。
一方で、私たちの体は、驚くほど快適だった。
私が、この日のために工房で作り上げた、最高の自信作。
砂漠仕様の特殊なローブ、『デザート・ストーム』。
その内側では、ひんやりとした心地よい冷気が絶え間なく循環し、外の灼熱の空気を完全にシャットアウトしてくれている。
背中に埋め込まれた超小型の水分収集装置は、この乾ききった空気の中からでも、健気に水分を集め続け、私たちの喉の渇きを潤してくれていた。
「ふふん。どうかしら、私の発明品は。これなら、どんな灼熱地獄だって、快適なピクニックに早変わりよ」
「わふん!」
同意、といった様子でフェンは私と一緒にいてくれた。
やがて、単調だった砂の海の向こうに、一つの巨大な影が見えてきた。
陽炎の向こうで、ゆらゆらと揺らめく、白い壁。
アル=カリード国の首都だった。
◇
街の様子は、私が想像していた以上に、深刻だった。
太陽の光を浴びてまばゆいほどに輝くはずの真っ白な壁は、どこか埃っぽくくすみ、活気に満ちているはずの市場は、まるでゴーストタウンのように閑散としている。道行く人々の顔には、深い絶望と疲労の様子が、まるで乾いた泥のようにべったりと張り付いていた。
私たちが、街の門をくぐると、どこからか噂を聞きつけたのだろう。
つい先日、我が家を訪れた、あの髭の老人が、数人の側近を連れて、慌てた様子で駆け寄ってきた。
「お、おお……! 聖女様! よくぞ、ご無事で……!」
彼の顔は、数日見ない間に、さらに深い皺が刻まれているように見えた。
「ええ、見ての通り、ぴんぴんしていますわ。それより、街の様子は?わたくしがお渡しした薬は、役に立ちましたか?」
「はい! もちろんです! あれぞ、まさしく奇跡の霊薬石化が始まっていた者たちも、皆、その進行を止めることができました!このご恩、どう感謝すればよいか……!」
老人は、再び、その場にひれ伏さんばかりの勢いで、私に感謝の言葉を述べ始めた。
「まあ、それはよかった。ですが、あくまであれは応急処置。病の根源を断ち切らない限り、いずれまた、同じことの繰り返しになります」
私の、きっぱりとした言葉。それに、老人の顔が、再び、厳しいものに戻る。
「……はい。分かっております。どうか、聖女様。この国の病の根源を……」
「ええ、お任せくださいな。そのために、来たのですから」
私は、にっこりと、絶対的な自信に満ちた笑みを彼に向けた。
その日の午後。
私は、早速、この奇病の原因究明へと乗り出した。
王宮の一室を借り受け、そこに、簡易的な実験室を魔法で作り上げる。
そして、街の井戸から汲んできた水、患者の血液、そして、この国の土。
ありとあらゆるものを、私の魔法で分析していく。
『元素分離』の魔法を応用し、それらを分子レベルまで分解し、その構成要素を調べていくのだ。
そして、すぐに、答えは見つかった。
「……これね。間違いないわ」
私が、魔法で作った顕微鏡のようなレンズを覗き込みながら、ぽつりと呟く。
全てのサンプルから、共通して、一つのそれが検出された。
それは、これまで見たこともないような形をした微生物だった。
まるで、小さな石の粒のような無機質な外見。
けれど、それは、確かに生きていて、ゆっくりと増殖を続けている。
そして、この微生物は、生物の体内に侵入すると、その細胞組織と結合するようだ。
そしてそれを、自らと同じような石の性質へと変えてしまう、という、恐るべき能力を持っていた。
石化の病。その正体。
そして、この微生物が、最も高い濃度で検出されたのが。
「……水、ね。この国の、全ての水源が汚染されているんだわ」
◇
私の分析。
それを聞いた、アル=カリードの王と、その側近たちは、はっとした。
「そ、そんな……! では、我らは、自らの手で毒を飲んでいたと……?」
「そういうことになりますわね。そして、この汚染の大元。それは、おそらく、この国の全ての命の源である場所でしょう」
私が、地図の上で指さしたのは、一つ。
この国の、ちょうど中心部に位置する、巨大な地下オアシス。
そこから湧き出る清らかな水が、この砂漠の国を何千年もの間、潤してきたのだ。
聖なる泉が、今や、死の源泉と化している。
(……面白くなってきたじゃない。最高のダンジョンが、すぐ足元にあったというわけね)
◇
アル=カリードの民が、『聖なる泉』と呼び、崇めてきた場所。
その入り口は、王宮の奥深く。普段は、王族と、一部の神官しか立ち入ることのできない、神聖な神殿の地下にあった。
ひんやりとした、湿った空気。
壁には、古代の文字で、この泉の成り立ちや国を守る精霊についての叙事詩が、びっしりと刻まれているようだ。
その、長い階段を、私たちは、松明の頼りない明かりを頼りに、下へ降りていった。
「……ここです。この先が地下大水脈へと繋がる、入り口……」
案内役の老いた神官が、揺れる声でそう言った。
彼の目の前には、巨大な石の扉が固く閉ざされている。
その扉の向こう側から、ごうごうと、水が流れる音が、地の底から聞こえてくるように鳴り渡っていた。
けれど、その音に混ざって。
何か、別の何か不快ともいえる音が、微かに私の耳には届いていた。
まるで、何かが蠢いているような、粘ついた音。
「がるる……」
私の隣で、フェンが、低い唸り声を上げる。
彼の優れた嗅覚が、この扉の向こうに満ちる、淀んだ匂い。そして、どこか腐敗したような、病の匂いをはっきりと感じ取っているのだ。
「……開けてください」
私の声。
それに、神官たちは、何人かがかりで、その重い石の扉をゆっくりと開いていった。
ごごごごごごごごご……。
長い間、閉ざされていたであろう扉。
それが地響きのような音を立てて、その向こう側の光景を現し始めた。
その先に広がっていた光景に、私たちは―――。
「…………これは、ひどい」
思わず、ぽつりと、そんな言葉が、私の口から漏れた。
そこはもはや聖なる泉などではなかった。
巨大な地下の空洞。
たしかに、かつてはこの一面に清らかな水が、川のように流れていたのだろう。
けれど、今、そこにあるのは。
どろりとした、緑色の粘液のような液体。
まるでヘドロのような水面からは、あちらこちらで、ぼこん、ぼこんと、不気味な泡が弾け、甘く腐ったような、吐き気を催す悪臭があたりに立ち込めている。
壁も、天井も、全てが緑色の粘液で、ぬるぬると覆い尽くされていた。
そしてその粘液の中。
何かが、蠢いている。
半透明のアメーバのような無数の魔物たち。
あの石化の病を引き起こす、未知の微生物の巨大なコロニー。
巣そのものだった。
「……うわあ。ダンジョンじゃない。攻略しがいがありそうだわ」
私の、あまりにも場違いな声。
後ろに控えていた神官たちが、「ひっ」と、小さな悲鳴を上げたのが分かった。
「さあ、行きましょうか、フェン。この、汚れたお風呂を、綺麗にお掃除してあげましょう!」
「わんっ!」
私は、高らかにそう宣言すると、その緑色の地獄へと、第一歩を踏み出した。
◇
一歩、足を踏み入れた途端、ぐちゅり、と。
足が、膝まで、緑色の粘液に沈み込んだ。
強烈な悪臭が鼻をつく。
けれど、私たちの体を覆う『デザート・ストーム』が、その全てをシャットアウトしてくれていた。
「わふん」
私の隣で、フェンが少しだけ不快そうに鼻を鳴らした。
この足場の悪い、ぬかるみ。
それが、このダンジョンの最初のギミック。
(……流砂の罠、というわけね。面白いじゃない)
私は、にやりと笑うと、黒檀の杖を静かに構えた。
土魔法の応用。
イメージするのは、足元の不安定なヘドロ。
その水分だけを、一瞬にして抜き去り、からからに乾燥させた硬い大地へと変えること。
『デザート・ドライ』
私が、心の中でそう唱えると、私たちの足元から同心円状に、ぱきぱきぱき、と。
乾いた、ひび割れの音が広がっていった。
緑色の粘液は、あっという間に、その水分を失い、まるで、干上がった川底のように、硬く、歩きやすい地面へと、その姿を変えたのだ。
「ふふん。どうかしら。これなら、快適に歩けるでしょう?」
「わふん!」
私の実にスマートな魔法に、フェンも感心したように一声鳴いた。
私たちは、その即席で作った、安全な道の上を悠々と歩き始めた。
―――しゅるるるるる……。
壁の粘液の中から。
何本もの緑色の触手が、まるで、生きている鞭のようにしなり、私たちめがけて襲いかかってきたのだ。
私は、咄嗟に杖を振るう。
今度は炎の魔法。
古龍から授かった、『炎の加護』の力を解放する。
「『ドラゴン・ウィップ』!」
杖の先端から、ごおおおっ、と。
灼熱の炎の鞭が、何本も、ほとばしり出た。
その炎の鞭が、緑色の触手を、空中で迎撃し、じゅっ、と音を立てて、焼き切っていく。
焦げ付いた、不快な匂いがあたりに立ち込めた。
「……なるほどね。ただの、ぬかるみだけじゃない。攻撃もしてくる、と。厄介なこと」
たしかに、これくらいでなければ、高難易度のダンジョンとは言えない。
私たちは、次々と襲いかかってくる触手を炎の鞭で薙ぎ払いながら、洞窟の奥深くへと、進んでいった。
やがて、その先には、ひときわ大きなドーム状の空間へと繋がっていた。
その空間の空気の様子は、明らかに違った。
ぼんやりと、紫色の妖しい光を放つ霧のようなものが、あたりに立ち込めているのだ。
「くんくん……わふぅ……」
私の隣で、フェンが、ふらり、と、おぼつかない足取りで千鳥足を踏んだ。
その大きな黒い瞳が、どこか虚ろに宙を彷徨っている。
「フェン!? しっかりなさい!」
私は、慌てて彼の体を支えた。
これはただの霧じゃない。
幻覚を見せる、特殊な気体なのだろう。
壁のあちこちに埋まっている、紫色の鉱石。
あれが、このガスの発生源に違いない。
(……しまったわ。油断した)
私の頭も、少しだけ、くらくらとしてきた。
目の前の景色が、ぐにゃりとゆがんで見える。
このままではまずい。
私は、緊急時用にローブに組み込んでいた、ある機能を起動させた。
「『デザート・ストーム』、空気清浄モード、最大出力!」
私が、そう命じると、私たちの体を覆うローブの、内蔵された術式が、きぃん、と甲高い音を立てて、その輝きを増した。
風魔法の応用。
私たちの周りの有毒なガスを内部のフィルターで浄化し、清浄な空気だけをヘルメットの中へと供給する。
すう、と。
肺を満たす空気が、入れ替わる。
くらくらとしていた頭が、一瞬にして、クリアになる。
「……ふう。危なかったわね」
私は、安堵のため息をついた。
フェンも、ようやく正気を取り戻したのか、「わふん」と、力なく一声鳴いた。
私たちは、空気清浄機能を最大にしたまま、その、幻覚の霧が立ち込めるエリアを進んでいった。
◇
そして、ついに。
私たちは、汚染された地下オアシスの最深部へとたどり着いた。
そこは、これまでのどの空間よりも、広大だった。そしてなによりもおぞましい場所だった。
巨大な地下の湖。
けれど、その水は、もはや水ではなかった。
どろどろとした、緑色の粘液の海。
その海の真ん中。
一つの巨大な肉の塊が、まるで巨大な心臓のように、どくんどくんと、不気味に脈打っていた。
その表面には、無数の、血管のようなものが、うねうねと蠢いている。
あれこそが、この汚染の全ての元凶。
未知の微生物の巨大な母体。
(……すごい。ラスボスに、ふさわしい、ビジュアルじゃない)
私は、ごくりと喉を鳴らした。
その、肉の塊が、私たちの存在に気づいたようだった。
どくん、という、脈動が、一瞬だけ早まる。
そして。
―――ぎちぎちぎちぎちぎちぎちぎち。
それは、巨大な昆虫が顎を打ち鳴らすような、耳障りな音の連続だった。
音の発生源は、目の前の巨大な肉の塊。
この汚染された地下オアシスの全ての元凶。
未知の微生物の、巨大な母体。
その、心臓のように脈打っていた肉塊の表面が、まるでけいれんを起こしたかのように、ぶるぶると激しく波打ち始めたのだ。
うねうねと蠢いていた血管のようなものが、一斉に、どくん、と大きく膨れ上がる。
明らかに、様子が変わった。
私たちの存在を、ただの侵入者ではなく、排除すべき『敵』として認識したのだ。
「がるるるるるるるるる……!」
私の隣で、フェンが低い唸り声を上げる。彼の全身の銀色の毛が、まるでハリネズミのように逆立ち、その唇の隙間から、鋭い牙が白く覗いている。
彼の野生の本能が、目の前の存在が放つ、純粋で、どこまでも濃密な悪意を、はっきりと感じ取っているのだ。
「……来るわよ、フェン。準備なさい」
私の、静かな、しかし、鋼のように硬質な声。
それに、フェンは、短く、しかし力強く一声鳴いた。
私は、黒檀の杖を、静かに、しかし、確かな意志を持って構える。
ひんやりとした滑らかな感触が、高揚し始めた私の思考を、氷水のように冷徹に、そして、どこまでもクリアにしてくれる。
ごくりと、喉が鳴った。
胸糞悪いビジュアルの、ラスボスとの対面。
ゲーマーとして、これ以上ないくらいに、血が滾る。
ぎち、という、ひときわ大きな音がした、その瞬間。
肉塊の表面、あちらこちらから。
まるで巨大なニキビが、一斉に弾け飛ぶかのように、緑色の粘液の塊が凄まじい勢いで、こちらめがけて射出された。
ドシュッ! ドシュシュシュシュシュッ!
それは、もはや、ただの液体ではなかった。
高圧洗浄機から放たれる水流のように、凄まじい圧力で圧縮された、緑色の粘液の槍。
それが、数十、いや、百を超える数で、雨のように、私たちへと降り注いでくる。
一発でも食らえば、ただでは済まない。
あの粘液に触れたが最後、私たちの体を覆うこの『デザート・ストーム』さえも、瞬時に溶かされてしまうだろう。
私は、咄嗟に、一歩前に出た。
そして、杖の先端を地面に、とん、と軽く突き立てる。
「『サンドウォール・ヴィトレオス』!」
私が、またしても即席で考えた、実にそれっぽい名前の魔法を高らかに唱えた、その時だった。
私たちの足元。乾いていたはずの地面から、さらさらとした黄金色の砂が、まるで噴水のように、勢いよく噴き上がったのだ。
そして、その砂が、私たちの目の前で、一瞬にして、巨大な透明な壁へと、その姿を変えた。
ただの土魔法を応用した、砂の壁ではない。
『炎の加護』の力を応用し、砂の粒子を超高温で、一瞬にして溶解させる。
そして、再び冷却することで作り上げた、ダイヤモンドよりも硬く、水晶よりも透明な巨大なガラスの壁。
ガィィィィィィィィィィンッ!
甲高い、耳をつんざくような、硬質な音の連続。
緑色の粘液の槍が、次々と、ガラスの壁に激突し、その衝撃で、べちゃり、という汚い音を立てて弾け飛んでいく。
壁には、傷一つ、ついていない。
それどころか、その透明な表面は、緑色の粘液を弾き返す。
「……ふう。小手調べは、このくらいかしらね」
私は、ガラスの壁の向こう側で、なおも無駄な攻撃を繰り返している肉塊を、冷静に観察する。
フェンは、私の足元で、目の前で起こっている、あまりにも常識外れな防御方法に、ただ、ぽかんとした顔で、立ち尽くしていた。
(……なるほどね。攻撃パターンは、単純な遠距離攻撃と、さっきの触手による近接攻撃。本体は、あの場所から一歩も動けない、完全な固定砲台。そして、弱点は、おそらく……)
私の視線が、肉塊のちょうど中心部分。
ひときわ大きく、そして、禍々しい光を放って脈打っている、一つの『核』のようなものに、ぴたりと固定された。
(……あそこね。間違いないわ)
あれこそが、この、巨大な生命体の心臓部。
あれを、破壊、いや、『浄化』しない限り、この戦いは終わらない。
けれど、どうやってあそこまで近づくか。
この、粘液の海を渡り、次々と繰り出される攻撃をかいくぐって、あの中心部までたどり着く。
それはあまりにも、無謀な賭けのように思えた。
「わふん!」
不意に、私の隣で、フェンが力強く一声鳴いた。
戸惑ってはいなかった。
その大きな黒い瞳には、絶対的な信頼。そして、共に戦うという、確固たる意志の光が力強く燃え上がっていた。
彼は、私の顔と、ガラスの壁の向こうで蠢く、巨大な肉塊を交互に見比べると、まるで「自分に、任せろ」とでも言うように、その銀色の体をぐっと低く沈めた。
そうだ。
私には、一人じゃない。
この世界で一番、頼りになる、最高の相棒がいるじゃないか。
「……そうね。お願いできるかしら、フェン」
私は、にやりと笑った。
「私が、道を開く。あなたは、その道を、誰よりも速く駆け抜けて、あいつの注意を引きつけてちょうだい。ほんの数秒でいいの。私が、最後の魔法を完成させるまで、ほんのわずかな時間だけでいいから」
「わんっ!」
あまりにも無茶な要求。
それに、フェンは何の躊躇いもなく、力強く一声鳴いた。
さあ、反撃の始まりだ。
「行くわよ!」
私が、ガラスの壁を、魔法でさっと消し去る。
そして、目の前の緑色の粘液の海に向かって、黒檀の杖をぴしりと突きつけた。
魔法の力を解放する。
今度のイメージは、橋。
乾いた砂でできた、一本の、まっすぐな橋を、この粘液の海の上へと、架けるのだ。
『デザート・ブリッジ』
ごごごごごごごごごごごごごごご……。
私たちの足元から、黄金色の砂が、まるで生きている蛇のように、勢いよく伸びていった。
そして、あっという間に、対岸の肉塊が鎮座する、その足元まで、一本の頑丈な砂の橋を完成させた。
それと、ほぼ同時。
「―――今よ、フェン!」
魂からの叫び。
それに、フェンは、待ってましたとばかりに、その銀色の体を躍らせた。
彼は駆けた。
新しくできた、砂の橋の上を風のように。
銀色の閃光が、緑色の地獄を、一直線に貫いていく。
フェンのあまりにも速すぎる動きに、巨大な肉塊の反応が、ほんの一瞬だけ遅れた。
ほんの一瞬の隙。
それこそが、私たちの全てだった。
「キシャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!」
ようやく、侵入者に気づいた肉塊が、怒りの咆哮を上げる。
その、無数の血管のようなものから、何十本もの、鋭い、骨の槍のようなものが、一斉に射出された。
けれど、その攻撃は、もはやフェンには届かない。
彼は、驚異的な俊敏さで、骨の槍の雨をかわしていく。
そして、肉塊の巨大な体のあちらこちらに、その鋭い牙と爪を、的確に叩き込んでいく。
陽動。
フェンの目的はただ一つ。
巨大な化け物の全ての注意を、自分一身に引きつけること。
(……ありがとう、フェン。あとは、任せて)
私は、命懸けで戦う、小さな背中を見つめながら、絶対的な自信を持って呟いた。
そして、黒檀の杖を天に突き上げる。
私の持てる全ての魔力を、この一撃に注ぎ込む。
イメージするのは、光。
アンデッドを安らかな砂へと還し、魔性の森を穏やかな楽園へと変えた、あの清浄な光の流れ。
けれど、今、私が放つのは、それらとは、比べ物にならないくらい、強く、そして、どこまでも優しい光。
汚染された地下オアシス全体を、その隅々まで洗い流す、巨大な浄化の波。
私の持てる力の全て。
「―――『セレスティアル・ノヴァ』!」
私が、これまでのどの魔法よりも、荘厳で、そして、最高に中二病っぽい名前の魔法を、魂を込めて高らかに唱えた。
その時だった。
杖の先端から、光があふれ出た。
まばゆいほどの、強い純白の光。
それは、もはや洪水と呼ぶべき勢いだった。
その、圧倒的なまでの清浄な光の流れが、この洞窟の中を、一瞬にして満たしたのだ。
しゅわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわ……。




