第六話:不人気ダンジョンは隠しアイテムの宝庫、これテストに出ます
『ゴブリンの洞窟』の一件以来、私とフェンは、フロンティアの冒険者ギルドでちょっとした有名人になっていた。
ギルドへ顔を出せば、あちこちのテーブルから「よお、ソロコンビ!」「今日も元気そうだな、フェン!」なんて声がかかる。すっかり顔なじみになった冒険者たちが、屈託なく手を振ってくれる。フェンも満更ではないようで、そういう時はいつも得意げに「わふん!」と一声鳴いて、ふさふさの尻尾をぱたぱたと揺らすのだ。
新人向けの依頼は、あらかたやり尽くしてしまった。
薬草採取、近隣の森のゴブリン討伐(これは普通にフェンが戦って数をこなした)、街の周辺警備のお手伝い。どれもこれも、今の私たちにとっては、準備運動にもならないような簡単なものばかり。おかげで懐は少しずつ温かくなってきているけれど、目標にはまだ程遠い。
今の宿屋暮らしは、清潔で快適だ。ふかふかのベッドもあるし、美味しい食事も出してくれる。でも、やっぱり借り物の部屋。フェンが夜中に走り回りたくなっても、階下の人に迷惑だからと止めなければならないし、思いっきりボール遊びをさせてあげることもできない。いつかは、自分たちの家が欲しい。できれば、フェンが裸足で駆け回れるくらいの、ささやかな庭が付いた家が。そのためには、もっともっとお金を貯めなければ。
「うーん……どうしたものかしら」
私はギルドの依頼掲示板の前で腕を組み、ずらりと貼られた依頼書を眺めていた。Fランクの冒険者が受けられる依頼は、ほとんどが白色の紙。その中に、いくつか色付きの紙が混じってはいるけれど、それはまだ私たちには手が出せない高ランク向けの依頼だ。もっと稼げる、歯ごたえのある冒険がしたい。
「あら、アリアさん。こんにちは」
聞き慣れた快活な声に振り返ると、カウンターの中から受付嬢さんがひょっこりと顔を出していた。栗色の髪を揺らし、人懐っこい笑顔を浮かべている。
「こんにちは。今日もいい天気ですね」
「ええ、本当に! フェンもこんにちは! はい、これどうぞ」
「わふっ!」
カウンターの下から、いつものように干し肉が差し出される。フェンはそれを、尻尾をぶんぶん振り回しながら嬉しそうに受け取った。もはや、このやり取りはギルドでの日課と化している。
「何か、儲かりそうな依頼でも探してるんですか?」
「ええ、その通りです。新人向けのダンジョンは、一通り回ってしまいましたし、何かこう、もう少し骨のある冒険がしたいな、と思いまして。マイホーム購入の資金も、貯めないといけませんし」
私の言葉に、受付嬢さんは「ま、マイホームですか!?」と目を丸くした。
「すごいですね、アリアさん! 堅実! でも、そうですよねえ……アリアさんとフェンの実力なら、もうFランクの依頼じゃ物足りないですよね。早くランクアップ試験が受けられるといいんですけど、こればっかりは規定のポイントを貯めないと……」
「ええ、分かっています。地道に頑張りますわ」
「あ、でも……一つだけ、Fランクでも受けられるダンジョン依頼が残ってますよ。ただ……」
彼女はそう言うと、どこか歯切れ悪く言葉を濁し、掲示板の一番隅っこを指さした。そこには、他の依頼書から少しだけ離れた場所に、一枚だけぽつんと、くたびれた様子の依頼書が貼られていた。紙は湿気でよれていて、インクも心なしか滲んでいるように見える。
『依頼:湿地の迷宮の調査 目的:最深部に生息するとされる主の確認 ランク:F』
「『湿地の迷宮』、ですか?」
初めて聞く名前だった。私がその依頼書をまじまじと見つめていると、受付嬢さんが小さな声で教えてくれた。
「ええ。街の南にある、大きな沼地に口を開けているダンジョンなんですけど……とにかく、人気がなくって。依頼書も、もう何ヶ月も貼りっぱなしなんです」
「人気がない? どうしてですの?」
「うーん、単純に、すごく面倒で、しかも儲からないダンジョンだから、ですかね」
彼女の説明によれば、その『湿地の迷宮』は、他のダンジョンとは比べ物にならないくらい環境が悪いらしい。
「まず、ダンジョン全体がじめじめしていて、足場が悪いんです。それから、あちこちに毒沼があって、踏み外すと装備は痛むし、解毒薬は必須だしで、とにかくお金がかかるって。出てくる魔物も、スライムみたいな粘着質のやつが多くて、倒しても大した素材も手に入らない。おまけに、報酬もこの通り、あまり良くないですし……」
受付嬢さんは肩をすくめてみせた。
なるほど、それは確かに不人気なわけだ。危険で、汚れて、お金がかかって、儲からない。冒険者たちが避けて通るのも無理はない。マイホーム資金を貯めたい私にとっても、一見すると割に合わない依頼だ。
けれど。
(毒沼……粘着質の魔物……厄介な環境ギミック……)
その言葉を聞いた瞬間、私の頭の中で、何かがぱちんと弾ける音がした。
灰色だった視界が、一瞬にして鮮やかな色に染まる。
面倒? 厄介? 違う、違う。それは、最高の褒め言葉じゃないか。
(それに……誰も行きたがらないってことは、まだ誰にも発見されていないお宝が、手つかずのまま眠っている可能性があるってことよね? 希少な薬草とか、古代の魔道具とか……もし大当たりを引いたら、マイホームの夢に一気に近づけるかもしれない!)
前世の記憶が、私のゲーマー魂と現実的な欲望を同時に激しく揺さぶる。
特殊なギミック。セオリーが通用しない、初見殺しの罠。そして、一攫千金の可能性。それこそが、ダンジョン攻略の醍醐味というものだ。私のユニークな魔法を試すには、これ以上ないくらいの最高の実験場でもある。
「……ふふっ」
思わず、口元から笑みがこぼれた。
私の様子に、受付嬢さんが「え、アリアさん?」と不思議そうな顔でこちらを見ている。
「決めたわ。その依頼、私が受けさせていただきます」
「ええっ!? ほ、本気ですか!? やめておいた方がいいですよ! 先日も、腕利きのCランクパーティーが挑戦したんですけど、装備がべとべとになったって、泣きながら帰ってきましたし……」
「ご心配なく。私、そういう厄介な場所、大好きなんです。それに、もしかしたらすごいお宝が見つかるかもしれませんしね」
私は彼女の心配を笑顔で受け流すと、掲示板からよれよれの依頼書をひょいと剥がし、カウンターに差し出した。
私の決意が固いことを悟ったのか、受付嬢さんは「うう……分かりました……」と、まだ不安そうな顔をしながらも、受付の手続きを進めてくれた。
「本当に、気をつけてくださいね。毒沼は、本当に危険ですから。ちゃんと、ギルド推薦の解毒薬も持っていってください!」
「ええ、ありがとう。それでは、行ってまいります」
私は優雅に一礼すると、隣で「くぅん?」と不思議そうに首を傾げているフェンの頭をぽんと撫でた。
「さあ、行こうかフェン! 今日は、ちょっと変わった冒険になりそうよ! 未来のマイホームのために、頑張りましょう!」
「わふん!」
何が何だか分かっていないだろうに、私の楽しげな声につられて、フェンも元気よく一声鳴いた。
こうして私たちは、誰もやりたがらない不人気ダンジョン、『湿地の迷宮』へと、意気揚々と挑むことになったのだった。
◇
『湿地の迷宮』は、受付嬢さんの話の通り、街の南に広がる広大な沼沢地の中心にあった。
ごぽり、ごぽり、と沼のあちこちから不気味な泡が立ち上り、鼻をつくのは、水が腐ったような、泥とカビがまじりあったような、なんとも言えない不快な匂い。空はどんよりと曇り、湿気をたっぷりと含んだ空気が、肌にまとわりつくように重い。
ダンジョンの入り口は、巨大な岩が折り重なるようにしてできた、自然の洞窟だった。その入り口は、まるで巨大なナマズが口を開けているかのようで、岩の表面は一面、ぬるりとした緑色の苔で覆われている。中からは、ひんやりとした生暖かい風が、よどんだ空気と共にごぼりと吐き出されていた。
「うわぁ……。これは、人気がないわけだわ」
さすがの私も、そのあまりの雰囲気の悪さには、少しだけ顔をしかめてしまう。前世でやったホラーゲームの、最初のステージを思い出すような光景だ。
「わふん……くんくん……」
私の隣で、フェンが不安そうに喉を鳴らし、しきりに鼻をひくつかせている。彼の自慢のもふもふの毛皮が、この湿気で少しだけしんなりしてしまっている。
「大丈夫だよ、フェン。まあ、ちょっとじめじめしてるけど、すぐに慣れるわ」
私がその背中を撫でてやると、フェンは「分かってるけどさあ」とでも言いたげに、私の顔をじっと見上げてきた。
「よし、じゃあ、行きますか! 未知のギミックと、まだ見ぬお宝が、私たちを待っているわ!」
「くぅん……」
私の過剰なまでのテンションに、フェンは少しだけ呆れたようなため息をついた。
ごめんごめん、でも、楽しみで仕方ないんだから、許してほしい。
私たちは、ぬかるんだ地面に足を取られないように注意しながら、薄暗い迷宮の中へと足を踏み入れた。
◇
洞窟の中は、外にも増して湿度が高かった。
壁からは絶えず水が滴り落ちていて、そのぽちゃん、ぽちゃん、という音が、洞窟全体に不気味に反響している。足元は泥でぬかるみ、一歩進むごとに、ぐちゅり、と嫌な音がした。
私はいつものように、指先に豆粒ほどの『灯り』を灯して、慎重に進んでいく。
そして、最初の広間に出たところで、私たちは早速、このダンジョンの洗礼を受けることになった。
「うわ……」
目の前に広がっていたのは、毒々しい紫色をした、広大な地底湖。いや、沼だ。
水面は油膜のようなもので覆われ、時折、ぼこん、と大きな気泡が弾けては、酸っぱいような、甘いような、何とも言い難い匂いをあたりにまき散らしている。どう見ても、触れたらただでは済まなさそうな液体だ。これが噂の毒沼に違いない。
広間には、この沼を迂回できるような道は見当たらない。向こう岸に続く通路へ行くには、どうにかしてこの沼を渡らなければならないようだった。
「わふっ! がるる……」
フェンが、沼を睨みつけながら低い唸り声を上げる。彼の優れた嗅覚が、あれは危険なものだと告げているのだろう。
(さて、どうしたものか。ゲームなら、ここに都合よく橋をかけるスイッチがあったり、隠し通路があったりするもんだけど……)
私はあたりを注意深く見回すが、それらしきものは見当たらない。
となると、自力で道を切り開くしかない。受付嬢さんが持たせてくれた解毒薬を飲む、という手もあるけれど、それは最後の手段だ。薬に頼っていては、ゲーマーの名が廃る。
(こういう時こそ、発想の転換よ)
私の頭の中に、前世の記憶が閃光のようにきらめいた。
ゲームで、状態異常『毒』を解除する魔法は、なんだった?
そう、『浄化』だ。
私はにやりと笑うと、毒沼に向かって、そっと右手をかざした。
(イメージは、汚れた水をろ過するフィルター。毒の成分だけを分解して、無害な水に変える感じ)
本来、『浄化』の魔法は、呪いを解いたり、アンデッドを光に還したりする神聖魔法の基礎だ。物質に直接作用させる、なんていうのは、この世界の魔法理論からすれば、おそらく常識外れもいいところだろう。
でも、私の知識が、それは可能だと告げている。
私が体の中の魔力を、清らかな光の奔流をイメージしながら右手に集中させていくと、手のひらから、ふわりと淡い光が放たれた。
その光が、目の前の毒沼の水面に触れた、その瞬間。
じゅわわわわ……っ!
まるで、熱した鉄板に水をかけた時のような音を立てて、私の足元から向こう岸まで、一直線に、沼の紫色がすうっと消えていく。そして、そこだけが、まるで澄んだ湧き水のように、きらきらと輝く透明な水に変わったのだ。
「おお……!」
幅は、大人一人がようやく歩けるくらい。
毒沼の真ん中に、一本の、透明な水の道が出来上がっていた。
「くぅん!?」
フェンが、信じられない、といった様子で、浄化された水面と私の顔を交互に見ている。
「ふふん、どうよフェン。これぞ、私流の攻略法よ。さあ、行こう。この上なら安全なはず」
私が先に一歩、その透明な道へと足を踏み入れる。ひんやりとした、ただの水の感触だ。
それを見て、フェンも安心したように、ぴょんと私の後に続いた。
私たちは、左右に広がる毒々しい沼を眺めながら、その真ん中にできた安全な道を、悠々と渡りきった。
「よし、第一関門、クリアね!」
向こう岸の通路にたどり着いた私は、満足げに頷いた。
幸先のいいスタートだ。この調子で、どんどん進んでいこう。
◇
最初のギミックを華麗に突破した私たちは、その後も順調に迷宮の奥へと進んでいった。
道中、何度か毒沼に行く手を阻まれたが、その度に私は浄化魔法で『安全な道』を作り出し、難なく渡りきった。
そして、次に私たちの前に現れたのは、このダンジョンのもう一つの名物だった。
「ぷるぷる……」
「ぷるん……」
少し開けた通路の先で、半透明の、青みがかったゼリーのような魔物が、十体ほど、道を塞ぐようにうごめいていた。
スライム。
ファンタジー世界ではおなじみの、最弱モンスターの一角。
けれど、ここのスライムは、少し様子が違うようだった。体が、そこらのスライムよりも一回り大きく、粘着性がひどく高そうだ。床には、彼らが這った後であろう、ぬるぬるとした粘液の跡が、べったりと残っている。
「あれが、噂の粘着質スライムね。確かに、剣で斬りつけたりしたら、べったりと張り付かれて面倒なことになりそう」
受付嬢さんが言っていた、Cランクパーティーの失敗談を思い出す。おそらく、彼らは真正面から武器で戦いを挑み、その粘着性の前に武器を奪われ、撤退を余儀なくされたのだろう。
「がるる……」
フェンが、スライムたちを前に、どう戦ったものか、と戸惑うように唸っている。彼の得意な素早い動きも、あの粘液に捕まってしまえば封じられてしまうかもしれない。
(さて、どうする? 火で燃やす? いや、この湿度じゃ、火魔法の効果も半減しそうだ。それに、変な匂いが発生するのも嫌だし……)
私は顎に手を当てて、ぷるぷると揺れるスライムたちを観察する。
攻撃してダメなら、どうするか。
答えは、単純だ。
攻撃しなければいい。いや、そもそも、彼らの存在そのものを、無力化してしまえばいいのだ。
(スライムの体の主成分は、水分。なら、その水分を奪ってしまえば……?)
私の脳裏に、またしても前世の知識が浮かび上がる。
梅雨の時期、部屋の湿気を取るために使っていた、あの家電製品。そう、除湿機だ。
あの原理を、魔法で再現できないだろうか。
私はそっと両手を前に突き出した。
イメージするのは、熱風じゃない。乾いた、カラカラの風。洗濯物をあっという間に乾かしてしまうような、水気を根こそぎ奪い去る、強力な乾燥した風の流れ。
これも、生活魔法である風魔法の応用だ。
『ドライ・ウィンド』
私が心の中でそう唱えると、両方の手のひらから、ごおおおっ、と目には見えない、しかし強力な風の塊が放たれた。
その乾いた風が、通路を塞いでいたスライムたちに直撃した、その時。
ぷる……きゅるるるる……!?
スライムたちが、苦しむような、困惑するような、声を上げた。
そして、みるみるうちに、その半透明だった体が、内側からしわしわに縮んでいく。まるで、瑞々しかった果物が、からからに干からびていくように。
ほんの数十秒後。
あれだけいたスライムたちは、その場にぱらぱらと、青みがかった、薄いフィルムのようなものになって散らばっていた。体積は、元の十分の一以下。水分を完全に失い、魔物としての機能を停止した、ただの抜け殻だ。
「……ふう。お掃除、完了っと」
私はぱん、と手を叩いた。
目の前には、安全になった通路が広がっている。
「わ、わふん……」
隣で、フェンがぽかんとした顔で、スライムだったものの残骸を見つめている。彼の戦闘本能が、「こんな倒し方、ありなのか……?」と、静かに訴えかけてくるようだった。
「ふふっ、これも立派な戦術よ、フェン。力だけが全てじゃない、ってこと。さあ、道ができたわ。先を急ぎましょう」
私はフェンの頭をくしゃくしゃと撫でると、スライムの抜け殻を踏まないように気をつけながら、通路の奥へと進んでいった。
毒沼は浄化で道を切り開き、スライムは乾燥で無力化する。
厄介だと言われていたこのダンジョンのギミックは、私の前では、まるで面白いパズルのように、一つ、また一つと解き明かされていく。
(ああ、なんて楽しいんだろう!)
薄暗くて、じめじめした、誰も来たがらないダンジョン。
でも、今の私にとっては、最高の遊び場であり、最高の宝探しの舞台だった。
この世界の誰も思いつかないような攻略法で、自分の力で道を切り開いていく、この達成感。
(この調子なら、本当にすごいお宝が見つかるかもしれない。待っててね、私とフェンのマイホーム!)
そう思うと、胸の高鳴りを抑えることができなかった。




