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第四十七話:真実の光

 広場を揺るがしていた熱気は、まるで一度沸騰したお湯がゆっくりと冷めていくように、次第に穏やかな喧騒へと姿を変えていた。

 つい先ほどまで、私の名前を絶叫のような声で叫んでいた人々は、今や興奮の余韻をその頬に浮かべながら、帰り始めている。その誰もが、今日という日が特別な一日であったことを物語るように、どこか浮き足立っていた。

 私の周りには、まだ何人かの人だかりが残っていた。その中心にいるのは、もちろん、つい先ほどまで呪いに苦しんでいた元兵士たちだ。


「アリア様!本当に、本当にありがとうございました!」

「このご恩は、一生忘れやせん!この腕がまた、自由に動くようになるなんて……!」

「俺、もう一度衛兵に復帰できるかもしれねえ……!」


 彼らは、代わる代わる私の手を取り、その瞳に涙を浮かべながら心からの感謝の言葉を口にした。その手は、長年の訓練で鍛え上げられた、ごつごつした武骨な手。けれど、その握手から伝わってくるのは、どこまでも温かくて純粋な喜びの感情だった。

 私は、そんな彼らの熱烈な感謝の言葉の一つ一つに、にこやかに、そして丁寧に応えていく。公爵令嬢時代に叩き込まれた、どんな相手にも好印象を与えるための処世術が、こんなところで役に立つなんて皮肉なものだ。


(……やれやれ。大げさなことになったものね)


 私は、内心で今日何度目かになる深いため息をついた。

 英雄、救世主、そして今度は聖女。私の肩書は、本人の全く意図しないところで、どんどん大げさで気恥ずかしいものになっていく。私はただ、自分の平穏な日常を脅かす面倒な火の粉を払っただけだというのに。


 私の視線の先。


 壇上の隅で、ぽつんと一人立ち尽くしている少女の姿があった。

 桜色の髪、純白のドレス。今日のもう一人の主役であったはずの、私の腹違いの妹、リアナ。

 彼女は、もはや聖女の微笑みを浮かべてはいなかった。その顔から全ての表情が抜け落ち、まるで精巧に作られたからくり仕掛けのように、ただ呆然と、この熱狂の中心にいる私を見つめている。その大きな瞳には、何の光も映っていない。

 彼女のプライドも、自信も、そして聖女としての体面も。その全てが、今この瞬間、音を立てて粉々に砕け散ったのだろう。

 その様は、まさしく絶望という言葉がふさわしかった。

 ざまあみろ、という気持ちよりも、ただ純粋に。


(……ああ、本当に面倒くさい)


 そんな、うんざりとした感情だけがインクの染みのように心に広がっていく。

 この茶番が、ようやく終わった。

 ただ、それだけだった。



 その日の夕暮れ時。

 私は、フェンを連れて少しだけ遠回りをして、我が家への帰路についていた。市場で買った骨付き肉の入った袋が、腕にずしりと心地よい重さを伝えてくる。

 街の西門の近くを通りかかった、その時だった。

 一台の、豪華な馬車がまるで夜逃げのように、ひっそりと、しかし慌ただしく街を出ていこうとしているのが見えた。

 磨き上げられた純白の車体。金色の過剰な装飾。

 見間違えるはずもない。

 リアナの馬車だった。


「わふん……」


 私の足元で、フェンがくんくんと鼻を鳴らした。彼の優れた嗅覚が、あの馬車から漂ってくる敗北と屈辱の気配をはっきりと嗅ぎ取っているのだ。

 馬車の周囲を固める近衛騎士たちの顔には、この街に来た時のような尊大な様子はもはやどこにもない。誰もが、気まずそうに顔を伏せ、一刻も早くこの街から立ち去りたい、とでも言うように足早に馬を進めている。

 その、あまりにも対照的な姿に、私は思わずくすりと笑ってしまった。

 私が、道の脇に寄りその行列が通り過ぎるのを腕を組んで眺めていると、ふと。


 馬車の小さな窓のカーテンが、ほんの少しだけめくり上げられた。

 そして、その隙間から二つの鋭い光が、まっすぐに私を見据えた。


 リアナの瞳だった。


 その瞳には、もはや呆然とした色はない。

 そこにあったのは、底なしの沼のような深く粘着質な憎悪。

 その視線は、まるで声なき絶叫のごとく、私に何かを訴えかけているようだった。


『……お姉様。わたくしは、決してあなたを許さない』


 そんな、呪いのような言葉が聞こえた気がした。

 けれど、私はそんな彼女の最後の抵抗を意に介さず受け流す。

 私は、彼女に向かってにっこりと。

 公爵令嬢時代に来る日も来る日も練習させられた、非の打ち所のない淑女の微笑みをもう一度見せてあげた。


 それが決定打となったようだ。

 カーテンが、まるでひったくるように乱暴に閉められた。

 そして、馬車はまるで何かに追われるかのように速度を上げ、夕暮れの街道の向こうへとその姿を消していった。

 後に残されたのは、乾いた土埃と、ほんの少しだけ後味の悪い静けさだけ。


(……ふう。これで、ようやく静かになるかしらね)


 私は、誰に言うでもなくそっと呟いた。

 面倒な嵐は、ようやく過ぎ去ったのだ。

 私の、平穏な冒険者ライフがようやく本当の意味で戻ってきた。



 翌日の午後。

 私は、久しぶりに冒険者ギルドの扉をくぐった。

 ギルドの中は、昨日までのあの熱気が嘘のように、いつもの穏やかな日常を取り戻していた。酒場のテーブルでは、屈強な冒険者たちがエールを片手に次の冒険の計画を練っている。壁の依頼書の前では、若い冒険者たちが真剣な顔つきで自分たちの実力に見合った依頼を探していた。

 その、どこにでもある、けれど私にとってはひどく心地よい光景。


「あら、アリアさん!いらっしゃい!」


 カウンターの向こうから、いつもの快活な声が飛んできた。受付嬢さんが、満面の笑みでぱたぱたとこちらに手を振っている。その顔には、もう何の憂いも見られない。


「こんにちは。昨日は、大変でしたね」

「ええ、本当に!でも、アリアさんのおかげで街の空気もすっかり元通りになりました!いえ、以前よりもずっと良くなったくらいです!」


 彼女が、心からの笑顔でそう言うと、周りで聞いていた冒険者たちからも同意の声が上がった。


「おう、アリア姐さん!昨日は、見事だったぜ!」

「あんたのおかげで、助かった仲間がたくさんいる!今度、一杯おごらせてくれよな!」

「聖女様だと?冗談じゃない!俺たちの街には、アリア様っていう本物の聖女様がいるんだ!」


 そんな、気安く温かい声の一つ一つに、私は少しだけ照れくさいような、誇らしいような、そんな不思議な気持ちになった。

 その時、ギルドの奥の執務室から、ギルドマスターがその巨体を現した。


「おお、アリア殿!来てくれたか!」


 彼は、私の姿を見つけるとその大きな顔をくしゃりとさせて、にかりと笑った。


「昨日は、本当にご苦労じゃった。君のおかげで、この街に本当の平穏が戻ってきた。この礼は、いずれ必ずさせてもらうぞ」

「礼には及びませんわ、マスター。私も、私の愛する家とこの街の穏やかな日常を守りたかった。ただ、それだけです」


 私は、いつものように優雅に微笑んでみせた。

 私のその言葉に、ギルドマスターは満足げに大きく頷いた。


「それにしても……。リアナ聖女様は、昨日の今日で早々にお帰りになられたとか。一体、何があったんじゃろうなあ」


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