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第四十四話:聖女の挑戦状


 あれから数日が過ぎた。

 私の規格外な冒険譚の連続に、ギルドマスターが盛大に気絶したあの日から、フロンティアの街は不思議なまでに平穏だった。いや、平穏というよりは、嵐の前の静けさとでも言うべきか。街の空気には、以前とは明らかに質の異なる、じっとりとした湿気がまとわりつくようだ。まるで、梅雨時の満員電車の中のように不快で息苦しい。


 その原因が誰であるかなんて、考えるまでもない。


「ごきげんよう、お姉様。また冒険ですの?本当に、お忙しい方ですこと」


(ほら、来た。)


 市場の喧騒の中、私の背中に投げかけられたのは、砂糖菓子のように甘く、しかしねっとりとした声。振り返るまでもなく、その声の主が誰なのかは分かっていた。

 純白のドレスをふわりと揺らし、その桜色の髪には今日もこれみよがしに高価な宝石が飾られている。大きな瞳に慈愛に満ちた聖女の微笑みを浮かべて。だが、その瞳の奥を覗けば、私にだけは分かる鋭く冷たい光があった。

 嫉妬と敵意。粘りつくような感情。

 私の腹違いの妹、リアナ。彼女らしい感情だ。


「ええ、おはよう、リアナ」


 私は内心のうんざり感を完全に押し殺して、あいさつを返した。


 このフロンティアの街に王都の聖女として華々しく乗り込んできた彼女。だが、思い描いていたであろう状況はここにはどこにも存在しなかった。それどころか、追放したはずの姉がこの街の英雄としてもてはやされている。そのあまりにも想定外の現実に、彼女のプライドはひどく傷つけられたのだろう。

 完膚なきまでに敗北した彼女は、普通なら泣きながら王都へと逃げ帰るはずだった。だが、彼女はそうしなかった。それどころか、この街に滞在し続け、王都から取り寄せた潤沢な資金を元手に、炊き出しや孤児院への寄付といったあからさまな慈善活動を始めたのだ。


「わたくしは、聖女として当然のことをしているまでですわ。この街には、まだ癒えぬ傷を抱え、苦しんでいらっしゃる方々がたくさんおりますもの。……どこかの自称英雄様のように、ご自分の興味のままに危険な場所へ出かけていく方には、分からないかもしれませんけれど」


 ちくり、と彼女の言葉には蜂蜜の中に隠された小さな棘がある。周囲にいる街の人々にも聞こえるように、わざとらしく、そして的確に私の評判を貶めようとする、実に彼女らしいやり方だ。


「そうですか。では、私も忙しいのでこれで……」


 私はそんな彼女の挑発を意に介さない。ここで彼女の土俵に乗って言い争うなど愚の骨頂だ。

 私が用事があるからと適当な理由をつけてその場を早々に立ち去ろうとした、その時だった。


「お待ちになって、お姉様」


 リアナが、私の行く手を遮るように一歩前に出た。その動きに合わせて、彼女の背後に控えていた王都の近衛騎士たちが、さりげなく、しかし確実に私を取り囲むような陣形を取る。

 市場にいた人々が、何事かと私たちの周りに遠巻きに集まり始めた。


(……面倒なことになりそうね)


 私の予感は、残念ながら的中することになる。



「お姉様、あなたにお聞きしたいことがございますの」


 リアナの声のトーンが、わずかに変わった。

 先ほどまでの、ねっとりとした甘さを含んだ声ではない。もっと硬く、そしてどこかヒステリックな声だ。

 彼女は、集まった人々の注目を一身に受けていることを確認すると、まるで女優のように悲劇のヒロインを演じ始めた。


「この街に来て、わたくしは知りました。先日、このフロンティアを襲ってきたスタンピードの戦いで、魔物の呪いを受け、今なおその後遺症に苦しんでいらっしゃる方々がいることを」


 彼女の言葉に、人だかりの中から何人かの男たちが気まずそうに顔を伏せるのが見えた。

 彼らは、あの防衛戦でオークが持っていた武器、その特殊な呪いが込められた武器によって傷を負った元兵士たちだった。命に別状はなかったものの、その呪いは根深く、今も時折、体に痺れや痛みが走るのだという。


「わたくしは、聖女としてその方々をお救いしたいと心から願っております。わたくしのこの、神より授かりし治癒の力で、一人でも多くの方を苦しみから解放してさしあげたいのです」


 彼女がそう言って、自分の胸の前で祈るように手を組むと、その指先から淡く、しかし神々しい光がふわりとあふれ出した。

 集まった人々から「おお……」という感嘆の声が漏れる。

 見事な演出だった。

 

「……ですけれど、お姉様」


 リアナの、慈愛に満ちた瞳がまっすぐに私を見据えた。


「噂では、お姉様もその方々の治療にあたっているとか。……得体の知れない、ご自分で調合されたというお薬で」


 その言葉に、広場の空気がぴんと張り詰めた。

 彼女の言いたいことは明らかだった。


「もちろん、お姉様が善意でなさっていることだとは分かっておりますわ。ですけれど、そのお薬、本当に安全なものなのですか?どこの誰が作ったかも分からないような正体不明の液体を、苦しんでいる方々の口に入れるなど……。わたくしには、あまりにも危険な行為に思えてなりません」


 暗に、ではない。

 もはや直球だ。

 私の作る薬は危険でいかがわしいもの。

 そのように、彼女は大衆の面前で断言したのだ。

 人々の間に動揺が広がる。


「おいおい、本当かよ……」

「確かに、アリア様の薬は効果がすごいって聞くけど、何からできてるか分からねえもんな……」

「それに比べて、聖女様の光はいかにも神聖な感じがするしなあ……」


(……なるほどね。そういう手で来たわけか)


 私は、内心で感心さえしていた。

 実に狡猾で、そして効果的なやり方だ。

 目に見えない『薬』というものへの人々の漠然とした不安を煽り、それと対比させるように、目に見える『光』という分かりやすい奇跡を示す。

 私の評判を地に落とし、同時に自分の神聖さをこれでもかと見せつける。


 一石二鳥の見事な作戦。


「……それで、あなたは何が言いたいのかしら?」


 私は、あくまで冷静に彼女に問い返した。

 私のあまりにも落ち着き払った態度が、逆に彼女の気に障ったらしい。

 リアナの、聖女の仮面の下から一瞬だけ苛立ちがのぞいた。


「決まっておりますわ!」


 彼女は、声を一段と張り上げた。


「どちらの奇跡が本物か。この街の人々の前で、はっきりと証明すべきだということです!」


 挑戦状。

 彼女は、私に真っ向からそれを叩きつけてきたのだ。


「苦しんでいる兵士の方々を、どちらがより完全に、そしてより安全に癒すことができるか。……わたくしの、神に祝福されしこの聖なる治癒魔法と。お姉様の得体の知れない、その怪しげな薬と。どちらが、この街の人々を救うにふさわしい真実の力なのか!」


 彼女は、そこまで一気に言い切ると、ぜえ、と少しだけ肩で息をした。

 その瞳は、もはや嫉妬と憎悪の炎で赤黒く燃え上がっている。

 広場は、水を打ったように静まり返っていた。

 誰もが、固唾を飲んで私の返答を待っている。


(……ああ、本当に面倒くさい)


 私の頭の中を占めていたのは、ただその一言だけだった。

 こんな、くだらない茶番。

 こんな子供じみた、プライドの張り合い。


 付き合うだけ時間の無駄だ。

 さっさと家に帰って、フェンと買ってきたばかりの骨付き肉でステーキでも焼いていた方が、よっぽど有意義だ。


 そう思った。

 だが。


「……お願いします、アリア様」


 ぽつり、と。

 人だかりの中から、そんなか細い声が聞こえた。

 声の主は、あのスタンピードの戦いで呪いを受けた元兵士の一人だった。まだ若い、二十代そこそこの青年。その顔は、後遺症のせいで青白く生気がない。


「俺たちを助けてください……。この、呪いの苦しみから解放してください……!」


 彼の切実な声。


 それは、私の面倒だという気持ちをいとも簡単に打ち破った。


 そうだ。


 これは、私とリアナのくだらない姉妹喧嘩なんかじゃない。

 この街のために命懸けで戦った、名もなき兵士たちの未来がかかっている。

 彼らをこのまま見過ごすことなんてできるはずがなかった。

 そして、何より。

 この面倒で、鬱陶しくて、そしてどこまでも粘着質なこの状況。

 これを、一気に、そして完全に終わらせるには。

 この馬鹿げた挑戦を受けて立つしかない。


「……分かりました」


 私は、ふう、と一つ深いため息をついた。

 そして、顔を上げる。

 私の瞳には、もう迷いはなかった。


「その挑戦、この私が謹んでお受けいたします」


 私の静かな、しかし絶対的な自信に満ちた声。

 それが、この『聖女対決』の始まりの合図となった。

 私の返答を聞き、リアナの口元が勝利を確信したように緩んだ。

 彼女は、私がこの挑戦を断れないことを最初から分かっていたのだ。


(いいでしょう、リアナ。あなたの自信。私の科学と魔法の力で、木っ端微塵に粉砕してあげる)


 私の心の中で、青い炎が静かに、そしてどこまでも冷たく燃え上がっていた。

 広場は、これから始まる前代未聞の対決への期待と興奮で、割れんばかりの歓声が上がっていた。

 その喧騒の中心で、私とリアナはただ黙って互いを睨み合っていた。

 火花が散るのが見えた気がした。


「対決は三日後。この広場でよろしいですわね?」

「ええ、分かりました。それまでに最高の薬を用意しておきます」


 私の言葉に、リアナはふんと鼻で笑った。

 その顔にはもはや聖女の慈愛などどこにもない。

 ただ、醜い優越感だけがべったりと張り付いているように見えた。


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