第四十一話:治水ならぬ治溶岩
「さて、と。まずは現状把握からね」
私とフェンは、古龍が示した最初の『溶岩ゲート』の前に立っていた。
そこは、この巨大なドームの壁際にぽっかりと口を開けた、人工的なトンネルの入り口だった。壁も床も、私たちが先ほどまでいたエリアと同じように、黒曜石で滑らかに舗装されている。
けれど、問題はその先だった。
トンネルの奥、本来であれば制御された溶岩が流れているはずの場所。
そこは、どろりとした赤黒い塊で、完全に塞がってしまっていた。
「……うわあ。これはひどいわね。完全に詰まっちゃってるじゃない」
冷えて固まった溶岩。それがまるで、血管に詰まった血栓のように、ゲートの流れを完全に堰き止めてしまっているのだ。
そのせいで、本来このゲートを通るはずだった溶岩は行き場を失い、ドーム内の溶岩の海へと逆流して、全体の水位を危険なレベルにまで押し上げている。
これが、この火山の暴走の直接的な原因の一つなのだろう。
「がるる……」
私の隣で、フェンが低い唸り声を上げる。
あの固まった溶岩の塊からは、いまだに凄まじい熱気が放射されており、普通の生き物なら近づくことさえままならないだろう。
私たちの体を覆う『エアロ・サーマルシールド』が、術式を最大出力で稼働させ、ひんやりとした冷気の外套でその熱を完全に中和してくれている。これがなければ、今頃私たちは丸焼きになっていたかもしれない。
「よし、決めたわ。まずは、この詰まりをどうにかしましょう」
私は腕を組んで、目の前の巨大な障害物をじっと観察した。
力任せに破壊する?
いや、それは悪手だ。下手に衝撃を与えれば、このトンネル自体が崩落してしまう危険性がある。
もっと、スマートに、そして効率的に。
(こういう時こそ、発想の転換よ)
私の頭の中に、前世の記憶が閃いた。
確か、何かを精密に破壊するための技術があったはずだ。
工事現場で、古いビルを解体する時に使われていた、あの方法。
そう、『発破』だ。
(爆薬で、衝撃波を一点に集中させて、内部から構造を破壊する。それなら、周囲への被害を最小限に抑えられるはずだわ!)
私の脳裏に、フロンティアの街を救った、あの黒い粉の記憶が鮮やかに蘇る。
けれど、あの時のような大規模な爆発は必要ない。
もっと、針の先で風船を突くような、繊細で精密な爆破。
「……ふふっ。面白くなってきたじゃない。私の新しいスキルを試す、絶好の機会だわ」
私は、にやりと笑うと、黒檀の杖を静かに構えた。
まずは、爆薬を仕掛けるための、小さな穴を掘る必要がある。
私は、固まった溶岩の塊、そのちょうど中心部分に、杖の先端をそっと触れさせた。
「見てなさい、フェン。私流、精密削岩術の始まりよ」
「くぅん?」
私は、風魔法を発動させる。
イメージするのは、ドリルの刃。
風の魔力を、極限まで圧縮し、目には見えない、超高速で回転する円錐状の刃へと変えるのだ。
『エアロ・ドリル』
私が心の中でそう唱えると、杖の先端から、きぃぃぃぃぃぃぃん、と金属を削るような、甲高い、しかし微かな音が聞こえ始めた。
黒く固まった溶岩の表面が、まるでバターのように、何の抵抗もなく削られていく。
きらきらと光る黒い粉塵が、ぱらぱらと舞い落ちていく。
それは、気の遠くなるような、繊細な作業だった。
少しでも魔力のコントロールを誤れば、刃が逸れて、トンネルの壁を傷つけてしまうかもしれない。
私の額に、じわりと汗が滲む。
けれど、不思議と、苦ではなかった。
むしろ、楽しい。
自分のイメージした通りに、物事が進んでいく。
この、万能感にも似た感覚が、たまらない。
やがて、固まった溶岩の塊の、ちょうど中心部分。
そこに、深さ一メートルほどの、綺麗な円形の穴が、ぽっかりと口を開けた。
「よし、第一段階完了ね。次は、特製の爆薬作りよ」
私は、冒険用の革袋から、いくつかの材料を取り出した。
硝石、硫黄、そして炭。フロンティアの街で余った分を、少しだけ拝借してきていたのだ。
私は、それらを、いつもの黄金比率で丁寧に混ぜ合わせ、真っ黒な粉末を作り上げる。
けれど、今回は、これだけでは終わらない。
「ここからが、私流のアレンジよ」
私は、その黒い粉末に、水魔法で生成した、ごくごく微量の、しかし、極限まで冷却された氷の粒子を、慎重に混ぜ合わせていく。
火薬に、氷?
一見すれば、矛盾した、愚かな行為。
けれど、これこそが、私の狙いだった。
(爆発のエネルギーを一方向に、そして瞬間的に集中させるには、爆薬そのものの反応速度を、極限まで高める必要がある。そして、そのためには、超低温で分子の運動を抑制した状態から、一気に起爆させるのが、一番効率的なはずだわ!)
前世の、どこかで聞きかじった、実にうろ覚えで、そして、いかがわしい科学の知識。
でも、私には、それを可能にする魔法がある。
私は、氷の粒子を混ぜ込んだ黒色火薬を、土魔法で生成した粘土で、団子のように丸め、先ほど掘った穴の奥深くに、そっと押し込んだ。
そして、その穴の入り口を、これまた魔法で生成した、頑丈な岩の蓋で、ぴたりと塞ぐ。
「よし、と。準備完了ね」
私は、満足げに一つ頷くと、フェンを連れて、その場から十分に距離を取った。
「フェン、少しだけ、大きな音がするわよ。耳を塞いでなさい」
「わん……!」
フェンは、心得たとばかりに、自分の前足で、器用に耳を覆った。
私は、そんな彼の健気な姿に、くすりと笑うと、黒檀の杖の先端を、岩の蓋へと、ぴしりと向けた。
最後の仕上げは、もちろん、これ。
生活魔法、『発火』。
ただし、今回は、ただの火種ではない。
氷の粒子を混ぜ込んだ、特殊な爆薬を起爆させるため、魔力を極限まで圧縮した、レーザー光線のような、一筋の光。
『イグニッション・レイ』
私が、またしても即席で考えた、実にそれっぽい名前の魔法を高らかに唱えた、その時だった。
杖の先端から、一瞬だけ、眩いほどの赤い閃光が放たれた。
その光が、岩の蓋を貫通し、内部の爆薬に触れた、次の瞬間。
―――ドンッ!
これまでのどの爆発とも、明らかに質の違う音がした。
空気を殴りつけるような轟音ではない。
もっと、硬質で、そして、内側へと向かうような、凝縮された音。
それと同時に、固まっていた溶岩の塊全体が、びきり、と一度だけ、大きく震えた。
「…………」
見た目には、大きな変化はない。
失敗したのか?
いや、違う。
びき、びきびきびきびきびきびきびきびきびきびきびきっ!
固まっていた溶岩の塊の表面に、まるで、蜘蛛の巣のように、無数の細かい亀裂が、放射状に走り始めたのだ。
そして。
―――がらがらがっしゃーーーーーーーーんっ!
まるで、精巧に作られた砂の城が、内側からの衝撃で、一気に崩れ落ちるように。
あれだけ頑丈に見えた溶岩の塊が、何の音もなく、さらさらとした、細かい砂利の山へと、その姿を変えたのだ。
後に残されたのは、ぽっかりと口を開けた、トンネルの入り口と、そこに積まれた、小さな黒い砂利の山だけ。
トンネルの壁には、傷一つついていない。
完璧な、精密爆破解体だった。
◇
「……ふう。少し、派手にやりすぎたかしら」
私は、ぱんと杖についた見えない埃でも払うかのように、軽く手を叩いた。
「わ、わふん……」
私の隣で、フェンが、ぽかんとした顔で、すっかり綺麗になったトンネルの入り口を見つめている。
彼の常識が、また一つ、私の手によって、音を立てて破壊された瞬間だった。
障害物が取り除かれたことで、ゲートの奥から、どろりとした、新しい溶岩が、ゆっくりと、しかし確実に、流れ始めたのが見えた。
「よし、これで一つ目、クリアね!」
私たちは、意気揚々と、次の『溶岩ゲート』へと向かった。
二つ目のゲートは、最初のものとは、また違った問題を抱えていた。
ここでは、溶岩の流れそのものは、詰まってはいない。
けれど、その流れを制御するための、巨大な水門のようなものが、半分だけ開いた状態で、錆びついて、固まってしまっているのだ。
そのせいで、溶岩は、本来の流れとは違う、脇道へと、だらだらと漏れ出してしまっている。
「うわあ……。今度は、機械の修理ですか」
私は、空気が張り詰めるのを感じた。
あの巨大な水門。
力任せに動かそうにも、あれだけの大きさのものを、私一人でどうこうできるはずもなかった。
土魔法で解決しようかと、私が、うーんと頭を悩ませていると、ふと、先ほどのことを思い出した。氷の粒子を混ぜ込んだ黒色火薬。先ほどは氷の粒子を火薬の中に混ぜたけれど、もし、この灼熱の溶岩の中に、大量の水を一気に投入したら……?
(……そうだわ!水蒸気爆発よ!)
その衝撃を利用すれば、この錆びついた水門を、強引に動かせるかもしれない。あまりにも、大胆で、そして、危険な発想。けれど、それ以外に、この状況を打開する方法は、思いつかない。
「……よし。やってみる価値はありそうね」
私は、にやりと笑うと、黒檀の杖を、静かに構えた。
「さっきの精密爆破で使った氷の粒子の応用よ。今度は、もっとずっと大きくね」
「くぅん?」
私は、水門の真上の空間に、杖の先端をそっと向けた。まずは、この灼熱の空気の中に含まれる、わずかな水分を、私の魔力で一点に集める。水魔法の応用だ。
私の杖先に、空気中の水分がみるみるうちに集まり、やがてバスケットボールほどの大きさの、透明な水の塊となって、ぷかぷかと宙に浮かんだ。
「そして、ここからが本番よ」
私は、鎧に組み込んだ『エアロ・サーマルシールド』の術式を逆回転させた。普段は私の体を守るために排出している冷気を、今度は杖の先端の一点に、極限まで集中させるのだ。
『アブソリュート・ゼロ』
私が心の中でそう唱えると、杖の先端から、絶対零度に近い、目には見えない冷気の奔流が放たれた。その冷気が、宙に浮かぶ水の塊に触れた、次の瞬間。
―――ばきばきばきばきっ!
と、硬質な音を立てて、水の塊が、内側から急速に凍りついていく。ほんの数秒で、それは白く濁った、巨大な氷の塊へと姿を変えた。
「いっけええええっ!」
私が杖を振り下ろすと同時に、氷の塊は重力に従って、真下の溶岩の川へと、まっすぐに落下していく。
氷が、灼熱の溶岩に触れた、その瞬間。
―――じゅわあああああああああああっ!
熱した鉄板に、大量の水をぶちまけた時のような、凄まじい音がした。
そして、次の瞬間。
どっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっ
水蒸気爆発。
その、圧倒的な衝撃波が、錆びついていた水門を、内側から、ぐぐぐぐぐ、と力任せに押し上げたのだ。
ごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごご
長い間、沈黙を守っていた巨大な水門が、悲鳴のような軋み音を立てながら、ゆっくりと、完全に開かれた。
漏れ出していた溶岩の流れが、ぴたりと止まり、全ての溶岩が、本来あるべき、正規のルートへと、再び流れ始めた。
◇
最後のゲートは、これまでの二つとは、また全く違う、知恵を試される試練だった。
そこは、巨大な円形の広間。その床には、いくつかの魔法陣が、複雑な幾何学模様を描いている。
そして、広間の壁には、いくつかのレバーが、意味ありげに設置されていた。
「……今度は、パズルですか」
これはいわゆる、『魔法陣起動』ギミック。
正しい順番で、正しいレバーを操作しない限り、この先への溶岩道は開かれない、という、実に面倒くさい感じだ。
私は、腕を組んで、壁に描かれたヒントを、じっと観察した。
「……なるほどね。炎と、水と、風。三つの属性のバランスを、このレバーで調整しろってことね」
謎は解けた。
けれど、問題が一つ。
このパズルは、三つのレバーを、同時に、正しい組み合わせで操作しなければならないように設計されている。
私とフェンだけでは、どうにもならない。
私が、うーんと頭を悩ませていると、ふと、あることに気がついた。
広間の隅に、三体、動かなくなった、古いゴーレムの残骸が、打ち捨てられているのだ。
(……あれは、ただの残骸じゃない。この場所がまだ正常に機能していた遠い昔、この三体のゴーレムが、それぞれ三つのレバーを操作するために作られた、専用のオートマタ……機械人形なのかもしれないわ)
私のゲーマー脳が、状況から、ここの本来の姿を推測する。きっと、この危険な溶岩ゲートの制御はこの子たちが行っていた。しかし、長い年月の間に魔力の供給が途絶え、その役目を終えて、ここで静かに眠りについているのだ。
古龍ですら手出しができなかったのは、このゴーレムたちの仕組みを理解していないからかもしれない。
(……そうだわ!あの子たちを、再起動させて、手伝ってもらえばいいのよ!)
私は、にやりと笑うと、そのゴーレムの残骸へと、駆け寄った。
そして、三体の胸部にある、それぞれの魔力の制御核に、黒檀の杖を、そっと触れさせる。
イメージするのは、生命の息吹。
私の魔力を、まるで神経網のように、三体の古い機械人形へと同時に、そして均等に流し込む。
『リバイブ・マキナ』
私が、またしても即席で考えた、実にそれっぽい名前の魔法を高らかに唱えた、その時だった。
ぎ、ぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎ
長い間、沈黙を守っていた三体のゴーレムの、眼窩の奥で、ぼう、と。
青白い光が、再び、灯ったのだ。
◇
「……やったわね、フェン!」
私が三体のゴーレムを魔法で操り、フェンが的確なタイミングで合図を送る。その即席の指揮者と操り人形たちの見事な連携プレイの前に、このギミックは、いとも簡単に突破された。
私たちが、顔を見合わせて、一緒に笑った、その時だった。
ごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごご
ダンジョン全体が、地響きのような音を立てて、大きく揺れた。
いや、揺れたという生易しいものではない。
私たちが一番最初にいた、あの中央のドーム。
三つの『溶岩ゲート』が、連動して、完全にその機能を取り戻した。暴走していた溶岩の流れが、一つに、集約されていく。
そして、定められた正規のルートを通って、あの巨大な『鎮火の炉』へと、確実に吸い込まれていく。
ドーム内を支配していた、あの息苦しいほどの灼熱の空気が、すうっと、まるで嘘のように穏やかなものへと変わっていく。
灼熱の試練は達成されたのだ。