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第四十話:灼熱の試練


 私たちが巨大な黒い扉の向こう側へと足を踏み入れた、その瞬間。

 それまでとは比べ物にならないほどの圧倒的な熱波が、まるで巨大な獣の咆哮のように、私たちめがけて真正面から吹き付けてきた。びゅう、と音を立てる熱風が私の頬を叩き、一瞬だけ呼吸が止まる。

 私の体を覆う『エアロ・サーマルシールド』が、術式をフル稼働させているのが分かった。鎧の内側でひんやりとした冷気が、普段の倍以上の勢いで循環を始めている。そのおかげで火傷こそしないものの、まるで巨大なドライヤーの前に立たされているかのような強烈な圧迫感があった。


「わふぅ……!」


 私の足元でフェンが苦しそうな声を上げた。彼の体を覆う銀色の毛皮が熱風に煽られて、まるで波のように逆立っている。彼もまた私と同じ特製の耐火服を着ていなければ、この一瞬でもふもふの毛皮が丸焦げになっていたかもしれない。


「……すごい。これこそが、最深部ってわけね」


 私はごくりと唾を飲み込みながら、目の前に広がる光景に完全に言葉を失っていた。

 そこはもはや、ダンジョンの一区画などという生易しいものではなかった。

 火山の心臓部そのもの。


 巨大な、巨大な、ドーム状の空洞。

 その広さはフロンティアの街が丸ごと一つ、すっぽりと収まってしまいそうなほど。天井は遥か高く、どこにあるのかさえはっきりとしない。

 そして、その空間のほとんどは見渡す限りの灼熱の海で満たされていた。


 溶岩。


 どろりとした真っ赤な液体が、巨大な鍋の中で煮え立つスープのように、ぐつぐつと不気味な音を立てて対流している。時折、水面ならぬ溶岩面がぼこんと大きく盛り上がり、中から溜まっていたガスがごぼりと吐き出されていた。その度に火の粉が、まるで赤い蝶のようにひらひらと宙を舞う。

 壁も天井も、全てがその溶岩の光を反射して、洞窟全体がまるで夕焼け空の中にでもいるかのように、燃えるようなオレンジ色に染め上げられていた。


「……まるで、地獄ね」


 ぽつりと、そんな月並みな感想が私の口から漏れた。

 けれど、その地獄の光景のちょうど真ん中。

 溶岩の海にぽっかりと、一つの巨大な島が浮かんでいた。

 それは黒曜石でできた、漆黒の壇上。

 そして、その壇の上に。


 『それ』は静かに、しかし圧倒的な存在感を放って鎮座していた。



「…………でっか」


 またしても私の口から、間の抜けた感想がこぼれ落ちた。

 そこにいたのは紛れもなく、この『灼熱の火山』の主だった。

 それは龍だった。

 いや、龍と呼ぶにはその姿はあまりにも荘厳で、そして神々しすぎた。


 体長は王城の本丸が小さく見えるほど。

 その巨体はまるで溶岩そのものが意思を持って形を成したかのように、赤くそして熱く輝いている。一枚一枚の鱗が磨き上げられたルビーのように、洞窟内の光を反射してきらきらと輝いていた。

 しなやかに伸びた首、大地を掴む力強い四肢、そして天を突くようにそびえ立つ巨大な翼。そのどれもが見事なまでの造形美を誇っている。

 そして何よりも目を引いたのは、その瞳だった。

 溶かした黄金をそのまま流し込んだかのような、二つの巨大な瞳。その奥には世界の始まりからその終わりまで全てを見てきたかのような、深くそしてどこまでも穏やかな知恵の光が揺らめいていた。


 エンシェント・フレア・ドラゴン。


 古龍。


 伝説の中にしか存在しないはずの、神にもっとも近い生き物。

 あれがこの火山の守護者。


「ぐるるるるるるるるるる……!」


 私の隣でフェンが全身の毛をハリネズミのように逆立て、戦闘態勢に入っている。無理もない。あれだけの巨体と圧倒的な存在感を前にすれば、どんな生き物だって本能的な警戒心を抱くだろう。

 古龍は私たちの登場に気づいているようだった。

 その巨大な黄金の瞳が、ゆっくりとこちらを向く。

 けれど。


(…………ん?)


 私はまたしても、その視線にある種の違和感を覚えた。

 これまでのダンジョンで出会った主たちと同じ。

 その視線には威圧感こそあるものの、敵意や殺意といった攻撃的な感情が全く感じられないのだ。

 どちらかというと、その瞳はただ静かに私たちを観察している。

 まるで自分の庭に迷い込んできた小さな珍しい生き物を、穏やかな気持ちで眺めているかのような、そんな空気。


「フェン、待って。まだ動かないで」


 私は興奮で前に出ようとするフェンの体を、片手でそっと制しながら古龍から視線を外さない。

 他の冒険者なら問答無用で剣を抜き、魔法を放つ場面だろう。

 でも私のゲーマーとしての勘が、けたたましく警鐘を鳴らしていた。


(こいつも戦うタイプのボスじゃない……!間違いなく重要イベントのフラグだわ!)


 ゲームには色々なタイプのボスキャラクターが存在する。そしてその中には特定の条件を満たすことで戦闘を回避できる特殊なボスがいる。

 目の前のこの古龍は間違いなく、そのタイプだ。

 物語の根幹に関わる重要な情報を私たちに与えてくれる、そういう役割の。


(よし、ここも平和的交渉といきましょうか)


 私がどうやって話しかけようかと思案していた、その時だった。


『……小さき者たちよ』


 声は聞こえなかった。

 けれどその言葉は私の頭の中に直接、まるで古い羊皮紙に染み込むインクのように深くそして重々しく流れ込んできた。

 テレパシー。

 その声は男でも女でもない。老いても若くもない。ただどこまでも威厳に満ちていた。


『ようこそ我が住処へ。この灼熱の迷宮を抜け我が前にたどり着いたこと、まずは称賛しよう』


 古龍はゆっくりと、その巨大な頭をわずかに下げた。それは私たちに対する敬意の表れのように見えた。



「あなたが、この火山の主なのですか?」


 私が問いかけると、古龍の黄金の瞳が穏やかに細められた。


『いかにも。我はエンシェント・フレア・ドラゴン。この火山がまだ若き山であった頃より、その炎と共に生きてきた者』


 古龍の言葉と共に私の頭の中に、奔流のような映像と感情がなだれ込んできた。

 それはこの火山の気の遠くなるような、長い、長い記憶。

 かつては安定した魔力の流れを保ち、大地に恵みをもたらしていた聖なる山としての姿。

 けれど近年この大地を襲ったいくつかの大きな地殻変動。それによって火山の地下を流れる溶岩と魔力のバランスが、少しずつ少しずつ崩れ始めていた。


『……見ての通り、この山の心臓は今、病に冒されておる』


 古龍の声には深い、深い悲しみの響きがあった。


『溶岩の流れはもはや我の力だけでは、完全に制御することができぬ。このままではいずれこの山は、世界を揺るがすほどの大噴火を引き起こすことになるだろう』


 その言葉は静かだった。

 けれどその静けさの中に、抗いがたい絶望の気配が滲んでいた。


『我は永きに渡りこの火山の魔力バランスを保つことで、この大地を守ってきた。だが、その役目ももはやこれまでかと諦めかけておった』


 古龍の黄金の瞳が私をまっすぐに見つめた。

 その瞳には切実な願いが揺らめいている。


『だが、そなたたちは現れた。この我の前にたどり着くほどの知恵と勇気を持って。……小さき者よ。そなたたちの力を試させてもらえぬだろうか』


 それは依頼だった。

 この世界のどんなギルドにも張り出されることのない、たった一人にだけ託された特別なクエスト。

 この火山の、いやこの世界そのものの運命を左右するかもしれない、あまりにも壮大な依頼。

 報酬は約束されていない。

 けれど私の心はもう、とっくの昔に定まっていた。


(こういう展開、待っていたわ!)


 私の口元に挑戦的な笑みが浮かんだ。

 困っている存在がいる。

 そしてそれを解決できる力が私にはある。

 それだけで冒険者として動く理由は、十分すぎるくらいだ。


「……面白いじゃない」


 私はきっぱりと、そう言い切った。


「その試練、この私が謹んでお受けいたしますわ」



 私のあまりにも迷いのない返答に、古龍の黄金の瞳がわずかに見開かれたように見えた。


『……よろしいのか? これはそなたたちの命を危険に晒すことになるやもしれぬぞ』


「構いませんわ。私は冒険者ですから。目の前にクリアできそうな高難易度のクエストがあれば、挑戦したくなるのが性分なのです」


 私は悪戯っぽく、肩をすくめてみせた。

 私のあまりにも場違いな軽口に、古龍は一瞬だけきょとんとしたようだった。

 けれどすぐにその巨大な顎のあたりが、ふと。

 まるで人が微笑むかのように優しく綻んだように見えた。


『……くくっ。面白い人の子よ。そなたになら託せるやもしれぬな。この山の未来を』


「ええ、お任せくださいな。最高のハッピーエンドをお見せしてさしあげますわ」


 私は高らかにそう宣言すると、懐から満を持してあの黒檀の杖を取り出した。

 夜の闇をそのまま固めて磨き上げたかのような、美しくも尋常でない気配を放つ私だけの専用杖。

 私がその杖を握った瞬間、杖全体がぼうと洞窟内の赤い光に呼応するように、淡い翠色の光を放った。


「フェン、あなたは私のサポートをお願いね。これから少しだけ大変な作業になりそうだから」


「わん!」


 私の言葉にフェンも心得たとばかりに、力強く一声鳴くと、さっと私の半歩後ろへとその身を引いた。

 古龍はそんな私たちの様子を満足げに眺めると、その試練の内容を静かに語り始めた。


『このドームの中には、複数の『溶岩ゲート』が存在する。そのゲートを全て再起動させ、暴走しかけている溶岩の流れを制御し、このドームの中心にある『鎮火の炉』へと導くのだ』


 その言葉と共に古龍は、その巨大な顎でドーム内のいくつかの場所を指し示してみせた。

 壁のあちこちに私たちがこれまで通ってきたような、人工的な通路の入り口がぽっかりと口を開けているのが見える。

 この黒曜石の島のちょうど真ん中あたり。

 巨大な井戸のような黒い穴が開いている。


 あれが『鎮火の炉』。


 この火山のエネルギーを安全に大地へと還すための、最終処分場のようなものなのだろう。


(なるほどね……。治水工事ならぬ『治溶岩』工事ってわけか。スケールが大きすぎて笑えてきちゃうわね)


 私のゲーマー魂がうずうずと、歓喜の声を上げていた。

 ただの戦闘よりもずっとずっと面白そうだ。


「分かりました。その試練、必ずや達成してみせますわ。……ちなみに、報酬は?」


 私がちゃっかりとそう付け加えると、古龍は再びくくっと喉の奥で笑った。


『この試練を見事乗り越えた暁には、そなたたちに相応の『炎の加護』を授けよう。我がこの身に宿す力の、ほんの一部だがな』


 炎の加護。

 そのあまりにもファンタジックな響きに私の期待は、最高潮にまで高まった。


「よし決まりね! 交渉成立だわ!」


 私は、ぱん、と自分の手のひらを叩いた。


「さあ始めましょうか、フェン!この火山、丸ごと私が完璧に治水してあげましょう!」


「わふん!」


 私のあまりにも壮大な宣言にフェンも、待ってましたとばかりに元気よく一声鳴いた。


 私たちは、古龍に見送られながら、この試練の最初の舞台となる、一番近くの『溶岩ゲート』へと向かって、黒曜石の壇上を駆け出した。

 ごうごうと唸りを上げる熱風が、私たちの闘志をさらに燃え上がらせるようだった。


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