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第四話:ボス戦の最適解

 ふかふかのベッドの上で目を覚ます、なんていうのは、一体いつぶりだろうか。

 昨日の今日で手に入れた大金で、私は街一番とはいかないまでも、清潔で快適な宿屋の一室を借りていた。硬い地面の上で焚き火を囲んで眠った数日間のことを思えば、ここは天国だ。


「くぅん……」


 足元では、大きなベッドを独り占めすることにご満悦なフェンが、幸せそうな寝息を立てている。昨日、夕食に食べた特大のステーキをまだ夢に見ているのかもしれない。


(さて、と)


 私はベッドから抜け出すと、窓の外に広がる街の景色を眺めた。まだこの街に来て二日目。私のことを知る者は、ギルドの一部の人間を除いて誰もいない。それが、ひどく心地よかった。


 グレートボアの素材は、ギルドが高値で買い取ってくれた。牙や皮はもちろん、その上質な肉はこれから市場に出回るのだろう。おかげで私の懐は、笑いが止まらないくらいに潤っていた。当面の生活費どころか、新しい装備を新調してもお釣りがくるだろう。

 しかし、お金が目的で冒険者になったわけじゃない。

 私の目的は、ただ一つ。


(ダンジョン攻略……! 早く、本物のダンジョンに挑戦したい!)


 その思いが、私の足を自然とギルドへと向かわせる。身支度を整え、まだ眠たげなフェンの鼻を優しくつついた。


「フェン、朝だよ。今日も一日、頑張りますか」



「おはようございます。本日もよろしくお願いします」


 ギルドの扉を開け、カウンターでいつものように朗らかな笑顔を浮かべている受付嬢さんに挨拶をする。彼女は私の顔を見るなり、ぱっと表情を明るくした。


「あ、アリアさん! いらっしゃい! フェンもこんにちは!」


「わふん!」


 フェンが元気よく返事をすると、彼女はカウンターの下からこっそりと干し肉を一枚取り出し、フェンの口元へと差し出した。フェンはそれを、待ってましたとばかりにぱくりと食べる。すっかり餌付けされている。


「それで、アリアさん。今日はどうします? また薬草採取とか……」


「いいえ。今日は、ダンジョンに挑戦してみようかと思いまして」


 私の言葉に、受付嬢さんの動きがぴたりと止まった。彼女は真剣な顔つきになると、周囲の喧騒から少しだけ私たちを遠ざけるように、声をひそめた。


「ダンジョン、ですか。確かに、アリアさんならFランク向けのダンジョンは問題ないと思いますが……。初めてなのでしたら、まずは一番難易度の低い『ゴブリンの洞窟』をお勧めします。それでも、ゴブリンは集団で襲ってきますし、罠もいくつかあると聞いています。一人で行くのは、あまり……」


 心配してくれるのはありがたい。彼女の言うことは、新人冒険者に対するアドバイスとしては百点満点だろう。

 けれど、私の頭の中は、前世の記憶がもたらす別の情報でいっぱいだった。


(ゴブリンの洞窟、ね。ゲームなら、間違いなく最初のチュートリアルダンジョン。敵は弱いけど、集団戦の基本や、罠の対処法を学ぶ場所。ふむふむ、面白くなってきたじゃない)


「ご心配には及びません。この子もいますし、危険だと思ったらすぐに引き返しますから」


 私がそう言ってにっこり笑うと、受付嬢さんはまだ少し不安そうな顔をしていたが、「……分かりました。アリアさんの実力は、この前の件でよく分かっていますから。これが『ゴブリンの洞窟』の依頼書です。目的は、洞窟の最深部にあると言われている『ゴブリンの宝』を持ち帰ること。もし見つからなくても、ゴブリンを一定数討伐すれば、達成報酬は出ます」と、一枚の依頼書を手渡してくれた。


「ありがとうございます。それでは、行ってまいります」


「気をつけてくださいね! 本当に、無茶だけはしないで!」


 何度も念を押してくる彼女に手を振り、私たちはギルドを後にした。

 私の心は、初めてのダンジョン攻略への期待で、まるで沸騰したやかんだ。


(ついに来た、ついに来たぞ……! 夢にまで見たダンジョンだ!)


 脳内では、これから始まる冒険のテーマソングが大音量で鳴り響いている。

 さあ、行こうか、フェン。

 私たちの、本当の冒険の始まりだ。



 『ゴブリンの洞窟』は、街から歩いて半刻ほどの、少し寂れた丘の中腹に、ぽっかりと口を開けていた。

 ごつごつとした岩肌がむき出しになった入り口は、まるで巨大な獣が顎を開けているかのようで、中からはひんやりとした、湿った空気が流れ出してくる。洞窟の周りには、不気味な枯れ木が数本立っているだけで、鳥のさえずり一つ聞こえない。


「うわぁ……。雰囲気出てるじゃないの」


 じめっとしたカビの匂いと、微かに鼻につく獣の匂い。暗闇の奥からは、ぽたん、ぽたん、と水滴が滴る音と、何かがうごめくような気配がする。

 普通の女の子なら、泣いて逃げ出すシチュエーション。

 けれど、私のゲーマー魂は、むしろ燃え上がっていた。


(これだよ、これ! この、何が出てくるか分からない、ぞくぞくする感じ! たまらない!)


「わふん……」


 私の隣で、フェンが少し不安そうに喉を鳴らした。普段は好奇心旺盛な彼も、この洞窟が放つ不穏な空気を感じ取っているらしい。


「大丈夫だよ、フェン。私がついてる」


 私がその頭を撫でてやると、フェンはこくりと頷き、私の半歩前へと進み出た。その小さな背中が、私を守ろうとしてくれているのが伝わってきて、胸が温かくなる。


「よし。じゃあ、行こうか。初ダンジョンは、効率重視で、サクッとクリアと行こうじゃない!」


「わん!」


 フェンの頼もしい返事を合図に、私たちは薄暗い洞窟の中へと、その第一歩を踏み出した。



 洞窟の中は、外の光がほとんど届かず、すぐに真っ暗になった。壁は湿った粘土質の土で、足元はぬかるんでいて歩きにくい。

 普通なら、ここで松明に火を灯すのが定石だろう。

 けれど、それは悪手だ。


(暗い場所で光を使えば、『ここに敵がいますよ』って、わざわざ宣伝して回るようなもの。ステルス行動の基本は、闇に溶け込むこと)


 私は松明ではなく、指先にほんの少しだけ魔力を込める。ぽん、と指先に灯ったのは、豆粒ほどの、ごくごく小さな光の玉。生活魔法の『灯り』。これなら、遠くからはほとんど見えないし、それでいて私たちの足元を照らすには十分な明るさだ。


「フェン、静かにね」


 フェンも心得たもので、足音を立てないように、しなやかな猫のように静かに歩を進める。彼の銀色の毛皮は、この暗闇の中ではぼんやりと光って見える。まるで、道を示す案内人のようだ。

 しばらく進むと、道の先が少しだけ開けた場所に出た。そして、そこにはいた。


「キシャァ!」

「グルル……」


 ぼんやりとした松明の光に照らされて、三体の人型の魔物がうろついている。

 緑色の肌、尖った耳、ぎらぎらと光る目。手には粗末な棍棒や、錆びた剣を握っている。

 ゴブリン。

 ファンタジー世界における、最もポピュラーな雑魚モンスター。


(よし、初エンカウント。さて、どうするかな)


 数は三体。私とフェンなら、正面からぶつかっても勝てない相手ではないだろう。

 でも、それでは面白くない。

 私の攻略法は、セオリーとは程遠いものだ。


「フェン、ちょっと待ってて」


 私はフェンに待機の指示を出すと、物陰に隠れたまま、そっとゴブリンたちの様子をうかがった。彼らは壁に立てかけられた一本の松明の周りで、意味もなくうろうろしている。警戒している、というよりは、ただ退屈しているように見えた。


(よし、プラン通りに行こう。まずは、あの光を消す)


 私は右の人差し指を、ぴんとゴブリンたちの松明に向けた。

 イメージするのは、水鉄砲。

 体の中の魔力を、水属性に変換し、指先に集中させていく。そして、それをただの水滴ではなく、針のように鋭く、高速で射出するイメージ。

 初級の水魔法、『ウォーターショット』。普通は、敵にぶつけて怯ませる程度の、威力のない魔法だ。

 でも、使い方次第。


 しゅっ!


 私の指先から放たれた小さな水の弾丸が、音もなく闇を駆け抜け、正確に松明の炎の根元に着弾した。


 じゅっ!


 という小さな音を立てて、洞窟内を唯一照らしていた松明の光が、あっけなく消え去った。


「「「キシャ!?」」」


 突然の暗闇に、ゴブリンたちが驚きの声を上げる。

 突然視界を奪われた彼らは、明らかに混乱していた。手に持った武器をめちゃくちゃに振り回し、仲間同士でぶつかり合っている。


(よし、第一段階、成功。次は、誘導だ)


 私は今度は、風の魔力を手のひらに集める。

 そして、先ほどゴブリンたちがいた場所から、さらに奥へと続く通路の、何もない壁に向かって、その魔力を放った。

 イメージしたのは、小石が壁に当たって、地面に落ちる音。風の魔法で空気を振動させて、擬似的に音を作り出す、『サウンド』の魔法。これも、本来は人の注意を引くための、ごくごく簡単な生活魔法だ。


 からん、ころん。


 洞窟の奥から、わざとらしい、しかしゴブリンたちには十分に本物らしく聞こえるであろう石の音が響いた。


「キシャ!?」(なんだ!?)

「ギギッ!」(あっちだ!)


 暗闇の中で音に過敏になっていたゴブリンたちは、見事にその罠にかかった。

 我先にと、音のした方へと走り去っていく。その足音は、どんどん遠ざかっていった。


「……ふう。行ったみたいね」


 私は物陰から顔を出し、静かになった広場を見渡す。

 そこにはもう、ゴブリンの姿はなかった。


「わふん!」


 フェンが、すごいじゃないか! とでも言うように、私の足元に駆け寄ってきて、くんくんと匂いを嗅いでいる。


「ふふっ、これぞ知能犯ってやつよ。さあ、今のうちに先を急ごう」


 戦闘はフェンに任せ、私は最短ルートでお宝だけを確実に回収していく。

 私の辞書に、無駄な戦闘という四文字はないのだ。



 その後も、私たちの快進撃は続いた。

 洞窟の中は、まるで迷路のように入り組んでいたが、私には何となく、進むべき道が分かった。前世で数えきれないほどのダンジョンを攻略してきた勘が、『こっちの道は行き止まり』『こっちがお宝への正規ルート』と、ささやいてくれるのだ。


 もちろん、道中にはゴブリンがまだ何体もいた。

 どうしても避けられない通路の番人みたいなやつもいる。

 そういう時は、フェンの出番だ。


「フェン、お願い!」


「わん!」


 私の合図で、銀色の弾丸が闇の中を疾走する。

 フェンは、ゴブリンの足元に滑り込むようにして駆け抜ける。ゴブリンが棍棒を振り下ろすが、その時にはもう、フェンはその後ろに回り込んでいた。そして、急所である足首に、がぶりと噛みつく。


「キシャアアア!?」


 ゴブリンが悲鳴を上げて体勢を崩した、その一瞬の隙を見逃さない。

 フェンはすぐさま飛び退くと、今度は壁を蹴って三角飛びのように跳躍し、ゴブリンの首筋に強烈な頭突きを食らわせた。

 ごつん、という鈍い音と共に、ゴブリンは白目を剥いて、その場に崩れ落ちる。気絶しているだけで、命に別状はないだろう。


(すごい……! フェン、強すぎる……!)


 その一連の動きは、まるで熟練の格闘家のように洗練されていて、無駄がなかった。大型犬ほどの体格しかないのに、その戦闘能力は明らかにゴブリンを上回っている。

 私の相棒、恐るべし。


 戦闘だけではない。ダンジョンといえば、やはり罠だ。

 床に仕掛けられた、踏むと矢が飛んでくる圧力式のスイッチ。壁から突然槍が飛び出す仕掛け。そして、古典的な落とし穴。


「あ、そこストップ、フェン」


「くぅん?」


 私が急に立ち止まると、フェンが不思議そうにこちらを振り返る。

 私は目の前の、何でもないただの通路の床を指さした。


「そこの床、一枚だけ周りと色が違う。十中八九、落とし穴だよ。ゲームなら、見え見えの初見殺しトラップってやつ」


 私がそう言うと、フェンはくんくんと床の匂いを嗅ぎ、確かに何か違う、とでも言いたげに頷いた。

 私はにやりと笑うと、その落とし穴の少し手前に立ち、地面に手をかざした。

 土の魔法の応用。イメージは、地面の下に、もう一枚、頑丈な岩の板を作り出すこと。


 『アースプレート』


 私が魔力を流し込むと、見た目には何も変化がないが、落とし穴の仕掛けの下に、硬い岩盤が生成された。


「よし、これで大丈夫。渡ってごらん」


 フェンがおそるおそるその床を踏むが、何も起こらない。落とし穴の蓋は開かず、私たちは何事もなかったかのようにその上を通り過ぎることができた。


「ふふん。どんな罠も、私の発想の前では、ただの面白いギミックに過ぎないのよ」


 そんな調子で、私たちはゴブリンの集団をやり過ごし、見張りをフェンが無力化し、罠を私が生活魔法で解除しながら、ダンジョンの奥へ奥へと、驚くほどの速さで進んでいった。

 途中の小部屋に、ゴブリンたちが集めたのであろうガラクタの山があったが、私は目もくれない。依頼の目的は、あくまで『ゴブリンの宝』。寄り道をしている暇はない。


 そして、ついに。

 私たちは、ひときわ大きな空間へとたどり着いた。

 そこは、洞窟の最深部らしかった。

 焚き火がいくつか燃えていて、これまでの通路とは比べ物にならないほど明るい。

 そして、その中央には、一回り体の大きなゴブリンが、ふんぞり返って座っていた。おそらく、ここのボス、『ゴブリンチャンピオン』といったところだろう。

 そして、そのボスの後ろには―――あった。


(宝箱……!)


 古びた木製の、しかし頑丈そうな宝箱。

 これだ。これこそが、私たちが求めていたもの。

 ゴブリンチャンピオンの周りには、五、六体の手下のゴブリンたちが控えている。

 さすがに、これを全部相手にするのは骨が折れる。


(さて、どうする? 正面突破は最悪の選択肢。なら、また陽動?)


 私は物陰から、じっと中の様子を観察する。

 ゴブリンたちは、何かの肉を焼いて、それを奪い合うように食べていた。警戒はしているだろうが、完全にリラックスしているわけでもない。

 音や光での陽動は、もう通用しないかもしれない。


(……いや、待てよ。発想を逆転させるんだ)


 彼らが今、一番関心があるのは、目の前の『食事』。

 ならば。


 私は懐から、あのグレートボアの肉から作った、とっておきの干し肉を数枚取り出した。岩塩とハーブで念入りに下味をつけた、特製品だ。

 そして、風の魔法を使い、その干し肉の匂いだけを、そっとゴブリンたちのいる広場へと送り込んだ。


 くんくん……。


 最初に反応したのは、手下の一匹だった。

 鼻をひくつかせ、きょろきょろと辺りを見回している。


「キシャ?」(なんだ、この匂い?)


 やがて、その匂いは広場全体に満ちていく。

 今焼いている得体の知れない肉とは比べ物にならない、食欲をそそる、香ばしくてスパイシーな香り。


「ギギッ……!」

「キシャア……!」


 ゴブリンたちの間に、動揺が走る。

 彼らはもう、目の前の食事どころではなくなっていた。全員が、この素晴らしい匂いの出所を探して、そわそわし始めている。

 その様子を見て、私は確信した。


(いける!)


 私は大きく息を吸い込むと、手にした干し肉を、広場の入り口とは正反対の、奥の通路へと、思いっきり投げ込んだ。


 ひゅんっ!


 放物線を描いて飛んでいった干し肉は、通路の壁に当たって、ことん、と音を立てて落ちた。

 その瞬間。


「「「キシャアアアアアアアアアッ!!」」」


 匂いの元が分かったゴブリンたちは、ボスであるゴブリンチャンピオンのことさえ忘れ、まるで号砲を聞いた競走馬のように、一斉にその通路へと殺到した。

 あっという間に、広場にいたゴブリンたちは、我先にと干し肉の争奪戦を繰り広げるために、姿を消してしまった。


 広場に残されたのは、呆然と立ち尽くすゴブリンチャンピオンと、その後ろに鎮座する宝箱だけ。


「……キシャ?」(え、なに?)


 ボスは、何が起きたのか全く理解できていないようだった。

 その隙を、私たちは見逃さない。


「フェン、行くよ!」


「わふん!」


 私とフェンは、物陰から矢のように飛び出した。

 目標は、宝箱ただ一つ。

 ようやく事態を飲み込んだゴブリンチャンピオンが、「キシャアアア!」と怒りの声を上げて棍棒を振り上げるが、もう遅い。

 私は宝箱に駆け寄ると、その重さを確かめもせず、ひょいと肩に担ぎ上げた。


「ミッションコンプリート! ずらかるよ、フェン!」


「わん!」


 私たちは、ゴブリンたちが走り去っていった通路とは別の、予め目星をつけておいた出口へと向かって、全力で走り出した。

 後ろから、ボスの悔しそうな雄叫びが聞こえてくるが、知ったことか。


 戦うだけが攻略法ではない。

 これもまた、前世のゲームで学んだ大切な教訓なのだから。


 私たちは一度も振り返ることなく、薄暗い洞窟を駆け抜け、外の光が差し込む出口へとたどり着いた。



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