第三十九話:灼熱ダンジョンのギミック攻略
洞窟の中には束の間の静寂が戻ってきた。床にはまだ気絶したままの数体が、赤い置物みたいにごろりと転がっている。
「ふう、お疲れ様、フェン。最高のウォーミングアップになったわね」
「わふん!」
私の言葉に、フェンは『どうだった!? 僕の活躍!』とでも言いたげに誇らしげに一声鳴いた。彼の体からはまだ戦闘の興奮が湯気のように立ち上っている。私はそんな頼もしい相棒の頭をくしゃりと掻き回してやった。
私たちは、気絶しているサラマンダーたちを起こさないよう、慎重に洞窟のさらに奥へと歩みを進めた。すると、それまでの天然の溶岩洞とは明らかに雰囲気が変わってきた。
「……ここからが、本当のダンジョンみたいね」
ぽつりと私の口からそんな言葉が漏れた。これまではただの火山の洞窟。いわば前座に過ぎなかったのだ。ここから先は、誰かが明確な意図を持って作り上げた『仕掛け』が私たちを待ち構えているに違いない。
私のゲーマーとしての血が、うずうずと期待に満ちて騒ぎ始めていた。
「くんくん……」
私の隣で、フェンが警戒するように鼻を鳴らしている。彼の優れた嗅覚が、この人工的な空間に満ちる、濃密な魔力の匂いをはっきりと感じ取っているのだ。
私たちは顔を見合わせると、こくりと一つ頷き合う。そして、まだ見ぬ謎が眠るダンジョンエリアへと、その第一歩を踏み出した。
◇
通路は、まるで巨大な神殿な回廊のように広々としていた。
壁には等間隔で燭台が設置されているが、そこに炎は灯っていない。代わりに、壁に埋め込まれた赤い鉱石が、まるで生きている心臓のように、どくん、どくんと周期的に明滅を繰り返し、通路全体を不気味な赤い光で照らし出していた。
ひんやりとした『エアロ・サーマルシールド』の空気層がなければ、この空間は灼熱地獄そのものだっただろう。
「わあ……。すごいわね、これ。全部、黒曜石かしら」
私は壁の滑らかな表面を指先でそっと触れてみた。ガラスのようにつるりとした、冷たくて硬い感触。しばらくその回廊を進んでいくと、やがて道はひときわ大きな円形の広間へと繋がっていた。
広さはお城の舞踏会ホールくらいはあるだろうか。天井は遥か高く、ドーム状になっている。その中央には、一つの巨大な石碑が、まるでこの場所の主であるかのようにどっしりと鎮座していた。
「……何かしら、これ」
私たちは、その石碑にゆっくりと近づいていく。
石碑の表面には、文字のようなものがびっしりと刻み込まれていた。ミミズが這ったような、あるいは炎が揺らめいているようにも見える、魔法で出来たホログラムのような文字。
「ええと、なになに……。『炎の……心臓に……三つの魂を捧げよ』……ですって」
私は、石碑に刻まれた文字を、一言一句、ゆっくりと読み解いていった。
「……うわあ。何とも典型的な謎解きだわ、これ」
思わず、乾いた笑いが漏れた。
あまりにも直球的で、そしてあまりにも分かりやすい謎かけ。
私のゲーマー脳が、この状況を瞬時に分析し、攻略チャートを弾き出す。
「『炎の心臓』っていうのは、きっとこのダンジョンの動力炉みたいな、中心部分のことね。そして『三つの魂を捧げよ』っていうのは、どこかにある三つの仕掛けを起動させろっていう意味に違いないわ」
「わふん?」
私のあまりにもスラスラとした解説に、フェンが「なんで分かるんだ?」とでも言いたげな、不思議そうな顔で小首を傾げた。
「ふふん。これぞ、知識と経験の賜物よ。さあ、フェン! その三つの魂とやらを探しに行きましょうか! きっと、この広間から三つの道が伸びているはずよ!」
私の言葉を証明するかのように、広間には石碑を囲むようにして、三つの異なる方向へと続く通路が、ぽっかりと口を開けていた。
さあ、謎解きイベントの始まりだ。私の心は、新しいパズルゲームの箱を開ける時みたいに、わくわくが止まらなかった。
◇
私たちが最初に選んだのは、広間の右側へと続く通路だった。
その通路をしばらく進むと、やがて一つの小部屋へとたどり着いた。部屋の中はがらんとしていて、奥の壁際に、ぽつんと一つ、石で作られた小さな祭壇が置かれているだけ。祭壇の上には、まだ火が灯されていない燭台が一つ、静かに鎮座している。
そして、その祭壇から離れた場所、部屋の両端の壁に、それぞれ一つずつ、床から突き出すような形で、石のスイッチが設置されていた。
「……なるほどね。古典的だけど、実に分かりやすいギミックだわ」
私は、腕を組んで、その光景を満足げに眺めた。
これは、二人で協力して同時にスイッチを押さないと作動しないタイプの仕掛けだ。一人で来た冒険者は、ここでお手上げというわけか。実に意地の悪い設計だ。
けれど、私には最高の相棒がいる。
「フェン、あなたの出番よ」
私は、部屋の右端にあるスイッチの前に立つと、反対側のスイッチを顎でくいと示してみせた。
「私が『せーの』って言ったら、あなたはそのスイッチに思いっきり飛び乗るのよ。いい?」
「わんっ!」
フェンは、心得たとばかりに力強く一声鳴くと、しなやかな体で左端のスイッチの前へと移動した。その大きな黒い瞳が、「準備万端だぜ!」と雄弁に物語っている。
私たちは、顔を見合わせると、こくりと一つ頷き合った。
タイミングが、全てだ。
「行くわよ……せーのっ!」
私の掛け声と同時に、私とフェンは、ぴたりと同時に、それぞれのスイッチを力強く踏み込んだ。
ごんっ!
と、足の裏に、何かが深く沈み込む、確かな手応えがあった。
その瞬間。
かちり、と。
壁の奥から、何かの機械が作動するような、小気味よい音がした。
そして、部屋の奥にある祭壇。その燭台に、ぽっ、と。
まるで、誰かが魔法で火をつけたかのように、鮮やかなオレンジ色の炎が、ひとりでに灯ったのだ。
「……やったわ!」
ぽつりと私の口からそんな言葉が漏れた。
「やったわね、フェン! 息ぴったりじゃない!」
「わふん!」
私のただならぬ興奮が伝わったのか、フェンも、一緒になって嬉しそうに一声鳴いた。彼は自分の仕事に満足したのか、誇らしげにそのふさふさの尻尾をぱたぱたと揺らしている。
一つ目の魂は、いとも簡単に捧げられた。
私たちは、意気揚々とその部屋を後にした。
◇
次に私たちが向かったのは、広間の中央からまっすぐに伸びる通路だった。
その先で私たちを待ち構えていたのは、先ほどの部屋よりもさらに巨大で、そして複雑な構造の空間だった。
部屋の中央を、ごうごうと音を立てて、灼熱の溶岩が流れる水路が横切っている。その水路の上には、巨大な石の歯車がいくつか設置されており、その歯車はぴたりと動きを止めていた。そして、溶岩の水路の向こう岸、固く閉ざされた巨大な石の扉の奥に、二つ目の祭壇がぼんやりと見えている。
「うわあ……。今度は、もっと本格的なギミックね」
私は、ごくりと唾を飲み込んだ。
あの歯車をどうにかして動かさない限り、向こう岸の扉は開かない。そういう仕掛けなのだろう。
けれど、歯車を動かすためのレバーやスイッチらしきものは、どこにも見当たらない。
「がるる……」
私の隣で、フェンが低い唸り声を上げる。
彼の野生の勘が、この部屋全体に仕掛けられた、巧妙な罠の匂いを嗅ぎ取っているのだ。
「ええ、そうよね。これは、力任せじゃ絶対に突破できないわ。頭を使えってことね」
私は腕を組んで、部屋の構造をじっと観察した。
溶岩の水路、巨大な歯車、そして、閉ざされた扉。
それらの配置には、必ず、何らかの意図があるはずだ。
私が、うーんと頭を悩ませていると、ふと、あることに気がついた。
この部屋、他の場所と比べて、ほんの少しだけ湿度が高いのだ。そして、壁のあちこちに、水が染み出したような、黒い染みがうっすらと浮かんでいる。
(……もしかして)
私の頭の中で、何かが、ぱちんと繋がった。
この火山の、さらに地下。
そこには、豊富な地下水脈が流れているのではないだろうか。そして、その水脈の圧力を利用して、この歯車を動かす。そういう設計になっているのでは?
あまりにも大胆な仮説。
けれど、それ以外に、このギミックを動かす方法は思いつかない。
「……よし、やってみる価値はありそうね」
私は、にやりと笑うと、黒檀の杖を、静かに構えた。
「フェン、ちょっとだけ、派手な土木工事をするわよ。驚かないでね」
「くぅん?」
私は、溶岩の水路の脇にある、頑丈そうな石畳の床に、杖の先端をそっと触れさせた。
土魔法と水魔法の、複合魔法。
イメージするのは、この床の遥か下を流れる、地下水脈。その流れを、私の魔力で強引に捻じ曲げ、この巨大な歯車へと、叩きつけること。
『ジオ・ハイドロポンプ』
私が、即席で考えた、実にそれっぽい名前の魔法を高らかに唱えた、その時だった。
ごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごっ!
広間全体が、地響きのような音を立てて、大きく揺れた。
そして、私が杖を触れさせていた床の一点が、まるで、巨大な間欠泉が噴き出すかのように、凄まじい勢いで破砕された。
そこから、ばしゃあああああああああああああああっ!
とてつもない量の水が、灼熱の蒸気と共に、天高く噴き上がったのだ。
「うわっ!?」
「わんっ!?」
私たちは、咄嗟に後ずさり、その水飛沫を避ける。
噴き出した水は、そのまま巨大な石の歯車へと、滝のように降り注いだ。
その凄まじい水圧を受けて。
ぎゅるぎゅるぎゅるぎゅるぎゅるぎゅるぎゅるぎゅる……。
長い間、沈黙を守っていた歯車が、重々しい音を立てて、ゆっくりと、ゆっくりと、回転を始めたのだ。
そして、その動きに連動して。
向こう岸で、固く閉ざされていた巨大な石の扉が、ごごごご、と音を立てて、上へと開いていく。
その奥で、二つ目の祭壇の燭台に、ぽっ、と。
オレンジ色の炎が、静かに灯った。
「……ふう。少し、派手にやりすぎたかしら」
私は、ぱんと杖についた見えない埃でも払うかのように、軽く手を叩いた。
「わ、わふん……」
私の隣で、フェンが、ぽかんとした顔で、すっかり変わってしまった広間の様子を見つめている。
彼の常識が、また一つ、私の手によって、音を立てて破壊された瞬間だった。
◇
最後の通路、広間の左側へと続く道。
その先で私たちを待ち構えていたのは、これまでの二つの部屋とは、また全く雰囲気の違う空間だった。
広間全体が、巨大なチェス盤のように、黒と白の正方形のパネルで、びっしりと敷き詰められている。
そして、その奥の壁際に、三つ目の祭壇が、静かに鎮座していた。
「……今度は、床ですか」
いわゆる、『床のスイッチパネル』ギミック。
特定の順番で、正しいパネルだけを踏んでいかないと、先に進めない、という、実に古典的なギミックだろう。
一歩でも間違ったパネルを踏めば、おそらく床が抜け落ちて、下の溶岩の川へ真っ逆さま、なんていう、初見殺しのペナルティが待っているに違いなかった。
「がるる……」
私の隣で、フェンが低い唸り声を上げる。
彼の野生の勘が、このチェス盤の床全体から、危険な匂いをぷんぷんと嗅ぎ取っているのだ。
「ええ、そうよね。これは、力任せじゃ絶対に突破できないわ。頭を使えってことね」
私は、腕を組んで、部屋の壁をじっと観察した。
ヒントは、必ずどこかにあるはずだ。
そして、あった。
入り口から見て、ちょうど真上の壁。
そこには、いくつかの図形が、線で結ばれた一枚のレリーフとして、埋め込まれていたのだ。
炎の形をした図形、水の形をした図形、そして、風の形をした図形。
それらが、線で繋がれている。
(……なるほどね。あのレリーフが、このパネルの正解ルートを示しているんだわ)
謎は解けた。
「……よし。ここは、あなたの出番ね、フェン」
私は、隣に立つ最高の相棒に、そっと囁いた。
彼の、猫のようにしなやかで、そして驚異的な身体能力。
それがあれば、このパネルの海を、まるで、川の飛び石を渡るように、軽々と飛び移っていけるはずだ。
「私が、次に踏むべきパネルの色と場所を指示するわ。あなたは、その通りに、ジャンプしてちょうだい。いい?」
「わふん!」
私の言葉に、フェンは、ようやく自分の出番が来た、とでも言うように、力強く一声鳴いた。
彼は、そのしなやかな体を、ぐっと低く沈めると、スタートの合図を待っている。
私は、壁のレリーフと、床のパネルを、交互に見比べながら、最初の指示を出した。
「まずは、右に三つ先の、黒いパネルよ!」
私の言葉に、フェンは、何の躊躇いもなく、その身を躍らせた。
ぴょん、と。
銀色の弾丸が、宙を舞い、正確に、黒いパネルの上に着地する。
パネルは、何も反応しない。
正解だ。
私たちは、顔を見合わせると、こくりと一つ頷き合った。
一歩、また一歩。
私はナビゲーターとなり、フェンはその指示通りに、パネルの上を飛び移っていく。
その姿は、まるで、灼熱の広間を舞う、銀色の妖精のようだった。
そして、ついに。
最後のパネル、祭壇のすぐ手前にある、白いパネルの上へと、ぴょんと着地した、その瞬間。
きぃん、と。
祭壇の燭台に、ひとりでに、美しいオレンジ色の炎が、灯った。
三つ目の『魂』が、捧げられたのだ。
◇
「やったわね、フェン!」
無事に、こちら側へと戻ってきた相棒を、私は、力いっぱい抱きしめた。
「わふん!」
フェンも、私の腕の中で、誇らしげに一声鳴いた。
私たちが、顔を見合わせて、一緒に笑った、その時だった。
ごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごご……。
ダンジョン全体が、地響きのような音を立てて、大きく揺れた。
私たちが、一番最初にいた、あの中央の広間。
固く閉ざされていた、あの、巨大な黒い扉が。
まるで、巨大な城の跳ね橋のように、ゆっくりと、ゆっくりと、その重い口を開き始めたのだ。
その向こう側から、力強い灼熱の魔力の気配を感じた。それは、これまでのどの場所よりも比較にならないほどの。それがまるで嵐のように、ごう、と吹き出してきていた。