第三十七話:耐火の衣
私の気分は、まるで新しいゲームをプレイする直前の子供みたいにうきうきとした高揚感で満ち溢れていた。
次に挑むべきダンジョンは『灼熱の火山』。Aランクの冒険者パーティーが三組も撤退したという超高難易度の未踏破ダンジョン。その響きだけで私のゲーマー魂はこれでもかと燃え上がっていた。
けれど逸る気持ちをぐっと抑え込む。
冒険は準備が九割。
前世のとある登山家の言葉だったか、あるいはゲームの攻略サイトの受け売りだったか。出典は忘れてしまったけれど、その言葉が真理であることはこれまでの冒険で嫌というほど身に染みている。
特に今回の相手は灼熱の空気と溶岩の川。生半可な準備で挑めば文字通り骨も残さず灰になってしまうだろう。
「というわけで、フェン。出発の前に、まずは入念な情報収集からよ」
「わふん!」
私の言葉に隣を歩く最高の相棒が、心得たとばかりに力強く一声鳴いた。
私たちはその足でフロンティアの街の市場へと向かった。目的はただ一つ。この世界の『耐火服』とやらが、一体どれほどの性能を持っているのかこの目で確かめるためだ。
◇
「いらっしゃい! おお、アリアの姐さんとフェンの旦那じゃねえか! 今日はどうしたんでい?」
私たちが向かったのは職人街の一角にある、ひときわ煤けた外観の武具屋だった。カン、カン、と店の奥からリズミカルに鉄を打つ音が聞こえてくる。入り口の扉を開けた途端、むわりとした鉄の匂いと革のなめされる独特の匂いが私たちの鼻をくすぐった。
店の主である熊のような体躯のドワーフの親方が、その大きな顔をくしゃりとさせてにかりと笑った。
「こんにちは、親方。少し見せていただきたいものがありまして」
「おう、なんだい、何なりと言いな! 姐さんの頼みとあっちゃあ、こっちも腕が鳴らあ!」
彼はスタンピードの防衛戦で私の作った爆薬の威力を目の当たりにして以来、すっかり私の信奉者の一人となっていた。実に分かりやすくて好感が持てる。
「耐火性能のある装備を探していますの。何か良いものはありますか?」
「耐火装備かい。へっへっへ、そいつはまた物騒な場所にでもお出かけかい?」
「ええ、まあ。少しばかり熱い冒険になりそうですので」
私の言葉に親方は「なるほどな」と何かを察したように頷くと、店の奥の棚からずしりと重そうな鎧を一つ、カウンターの上に取り出した。
「こいつがうちで扱ってる中じゃ一番の代物だ。ドワーフの技術の粋を集めて作った特製の耐火鎧。素材には火竜の鱗を粉末にして練り込んだ特殊な合金を使ってる。そこらの熱ならへっちゃらさ」
どすん、とカウンターの上に置かれたそれは鎧というよりも、もはや金属の塊だった。分厚い金属のプレートが幾重にも重ねられ、革のベルトで無骨に繋ぎ合わされている。その表面は鈍い赤銅色に輝いていた。
「……なるほど。確かに頑丈そうですわね」
私はその鎧の表面を指先でそっと撫でてみた。ひんやりとした硬質な感触。分厚い金属プレートからは絶対的な防御力への自信がひしひしと伝わってくる。
けれど。
「……親方、これは少し重すぎやしませんか?」
私が率直な感想を口にすると、親方は少しだけ気まずそうにその大きな頭をかいた。
「……まあな。姐さんの言う通りだ。こいつの唯一の欠点はその重さだ。並の戦士じゃこれを着てまともに動くことすらできねえだろう。おまけに値段も金貨百枚と、ちいとばかし張る」
金貨百枚。確かに高価だ。でも問題はそこではなかった。
「それに、この鎧では顔や手足を完全に守ることはできませんわよね?」
私が指摘すると親方は「うぐっ」と、言葉に詰まった。
その通りだった。この鎧は胴体部分こそ分厚い金属で完璧に覆われている。けれど関節の動きを確保するためか、手首や足首、そして首回りは革の素材がむき出しになっている。兜も顔全体を覆うフルフェイスタイプではなく、目元が大きく開いたデザインだ。
私がこれから向かう灼熱の空気が満ちる火山の中で、そんな部分を無防備に晒すなど自殺行為に等しい。
私は冷静にこの鎧の欠陥を分析する。
この世界の技術ではおそらくこれが限界なのだろう。気密性の高い全身を覆うスーツを作るには、素材も加工技術も圧倒的に足りていない。Aランクのパーティーが撤退したというのも納得がいく。彼らもきっとこれと同じような、欠陥だらけの耐火服で無謀な挑戦を挑んだに違いない。
「……分かったわ、親方。ありがとう。とても参考になりました」
私はにっこりと微笑むと親方に礼を言った。
私の様子に親方は「お、おい、姐さん、買わねえのかい?」と少しだけ残念そうな顔をしている。
「ええ。もう少し自分で考えてみることにしますわ」
私はそう言うと、フェンを伴って武具屋を後にした。
私の頭の中にはすでに全く新しい、そしてこの世界の誰もが想像すらしなかったであろう画期的な耐火服の設計図が、はっきりと描かれ始めていた。
(鎧で熱を遮断するのがダメなら、発想を逆転させればいい)
私の脳裏に前世の真夏の記憶が、閃光のようにきらめいた。
うだるような暑さの中、工事現場で働く作業員たちが着ていたあの服。服の内側に小さな扇風機がついていて、常に外の空気を中に取り込んで汗を気化させることで体を冷やす。
そう、『空調服』。
(あれよ……! あれしかないわ!)
熱そのものに直接触れなければいい。着用者の体の周りに常に冷たい空気の層を作り出して、灼熱の空気を中和してしまえばいいのだ。
魔法を使えばそれは可能だ。いや、魔法を使えば本物の空調服よりもずっとずっと高性能なものが作れるに違いない。
「……ふふっ。ふふふふふっ」
笑いがこらえきれずに口からあふれ出てくる。道行く人々が「なんだ、あのお嬢さん」と怪訝そうな顔で私のことを見ているのが分かったけれど、もうそんなことはどうでもよかった。
私の心は完全に新しい発明への興奮と期待で満ち溢れていた。
「きゃははははははっ!」
「わんっ!?」
私が突然笑い出したことで、フェンが驚いた様子で、こちらを見ていた。
「大丈夫よ、フェン! 分かったの! この世界のどんなドワーフの職人にも作れない、最高の耐火服の作り方が!」
私の口元にはいつの間にかマッドサイエンティストのような、好戦的な笑みが浮かんでいた。
さあ、ここからが本番よ。まずは最高の素材をこの市場で集めるところから始めましょうか。
◇
私の新しい発明品。その名も『エアロ・サーマルシールド』。
大げさな名前だけれどその性能は名前に負けないくらい画期的なものになるはずだ。
その設計思想は実にシンプル。ベースとなる鎧の内側に水魔法によって常に微量の冷気を発生させる術式を編み込む。そしてその冷気を風魔法によって鎧の表面に無数に開けた、目には見えないほど微細な穴から排出し着用者の周囲に薄い空気の層として循環させる。
いわば『冷気の外套』。これを身に纏えば外部からの灼熱の空気に直接肌を晒すことなく、常に快適な活動が可能になるはずだ。
「というわけで、フェン。まずは素材集めよ! 私の買い物に付き合ってちょうだい!」
「わふん!」
私の楽しげな声につられてフェンも元気よく一声鳴いた。私たちは再び市場の喧騒の中へとその身を躍らせた。
まずはベースとなる鎧の素材。武具屋で見たような重くて動きにくい金属プレートは論外だ。軽くて丈夫で、そして魔法の術式を編み込みやすい素材。
「おじさん、この革を一枚いただくわ」
「へい、毎度! こいつはサンドワームの革でさあ。軽くて火にも強い一級品だよ!」
革製品を扱う露店で私は滑らかで美しい砂色の革を一枚購入した。
次に術式を編み込むための魔法の触媒。
「この青く光る粉は何ですの?」
「ああ、そいつはミスリル鉱石の粉末さ。魔力をよく通す性質があるんでね。魔法使いの杖の装飾なんかに使われるのさ」
珍しい鉱石を扱う行商から私はきらきらと輝く青い粉末を一袋買い取った。
最後に鎧の内側に使う通気性の良い布地。これは普通の服屋で上質な麻の布をたっぷりと購入した。
必要な素材は全てこのフロンティアの市場で手に入る、ごくありふれたものばかり。けれど私の知識と魔法が加われば、それらはどんな伝説級の素材にも負けない最高の装備へと生まれ変わるのだ。
私は両腕にたくさんの買い物袋を抱え、満足げに一つ頷いた。
「よし、完璧ね! さあ、帰りましょうか、フェン! 私たちの愛しの工房へ!」
私の楽しげな声にフェンも待ってましたとばかりに高らかに一声吠えた。
その日の午後、我が家の普段は物置として使っている一室がにわかに私の専用の工房へと姿を変えた。床には大きな作業用のシートが広げられ、その上には市場で買い込んできた様々な素材がずらりと並べられている。
窓から差し込む午後の柔らかな光が、これから始まる創造の時間を優しく照らし出していた。
さあ、始めましょうか。私とフェンのための最高の魔法の衣作りを。
私の心は新しいゲームのキャラクタークリエイトを始める時みたいに、わくわくが止まらなかった。
◇
工房と化した部屋の真ん中で私は買ってきたばかりのサンドワームの革を、大きな作業台の上に広げた。滑らかできめ細かい美しい砂色の革。その表面を指先でそっと撫でてみる。しっとりとした、それでいて確かな強靭さを感じさせる最高の素材だ。
「さて、と。まずは裁断からね」
私は懐から取り出した黒檀の杖をまるでデザイナーが使う裁ちばさみのように軽やかに構えた。
風魔法の応用。杖の先端から目には見えない超高速で振動する刃を生み出し、それで革を設計図通りに切り出していく。
しゅるるるるる……と、まるで熱したナイフでバターを切るかのような滑らかな音を立てて分厚い革が何の抵抗もなく切り分けられていく。
私の体とフェンの体。そのそれぞれのサイズに合わせて寸分の狂いもなくパーツを切り出していく作業。それは気の遠くなるような繊細な作業だったけれど、不思議と苦ではなかった。
むしろ楽しい。自分のイメージしたものが少しずつ少しずつ形になっていく。このゼロから何かを生み出すという行為は、何物にも代えがたい純粋な喜びに満ちていた。
全てのパーツを切り出し終えると次はそれらを縫い合わせる作業だ。もちろん普通の針と糸など使わない。
私は土魔法を応用し革の切れ端から極細で、しかし鋼よりも強靭な革の糸を魔法で作り出した。そしてその糸を生活魔法で自在に操り、パーツとパーツを一針また一針と丁寧に縫い合わせていく。
「わふぅ……」
部屋の隅で私の作業をおとなしく見守っていたフェンが感心したように、ほうとため息をついている。
「どう、フェン? なかなかいい出来でしょう?」
「くぅん!」
彼はまるで「最高の出来じゃないか!」とでも言うように、私の顔と作りかけの鎧を交互に見比べながら嬉しそうに一声鳴いた。
やがてベースとなる革鎧の形が二着分完成した。一つは私の体にぴったりとフィットする軽くて動きやすい女性用の鎧。そしてもう一つはフェンのしなやかな体格に合わせて作られた、四足獣用の特殊なデザインの鎧。
けれどまだこれはただの器に過ぎない。ここからがこの『エアロ・サーマルシールド』の本当の心臓部を作り上げる、最も重要な工程だ。
「さあ、いよいよ術式の編み込みよ」
私は買ってきたミスリル鉱石の青い粉末を特殊な油と混ぜ合わせ、魔力を通しやすい特殊なインクを作り出した。そしてそのインクを極細の筆につけ、鎧の内側にびっしりと複雑な魔法の術式を描き込んでいく。
それはもはや文字というよりも、精密な電子回路の基盤図に近い幾何学的な紋様の連続だった。
一つは水魔法の術式。鎧の内部に常に微量の冷気を発生させ続けるためのもの。
もう一つは風魔法の術式。その冷気を鎧の表面に均一に循環させるためのもの。
二つの全く異なる性質を持つ術式を互いに干渉させることなく、描き上げなければならない。一ミリでも線がずれれば術式は暴走し、ただのガラクタになってしまうだろう。
私の額にじわりと汗が滲む。息を止め全神経を筆先に集中させる。
しんと静まり返った工房に筆が革の上を滑る、かすかな音だけが響いていた。
どれくらいの時間が経っただろうか。太陽が西の空に傾き始め、窓から差し込む光がオレンジ色に染まり始めた頃。
ついにその作業は完了した。
「……できた」
ぽつりと私の口からそんな言葉が漏れた。
目の前には私がイメージした通りの二着の鎧が、静かに横たわっている。見た目はただの少しだけ作りの良い革鎧にしか見えない。けれどその内側には私の知識と魔法の粋を集めて作り上げた、最高の機能が秘められている。
私は完成したばかりの鎧を手に取ってみた。ひんやりとした滑らかな感触。そして驚くほど軽い。
私は試しにほんの少しだけ魔力を流し込んでみる。
するとどうだろう。鎧の内側に描き込まれた青い術式が、ぼうと一斉に淡い光を放ち始めた。そして鎧の表面からふわりと、目には見えない、しかし確かにひんやりとした心地よい冷気が発生しているのが肌で感じられた。
「……成功、ね」
私は満足げに一つ頷いた。これならいける。あの灼熱の火山とも十分に渡り合えるはずだ。
もちろん最初から全てがうまくいったわけではない。最初の試作品は冷気を発生させる術式のコントロールがうまくいかず、鎧の内側がまるで冷凍庫のようにキンキンに冷えすぎてしまった。二番目の試作品は風の循環が強すぎて、着ているだけで風邪をひきそうなくらいびゅうびゅうと風が吹き荒れてしまった。
そんな数日間にわたる試行錯誤の末、ようやくバランスの取れた、二着の特製耐火服が完成したのだ。
「さあ、フェン。試着してみましょうか」
私はフェン用の鎧を彼の体に優しく着せてあげた。最初は少しだけ窮屈そうにしていた彼も、鎧からひんやりとした心地よい風が吹き出してくるのに気づくと、すぐにその着心地が気に入ったようだった。
「わふん!」
彼はどうだ!と言わんばかりにその場でくるりと一回転してみせた。その姿はまるで最新鋭の装備を身に着けた、銀色の騎士のようだ。
私も自分の体に完成したばかりの鎧を身に着けてみる。体に吸い付くようにぴったりとフィットする。そして全身を柔らかなひんやりとした空気の層が、優しく包み込む不思議な感覚。これならどんな灼熱の環境でも快適に過ごせるに違いない。
私の意思を感じ取ったのか、フェンが私の足元に駆け寄ってきて力強く一声鳴いた。
そうだね、フェン。退屈な準備期間も今日で終わりだ。
明日からは、いよいよ新しい冒険の始まりだ。
私は夕暮れに染まり始めた西の空を見上げた。その遥か彼方、燃えるような赤い空の向こうに、私たちの次なる挑戦の舞台が待っている。
「さて、と。灼熱の火山よ、待っていなさいな」
私は誰に言うでもなく、そっと呟いた。




