第三十五話:招かれざる者
私にとって『招かれざる客』がフロンティアの街に到着したのは、市場でその噂を耳にしてから僅か数刻後、太陽が一番高く昇った昼過ぎのことだった。
ぱっぱかぱーん、ぱっぱかぱーん!
街の南門の方角から、やけに大げさでどこか間の抜けたファンファーレが鳴り響いた。
市場にいた人々が何事かと一斉にそちらへ視線を向けた。
やがて音と共に姿を現したのは、一台の豪華絢爛という言葉をそのまま形にしたような巨大な馬車だった。
車体は磨き上げられた純白の木材で作られ、その至る所に金色の過剰な装飾が施されている。車輪にまで金の飾りがついているのだから徹底していた。
そのあまりにも場違いで悪趣味な馬車を引くのは四頭の見事な白馬。馬車の周囲は王都から派遣されたのであろう、銀色に輝くプレートメイルに身を固めた近衛の騎士たちが物々しく固めている。
その光景は辺境の素朴な街の風景とは、絶望的なまでに不釣り合いだった。
「うわあ……なんだ、ありゃ……」
「王族の方でも、いらっしゃったのか……?」
市場のあちこちから、そんな困惑と好奇を含んだ声が上がり始める。
私はその馬車を一目見ただけで、中に乗っている人物が誰なのかを確信していた。
私とフェンは人混みから少し離れた露店の軒先で、その行列が街の中央広場へとゆっくり進んでいくのを腕を組んで静かに眺めていた。
やがて馬車は広場のちょうど真ん中でぴたりと停止した。
騎士の一人が恭しく馬車の扉を開ける。
そしてその中から一人の少女が、まるで教会の祭壇に舞い降りた天使のようにゆっくりと姿を現した。
桜色のふわふわとした髪は、高価な宝石をあしらった髪飾りで丁寧に結い上げられている。
純白の絹のドレスは彼女のか細い体を儚げに覆い、その裾は地面にさざ波のように優雅に広がっていた。
大きな瞳には慈愛とほんの少しの悲しみを浮かべている。
その唇はこれからこの街の民に与えるであろう、救いの言葉を紡ぐために固く結ばれていた。
非の打ち所がなかった。
誰がどう見ても慈悲深き『聖女』そのもの。
彼女はきっとこの瞬間をずっと夢見ていたのだろう。
絶望に打ちひしがれる民衆。
その前に救世主として降臨する自分自身の姿を。
けれど。
「…………え?」
馬車から降り立ったリアナの口から最初に漏れたのは、そんな間の抜けた一言だった。
無理もない。
彼女の目に今映っているであろう光景は、彼女が思い描いていた悲劇の場面とはあまりにもかけ離れていたのだから。
活気に満ちた市場。
行き交う人々の屈託のない笑顔。
あちらこちらの屋台から立ち上る、美味しそうな煙と香ばしい匂い。
子供たちの甲高い元気な笑い声。
どこにも絶望のかけらなどありはしない。
それどころかこの街は、王都のどの地区よりもずっと生命力に満ち溢れている。
彼女が丹念に作り上げた慈愛の微笑みが、ぴしりと。
まるで薄いガラスにひびが入るように、一瞬だけ固まったのを私は見逃さなかった。
(あらあら、どうしたのかしら聖女様? あなたの出番はもうとっくの昔に終わってしまっているみたいですよ?)
私は内心でそんな少しだけ意地悪なツッコミを入れながら、その面白い光景を存分に楽しませてもらうことにした。
◇
リアナはしばらく、その場で呆然と立ち尽くしていた。
彼女の筋書きが開始一秒で根底から崩れ去ってしまったのだ。無理もない。
そんな彼女を市場にいた人々が、遠巻きにしかし興味津々といった様子で眺めている。
やがて広場の隅からギルドマスターと街の衛兵隊長が慌てた様子で駆け寄ってきた。
「こ、これは、リアナ聖女様! ようこそフロンティアへ! お出迎えが遅れまして大変申し訳ございません!」
ギルドマスターが額に汗を浮かべながら深々と頭を下げる。
その声でリアナは、ようやく我に返ったようだった。
彼女ははっとすると、慌てていつもの聖女然とした仮面を顔に貼り付け直した。
「い、いえ、こちらこそ突然の訪問、お許しください。この度の魔物の大発生を王都で聞き及び、いてもたってもいられず馳せ参じました。街の皆様、さぞかし大変な思いをされたことでしょう……。私の力で少しでも皆様のお心を癒すことができれば、と……」
その流れるような美しい口上。
さすがは聖女様。
けれどその言葉は今のこの状況では、ひどく空々しく響いた。
案の定、周りで聞いていた街の人々からひそひそとした囁き声が上がり始める。
「おいおい、慰問って……。うちはもうとっくに元気だぜ?」
「ああ。むしろ前より景気がいいくらいだ」
「聖女様もありがたいけどよ……。俺たちにはもうアリアさんがいるからなあ……」
その人々の声。
その中にあった一つの名前。
「……アリア?」
リアナの桜色の唇からその名前がぽつりと漏れた。
そして彼女の視線が初めて、私の方へとゆっくりと向けられた。
いや、私ではない。
私の周りにいつの間にかできていた人だかりに。
「アリア様!あの爆薬、うちの息子が大喜びだったぜ!」
「英雄様、この前の爆薬まだ残ってるのかい? 今度畑の開墾に少しだけ分けてもらえねえかなあ?」
いつの間にか私の周りには、スタンピードの戦いで共に戦った冒険者や、私が作った爆薬で畑仕事が楽になったという農夫たちが集まってきていた。
その誰もが私に親しげに、そして心からの感謝と信頼の眼差しを向けている。
「あら皆さん。そんなに一度に話しかけられても困ってしまいますわ。順番にお願いしますね」
私が悪戯っぽく笑いながらそう言うと、周りの男たちは「がはは!」と豪快に笑った。
そしてその輪の中心にいる私。
追放したはずの姉。
か弱くて何もできなくて、ただお飾りのように微笑んでいることしか能のなかったあのアリア。
その姉が今この辺境の街で『英雄様』と呼ばれ、人々から絶大な支持を集めている。
その信じがたい事実を、リアナの脳がようやく認識したようだった。
「…………」
彼女の顔からすうっと表情が消えた。
聖女の微笑みはどこかへ消え去り、そこにあるのはただ能面のような無表情だけ。
その目は大きく見開かれ、目の前に広がる光景がまるで信じられない悪夢でも見ているかのように、ただ私の一点だけを凝視していた。
その表情。
私は見覚えがあった。
(……ああ、そっくりだわ)
かつて王城の謁見の間で私を見て、石像のように固まったあの顔。
アレクシオス王太子と全く同じ顔。
彼らはそろって自分の想定外の出来事に対する処理能力が、絶望的に低いらしい。
ある意味でお似合いのカップルか。
「あ……」
リアナの唇がかすかに動く。
何かを言おうとしている。
けれどその唇から紡ぎ出されるのは意味のある言葉ではなく、ただ空気の漏れるようなか細い音だけ。
彼女のプライドも自信も、そして聖女としての体面も、全てが今この瞬間目の前で音を立てて砕け散っていったのだろう。
その様はまさしく愕然という言葉がふさわしかった。
やがて彼女は絞り出すような声で、ようやく一つの文章を完成させた。
「……なぜ、あなたがここに……!? し、しかも英雄ですって……? 聖女様って……?」
そのか細い声はこの喧騒の中では、誰の耳にも届かなかったかもしれない。
けれど私の耳にははっきりと聞こえていた。
私はそんな哀れな妹にゆっくりと向き直った。
そしてにっこりと。
公爵令嬢時代に来る日も来る日も練習させられた、非の打ち所がない淑女の微笑みを浮かべてみせた。
「あら、ごきげんようリアナ。聖女様になられたのですね。おめでとうございます」
そのどこまでも穏やかで、そしてどこまでも無慈悲な私の言葉。
それがとどめだった。
リアナの能面のような無表情に、初めて感情が戻った。
けれどそれは慈愛でも悲しみでもない。
彼女の大きな瞳の奥で、ぱちりと何かが燃え上がる音がした。
それは純粋な悔しさと灼けつくような嫉妬の炎。これまで彼女が武器としてきたどんな涙よりもずっと熱く、そして醜い感情の流れだった。
彼女は血が滲むほどに桜色の唇を強く噛み締めており、純白のドレスを握りしめるその指先は白を通り越して紫色に変わっている。
ここに彼女にとって思いもよらない現実があったからだろうか?
それを屈辱と感じたのだろうか?
その瞳はもはや私だけを映し、赤黒い憎悪の光を放っていた。
この予期せぬ再会が、これからどんな新しい波乱をこの街にもたらすことになるのか。
今の私にはまだ分からない。
けれど、まあ、いい。
どんな面倒なイベントが起ころうとも、今の私にはそれを乗り越えるだけの力とそして最高の相棒がいるのだから。
私の冒険はまだ始まったばかり。
こんな陳腐な昼ドラみたいな痴話喧嘩に、付き合っている暇はないのだ。
「さあ、フェン。帰りましょうか。私たちの愛しの我が家へ。最高のステーキが私たちを待っているわ」
「わふん!」
私は憎悪に燃える瞳で見つめてくる妹に完全に背を向けると、隣に立つ最高の相棒にそう囁いた。
彼は心得たとばかりに力強く一声鳴いた。
私たちは一度も振り返ることなく、その場を後にした。
背後からはずっと肌を針で刺すような、鋭い視線を感じていた。




