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追放令嬢はゲーム知識と生活魔法でダンジョンを攻略する ~もふもふな相棒と始める、自由気ままな冒険者ライフ~  作者: 速水静香
第八章:沈黙の樹海

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第三十三話:森の主

 ひときわ巨大な古木の根元に、ぽっかりと口を開けた洞。

 その入り口に立った瞬間、これまで感じてきた空気の流れがぴたりと止まったのを感じた。いや、止まったのではない。内側と外側で世界の法則そのものがまるで違うのだ。

 洞の外は音のない『沈黙の樹海』。

 けれど洞の内側から漏れ出てくるのは音ですらない、もっと根源的な何か。

 それは魔力だった。

 あまりにも純粋で濃密な、清浄な魔力の気配。

 まるでこの場所だけが世界の生まれたての姿をそのまま保存しているかのような、神聖な空気が満ちていた。


「……ここが、ゴールみたいね」


 私はごくりと唾を飲み込んだ。

 隣ではフェンもまたその尋常でない気配に気圧されたのか、ごくりと喉を鳴らす音がした。彼の全身の銀色の毛がびりびりと逆立っている。それは恐怖からではない。むしろ畏敬に近い感情の表れのように私には見えた。

「行くわよ、フェン。主さんが私たちを待っているわ」

「わふん」


 私の静かな、しかし決意を込めた声に、フェンもまた力強く応えてくれた。

 私たちは顔を見合わせると、こくりと一つ頷き合う。

 そしてまだ見ぬ主への謁見を果たすべく、聖域とも呼ぶべき洞の中へとその第一歩を踏み出したのだった。



 洞の中は外から見た印象よりもずっと広々としていた。

 そして不思議なことに暗くはなかった。

 遥か高い天井、その巨木の幹の隙間から、まるで教会のステンドグラスを通り抜けてきた光のように何本もの柔らかな光の筋がまっすぐに射し込んでいる。その光が洞の中の空間を、ぼんやりと幻想的に照らし出していた。

 壁は木の幹そのものが滑らかに磨き上げられたようになっており、そこには血管のように翠色の光を放つ鉱石の筋が複雑な模様を描きながら走っている。

 空気は冷たく、どこまでも澄み切っていた。深呼吸をすると肺の中が清らかな魔力で洗い流されていくような心地よさがあった。

 しんと静まり返った空間。

 私たちの足音だけが、こつん、こつんと柔らかく響く。

 私たちはその光景に圧倒されながら、ゆっくりと洞の奥へと進んでいった。


 そしてその洞のちょうど真ん中。


 一番多くの光が降り注ぐ開けた場所に『それ』はいた。


「…………綺麗」


 思わずそんな言葉が吐息のように漏れた。

 そこに立っていたのは、これまでの冒険で出会ったどんな魔物とも人間とも違う、常識を超えた美しい存在だった。


 それは『鹿』の姿をしていた。

 いや、『鹿』と呼ぶにはその姿はあまりにも神々しい。


 体は森の若葉をそのまま集めて作ったかのように鮮やかな緑色をしていて、その表面からは淡い光の粒子がオーラのようにゆらゆらと立ち上っている。

 しなやかに伸びた四肢は大地にしっかりと根を張り、その立ち姿には何百年、いや何千年という長い年月を生きてきたものだけが持つ絶対的な風格があった。

 そして何よりも目を引いたのは、その頭部から天に向かって枝分かれするように伸びる巨大な角。

 その角は金属でも骨でもない。

 まるで生きている木そのもののように複雑に絡み合いながら成長している。その枝の先々には小さな白い花がいくつも咲き誇っていた。


 森そのものが意思を持ったかのような姿。


 あれがこの『沈黙の樹海』の主に違いなかった。

 主はその穏やかで、しかし全てを見通すかのような深い翠色の瞳でじっと私たちのことを見つめていた。

 その視線には敵意も殺意も何一つない。

 ただそこにあるのはどこか悲しげで、そしてひどく疲れているようだった。


(……この森、やっぱり何かに苦しんでいるんだわ)


 私のゲーマーとしての勘がこの状況をすぐに分析する。

 これは戦闘イベントじゃない。

 もっと重要な、物語の根幹に関わるイベントシーンだ。

 私がどう動くべきかと思案していると、主の翠色の瞳が私の腰に下げた冒険用の革袋にぴたりとその焦点を合わせた。

 いや正確に言えば、その革袋の中に大切にしまわれているあの石に。


『……道標の石を持つ者よ』


 声は聞こえなかった。

 けれどその言葉は私の頭の中に直接、水が染み込むようにすうっと流れ込んできた。

 テレパシーというやつだろうか。

 その声は男でも女でもない。老いても若くもない。ただどこまでも澄み切っていて、そして少しだけかすれている。


『よくぞ参られた。永きに渡り、我はそなたのような者を待ち続けていた』

「あなたがこの森の主なのですか?」


 私が問いかけると、主はこくりとその美しい頭を静かに上下させた。


『いかにも。我は、この森そのもの。森は我であり、我は森である』


 主の言葉と共に、私の頭の中に奔流のような映像と感情がなだれ込んできた。

 それはこの森の記憶。

 かつての生命力に満ち溢れ、光り輝いていた美しい森の姿。

 けれどある日を境にどこからともなく黒くて粘つくような『穢れ』がこの森を蝕み始めた。

 その穢れは病のようにゆっくりと、しかし確実に森の生命力を吸い上げていった。

 木々は枯れ水は澱み、森に住まう生き物たちは次々とその姿を消していった。

 そして森そのものである主自身もまた、その穢れに蝕まれ本来の力を失ってしまったのだ。


『……見ての通り、我はもはや自分の体を清めることすらままならぬ』


 主の言葉と共に、私は彼の美しい体にいくつかの黒い染みが病巣のように浮かび上がっているのに気がついた。

 あの穢れが、彼の内側からその体を蝕んでいるのだ。


『旅人よ。道標の石に選ばれし者よ。そなたがこの森に偶然迷い込んだわけではないことを我は知っている』


 主の翠色の瞳が私をまっすぐに射抜いた。

 その瞳には切実な願いが浮かんでいる。


『どうか、この森を救ってはくれぬか。この永きに渡る苦しみから我らを解き放ってはくれまいか』


 それは依頼だった。

 この世界のどんなギルドにも張り出されることのない、たった一人にだけ託された特別なクエスト。

 報酬は約束されていない。

 けれど私の心はもう定まっていた。


(こういう展開、待っていたわ!)


 私の口元に挑戦的な笑みが浮かんだ。

 困っている存在がいる。

 そしてそれを解決できる力が私にはある。

 それだけで冒険者として動く理由は十分すぎるくらいだ。


「……分かりました」


 私はきっぱりとそう言い切った。


「その依頼、この私が謹んでお受けいたします」



 私の迷いのない返答に、森の主の翠色の瞳がわずかに見開かれたように見えた。


『……よろしいのか? これはそなたの命を危険に晒すことになるやもしれぬ。我はそなたに何一つ見返りを約束することはできぬというのに』

「構いませんわ。私は冒険者ですから。目の前に困っているダンジョンがあれば、攻略したくなるのが性分なのです」


 私は悪戯っぽく肩をすくめてみせた。

 私のあまりにも場違いな軽口に、主は一瞬だけきょとんとしたようだった。

 けれどすぐにその口元らしき場所が、ふわりと優しく綻んだように見えた。


『……面白い人の子よ。そなたになら託せるやもしれぬ。この森の未来を』

「ええ、お任せくださいな。最高のハッピーエンドをお見せしてさしあげますわ」


 私は高らかにそう宣言すると、懐から満を持してあの黒檀の杖を取り出した。

 夜の闇をそのまま固めて磨き上げたかのような、美しくも尋常でない気配を放つ私だけの専用杖。

 私がその杖を握った瞬間、杖全体がぼうっと洞の中を照らす光に呼応するように、淡い翠色の光を放った。


「フェン、あなたは少しだけ下がっていてちょうだい。これからちょっとだけ派手な魔法を使いますから」

「わん!」


 私の言葉にフェンも心得たとばかりに力強く一声鳴くと、さっと私の後ろへと身を引いた。

 私は一人、森の主の前に進み出る。

 冷たい、それでいてどこか清浄な空気が私の頬を優しく触れていった。

 目を閉じ、意識を集中させる。

 イメージするのは光。

 アンデッドを安らかな砂へと還し、魔性の植物を穏やかな森の仲間へと変えたあの清浄な光の流れ。

 けれど今私が放つのはそれらとは比べ物にならないくらい、もっと強くそしてどこまでも優しい光。

 この樹海全体をその隅々まで洗い流す、巨大な浄化の波。


(イメージは春の優しい陽光。凍てついた大地をゆっくりと解きほぐしていく温かい光……!)


 私の体の中の魔力が黒檀の杖へと、凄まじい勢いで流れ込んでいった。

 杖が私の魔力を何倍にも何十倍にも増幅させていくのが肌で感じられた。

 杖の先端にぱちぱちと、翠色の小さな火花が散り始める。

 空気そのものが魔力で満たされて、びりびりと揺れている。

 そして私の体の中の魔力が最高潮にまで達した、その瞬間。


「―――『マザー・オブ・フォレスト』!」


 私が即席で考えた実にそれっぽい名前の魔法を、高らかに唱えたその時だった。

 杖の先端から光があふれ出た。まばゆいほどに強く、それでいて目に優しい翠色の光。それはもはや洪水と呼ぶべき勢いだった。

 その圧倒的なまでの清浄な光の流れが、この洞の中を一瞬にして完全に満たしたのだ。



 しゅわわわわわ……。


 まるで炭酸水が弾けるような無数の心地よい音。

 温かくて優しい光が私の体をふわりと満たす。

 それはただこの洞の中を満たしただけではなかった。

 光はこの古木の幹を枝を葉を、その隅々まで染み込んでいった。

 そしてこの樹海全体へと、まるで大地を流れる清らかな水のようにどこまでも広がっていった。

 私の頭の中に再び森の記憶が流れ込んでくる。

 けれどそれは先ほどのような苦しみに満ちたものではない。


 喜びの声。


 長い闇の中からようやく解放された生命の歓喜の歌。

 穢れに蝕まれねじ曲がっていた木々が、ゆっくりとその本来のまっすぐな姿を取り戻していった。

 澱んでいた水が再びきらきらとした輝きを取り戻していった。

 そしてこの森から姿を消していた小さな生き物たちが、土の中から木の洞の中から次々とその顔を覗かせ始めた。


 森が、生き返っていく。


 私のたった一つの魔法が、この死にかけていた世界を再び生命の輝きで満たしていった。

 そのあまりにも壮大で美しい光景に、私はしばらく言葉を失っていた。


(……すごい。これが私の全力……)


 黒檀の杖が私の魔力をこれほどの高みへと引き上げてくれたのだ。

 やがて光の流れがゆっくりとその勢いを弱めていった。

 そして後に残されたのはしんと静まり返った、しかし先ほどまでの不気味な静寂とは全く違う生命の気配に満ちた穏やかな沈黙だった。


 私の目の前で森の主の体が、ふわりと淡い光に満たされた。


 その体を蝕んでいた黒い染みが、まるで朝霧が晴れるかのようにすうっと消え去っていった。

 彼の翠色の体が以前よりもずっと鮮やかに、そして力強く輝き始めた。

 頭部の木の角に咲いていた白い花が一斉にぱっと満開になる。

 そしてその花々から甘くかぐわしい香りが、あたりにふわりと漂い始めた。


 本来の力を取り戻したのだ。


『……ありがとう、人の子よ』


 主の声にはもうかすれた響きはない。

 そこにあるのは森そのもののような深く、そしてどこまでも優しい慈愛に満ちた響きだった。


『そなたはこの森を救ってくれた。この永きに渡る呪いを解き放ってくれた。この恩は決して忘れはせぬ』


 主はそう言うと、その木の角の一番美しく咲き誇る一輪の白い花をその枝先から静かに切り離した。

 その花はゆっくりと宙を舞い、私の胸元へと吸い寄せられるように飛んできた。

 そして私の体に触れた、その瞬間。

 花は淡い翠色の光の粒子となって、私の体の中へとすうっと入り込むように消えていった。


「……これは?」

『感謝の印。我がそなたに与える『森の加護』だ』


 主の言葉と共に、私の体の中を温かくて優しい何かが駆け巡るのを感じた。

 それはまるで森そのものと私が一つに繋がったかのような、不思議な一体感。


『そなたがこれから育む全ての命。我がささやかながらその成長を手助けしよう。そなたのその優しき心が、これからも多くの命を育んでいけるように』


 森の加護。

 そのあまりにもファンタジックな響き。

 そしてその絶大な効果を私は直感的に理解していた。

 私がこれから育てる薬草の効果が、何倍にも何十倍にも増幅される。

 とんでもないチートスキルを手に入れてしまった。


「……ありがとうございます」


 私はそのあまりにも大きすぎる贈り物に、ただ深々と頭を下げることしかできなかった。



 森の主との契約は果たされた。

 穢れは祓われ、森は本来の美しい姿を取り戻した。

 そして私はとんでもないお土産まで手に入れてしまった。

 まさに最高のハッピーエンド。


『さあ、行くがよい人の子よ。そなたの進むべき道はもはや迷いの森ではない』


 主はそう言うと、その美しい頭を洞の入り口へと向けた。

 私たちがここへ来た時に通ってきたはずの、あの暗くて不気味だった洞。

 それが今ではまるで緑のトンネルのように明るく、そして生命力に満ちた美しい道に姿を変えていた。

 その道の遥か向こうにはきらきらと輝く、外の世界の光が見えている。


「……ええ、行きますわ」


 私はもう一度主に深々と一礼した。


「ありがとう、主さん。あなたの森、大切になさってくださいね」

『うむ。そなたも達者でな』


 主の優しい声に背中を押されるように、私たちはその緑のトンネルへと足を踏み出した。

 私の隣ではフェンが誇らしげに胸を張って歩いている。

 彼の小さな背中が、いつもよりずっと大きく見えた。


(さて、と。帰りましょうか)


 私は自分の胸元に静かに手を当てた。

 そこにはまだ、森の主から貰った加護の温かさが残っていた。

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お菓子作りのための追放スローライフ~婚約破棄された公爵令嬢は、規格外の土魔法でもふもふ聖獣やゴーレムと理想のパティスリーを開店します~


【化学調味料/飯テロ/日本食】
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