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第二話: 初期装備は現地調達。そして「もふもふ」が一匹


 ごつごつとした荷台に揺られること、どれくらいの時間が経っただろうか。

 王都のきらびやかな街並みはとうの昔に見えなくなり、窓の外の景色は、手入れの行き届いた田園風景から、次第に人の手が入っていない、ありのままの自然へとその姿を変えていった。最後に私を乗せた衛兵は、森の入り口で「ここから先は自力で進め」とだけ言い残し、まるで厄介払いでもするかのように、私の小さな荷物と一緒に荷台から降ろすと、あっという間に馬車をUターンさせて走り去ってしまった。その背中には、哀れみも同情も、何一つ感じられなかった。


(まあ、いいけどね。むしろ、一人にしてくれてありがとうって感じだし)


 私は伸びを一つすると、目の前に広がる広大な森を見上げた。

 天を突くようにそびえ立つ木々が、幾重にも重なり合って緑の天井を作り、その隙間からこぼれる日の光が、地面にまだら模様を描いている。湿った土と、むわりと立ちこめる植物の匂い。時折、どこからか聞こえてくる鳥や獣の鳴き声が、この場所が人間の支配する領域ではないことを教えてくれる。

 普通の貴族令嬢なら、絶望のあまり泣き崩れてしまうような状況。

 けれど、今の私にとっては、どこまでも続く最高のフィールドにしか見えなかった。


(さて、と。まずは現状確認から)


 私はその場に腰を下ろし、唯一渡された小さな革袋の中身をぶちまけた。

 出てきたのは、手のひらほどの大きさの硬いパンが三つと、小さな水袋、そして粗末なナイフが一本。これっぽっち。あまりのしょぼさに、思わず乾いた笑いがこぼれる。


「これだけで生き延びろって、どんだけ鬼畜仕様なのよ、あのおたんこなす王子」


 口から飛び出したのは、もはや令嬢のそれではない、前世の素の言葉だった。まあ、聞いている人もいないのだから問題ない。

 でも、心配はご無用。私にはちゃんと『初期装備』がある。

 私は着ていた質素なドレスの裾をたくし上げ、内側に縫い付けておいた小さな袋を慎重に取り出した。中から出てきたのは、パーティーで身に着けていた髪飾りからこっそり外しておいた宝石の数々と、公爵令嬢時代にこつこつ貯めていた『へそくり』の金貨と銀貨。自室の床下に隠しておいたものを、追放される直前のわずかな時間で回収しておいたのだ。これだけあれば、当面の生活には困らないだろう。


「ふふっ、備えあれば憂いなし、ってね。ゲームじゃ基本中の基本よ」


 宝石と貨幣を革袋にしまい直し、私はすっくと立ち上がった。

 さあ、ここからが本番だ。

 私の、私による、私のための、リアル・ファンタジー・サバイバル生活の始まりである。



 追放先の森は、私にとって危険な場所ではなく、魔法理論と前世の知識を試す絶好の実験場だった。

 まず取り掛かったのは、寝床の確保。

 適度に開けた、見晴らしの良い場所を見つけると、私はそこで両手を地面にかざした。


(イメージは、地面を『ならす』感じ。土木工事の基礎みたいなものかな)


 体の中の魔力を、ゆっくりと足元へと流し込む。公爵令嬢としての教育で叩き込まれた魔法理論によれば、生活魔法はごくわずかな魔力で発動できる、最も基礎的な魔法だ。

 私が集中すると、足元の地面がむくむくと盛り上がり、でこぼこだった表面がまるで定規で引いたみたいに平らになっていく。


「おー、すごいすごい。次は風魔法で湿気飛ばし、っと」


 今度は、手のひらに風を集めるイメージ。すると、生暖かい風がふわりと巻き起こり、じめっとしていた土の表面をあっという間に乾かしてくれた。これで、寝転がっても服が汚れる心配はない。


「よし、次は火ね。焚き火がないと夜は冷えるし、獣避けにもなる」


 乾燥した木の枝をいくつか拾い集め、その中心に向かって指先を向ける。


 『発火』


 これも初級の生活魔法。ぽん、と軽い音がして、指先から小さな火の玉が飛び出し、木の枝に見事着火した。ぱちぱちと音を立てて燃え上がる炎は、見ているだけで心が落ち着く。前世では、動画サイトで焚き火の映像をぼーっと眺めるのが好きだったっけ。まさか本物でやれる日が来るとは。


「最後は、一番大事な水の確保」


 私は近くの小川に行くと、水袋にたっぷりと水を汲んだ。そのままではお腹を壊すかもしれない。そこで、また魔法の出番だ。

 水袋に手をかざし、今度は『浄化』の魔法を行使する。

 これは本来、呪いを解いたり、アンデッドを清めたりする神聖魔法の基礎の基礎。でも、前世の知識があれば応用は無限大だ。


(要は、水の中に含まれる不純物――菌とか、ゴミとか、そういう『体にとって悪いもの』だけを無害な魔力に分解するイメージ)


 ゲームで言えば、デバフ解除の魔法を、物質に対して使うようなものだ。

 袋の中の水が、一瞬だけ淡い光を放ち、すぐに元に戻る。見た目に変化はないけれど、これで安全な飲み水の完成だ。一口飲んでみると、驚くほどまろやかで、美味しい。


「最高じゃない……! 貴族の城で飲んでた高級ミネラルウォーターより美味しいかも!」


 寝床よし、火よし、水よし。

 生活の基盤は、あっという間に整ってしまった。

 貴族として暮らしていた頃は、侍女が何から何まで世話をしてくれていたけれど、自分の力だけで快適な環境を作り出すこの達成感は、何物にも代えがたい。

 窮屈なドレスを脱ぎ捨て、動きやすい平民の娘のような服装に着替える。もう、誰の目も気にする必要はないのだ。


(ああ、なんて自由なんだろう!)


 私は両手を大きく広げて、森の新鮮な空気を胸いっぱいに吸い込んだ。

 これから始まる冒険の日々を想像するだけで、わくわくが止まらない。

 この世界の誰もが軽んじている生活魔法。でも、前世の知識と組み合わせれば、それはどんな上級魔法にも負けない、最強のサバイバルツールになる。

 私の本当の人生は、まだ始まったばかりなのだ。



 森での生活を始めて、三日が過ぎた。

 私はすっかり、この自由な暮らしに馴染んでいた。昼間は森を探索して、食べられそうな木の実やキノコを探す。浄化魔法を使えば、毒の有無は一発で分かるので食中毒の心配もない。夜は焚き火の前で、その日採れたものを調理して食べる。

 この日は、大きくて瑞々しいキノコが手に入ったので、ナイフでスライスして、持参した岩塩をぱらぱらと振りかけ、焚き火でじっくりと炙ってみた。


「うん、美味しい!」


 じゅわっと溢れ出すキノコの旨味と、香ばしい香り。シンプルな調理法だけど、これ以上の贅沢はない。貴族のパーティーで食べた、やたらと名前の長い高級料理よりも、ずっとずっと心が満たされる味だ。

 お腹が満たされると、自然と気持ちが緩んでくる。

 ぱち、ぱち、と静かに爆ぜる炎を眺めながら、これからのことを考える。


(そろそろ、この森を抜けて街を目指した方がいいかな。情報収集もしたいし、何より冒険者ギルドに登録しないと始まらない。この森がどのあたりにあるのかも、ちゃんと把握しておかないと)


 そんなことを考えていた、その時だった。

 がさっ、と。

 すぐ近くの茂みが、不自然に揺れた。

 鳥や小動物の立てる音じゃない。もっと大きく、重い何かがそこにいる。


(……来たか)


 私は咄嗟にナイフを握りしめ、腰を低くして茂みを睨みつけた。

 魔物。

 この世界に来て、初めてのエンカウント。

 緊張が走る。けれど、それ以上に、ゲーマーとしての血が騒ぐのを止められない。どんなモンスターが出てくるんだろう。ゴブリンか、それとも巨大な狼か。


 ゆっくりと、茂みの中からその姿を現したのは―――。


「……え?」


 思わず、間の抜けた声が出た。

 そこにいたのは、私の想像していたどんな凶暴な魔物とも違う、一匹の獣だった。

 体格は、大型犬くらい。

 全身を覆う毛は、月明かりを浴びて淡く輝く、美しい銀色。

 ピンと立った耳に、しなやかに伸びた尻尾。

 そして、何よりも目を引いたのは、その大きな黒い瞳。じっと私を見つめるその瞳には、そこらの獣にはない、確かな知性の光があるように見えた。


 ただ、その美しい姿とは裏腹に、その獣はひどく弱っているようだった。足元はおぼつかず、毛並みには艶がない。そして、そのお腹が、ぐぅぅぅ、と情けない音を立てた。

 どうやら、相当お腹を空かせているらしい。

 私と、私の手元にある食べかけの焼きキノコを、交互に、じっと見つめている。


(……なんだ、この可愛い生き物は)


 全身を覆う、絹のような銀色の毛。

 もふもふ。

 そう、圧倒的なまでのもふもふ感。

 前世で、動画サイトの動物チャンネルを延々と見ていた私の『もふもふセンサー』が、けたたましく反応している。

 警戒心よりも、好奇心と庇護欲がむくむくと湧き上がってきた。


「お腹、空いてるの?」


 私はなるべく優しい声で、ゆっくりと話しかけた。

 相手は言葉が分からないだろうけど、敵意がないことは伝わるかもしれない。

 銀色の獣は、私の言葉にぴくりと耳を動かした。相変わらず、じっと私を見つめている。

 私は手に持っていた焼きキノコを、そっと地面に置いた。そして、両手を上げて、自分は無害だとアピールする。


「どうぞ。罠とかないから、安心して食べていいよ」


 獣は、それでもしばらく動かなかった。私とキノコを何度も見比べて、鼻をひくひくと動かしている。

 やがて、空腹が警戒心を上回ったらしい。

 おそるおそる、といった様子で一歩を踏み出し、地面に置かれたキノコに近づくと、くんくんと匂いを嗅いだ。そして、ぱくりと一口。

 その瞬間、獣の黒い瞳が、きらーんと輝いたように見えた。

 よほど美味しかったのか、そこからはもう夢中だった。あっという間にキノコを平らげると、どこか物足りなさそうな顔で、ぺろりと口の周りを舐めている。


(完全に餌付けモード入ったな、これ)


 あまりの可愛さに、私の口元が自然と緩む。

 私は革袋から、とっておきの保存食を取り出した。前世の知識を活かして作った、干し肉だ。肉を薄く切って塩漬けにし、数日間乾燥させただけのシンプルなものだけど、栄養価は高い。


「これも食べる?」


 干し肉をひらひらと見せると、銀色の獣は、さっきまでの警戒心が嘘のように、ぶんぶんと尻尾を振って喜びを表現した。その姿は、もうただの可愛いわんこである。


 私は一切れ投げてやると、彼はそれを空中で見事にキャッチし、がつがつと食べ始めた。

 そのあまりの食いっぷりに、私は思わず笑ってしまった。


「よっぽどお腹空いてたんだね。うん、いい食べっぷりだ」


 私は干し肉をもう数枚あげてから、ゆっくりと彼に近づいてみた。彼は食べるのに夢中で、私がすぐそばにしゃがみこんでも、気にする様子はない。

 私はおそるおそる、その銀色の背中に手を伸ばした。


(うわ……なにこれ、すごい……!)


 指先に触れた毛並みは、想像していた以上の滑らかさだった。まるで最高級の絹織物のよう。それでいて、ふかふかで、暖かい。

 私が優しく撫でてやると、彼は気持ちよさそうに目を細め、「くぅん」と甘えたような声を漏らした。

 どうやら、完全に心を許してくれたらしい。


「君、名前はあるの? ないなら、私がつけてあげようか」


 私は彼の頭を撫でながら、考えた。

 銀色の毛並みだから、シルバー? 安直すぎる。伝説の狼フェンリルからとって、リル? うーん、ちょっと可愛いすぎるか。

 そうだ。


「フェン。君の名前は、今日からフェンだ。どうかな?」


 その響きが気に入ったのか、彼は「わふん!」と元気よく一声鳴いて、私の手にすり寄ってきた。

 どうやら、この名前で決定らしい。


 こうして私は、追放先の森で、唯一無二で最強の相棒を得ることになった。

 その夜、私は初めて、一人きりではない夜を過ごした。

 焚き火のそばで、丸くなって眠るフェンの体に寄り添うと、そのもふもふの毛皮が、驚くほど暖かかった。規則正しく上下する体と、すーすーという穏やかな寝息を聞いているうちに、私の意識もゆっくりと沈んでいった。

 貴族の城で使っていた、どんな高級な羽毛布団よりも、ずっと安心できる温もりだった。



 翌朝、私が目を覚ますと、隣で眠っていたはずのフェンの姿がなかった。


「え、フェン? どこ行ったの?」


 一瞬、ひやりとした。

 昨日のことは、すべて夢だったのだろうか。それとも、お腹がいっぱいになったから、どこかへ行ってしまったのだろうか。

 少しだけ、胸のあたりがちくりと痛んだ。

 私がしょんぼりしながら起き上がると、近くの茂みががさがさと揺れて、ひょっこりとフェンが顔を出した。


「わふっ!」


 その口には、見たこともないような、真っ赤でつやつやした木の実がいくつも実った枝を咥えている。

 フェンは私の足元にその枝をことりと置くと、どうだ、と言わんばかりに胸を張って、ぶんぶんと尻尾を振った。


「これ、私のために取ってきてくれたの?」


「くぅん!」


 まるで「当たり前だろ!」とでも言うように、フェンは自信満々に鳴いた。

 私はその木の実を一つ、手に取ってみる。浄化魔法をかけても、何の変化もない。つまり、毒はないということだ。

 試しに一口かじってみると、甘酸っぱい果汁が口いっぱいに広がった。


「おいしい……! ありがとう、フェン! すごいじゃない!」


 私が頭をわしゃわしゃと撫でてやると、フェンはくすぐったそうに、でも嬉しそうに目を細めた。

 どうやら、彼はただのもふもふな食いしん坊ではないらしい。優れた嗅覚で、食べ物を見つけ出す能力を持っているようだ。


(これは……とんでもない逸材を拾ってしまったかもしれない)


 可愛いだけじゃない。賢くて、頼りになる。

 これ以上の相棒がいるだろうか。いや、いない。


「よし、決めた! フェン、私たちはコンビだ。これから一緒に、この世界を冒険しよう!」


 私がそう宣言すると、フェンは待ってましたとばかりに、「わふん!」と高らかに吠えた。

 私たちの間に、言葉はいらない。

 目と目を見れば、お互いの考えていることが、手に取るように分かる気がした。


 私は残っていた荷物をまとめ、焚き火の跡を丁寧に消した。

 もう、この場所に用はない。


「行こう、フェン。まずは、この森を抜けて街を目指すんだ」


 私の言葉に、フェンは先導するように数歩前に出ると、私を振り返って「早く行こうぜ!」とでも言うように、尻尾をぱたぱたと揺らした。

 その頼もしい後ろ姿に、私は自然と笑みがこぼれた。


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