第十三話:最適、モンスター攻略
鉱山の中は外の光が一切届かない完全な闇だった。
壁はつるはしで削られたであろう、ごつごつとした岩肌がむき出しになっている。天井は腐りかけた木の梁でかろうじて支えられていた。一歩進むごとに足元の小石がからんと乾いた音を立て、その音が静寂の中でやけに大きく広がった。
「さて、と。まずは明かりの確保ね」
私は懐から取り出した黒檀の杖を軽く一振りした。
イメージするのは太陽のように力強く、そして温かい光。
「『サンライト』」
私がそう唱えると杖の先端から、眩いほどの黄金色の光球が生み出された。
その光球はふわりと宙に浮かび上がると、まるで小さな太陽のように周囲の闇を隅々まで優しく照らし出した。
これまでの豆粒ほどの『灯り』とは比べ物にならないほどの光量。そして魔力の消費量も、なぜか以前よりずっと少ない。
これが新しい杖の効果。
「おお……! すごいじゃないこの杖! まるでLEDライトみたいに明るい!」
前世の便利な文明の利器を思い出し、私は一人感心する。
「わふぅ……」
隣でフェンもそのあまりの明るさに目をぱちくりとさせている。
視界が確保できたことで周囲の様子がよりはっきりと分かるようになった。
通路はトロッコのレールに沿って奥へ奥へと続いている。壁には所々横穴が掘られており、そこからさらに別の通路が蜘蛛の巣のように張り巡らされているようだった。
(なるほど。これは迷いやすい構造ね。地図の作成は必須だわ)
私が頭の中でダンジョンのマッピングを開始しようとした、その時だった。
かた、かたかた……。
通路の少し先。闇の奥から何かがこちらへ近づいてくる音がした。
それは生き物の足音ではなかった。
もっと硬質で乾いた、不規則な音。
骨と骨が擦れ合うような、そんな不快な音。
「……来たわね」
私は杖を握る手にぐっと力を込めた。
フェンも私の隣で低い唸り声を上げ、臨戦態勢に入る。
やがて黄金色の光に照らされて、その姿がゆっくりと闇の中から現れた。
人骨。
けれど、ただの骨ではない。
生命なきはずの骨が意思を持っているかのように、ぎこちなく立ち上がり歩いている姿だった。
何も映さない眼窩の奥に、不気味な赤い光が二つ点滅している。
その手には錆びついたつるはしが握られていた。
スケルトン。
アンデッドモンスターの中でも最も下級に属する、骸骨の兵士。
それが一体、二体……いや、五体。
通路を塞ぐようにぞろぞろと現れた。
「から、から、から……」
彼らは顎の骨を意味もなくかち鳴らしながら、一斉にこちらへとその眼窩を向けた。
生者への憎悪。
その冷たい負の感情だけが彼らを動かしている。
「がるるる……!」
私の隣でフェンが低い唸り声を上げる。全身の銀色の毛がまるでハリネズミのように逆立っているのが分かった。彼の本能が目の前の存在が、この世界の理から外れた不浄なものであると告げているのだ。
一番手前にいた一体がかたと顎の骨を一度だけ鳴らし、おもむろにつるはしを振り上げた。その動きはぎくしゃくとしていて鈍重だ。
けれど油断はできない。あのつるはしの一撃は当たればただでは済まないだろう。
「フェン、あなたは下がってて。ここは私の出番よ」
興奮で前に出ようとする相棒の体を片手でそっと制する。フェンは不満そうに「くぅん」と喉を鳴らしたが、私の真剣な横顔を見ておとなしく一歩後ろへと下がってくれた。賢くて物分かりのいい子だ。
私は一人、骸骨の群れの前に進み出た。
ひんやりとした悪意のこもった空気が肌を撫でる。普通の貴族令嬢なら腰を抜かして悲鳴を上げている場面だろう。
けれど私の心は驚くほど静かだった。
恐怖はない。あるのはただ目の前の『イベント』をどうやってクリアしてやろうかという、ゲーマーとしての冷徹な好奇心だけ。
(さて、と。お手並み拝見といきましょうか、アンデッドの皆さん)
私は内心で不敵に呟くと、静かに黒檀の杖を構えた。
ひんやりとした滑らかな感触が手のひらに心地よい。杖を握っただけで体の中の魔力が、まるで水を得た魚のように生き生きと躍動を始めるのが分かる。
神聖魔法。
アンデッドに対して最も有効とされる聖なる力。
残念ながら公爵令嬢としての教育課程に、そんな専門的な魔法は含まれていなかった。薬屋で売っていた高価な聖水も、コストパフォーマンスが悪すぎるという理由で購入を見送っている。
普通に考えれば状況は圧倒的に不利。
でも私には、私だけの攻略法がある。
(アンデッドを動かしている邪悪な呪いなんて、要するに『こびりついた頑固な汚れ』みたいなものでしょう? 洗濯物についた泥汚れと本質的には同じよ)
だとしたら必要なのは、その汚れを根本から洗い流す強力な洗剤。
私の生活魔法である『浄化』はそのための万能洗剤になるはずだ。
『湿地の迷宮』であの毒々しい紫色の沼を無色透明な真水に変えることができた。あの原理を応用すれば骨の髄まで染み込んだ呪いくらい、綺麗さっぱり洗い流せるに違いない。
そんなこの世界の魔法理論を根底から覆すような、突拍子もない仮説。
でも私には確信があった。
私の前世の知識とこの新しい杖があれば、それは必ず可能になる、と。
「―――イメージは高圧洗浄機。汚れも呪いも根こそぎ、ね」
私は小さく呟くと杖の先端を、一番手前でつるはしを振りかぶっているスケルトンにぴしりと向けた。
体の中の魔力を黒檀の杖へと流し込む。
これまでの自分の体から直接魔法を放っていた時とは、明らかに感覚が違う。魔力が杖という増幅器を通ることで何倍にも何十倍にもなって、その純度を高めていく。まるで細い小川の水が巨大なダムの放水口から、凄まじい奔流となって解き放たれる直前のような、圧倒的なエネルギーの凝縮を感じた。
詠唱は必要ない。
私の意志そのものが魔法になるのだから。
『浄化の光』
私が心の中でそう命じた、その瞬間。
杖の先端からまばゆいほどの、それでいて目に優しい清浄な光の奔流がほとばしり出た。
それは神殿で使われるような荘厳で、どこか近寄りがたい聖なる光とは違う。
もっと身近で温かい光。
よく晴れた日に洗い立てのシーツを干した時のような、清潔で心地よい匂いがするような、そんな光のシャワー。
しゅわわわわわっ!
という、まるで炭酸水が弾けるような音を立てて、光の奔流は一直線に一番手前のスケルトンへと直撃した。
「……から?」
スケルトンが間の抜けたような音を立てた。
光に焼かれるでもなく吹き飛ばされるでもない。
ただその清浄な光が、優しく全身に降り注いだだけ。
けれど変化はすぐに現れた。
まずその眼窩の奥で不気味にまたたいていた赤い光が、まるで風の中の蝋燭の炎のようにふっと儚くかき消えた。
次に、つるはしを握りしめていた骨の指から力が抜ける。
からんと乾いた音を立てて、錆びついたつるはしが地面に落ちた。
そして。
さら、さらさら……。
まるで長い年月をかけて風化した砂の城が、静かに崩れ落ちるように。
スケルトンの体はその形を保てなくなり、一本一本の骨がゆっくりと綺麗な白い砂へと姿を変えて、その場に崩れ落ちていったのだ。
そこには苦悶も絶叫も何一つなかった。
ただ呪いという名の重い鎖から解き放たれた、安らかな解放だけがあった。
「…………」
後に残されたのは、こんもりとした小さな白い砂の山だけ。
不浄な気配は跡形もなく消え去っていた。
「……ふう。やっぱり思った通りね」
私は満足げに一つ頷いた。
効果は予想以上。
いや、この黒檀の杖のおかげで予想を遥かに超える結果が出た。魔力の消費もほとんど感じない。これなら何十体、何百体出てこようと問題なく対処できるだろう。
「わふぅ……」
私の後ろでフェンが感心したように、ほうとため息をついているのが聞こえた。
私の常識外れの戦い方にも、彼もずいぶんと慣れてきたようだ。
残りの四体のスケルトンたちは、仲間の一体が目の前で砂の山に変わったというのに何の反応も示さない。彼らには恐怖や仲間意識といった感情は、もはや存在しないのだろう。
ただ淡々と目の前の生者を排除するという単純な欲求に従って、かたかたとぎこちなくこちらへ近づいてくるだけ。
「さて、と。それじゃあまとめてお掃除させてもらいましょうか」
一体ずつ相手にするのも面倒だ。
私はもう一度杖を構え直す。
今度のイメージは扇。
光の奔流を扇状に広範囲に拡散させる。通路全体を、一気に洗い流す巨大な浄化の波。
「まとめて綺麗になりなさい!」
私が杖を薙ぎ払うように横に一閃する。
その動きに呼応して、先程とは比較にならないほど広範囲へ浄化の光の壁が放たれた。
ごおおおおっ!
と、風が唸るような音と共に光の津波が、残りの四体のスケルトンたちを一瞬にして飲み込んでいく。
通路全体が一瞬、昼間のように真っ白な光で満たされた。
その光景はどこか神々しく、そして圧倒的に美しかった。
やがて光が収まった時。
そこにはもう一体のスケルトンの姿もなかった。
ただ四つの小さな白い砂の山と、そこに突き刺さるようにして残された錆びたつるはしだけが静かに転がっている。
先程まで通路に満ちていた、あの肌にまとわりつくような不快で冷たい『死』の気配は完全に消え去っていた。
代わりにまるで雨上がりの森の中のような、清浄で澄み切った空気が私たちの周りを満たしている。
「……ふう。お掃除、完了っと」
私はぱんと杖についた見えない埃でも払うかのように、軽く手を叩いた。
「わ、わふん……」
おとなしく後ろで待機していたフェンがそろそろとこちらへ近づいてきた。
彼はスケルトンだったものの残骸である砂の山を、くんくんと不思議そうに匂いを嗅いでいる。そこからもう何の脅威も感じないことを確認すると、私の顔を尊敬の眼差しで見上げてきた。その大きな黒い瞳が「すごいじゃないか、主!」と雄弁に物語っている。
「ふふっ、どうフェン? これが私流のアンデッド浄化法よ。高価な聖水なんてなくても、知恵と工夫でどうにでもなるものなの」
私はどうだと言わんばかりに胸を張り、フェンの頭をくしゃくしゃと撫でてやる。フェンはくすぐったそうに、でも誇らしげに私の手に顔をすりつけてきた。
それにしてもこの杖の性能は本当に凄まじい。
これまでの私だったら一体のスケルトンを浄化するのにもっと魔力を集中させる必要があっただろうし、ましてや四体まとめてなんていう芸当は絶対に不可能だった。
この杖がいれば百人力だ。
「ありがとう。あなたのおかげよ、私の新しい相棒」
私は手の中の黒い杖をぎゅっと握りしめた。
「さあ、行こうかフェン! こんなところで油を売っている暇はないわ!」
「わん!」
私の元気な声にフェンも待ってましたとばかりに、高らかに一声吠えた。




