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終末喫茶『彗星蘭』

作者: 生吹


 巨大な彗星が地球に接近していることが判明してからというもの、世界中が騒がしくなった。かつて感染リスクの高いウイルスが蔓延した時よりずっと酷かった。

 それもそうだ。なんとなく聞き齧った話によると、その彗星はとんでもないスピードで日本に接近しており、今の人類の技術ではどうすることもできないらしい。それくらいバカでかくて、速いのだとか。

 正直、彗星の詳細については興味もないし、どうでも良かった。どのリストにも載っておらず、突如として現れた謎のバカでかい氷と塵にはまだ名前すらついていないのだ。こんなにバカでかいのに衝突の直前まで誰も気が付かなかったというのも奇妙な話のように思うが。


「今日死ぬのかぁ」

 

 まあ、そんなことより重要なのは、2024年12月31日の23時30分に皆死ぬこと。新年はやって来ないということ。そんな小学生が描いたマンガのようなことが起こるのだ。


『みんな、会いたい人に今すぐ会って! 伝えたいことはすべて伝えて! 後悔なんて残さないでね』

『終末はどう過ごすか決めましたか? 僕はダイエットも筋トレもやめて、友達とお腹がはち切れるまで好きなものを食べまくろうと思います』

『フォロワー! だれでも良いから会わない!? 31日の朝10時に夕凪浜駅で待ってる! 相互の人ならだれでも良いよ!』

『巨大彗星の存在はデマ! 某国が大規模な実験を行うために作り上げたフェイクニュースだから騙されるな!』

 


 インターネットには様々な意見が飛び交っている。その中でも一番人々の支持を集めているのは「会いたい人に会おう」「愛する人と過ごそう」という内容だった。皆、終末は家族や恋人、友人達と身を寄せ合って終わりを向かえるらしかった。


 ――会いたい人ねぇ。


 私は心の中で呟き、数少ない友人達の顔を一人一人思い浮かべた。

 

 ――一番仲の良い香苗ちゃんは最近結婚しちゃったし、友達も多い。幼馴染みの唯菜も彼氏と大阪に行っちゃったし、大学時代の美奈とは疎遠。SNSの画像を見るに子供もいる。由希とは……絶交したんだった。


 連絡できそうな相手が一人もいなかった。親や職場の人間は論外だ。頭に浮かべた皆は友達ではあるが、私よりも大切な存在があり、そちらを優先するに違いないのだ。連絡を入れたところで迷惑になるし、やんわり断られるだろう。これは卑屈になっているわけでは決してない。だって――


 そもそも誰からも連絡が来ないというのは、そういうことだから。


 つまらない私と仲良くしてくれる人間は顔が広く友達が多い。つまり心に余裕があり、誰とでも仲良くできるコミュ強というわけだ。そして私は、数多い知り合いのうちの一人でしかない。それでも私は皆の幸せを心から願っているし、日々感謝している。そうでもしないと、醜く歪んでしまうからだ。


 31日の昼過ぎのことである。友人達の幸せを邪魔しないために、私は一人で木造ボロアパートの一室から這うように外へ出た。どういうわけかテレビをつけても何も放送していないし、ネットも繋がらなくなっていて退屈で、何より孤独だった。話し相手が欲しい。一人で死ぬのは嫌だ。漠然とそんなことを考えるようになっていた。

 冬の青空はどこまでも澄み渡り、とても彗星など落ちてきそうに思えなかった。街はとても静かで、車通りも少なく、歩道の隅でスズメ達がチュンチュン囀っている声が聞こえてくるばかりだ。さびれた商店街の店は殆ど閉まっている。なんとなく駅前まで歩いたが、電車も動いていない。仕方なく引き返して、大通りから脇道に逸れた。


「あっ」


 喫茶店の前で『OPEN』の文字を見つけ、思わず声を上げた。『純喫茶 彗星蘭』。前々から気にはなっていたが、入れずにいた喫茶店だ。薄汚れた雑居ビルの一階にあり、外から店内の様子は殆ど見えない。店名に『彗星』という文字が入っているのも皮肉が効いていて、入るなら今しかないと思った。

 木製の重いドアを開けると、カランとベルが鳴った。


「いらっしゃい」

「いらっしゃいませ。お好きなお席へどうぞ」


 マスターと思わしき初老の男性と大学生くらいの青年が当たり前のように出迎えた。奥の方に若い女性の店員の姿も見えたが、彼女は接客の真っ最中だった。そう。普通にお客が入っているのだ。人生最後の日にここへ来る人間は私だけではないらしい。


 薄暗い店内には一昔前の洋楽ロックが流れ、アンティーク小物や観葉植物がいたるところに置かれていた。赤いチェックのテーブルクロスに、年季の入った木製の椅子が調和している。席はカウンターを含め全部で7席。そのうち3席が埋まっている状態だ。


 私が隅っこのテーブルに腰を降ろすと、すぐに男性店員がお冷とメニューを持ってきてくれた。

 何もかもが虚しくて朝から何も食べていなかった。考えてみれば、これが最後の晩餐になるわけだ。これまで生きてきて「人生の最後には何を食べたい?」というくだらない質問をされる機会が幾度かあったが、まじめに答えたことなんて無かった。まず現実味がないし、考えるだけ無駄だと思っていた。でも今となってはちゃんと考えておけば良かったと思う。

 私は目を皿にしてメニュー表の中からとっておきを探した。何か終末に相応しいとっておきのものはないだろうか? それとも変に力を入れずに質素に済ませるべきだろうか?


 サンドイッチ、スパゲティ、オムライス、ピラフ、スープカレー。小さな店だがメニューは豊富だ。さて、どれにしようか……


 迷う。実に迷う。こんなにも何かに迷うのは6歳の頃に両親とランドセル売り場に行った時以来だ。そういえば彼らは元気にしているのだろうか。ほぼ絶縁状態なのでどうでもいいことだが。


 思考に邪魔が入ってしまった。大嫌いな人間のことはいい。今は料理のことだけ考えねばならない。


 ――ええと、もう夕方だから、サンドイッチは候補から外すとして……


 時間的にサンドイッチではないだろうと思ったが、肉厚な特大ベーコンと目玉焼きとレタスが挟まったサンドイッチがやけに美味しそうに見える。こんなに大きなベーコンが挟まったサンドイッチは喫茶店であまり見かけない気がするが……なんてことを考えながら隣のスパゲティの欄に視線をスライドさせると、今度はタコとエビの魚介ペペロンチーノが目を引く。でもよく見てみるとバツ印が書かれている。今日は提供できないらしい。しかしがっかりする暇もなく、昔ながらのこってりとしたナポリタンも誘惑してくる。


 ――これ、一生決まらないんじゃない?


 こんなに迷っていてはじきに終末が来てしまう。

 ピラフは普段食べないからこの際に食べてみるか。でもなんだか最後の晩餐には地味な気もする。オムライスも写真を見る限り卵がふわふわとろとろで美味しそうだが、インパクトに欠けるような……となると残るはカレーだが、普通のカレーは無くスープカレーのみのようだ。


「すみません」


 私は軽く右手を上げて店員を呼んだ。


「スープカレーをお願いします。あと食後にホットオレンジティー」

「かしこまりました。ラッキーでしたね。スープカレーはラスト1食だったんです」

「へぇ」

「あと、本日のオレンジティーはポンカンとアールグレイを使用しております」

「ポンカンを?」

「ポンカンの果肉入りなんですが、大丈夫ですか?」


 もちろん大丈夫だった。私が頷くと、店員はさもいつも通りといった様子でメモを取り、去っていった。


 私はカレーを待ちわびながら、他の客の様子を観察した。他の客と言っても私の他に3人だけだが。1人は太いフレームのべっ甲眼鏡をかけた60代くらいの男性だ。上品なツイードジャケットを着て、コーヒーを飲みながら読書をしている。店内はかなり暖かいのに脱ぐ気配はない。布製のブックカバーをしているから何の本を読んでいるのかまではわからない。わかるのはそんなに分厚くないことと、紙がだいぶ劣化しているということ。人生最後の日にお気に入りの服を着て、お気に入りの店でお気に入りの本を読んでいるのかもしれない。

 2人目はカウンターに座っている80代くらいのお婆さんだ。綺麗な白髪をしていて、サイドの毛を鮮やかなブルーに染めている。服はすべて黒で統一し、髪の色に合わせたのか、ブルーのパンプスを履いていた。彼女はまさに「マシンガントーク」といった様子で一方的に喋り続けている。紅茶の入ったティーカップに全く手を付けない。マスターもそんな彼女を咎めることなく、笑顔で話を聴いている。

 3人目は20代前半くらいのラフな格好をした女性だ。彼女は大きなパフェを食べていた。テーブルの端には一眼レフカメラが置かれている。趣味なのだろうか。女性店員と親しげに言葉を交わしていることからして、多分友達か仲の良い知り合いなのだろう。

 愛する家族や恋人、友人たちと一緒に過ごさない選択をした人がここに集まっているのだろうか。普段は何をしている……いや、何をしていた人なのだろう。私は少し孤独だが、私以外の客は皆満たされているように見えた。彼らは孤独ではない。そんな気がする。


 

「お待たせしました。スープカレーです」


 さっきの店員がスープカレーを運んできた。思わず私の口から「おぉ」と声が漏れる。「ごろごろ」という言葉では足りないほどの、ほぼ丸ごとに近いぶつ切りの具材が目に飛び込んできた。


「お好みでライスにレモンを絞ってお召し上がりください」


 店員は一言添えて去っていった。確かに、くし切りのレモンがライスの皿にちょこんと乗っている。スープカレー自体そんなに食べないのでわからないが、これは普通なんだろうか。


「いただきます……」

 

 スプーンでつつけばほろほろとほぐれてしまう鶏肉の塊と、縦半分の巨大なニンジン、肉厚のパプリカ、ヤングコーン、半熟卵。

 どの具材から食べるか迷った挙句、とりあえずライスを少しスプーンで掬ってスープに浸す。レモンはまだかけない。

 当然のように美味しい。だが、思ったよりスパイシーだ。美味しさの後を追うようにピリピリと辛さが口の中に広がる。その辛さを美味しさで上書きするように二口目を運ぶ。大きなニンジンを細い方から一口分スプーンで切ってライスとスープと一緒に口に入れる。ついでにパプリカも齧る。お次はさっきほぐしたきり放ったらかしていた鶏肉だ。

 

 ――もう良いかな。


 皿の隅っこに横たわっている半月みたいなレモンに手を伸ばし、ライスに絞る。絞る時は軽く目を瞑る。昔サンマにかぼすを絞った時、果汁が目に入って地獄を見た。それ以来こういうものを絞る時は目を瞑ってしまう。これでよし。

 そういえば、南インドにはレモンライスというものがあるらしい。よく知らないが。レモンと米……自ら組み合わせようと考えたことは無かったが、その相性はいかほどなものなのだろう。


 ――合う。


 一口食べて確信した。カレーの辛さの中にレモンの爽やかさがふわっと通り抜ける。以外と食べやすい。酸味で更に食欲も刺激される。味に飽きることもなくあっという間に平らげた。


 ――美味しかった……


 これが本当に人生最後に相応しい食べ物なのかと聞かれたら、そうではないかもしれない。しかし私は大満足だ。紙ナプキンで口を拭いながら余韻に浸っていると、食後のお茶が運ばれてきた。レモンとはまた違う、甘い柑橘類の香りがふわりと漂う。

 シンプルな耐熱グラスマグに皮ごと切ったポンカンの果肉が入っている。ティーポットの蓋を取ると、アールグレイの香りを乗せた湯気が優しく立ち上る。

 

 ――全然孤独じゃない。今の私には、この店と美味しい食事が付いてるんだ。


 皮つきのポンカンはしっかりと甘く爽やかな香りを放つ。昔、今は亡きお婆ちゃんにポンカンを剥いてもらった時のことを思い出す。あの世に行ったら、お婆ちゃんに会えるだろうか。


 

 カランと音がして、店のドアが開いた。新たなお客が来たのだなと思いながら入り口の方に目をやり、私は戦慄した。

 中学時代のいじめっ子、B子だった。何故こんな所に? たまたま鉢合わせする機会が無かっただけで、同じ街に住んでいたのだろうか。だとしたら最悪だ。

 B子は彼氏と思わしき男性と一緒だった。彼女はきょろきょろと店内を見回した。気付かれてはたまったものではないと思い、私は急いで目を逸らしたが、間に合わなかった。向こうは私に気が付いて、感動の再会とでも言いたげな様子でずんずんと近付いてきた。そしてあろうことか、私の向いに腰を下ろしたのである。何かの冗談だろうか。


「三谷さんだよね? 中学で一緒だった。久しぶり! まさかこんなところで会うなんて」


 自分をいじめていた人間の口から出る「久しぶり」ほど恐ろしいものはない。


「B子ちゃん、その……」

「ごめんね! 私三谷さんに昔酷いことしたでしょ?」


 私が何か言うよりも先にB子はそう言った。


「私、あれから変わったの。ずっと謝りたくて。すごく反省してるの。意地悪だったなって。それでね、今日皆死んじゃうってわかってから、許してもらえるまで死ねないって思ってたの」

「はあ」


 変わったようには見えない。彼女は自分の人生から汚点を排除してから死にたいだけのように思えた。それに「意地悪」なんてもんじゃない。いつも人のことを見下して、こっちは当時不登校になりかけたというのに。


「そんなに気にしてないよ。もう昔のことだし」


 私は言った。とにかく私のテーブルからどいてほしかったのだ。しかしB子はどかなかった。


「良かった! ずっと心残りだったの。このタイミングで会えたのも何かのご縁かもね」


 ――神の嫌がらせだよ。


「ところで、なんで1人なの? ってか今何してるの? 仕事は?」


 B子の質問に私が言葉を詰まらせると、彼女の隣で少し困ったように突っ立っていた男性が「邪魔したら失礼だろ。1人にしてあげようよ」と言ってB子の腕を掴んだ。何だそれは。なんだかちょっと惨めな気分じゃないか。せっかく美味しいご飯で満たされていたところだったのに。何か、何か仕返しできないだろうか。

 

 ――そういえば、B子の将来の夢はファッションデザイナーだったはず……


「ここの店員の2人と友達なの。今仕事中だから邪魔しないようにしてるけど。私はファッションデザイナーとして働いてる。東京に本社があって、駅前のマンションでリモートワークしてる。ついこの前フランス出張から帰ったところ」


 もちろん全部嘘だったが、B子は目を丸くして「うそ……本当に? あのマンションって、すごく家賃高いよね?」と言った。


「疑うの? それよりそっちは?」


 私はなるべく表情を動かさないようにして言った。


「いや、私は全然大したことないから! じゃあね。邪魔してごめんね」 


 反応からして、B子は夢を叶えられなかったのだろう。彼女はそそくさと一番離れた席に男性と移動した。

 

「じゃあ、またね」

 

 「また」なんて無いのだが。

 もしかすると私は最低かもしれない。しかし後悔はない。もし本当のことを言っていたら、きっとまた見下されただろう。3年間いじめられたのだ。これくらいは許してもらわないと。まさか人生最後の嘘がいじめっ子への仕返しになるとは。


 さて、とんだ邪魔が入ったせいでお茶が冷めてしまった。


「新しい紅茶淹れようか? 冷めたでしょ」


 さっきまで他の客と話していた女性店員がいつの間にか側にいた。しかも友達のフリまでして。


「聞いてたの……?」


 私は小声で尋ねた。

 

「余計なお世話でしたか?」


 彼女も小声で返す。


「いや、ありがとう」

「じゃあ、お茶持ってくるね」

 

 彼女はそう言って店の奥へ引っ込んだ。



  


 彗星がこの平和空間に乱入してくるまでまだまだ時間がある。ということで、今私はこの文章を書いていたわけなのだが、ぐずぐずと書いているうちに衝突まであと30分を切ってしまった。もうこの辺りでさっさと切り上げて眠気覚ましのコーヒーでも飲もうと思う。眠気を覚ましたところでもうすぐ永遠の眠りにつくわけなのだが。

 おそらくこのくだらない書き散らしは誰の目にも触れないとは思うが、もし何らかの奇跡が起きて誰かが読んでいるとするのなら、ここまで読んでくださってありがとう。さようなら。


 

 


 

 




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