虚偽は時間によって
部屋の呼び鈴で、吸い込まれるように入り口へ移動する。部屋の雰囲気と言い、実家を思い出さずにはいられない。
扉を開けると、受付で話した従業員が立っていた。
「突然すみません。お客様にお話ししておきたいことがございまして。」
どうやら最近、詐欺事件が多発しているらしく、犯人の最大の特徴として、呪い被りだと言う。そのため、施設を利用する度、ネフィルが怪しまれる可能性が高く、気を付けた方が良いかもしれない。という、知らせだった。
「わざわざすみません。此の街に来たばかりだったので、助かります。」
「失礼します。」と一礼し、従業員は去って行った。異世界であっても、詐欺といった犯罪は、無くならないのか。
部屋の扉を閉め、ベッドに深く腰掛ける。そして、元居た世界との差異を見つめ直す。
先ず、この世界の常識として、店名について。通常お店の名前は、そのお店の種類に街の名前が付いていて、固有の店名をしたお店は、滅多に無い。感覚としては、某喫茶店のような、差別化を図りたいお店位しか固有の店名は持っていない。そしてそれは、万国共通認識らしい。
次に、言葉。私の耳には、全て同じ言語に聞こえているが、声に出すと、違う言語を話していると自覚する。習った覚えは無いのに、頭の中で、違う言語を使った会話も思い浮かべる事が出来る。
しかし、元居た世界で使っていた筈の日本語や英語といった言語が何故か思い出せない。聞こえてくる声も話す時も、日本語として捉えているのに、単語一つすら出て来ない。因みに、此の世界における共通語は、”ペイター”と言われ、世界最大国土を誇る国、プエパルガの言語。そして其の国は、ガーロ通貨が最初に普及した国でもある。
そういえば、お釣りとして貰ったガーロ通貨は、全て紙幣で、通貨一枚の大きさは、大体スマホ位。大きさに多少の差は在るが、其れも微々たるもので、小さい順に、1<5<10<50<500<100<1,000となっている。
此の世界にとっての硬貨は、非常に高い価値の物をまとめたという認識になっている。分かりやすく言えば、金貨等だ。
異世界に来ても、変わっていない事だって在る。それは、時間の概念だ。一日は24時間だし、午前と午後は12時間ずつ。一週間は7日で、一か月は30日。1年は365日で、閏年も在るが、微妙に元の世界と違っている。13月という月が5日まで存在し、閏年では、6日が月末になっている。
「アイビー、何考えてる?」
突如として聞こえたネフィルの声で、現実に引き戻される。
「ううん。何でもない。明日、どこ行こうか?」
不意に声を掛けられた事と突然現れた上目遣いに、酷く動揺し、咄嗟に話題を振る。
「…何が、どこにある?」
「ええっとねぇ…。」
ネフィルは、いつも何かを見透かした様子を見せる。それでも踏み込んで来ないのは、単に興味が無いからなのか、交流の仕方が分からないからなのか。
何れにせよ、明日の行方は今決めておこうと地図を広げ、相談する。
「服はどうにかなったけど、他にも持っておきたい物が在るから、明日は其れを買いに此処に行こう。」
そう言って、地図に書かれた”ざっかや”と”ぼうぐや”を指す。
「わかった。」
まだ外は明るく、寝るにはちょっと早い。けれどネフィルは、ベッドで横になると、直ぐに寝た。思えば、私も子供の頃は、ベッドに入ったら、寝るのにそう時間は掛からなかったな。
しかし、今の私はもう大学生だ。お酒も飲める年齢になり、いつの間にか「寝るのに時間が掛かってしまう」等と悩むようになっていた。
「ゆっくりおやすみ。」
聞いてるかも分からないネフィルに、静かに呟き、鍵を取る。廊下から鍵を閉め、街の中を散策する。ソラニに居た時やネフィルを見てても思うが、此の世界の住民は、皆褐色の肌をしている。まあ、服は只の装飾品、室内で出来る娯楽も殆ど無く、日焼け止めといった代物や其れを使う意味も、日差しを避ける理由も無いのだから、考えてみれば当然か。
此の世界での色白は、病弱や勉強、修行等の理由で、室内に引き籠もっている者であり、外に居る者は、基本褐色の肌をしている。
此の世界に来てまだ数日だが、殆どの時間を外で過ごしていたからか、気持ち肌が焼けた気がする。其れでも今の私は、傍から見れば、色白の人族だ。同異種族関係無しに揶揄されてもおかしくない。
カプシンは、基本職場が室内だし、体を鍛えるにしても、外に出る必要は無いから、皆比較的白い。尤も、体色が白ではなく赤っぽいため、色白と言う表現は似合わないが、そうとしか言い様が無いので仕方ない。
街を散策していて気付いた。建物によって、感じが全く違う。色々な国の文化に合わせた結果なのか、右を向けばどこか中華風な建物が、左を向けば洋風な雰囲気が漂っている。それでなくとも、数歩進めば建物の様式がガラリと変わる。
宿屋から出て、真っ直ぐ歩いてきたが、突き当りに差し掛かったので、戻る事にした。道中で見た光景として、色んな種族の女性が男性に声を掛けている。所謂軟派というものだ。元の世界では、逆ナンと言われる行為も、此の世界では、逆でなくなる。お店の宣伝、基、キャッチとされる行為をしているのも、殆ど女性、偶に男性だ。
雄雌以外で、見た目に個体差が無い為、如何わしいお店の宣伝も、飲食やサービスについての物ばかりで、従業員の容姿に関する情報は一切出て来ない。
にしても此の世界は、種族によって色んな見た目が見れて、飽きる事が無い。代わりに、元の世界で遠ざけていた存在を思い出したりもして、場合によっては、気分が悪くなる。けれど、其の見た目は、此の世界にとっての当たり前の姿なんだ。気味悪がるのは、差別というやつだ。
宿屋に戻って来る頃には、時刻は午後4時37分を示していた。三階に上がって、鍵を取り出し、部屋の扉を開ける。
ネフィルは、まだ目を閉じたまま布団の中に居た。其の様子に何処か安心感を覚え、部屋にあるもう一つのベッドに座って、また考える。
街中で、私以外の人族を3人しか見掛けなかった。移動した範囲が狭かった所為もあるだろうけど、抑々此の国自体がそれ程広い国土は有していないから、現時点で断言は出来ないが、此の世界において、人の形をした種族は、少数派だと推察できる。
それと、お店の店員さんに男女差はあまり無かった代わりに、店主の方は、気持ち女性が多かった気がする。
一般の家庭でも、家事・育児をしているのは男性の方、つまり主夫が殆どだった。まるで、私の中での性別に対するイメージを其の儘反転させたような世界だと感じる。
宿屋の受付の人?は、女性だった。私のイメージでは、ホテルのフロント等をしているのは、男性という偏見が有った。
しかし、私の記憶には、ホテルの外観や内装といった情報が思い出せず、そういった建造物が在った事と其処で働いている従業員に対する大雑把なイメージだけが残っていて、どうにも頭の中が混濁する。
私が今居るのは、”宿屋”であって、ホテルじゃない。「…あれ?私、何を思い出そうとしてたんだっけ…?」少しでも時間が経てば、記憶というのは、曖昧になりやすいもので、直前に何で悩んでいたのか、いや、何を悩もうとしていたのか、全く思い出せない。
私の中で、元居た世界の記憶が消えていってるのを感じる。いずれ、お母さんの事も思い出せなくなってしまうのかと思うと、気が気でならない。
取り敢えず、思い出せる限りの元居た世界の事を振り返る。
先ずは住居。私の住んでいた所はマンションで、お母さんと二人暮らしだった。此の世界では、集合住宅と言うと、長屋のような、横に広がっている物が一般的で、縦に長くなっていても、この宿屋と同様、3階までが普通だ。
次に学校。私が居た日本では、小・中・高・大まで在ったが、此処では学舎と呼ばれ、6~8歳の子が”子舎”と呼ばれる施設に入り、2年間で一般教養を身に着け、その後は、1~3年掛けて進みたい方向を考え、其々の”分舎”へ行き、2年間、選んだ学舎で知識を付ける。中には、実技中心の分舎も在るが、其れは置いておくとしよう。
分舎卒業後は、専門分野を極めたい者や別の知識を身に着けたい者が”本舎”と言う場所に3年間通う。
ネフィルは今、何歳なのか、途端に気になりだした。見た目だけでは、判断がし辛い為、起きてから訊く事に決めた。
医療についても、勝手が変わっていて、診療所は在っても、病院と言える程大きな施設は無く、急病人等が出た時には基本、医者の方が患者の元へと訪問する。
医者の数はそう多くないが、此の世界の住人は、心身共に健康的なため、必要とする数も自ずと少なく済むようだ。
後は、国の行き来が非常に楽だ。パスポートの様な身分証明書類は必要無いし、其れ以前に、入国審査が無い。
基本、大きな自然が国境としての役割を果たしており、私とネフィルが通った樹海もその一つで、他にも、海や山岳等が挙げられ、そういった自然は、何処の国の所有物でもないとされている。
しかし、知恵無き生命の乱獲や自然破壊を防ぐ為、自然に手を加える場合、役所にて、正式な手続きをしなくてはならない。
つまり、あの樹海で過ごした約三日間、私達は法に触れていた。一度ネフィルに伝えた事は在るが、
「乱獲、してない。絶滅、しない筈。」とのこと。
確かに、最低限の数で止めてはいたけど、結果狩りをした事に変わりはない。よって私達は、密猟の罪で、今逮捕されてもおかしくない。
一応例外として、襲われた為、やむを得ず倒した場合、あくまで防衛目的であれば、無許可でも罪に問われることは無いが、武器を持っていない人族と呪い被りの非人族では、説得力に欠ける。
此の国では、呪い被りに差別意識は無くても、犯罪スレスレの状況では、信憑性が薄い。只でさえ、呪い被りの詐欺行為が多発しているのだから、現状、黙っておくのが最適だと思う。
他には、食べ物の事でも、色々と思い出せるけど、キリがないので、一旦考えないようにした。
元の世界にまつわる記憶で、今思い出せるのは、大体こんな感じ。こうした情報が完全に思い出せなくなった時、私は、今の私のままでいられるのかな。
頭を抱えそうになったその時、幽かに聞こえた音が私の気持ちを遮る。
「…もう夕方なんだ…。」
窓の外を眺めながら、今日はまだ何も胃に入れていない事を認識させられた。ネフィルはまだ起きる様子が無い為、一人で一階の食堂へ行こうと、鍵を取って出入り口の扉が見えた所で、布団の擦れる音が耳に入る。
ネフィルは寝起きが良く、目を覚ませば、直ぐに起き上がる事が出来る。
「アイビー、どこか行く?」
「食堂。ネフィルも何か食べに行く?」
私の質問に、黙って頷くネフィルと一緒に部屋を出る。
食堂に近づくと、何やら揉めている様子の声が聞こえて、駆け寄ってみると、大きな布に身を包んだ如何にも怪しい風貌の者が宿屋の従業員に取り押さえられていた。
国:プエパルガ
此の世界で一番大きな面積を持ち、唯一造幣の許された国。
商売としては、物々交換の方が主流なため、貨幣で会計する店はあまり無い。
今は呪い被りの扱いに寛容となっているが、昔は他国に売ったり、死ぬまで虐げたりしていた。
国王制であり、王になる条件に血縁は関係なく、プエパルガ国籍で、試験を勝ち抜いた一人が王となる。
アイビーは、此の世界の言語を日本語として認識しているが、実際はペイターに聞こえている。
ガーロ通貨は、ドルとユーロをモデルにしており、質感は、コピー用紙を少し柔らかくした感じ。