上辺の真実
気が付けば、既に空は明るくなっており、木漏れ日がネフィルを起こそうとしていた。しかし、ネフィルが起きる様子は、まるでない。
結局、一睡もできなかった私は、食べる物も何も無いため、只管に、ネフィルが起きるのを待つ。寝ている姿を見ていると、やはり子供なんだと再認識する。そして、右目が無いのを見て、境遇を哀れに思う。
仄かに揺れる葉を眺め、今自分が鬱蒼とした自然に包まれているのを感じる。元居た世界では、自然に触れる事すら少なかった上、やるべき事、やりたい事が重なっていたため、こうして、何も考えずに時間を過ごすのを新鮮に感じる。
異世界に来て、其れほど日は経っていない筈だけど、何故だか、久々に安堵と言うものが訪れた気がする。
出来る事なら、もうしばらくの間、此の静かな樹海に吹き抜ける、細やかで涼しい風と其れに揺れる木々の葉を堪能していたい。
溜め息を一つ吐いて、安心しても眠気は現れず、ただ鮮明な意識の中、ネフィルが起きるのを待つ。
目を覚ましたネフィルは、無言で上体を起こし、伸びをする。そして、ゆっくりと立ち上がって、軽く土や落ち葉を払う。
「行こう、アイビー。」
そう言って私に背を向け、足早に歩き始める。昨日、死体を食べた事なんか、忘れてしまったかのように平然としている。
長い旅になる事だし、こういった事態に見舞われるのも、珍しくなくなるのかもしれない。そうなったら、毎回気にするだけ時間の無駄かもしれない。
「いや、何考えてるんだ私。」
目の前で自分が殺され、食べられたのだから、気にして当たり前だ。寧ろ、慣れる事の方がどうかしている。一時でも、此の異常事態に順応しようとした自分に恐怖した。
でも、私がどれだけ気に病んでも、ネフィルは、足を止めない。私は、必死に雑念を振り払うように、別の事を考えて、意識を逸らす。「この樹海を抜けるのに後どれ程歩くのかな。」
相変わらず、足元の悪い地面を軽快に進んでいくネフィルに追い付こうと、足取りが僅かばかり速くなる。
ネフィルにとっては、歩き慣れた道なのか、それとも、私に合わせつつ、早めに樹海を抜けられるようにか、全く速度を落とさない。
元居た世界で、あまり運動をしなかった付けが回ってきたのか、長時間の移動は、体力が保たない。しかし、私に構わず先に行ってしまう影を見ると、休んでもいられない。
私は、必死に足を動かして、文字通り棒になるまで進み続けた。道中、小さな鳥の群れに襲われ、其れ迄の疲労もあった所為か、地べたに俯せになり、不本意ながらも怪我をせずに済んだ。そして、襲ってきた鳥の名前は分からないけど、程よく弾力が有って、数も沢山居たから助かった。
自然に囲まれ、明るくなった空をもう一度見届けたが、今回は充分な睡眠が摂れ、気持ち良く起き上がる事が出来た。
その御蔭か、前日よりも楽に進めてはいるが、それでも、不自由な足場に慣れるには、まだ時間が足りない。一度に多くの体力が持っていかれる感覚と、周囲の警戒をしている気疲れが同時に襲い掛かってくる。
先行しているネフィルには、援護が望めないし、旅を続ける以上、最低限、自衛は出来ておかないと、いざという時、私が足を引っ張ってしまう。そんな事はしたくないから、警戒心は解かずに居続ける。
力を付ける為にも、ネフィルに組手をお願いした。当然、惨敗して、四肢の無い死体を増やした。
三度目の朝を迎えた日、私達は樹海を抜けられた。抜けてから気付いたが、割と近くに、そこそこ整備された道が通っていた。けれど、今となってはそんな事、どうでもよくなってしまう程、積み重なった疲労と歓喜の念は大きかった。
視界の先には街が在り、柵一つ隔てて、幾つかの生活が映る。
「アイビー。僕、人族語以外、話せない。」
ネフィルが私の服の裾を掴み、真顔で言う。
「大丈夫。私が人族語以外も話せるから。」
笑顔で胸を張って見せる。ネフィルは、「ふーん。」とあからさまに興味が無い様子だった。それでも私は、見えている集落に、一刻も早く行きたかった。
「アイビー。何急いでる?」
「お風呂入りたいの!」
この世界に来てから、一度も入っていない。私の呪い被りを考慮すれば、必要は無いが、気持ち的にどうしても入りたい。ついでに、普段水浴びしかしていないネフィルも綺麗に洗いたい。流石に、汚れた子供の横で身形の良い状態だと、また誤解を生みそうだ。
しかし、たとえ体を綺麗にしても、着る服が問題だ。長い森暮らしの影響で、酷い有り様となっている。お風呂の前に、服装をなんとかしなければならない。
「ネフィルは、好きな色とかある?」
服選びの参考にしようと質問するが、ネフィルは、こっちを見向きもせず、ぶっきらぼうに答える。
「考えた事無い。」
無理もないかもしれないけど、せめて少しは考えてる動作が欲しかった。
樹海では先行していたネフィルも、一度街に入ると、私の後ろをついて来るようになり、子供らしい一面に、思わず口角が緩みかける。そして、顔に伝わる骨の感触を思い出し、身の毛がよだつ。
道中、あまり会話は出来なかったが、無事服屋に到着した。看板には、”したてやさーそらー”と読める字が書かれており、ソラニで見たのとは全く違う言語だが、やはり読める。周囲の者が何を言っているのかも理解出来る。私の翻訳能力が、初めて真面に活かされた場面だ。
「あの人族、随分汚れた非人族を連れてるな。」
「でも、仕立て屋に入ろうとしているから、何か訳有りなのかも。」
「靄の烙印⁉あの子、呪い被りだ。」
「一応、警戒しておいた方が良いか。」
かなり怪しまれている。色んな言語が理解できるって、便利だけど、今だけは分からないネフィルの方が幸せかもしれない。兎に角今は、周りの視線よりも、ネフィルの着る服が重要だ。私は、扉を引き、店内に足を踏み入れる。
「いらっしゃいませ。」
明朗に店員が声を上げる。汚れた子供を連れている女性という、かなり事件性を感じさせるような来客にも、一切動揺していない様子。
「すみません。」
「はい。どうされましたか?」
「この子に服を用意したいのですが、二足二腕種の服は何処ですか?」
「それでしたら、此方に。」
「ありがとうございます。」
この世界における服は、寝巻、運動着、作業着くらいで、王族といった特別な立場に居ない限り、派手な服装は身に着けられない。
ソラニは、王といった立場の者が存在せず、地域毎に治める者が数人居て、庶民が自由に商売を営める国だったため、服装にも種類が有り、着る服を好きなように選べた。
人族とグラニが中心の国という事もあって、足と腕の数や体格に違いが在ろうとも、気兼ね無く着られる服を追求した結果、その自由度の高さから、外国からも人気が出て、代表的な輸出品とされている。
人族の私が今着ている服は、一目見ただけだと、ソラニ産にしか見えないだろう。事実、この服によく似たデザインの服を数回目にした。
何の変哲もない只のブラウスとスラックスだが、この世界でも珍しくない服装だ。
「ネフィルの体だと、イーサ(この世界でのSサイズ)だからこの辺だね。どれが良い?」
選択を促すが、ネフィルは全く関心が無いのか、
「どれでもいいから、アイビー決めて。」と私に丸投げ。
ネフィルの右腕は、隠しておきたいけど、長袖を着せたところで、到底隠し切れない。そう思った私は、出来るだけ動き易そうな服を選ぶ事にした。
結果選んだのは、作務衣によく似たシンプルな物。試着させたかったが、この状態のネフィルに売り物を着せたら、お店に迷惑だと思い、半ば賭けのような気持ちで会計。
当然、通貨は持ち合わせていないため、死体の服で作った、簡易的な鞄から、獰猛な両生馬の皮を取り出す。
「此れでどうでしょう?」
「…両生馬の皮ですか?」
「はい。」
何やら神妙な面持ちで皮を眺める店員に焦燥感が募る。「品質に問題がある。」とか、「ウチじゃ扱えない。」とか言われたらどうしよう。
「このくらいの大きさでしたら、もう二つ選んでいいですよ。」
その店員の言葉に胸を撫で下ろす。そして、さっき選んだ移動用に加え、就寝用と予備も購入。早速着替えさせたいが、先ずは、今日泊まる宿を決めなければ。
この世界にも紙袋が在った事実に多少驚きながら、服を仕舞い、左手が塞がったまま宿を探す。
此の街の入り口にも、持ち帰り自由な地図が置いてあり、其れで現在地を確認したところ、今居る場所は、どうやら繁華街であり、早めに宿が見つかった。
建物は五階建て。宿泊料金は前払いで、一階は食堂。二階から五階までが宿泊部屋となっており、各部屋に浴室が完備されている。
食堂では、注文の度にその場で料金を支払う制度で、通貨のみ対応。受付では換金も行えて、勝手が少々違うが、私の中では、此処が異世界系の定番。ギルドということになる。
「何泊の予定ですか?」
受付に立つと、従業員が話し出す。
「二泊を二名でお願いします。」
「物品と通貨、どちらでお支払いされますか?」
「物品で。」
そう言って私は、大きめな皮を取り出し、カウンターに置く。すると従業員は、神妙な面持ちで皮を眺める。既視感を覚えたが、程なくしてまた、従業員の口が開く。
「では、こちらがお部屋の鍵になります。それと、お釣り3,600ガーロになります。」
此の世界にやって来て、ようやく通貨を手に入れた。価値としては、1ガーロで約10円程。物々交換の方が主流の世界だからか、通貨は世界共通で価値も同等。
通貨で精算しているのは、衛生面を徹底した飲食店くらいなもので、そこまで通貨が流通しているようには感じない。
何はともあれ、部屋の鍵を受け取り、鍵に書かれた316の部屋を目指す。
到着して、真っ先にネフィルにお風呂に入るよう促す。
「ネフィル。とりあえず、その体綺麗に洗おうか。其の儘じゃ悪い意味で目立つから。」
「水浴びと何が違う?」
「入ったら分かるから。」
半ば強引に浴室へ連れていき、服を脱がして、体を洗おうとした。ネフィルは全く抵抗せず、されるがままでいた。
浴室には、石鹸や洗髪剤が常備されていて、かなり良い宿だ。日本で考えても、かなり良いホテルと差し支えない。それどころか、殆ど家と言っても過言ではない程、馴染みの有る物で溢れていた。
浴槽にお湯を溜め、ネフィルを浸からせてから、私自身も体を洗う。ネフィルは男だけど子供だし、何もしてこないだろう。ただ、此の世界では、男女のあらゆる価値観が私の知るものと逆になっていることを思い出した。
女が男をお風呂に誘った今の状況、元の世界でも聞いた話ではあるが、此の世界では特に多い。多分、ネフィルはそんな事、知りもしないだろうけど、考えた瞬間、途端に恥ずかしくなってきた。
「暑い…もう出ていい?」
湯船に浸かってから、十数秒で出たがるネフィルに好機を見出し、急いで体を洗い流す。
「じゃあ、私も洗い終わったし出ようか。」
ネフィルの体を拭き終わり、紙袋から寝巻を取り出し着せた。元々ネフィルが着ていた服は、部屋の洗濯機に入れ、洗い終わるのを待った。そして、あの服屋で私の替えの服も買っておけばよかったと今になって後悔した。
此の世界でも、寝具はベッドが使われているようで、本当に異世界に来たのか、今だけ疑いたくなる。
「アイビーの言った通り。何か違う。」
温まった体を実感したのか、ネフィルは少し反応を示す。
「でしょ?だから私も入りたかったの。」
ネフィルに対して明るく振舞った私の実の感情は、名状し難い気味の悪さに支配されていた。何故なら、此の街の中心となる住民は、カプシンという種族で、その見た目は蜘蛛に近いからだ。
木の枝のように細長い腕(足)が六本有り、肘と思われる関節が二つと、胴体に腰と思われる関節が二つ有った。顔と思わしき部分には、目も鼻も口も無く、何処から声を出しているのか、どんな表情をしているのか、全く分からない。それでいて、体格は大柄なため、恐怖も湧いてくる。
従業員は、後脚と中脚で体を支え、上腰を起こして接客していた。全体的な見た目は蜘蛛に近いのに、その姿勢は、百足にも見える。
しかし、あれが種族として普通の姿なのだ。これから先、何度も見る羽目になる。そう思うと、気が重くなるが、ネフィルの前で情けない姿を見せたくない。その為にも、平静を装わなければ。
心の中で決意を固めていると、部屋の呼び鈴が鳴った。
国:フーケン
アイビー達が二番目に訪れた国。先住民族は、カプシン。
ソラニの隣国だが、大きな樹海が国境となっているため、気軽に出入りは出来ない。
物作りと商売に長けたソラニと違い、サービス業に力を入れており、観光客数世界一位を誇る。
カプシンは、友好的な国民性をしており、多くの国と協力関係にある。
この国では、革製品が貴重で、知恵無き生命であれば、どんな皮でも比較的高値で買い取って貰える。
しかし、同様に偽物も横行しており、査定する者の鑑定眼が問われる。
その影響で、鑑定家としての能力が年々向上していき、専門職に就く者も多い。