母の遺伝子
脇目も振らずに全速力で向かい、家の前に到着。そして、息を切らした私は、冷静になってきた頭の中で思う。
「どうやって中に入ろう…。」
玄関は鍵が掛かっているだろうし、仮に入れたとしても、空き巣と鉢合わせる可能性がある。でも、割られた窓から入れば、それこそ私が空き巣に見られかねない。
「どうしよう。」
今になって、自分の無計画さを呪った。けれど、迷っている時間はないと感じた私は、一か八か、扉の取っ手を握って回す。案の定、開く事はなかったが、家の中に音が伝わったようで、扉の向こうから、誰かが話している声と忙しない足音が聞こえてくる。
一応回り込んで、割られた窓から家の中の様子を伺う。そこには、焦り倒した様子で荷物をまとめ、出て行く準備をしている、覆面を被った三人組が見えた。
最初の影は二つだったが、実際は三人の中から見えただけのようだ。
何にせよ、これで空き巣が去ってくれれば、穏便に事が終わるから助かるけれど、少し経てば、音の正体が家主でないことは見破られてしまい、空き巣たちを追い払うまでは至らなかった。
外に追い出すことはできず、空き巣達は、家の中へと戻って行ってしまう。「こうなったら仕方ない。」私は、思い切って声を上げる。
「そこで何してるんですか!」
窓に向かって放った私の怒号は、無事家の中まで届いた。その証拠に、空き巣達の視線が一斉に私に向けられる。
「女…?」
空き巣の一人がそう口にすると、他二人は顔を見合わせ、何故か警戒を解いた様子を見せる。そして、その片方が、少しずつこっちに歩み寄りながら、覆面を外して話し掛けてきた。
「人族の女、お前、共犯にならね?」
私に犯罪の片棒を担がせようと勧誘してきた女性は、耳の無い猫のような顔に鋭い一本の牙、服だけでは隠し切れない程肥大化した、虎に似ている手足を持つ、かなり小柄な獣族だ。
本来獣族は、大柄で、個人主義な者も多く、繁殖以外で群れることは殆ど無い筈。私の知識と合致しない。
「わ…僕は、犯罪者になるつもりは無い!」
何であれ、私がこの世界で犯罪に加担するような真似、するわけが無い。
「そっか…じゃあ…。」
手袋を外しながら、そう呟いた直後、彼女の姿が見えなくなり、気づいた時には既に、私のお腹を彼女の大きな右手が貫いていた。
「早く逃げるぞ。」
霞む視界に朦朧とした意識の中で最期に聞いた彼女の声。扉を開ける音が耳に入る前に、私の意識は途絶えた。
全身から黒い粒子が流れ出し、死体の足の近くで集まり、私の体を作っていく。そして、完全に再現した後、私の意識も戻った。
「生きてる…。お腹も空いてない。」
また復活した。服も元通りで、体のどこにも異常は見られない。尤も、家の中はとんだ惨状だが。
「どうしよう…。」
冷静になった途端、私には、焦燥感が満ちていた。此処は他人の家。おそらく商売道具であろう物も見られる中、私の死体が転がっている。割れた窓も相まって、今これを誰かに見られると説明ができない。
悪い予感というのは、案外当たるもので、誰か帰ってきた。床に流れる血、私の死体、割られた窓、その全ての前に立っている私。犯罪者扱いされる要因が揃っている。
どうしたら切り抜けられるのか、必死に考えを巡らせた私の出した答えは、逃げること。前科者になる位なら、死んだ被害者として処理されたほうがずっと楽だ。そう思った私は、急いで外に逃げ出した。
しかし、外にはこちらを見ている者もいて、完全に人目を避けることはできそうもない。おそらく、家に入る前、私が叫んだから、それで野次馬が集まってしまったのだろう。
「私は、空き巣も殺人もしてません!」
そう言い残して、私はその場を走り去ってしまった。どうしても、あの視線が耐えられなかったから。
この街は、なまじ人情に篤いから、この事件は、瞬く間に広がると思う。その前に姿を隠したいけど、この街に路地は無いし、人も頼れない。カララには戻り辛い。
いっそのこと、樹海に突っ込んで、自然と共に生きるのも悪くないかもしれない。頭に過った考えを実行すべく、体は動き出した。
クウクと樹海の隔たりは、柵一つのため、越えることは容易だ。柵に向かって突っ走り、大きく跳躍して、樹海に姿を飲み込ませる。
顔や体に何度枝が当たろうとも、人里が見えなくなるまで走り、やっと足を止めた時は、崖から落下していた。
深く緑が生い茂る光景に、今際の際であることを忘れて、目を奪われた。
「そういえば、こんな自然、元居た世界じゃ見れなかったなぁ…。」
一息ついたのも束の間、崖から飛び出した岩に軽く頭をぶつけてしまい、激痛が走る。痛みで身を縮め、頭を抱えたまま、今度は木々の中へ突っ込んでいく。
手や顔といった、肌の露出した箇所を数々の枝が引っ掻いてくる。背中には、幹が擦れて、次第に服は引き裂かれていき、次々と体に生傷を刻んでいく。
そうして、大量の傷口を抱えた私は、頭から地面に着地する。
痛い。主に頭だが、全身が酷く痛む。痛みを感じているということは、私は生きている。まるで、死ねなかったことを証明されたようで、気分が悪い。
意を決して目を開くと、左肩が体に潰されて、脱臼している。下半身は殆ど無事だが、顔の左半分は、多くの切り傷を負い、打撲と出血をしている。そして、着地の際に、骨が歪んでしまったのか、若しくは、石か何かにぶつけてしまったのか、左目が開かない。
起き上がれない。というか、起き上がりたくもない。このまましばらくすれば、また死んで、蘇るのだから、態態動く必要もないだろう。
そう思っていたが、想定より出血は早く収まり、周りに動物等も居なく、只時間が過ぎるのを待っていることしかできない。
どれくらいの時間が経過したのか、太陽が沈み、暗くなって気温も下がってきて、やっと死を覚悟した。走った後に崖から落ちたため、汗を掻いていた。体が冷えて、低体温症になれば、この命は絶つ事が出来る。
そうだ、復活するまでの間に、この能力の名前を考えよう。不思議なもので、体に激痛が走っている割に、私の思考はえらく冷静だった。
復活や蘇生と呼ぶには、私の体が生きている物といない物とで増えている。そして、分身と呼ぶには、発動条件が死ぬことと、重すぎる。
いまいち納得のいく名前が浮かばない。だが、不意に私の脳内には、ゲームでよく見かける、セーブとロードが出てきた。でも、今の私とよく似ている気がする。
この世界に来てから、私は何度も死んでいるけど、いつも元通りになって生き返っている。そう考えると、一番しっくり来たかもしれない。
一段落ついたように溜息を零すと今度は、急激な眠気に襲われ、土の感触も気にならなくなっていた所為なのか、すんなりと眠りに入った。
次に私が目を覚ました頃には、周囲を確認出来る位には明るくなっており、体のどこにも痛みは無く、傷も綺麗さっぱり消えていた。体を起こして軽く呟く。
「また…死んだんだ…。」
ふと後ろを見ると、そこには、服が引き裂かれ、左肩が外れて、左目に枝が突き刺さった、大量の傷とそこから流れた血の跡を残している、見るも無残な私の死体が朝日に照らされていた。
「私、慣れちゃったんだ…。」
気持ちの悪さは感じる。けれど、もう殆ど動じなくなっている。そうだ。私の能力の名前、”死体残し”にしよう。そのままで、実に分かり易い。
立ち上がり、膝に付いた土や頭に付いた葉っぱを払って、私の死体を後にする。呪い被りの死体を放置してもいいのか不安は残るが、とにかく歩き始めた。
何処かで聞いたことがある。サバイバルでは、水の確保が最優先事項だと。私は、死んでも生き返るから、最悪見つからなくても大丈夫だけど、一層人間から乖離してしまいそうな気がして何か嫌だ。
私は、自分のことを人間だと思っている。でも、このまま死に続けたら、何時か私は、私自身を化け物としか思えなくなるかもしれない。なんとなくそんな感じがする。
それからは、何も考えずに。いや、考えないようにして、ただ飲み水を探した。
木々を掻き分け、鬱蒼とした自然の中を歩き続けて、一つの疑問が生じる。
「この樹海、やけに静かだ。」
水源を見つけるどころか、動物の鳴き声一つ聞こえて来ない。
「さっきの落下中に見た限りだと、この樹海、かなり広いのに、こんなに静かなのって明らかにおかしいよね?」
誰に話すでもない独り言が零れる。「話し相手が居ないのって、こんなに寂しくなるんだ。」こんな時だからなのか、脳内には、大学の友達やお母さんの姿が浮かぶ。
この世界に来る前の季節は、初夏だった。この世界でも、季節の概念は在り、ほとんどの国は、雨期と乾期の二つを繰り返すようで、今のソラニは、乾期の半ば。
街に居た時は蒸し暑かったのに、今は自然に囲まれて、かなり涼しい。
「日本に居た頃に、こんな避暑地に出会いたかったな。」
水を求めて、かなりの距離を歩いてきたが、不思議と喉はあまり乾いてないし、汗もそんなに掻いていない。
しかし、一向に水は見つからず、水流の音も聞こえない。まるで、この樹海のどこにも存在していないかのように静寂に包まれている。
「この際野生動物でもいいから、話し相手が欲しい。」
私の口から、勝手に言葉が出てくる。それでも、誰かが現れて来るなんてことは無く、ただひたすらに孤独な時間を過ごす。
どれだけ歩いてきたのか、見上げると、紫がかった空が広がっていて、夜の訪れを感じさせる。未だに水は発見出来ずにいる。
いくら自然の中に居ると言っても、歩きっぱなしだと、流石に汗が出てきた。それでも、全力疾走した時程ではないあたり、自然の力には敬服する。
立派な幹が根を張り、他の木々と絡み合って出来た、凹凸の多い、道無き道を歩き続けているわけだから、これで汗を掻かない方がおかしい。
こういった不慮の事態に見舞われた時、熟メイクをしてなくて良かったと思う。
大学では、メイクやお洒落をして、色んな人と話すのが当たり前の様になっているけど、どれも私は、性に合わなくて諦めていた。
それが理由で、イジられる事も多々あったけど、正直私は、自分の素顔を、本当の姿を人に見て貰った上で、正当に評価して欲しかった。
お母さんもあまりメイクをしない人で、家にお洒落な服も置いてなかった。その理由は、
「有り体を好いてくれる人と一緒に居たいから。」だった。
私は、お母さんのその考えが好きだった。確かに私は、特別容姿に恵まれた訳でも、卓越したセンスが有る訳でもないけど、お母さんの考えには、私も少なからず影響を受けていた。
だから、するのが当たり前の事だと、周りから評価されたくなかった。どうせ評価するなら、”した後の姿”ではなく、”してない今の姿”を評価して欲しいとずっと思っていた。
元々、自分を着飾る事が嫌いだった所為もあるだろうけど、結果その考えは、功を奏している。
もし、私がメイクやファッションを気にしていたら、この世界では、きっと浮いてしまう。それに、走ったり、落ちたり、死んだりしているのだから、メイクなんてしてたら、きっと今、酷い顔になってた筈だ。
お母さんの考えが、こんな所で生きるとは、思ってもみなかったが、結果的に信じて良かった。
でも、火事の現場では、子供を盾にした疑いを、空き巣を追い払おうとしたら、逃げられる上、殺され、何人にも見られた。
本当に、”情けは人の為ならず”なのだろうか。どうにも、そこだけが気掛かりだ。
等と頭の中で考えを巡らせていると、そう遠くない所から、木の幹に、何かが勢いよくぶつかる音と地響きが聞こえて来た。
もし、誰かの困り事なら、これが最後の親切だ。ここで、お母さんの口癖(教え)が正しかったのか確かめる。
種族:獣族
本来は、どの個体も大柄で、仲間意識が非常に薄く、腕(前足)の先が地面に当たる位長い。
同じ種族でも、対立が多く、人族を除けば、唯一見た目に統一性が無い種族。
あくまで、見た目が獣に近く、そこに統一性が無いだけで、体の構造は皆一緒。
この世界では、一番人に近い見た目だが、「人族に似ている」は侮辱になる。
繁殖について、特に取り決め等は無く、誰と何人作ろうが自由。ただし中には、番として過ごし、繁殖相手は一人しか認めない派閥も存在する。
空き巣をしていたのは、種崩れと言う、種族から仲間外れ(追放)を言い渡された集団。