情けは人の為ならず
私の母には、口癖がある。それは、私が小さい頃からよく口にしており、今でも私に言って聞かせてくる。
「情けは人の為ならず。人に良い事をすると、それは、巡り巡って自分に返ってくるから、あなたも人に優しくありなさい?」
私の母は、とても優しい。私が頑張った事を褒めてくれる。私が悪い事をしたら、しっかりと叱ってくれるし、どんなに嫌味を言われても怒らない。私の我儘にも、可能な限り応えてくれるし、私の意見を尊重してくれる。
私は、母が本気で怒った場面を一度も見た事が無い。もしかしたら、私が知らないだけで、実は何度も怒った事があるのかもしれないが、少なくとも私の前では、基本笑顔だ。
そんな母と一緒に居るのが楽で、大学が少し離れていても、私は実家で暮らしている。
「行ってきまーす。」
「行ってらっしゃい。気を付けてね。」
マンションの一室から扉を開けて、母に挨拶をし、そして大学に向かう。これが私のいつもの朝だ。私はこの特に代わり映えのない風景に何も不満は無い。
今日も大学で、経営を学ぶ。私は、人を助けられる会社を作って、母に孝行するんだ。そう意気込んでいたが、その日に限って私の日常は、いつもの様にはならなかった。
大学の講義が終わり、友達と他愛もないような会話をしながら帰路につく。
「じゃあね、また明日。」
そう言って友達と別れた後のこと。ポケットからスマホを取り出したら、手が滑って、そのまま地面に落としてしまった。視界ではスマホを捉え、拾おうとしゃがみ、手を伸ばす。だが、瞬きをすると同時に目の前からスマホが消えた。
「え?」
突然のことで状況が掴めなかった。忽然と影をなくしたスマホだけじゃなく、周りの景色までもが一変している事実が、私を動揺させるには十分過ぎた。
しかし、数十秒もすれば案外落ち着くもので、路地に移動し、冷静に今の境遇を分析し始めた。
「私はさっきまで、家に帰っている途中だった。スマホを拾おうとして気が付いたら此処に…。」
どうやら異世界にやって来てしまったみたいだけど、どうにも此処の街並みは見覚えがある。まるで時代劇の中に飛び込んだみたいに日本風な建物が立ち並んでいる。
「異世界って言ったら大体中世の欧風なんじゃないの?なんでこんなに和風な建造物が…。」
和風建築に疑問を抱いている私の耳に、街の人の歓声が入ってくる。
「なんだろ?」
つい気になって、路地から顔を覗かせる。するとそこには、手から炎を出して鍛冶をする職人の姿があった。
他にも、手から氷を生み出し、果汁を閉じ込めて提供する露店や、手から風を吹かせて陶芸をする体験教室などの施設で賑わっている。
「この世界では、魔法が当たり前なのかな?」
見様見真似で手を前に出してみるも、何も起こらない。扱うためには何か必要なものがあるのかもしれない。
「一先ず、何もわからないままじゃ埒が明かない。この世界の事をもっと知ろう。」
この街に図書館のような施設が在るかはわからないけれど、とりあえず探そう。
街に居る人の服装は、着物みたいで和風な人も居れば、私みたいに洋服で歩いている人もいるため、変に目立つこともなくて安心した。
「それにしても、皆当たり前のように魔法を使ってる。」
ただ、魔法を使っているのはお店の人だけで、お客さんはそれを受け入れているところを見ると、この世界での魔法は、商売の資格みたいな扱いだと予想できる。
「そういえば、私スマホだけじゃなく鞄も無くなってたけど、これってどうゆうシステムなんだろ…。」
そうやって悩ませている頭に突如として、衝撃が加わる。どうやら家屋の屋根として使われていた瓦が落下してきて、直撃したらしい。そこで私の意識は途絶え、地面に倒れる。
「あなた…大丈夫?」
そう言って一人の男性は、私、陽斑 藍に近づき、指を首に当て、脈の確認をする。
「し、死んでる…。」
男性の顔色は見る見るうちに悪くなっていき、街にいる他の人達も騒然としだした。近くにいた数名は、動揺のあまり、尻餅をついて後退りをしたりと、とにかく慌てふためいていた。
そんな人々の感情が錯綜しているのを無視して、私の体から黒い粒子が流れ出し、私の死体の直ぐ傍に集まり、徐々に私の形を成していった。
そして、完全に私が再現されると、私の意識は、蘇った。
「あれ?私…何か頭に当たった気がしたんだけど。」
頭を確認するも、怪我どころか痛みすら綺麗さっぱり無くなっていた。
「あなた…何者だ⁉」
男性は、酷く怯えた様子で私に訊ねる。何をそんなに恐れているのか疑問で、思わず首を傾げたが、すぐに理解した。私と同じ顔、体型、服装の遺体が足元に転がっていたのだ。
「う、うわあー!」
初めて生で死体というものを見た。目立った外傷が無い分、まだマシな方かもしれないが、死体である上に、自分と同じ姿形をしていることが一層気持ちの悪さを引き立てる。
「っ!」
言い様のない気持ち悪さに吐き気を催し、声にならない声が出る。そして、堪らず道端で嘔吐してしまった。それが、自分と同じ見た目をした死体を目撃したことに起因しているのは、容易に想像ができた。
「あなた、呪い被りなの?」
男性は、声を震わせながら軽蔑の表情を私に向けていた。
「…呪い被り?何それ?私は身に覚えがないけど…。」
具合が悪いながらも私は答える。男性の言う”呪い被り”とは何なのか、気になるけれど、今はそれどころじゃない。
少しすれば、まだ完全ではないけど、気分も落ち着いてきたから、ゆっくりと立ち上がって、自分の死体を見つめる。
「私、死んだの?でも今は生きてる…。復活した?」
私が異世界に来て得た能力って復活だけなのかな。だとしたら、この一回でもう能力使えないとかないよね?もし、何回も使える能力だとしても、私が何度も死ぬ未来が確定しているようなものだ。
「あの…とりあえず、そこの私の死体片付けてもらえないかな?」
いつまでもそこに放置しておくのも忍びないし、どうにかしないと。でも、私の要望を素直に実行してくれる人はいなかった。それもそうだ。いきなり目の前で死んだ本人が蘇って、死体を片してほしいなんてお願い、動ける方がどうにかしてる。
「これ、触っても大丈夫なのか?」
それは、私にもわからない。さっき男性が言っていた呪い被りとやらも気になるし、一刻も早く情報を集めたい。
「多分、燃やしていいと思う。」
知らないとはいえ、我ながら無責任だ。もっと知らないと、自分の能力について。せっかく得た能力だし、回数に制限が無いなら、これ以上ない位人助けに生かせそうな力じゃない。
道の真ん中で私の死体が燃やされている。自分でそれを見ているのだから、かなり珍妙な状況だ。早く退散したい私は、感謝と謝罪をして、逃げるようにその場を後にする。
「ふぅ、ここまで来たら大丈夫かな?それにしても、私が復活した理由は何なんだろう。あの人が言ってた呪い被りってやつも気になるし、早いとこ情報を集めないと。」
ここまで街を見て気付いたことがある。それは、言葉が通じることだ。街の至る所にある看板の文字が読めるし、人と話すこともできる。私は、あまり語学に自信は無い。さっき話していた言葉も日本語のはずだ。
「あ、あった図書館。」
見たことない字だけど、どことなく平仮名に似ている。しかし、私の知ってる読み方ではなく、五十音表の文字を不規則に並び替えたような読み方をする。
異世界の文字のため、読めないはずだけどわかる。まるで知らない国の映画を字幕付きで見ている感覚だ。
建物の看板には、”かららしょさい”と読める文字が書かれており、おそらく目的としている図書館だろうと予想して、中に入る。
入館するにあたって料金を請求されたらどうしようという不安もあったが、杞憂に終わった。
館内は、夥しい数の本棚が並び、その一つ一つに、本がぎっしりと詰め込まれ、荘厳な雰囲気を醸し出していた。
「ここなら思う存分情報を集められそうだ。」
一応周りに配慮して小声で呟く。早速、この世界と男性の言っていた呪い被りについて調べるため、本を集める。幸い、この世界でも書物は順番通りに整頓されており、見つけ易かった。
「さて、頑張って読もう。」
関連していそうな本を粗方持ってきたから、相当な量になってしまったが、この世界で暮らしていくための知識を身に付けるよう努めることにした。
街灯が点き始めた頃には、持ってきた本のほとんどが読破できていた。あまり読書はしない方だったけど、読んでみたら、思いのほか手は進んだ。
どうやらこの世界は、元居た世界とあまり大差は無いみたいだ。ただ、違う点としては、国同士が基本地続きで、海のような自然的隔たりがまるで無い。
私が飛ばされて来たこの日本のような国も、島国というわけではなく、いくつかの地方に分かれているだけで、国境は別にある。因みにこの国は、日本に似ているが、”僕”以外の一人称は存在していないようで、”私”という一人称は、外国人だと思われるらしい。
そして、この世界における魔法は、それほど大きな物ではなく、この国では、義務教育の一つとして習う程度で、努力がそのまま実力に反映される。
しかし、好んで魔法を使わずに生活をしている者や、体を鍛える目的で魔法を制限する者もいるようで、私が変に目立つことは無さそうだ。
とはいえ、魔法が使えない今の私の立場は、小学生よりも低いかもしれない。頑張らなければ。
呪い被りについては、様々な意見が出されており、詳細はどこにも載っていない。現在でも、謎が多く残っている分野らしい。
その中でも、判明している事としては、呪い被りには、遺伝性が無く、突然変異に近い。そして、最大の特徴が、呪い被りを持った者は、体から黒い粒子が漏れ出していることだ。
私は、どこからも粒子なんて出してないし、出てもない。つまり私は、死ぬことが発動条件の呪い被りなのか。それとも、厳密に言えば、呪い被りではない別の何かなのか。という二択なわけだ。
読み終わった本を棚に戻そうとしたが、本が無くなっていた。周囲や机の下なども確認したが、影も形も見当たらない。「誰かが親切で戻しておいてくれたのかな。」とも思ったが、一瞬でその予想が砕け散った。隣にいたお客さんを見てみると、読み終わった本が独りでに棚へと戻っていった。
「あ~そうゆうこと。」
つい言葉が漏れた。
外に出てみると、空に星が浮かんでいた。どの星が何て名前なのかは分からないが、不思議と目を惹かれる。
「綺麗だなぁ。」
物思いに耽っていると、遠くの方から警鐘の音と女性の声が響いて来た。
「火事だあー!火消し隊!早く来てくれー!それ以外の奴らは逃げろー!」
火事という知らせを聞いて、どうにかできる保障は無いけど、思わず警鐘の鳴っている方へと駆け寄って行った。
現場に着くと、民家だった建物は、燃え盛る炎に包まれ、その家の母親であろう人物は、我が家が橙色に飲み込まれていく光景を、ただ、力なく地べたに座り込んで、眺めることしかできなかった。
「あの、まだ中に人が居たりしませんよね?」
確認のため、私が訊くと、母親は、血相を変えて私の服に掴み掛り、懇願する。
「お願いします!僕の息子を!”フラ”を助けて!」
「…分かりました。任せてください!」
母親の気迫に押され、助けられる確証も無いのに了承してしまった。しかし、もう取り返しはつかない。私は、一目散に炎の中へと飛び込んだ。
水を被っていないため、瞬く間に服に引火した。肌が焼け爛れていく感覚に襲われながら、確実に歩き進める。そして、崩落してきた木材の下敷きになって、私の意識は途絶えた。
しかし、私の体から黒い粒子が流れ出して、再度私を形成する。完全に再現されると、私の意識は蘇って、確信した。私の呪い被りは、死ぬことが発動条件だ。
地方:カララ
陽斑が最初に訪れた場所。日本によく似た国、ソラニの南東に位置する地方。
別名、”知識のゆりかご”と言われるほど数多の情報が集まっている。
研究施設が充実しており、ソラニの学者は、ほとんどがカララの学校を卒業している。
商売については、唯一決まった店舗を持たない地方で、他の地方では、露店は基本見られない。
物造りはあまり盛んではなく、老人の趣味や子供の体験教室が開かれている程度。
陽斑がここに転移したのは、何かの偶然か、将又誰かの陰謀か。