死刑を書いた男の独白
死の直前まで書かれた死刑囚の手紙。
命が散る直前まで男が遺した形ある声を読んだ遺族の感情は、どこへ向かうのだろう。
拝啓、この世に罪を産み落とした者たちへ―――――。
師走の候、ますますご清祥のこととお喜び申し上げます。
私は病気になることもなく、こうして独房の中で今も元気で書いています。少し肌寒くはありますが、心地よい布団が私を温めてくれています。
初めに言っておきますが、この文章は遺族に向けての手紙ではありません。これは、私が死ぬまでを書いた純粋な本音と魂の込もった私小説です。なので、遺族の他にこの本を買って読んでくださった読者の方は、どうぞ気兼ねなく肩の力を抜いて読んでいただけたらと思います。
私は7年前に、菊池夫妻や天宮夫妻など、大体13人でしょうか。それくらいの人間擬きを殺害しました。新聞では動機は金銭目的だったとか書いてありましたが、全く違います。本当の理由は、至って単純明快です。私は彼らを死ぬべきだと考えたからです。
きっかけはとある映画でした。2010年に大阪で起きた二人の姉弟の餓死事件をモデルに制作されたその映画を初めて観た時、私は児童虐待者への憎悪と殺意というエネルギーを得たのです。
3歳女児と1歳9ヶ月男児が母親と名乗るのも烏滸がましい阿婆擦れに育児放棄されてベランダで死んでいたあの事件を知っていますか?
私は先にモデルの事件を知ったのですが、当時は普通に可哀想だと思うくらいで、今のような憎しみは持っておりませんでした。
しかし、あの映画が私を子供を守るダークヒーローに変身させてくれたのです。当時の私にとって、あの作品は強烈以外の何物でもありませんでした。経済的苦難や子育てから逃げたくて家に帰らない女、頑張って缶詰を開けたりマヨネーズを飲んだりして必死に生きる子供達。私は映画が1秒進むごとに憎悪と殺意が膨らんでいくのが実感できました。
特に、私がヒーローになる決意を抱かせたシーンが二箇所あります。一つ目は、真夜中のテレビの前でお姉ちゃんが「幸せなら手を叩こう」と歌う番組の前で手を叩いている場面でした。ゴミ屋敷の如く散らかっている床の上で、健気に彼女は幸せを求めて手を叩いていたのです。その番組が流れる夜が来るたびに、パチパチと。私はそれを観て、このような子供達を救わねばならない使命感に駆られました。もし私がここで鑑賞を止めていれば、熱心な児童虐待防止活動家になって終わっていたことでしょう。しかし、あのシーンだけはどうしても許せず、納得もできませんでした。
それが二つ目のシーンである、女が帰ってきてまだ生きていたお姉ちゃんを風呂場で溺死させた場面です。弟はとっくに死んでしまっていて、私は涙を流しましたが姉だけでも生きていて欲しいと、展開が決まっている映画に祈らずにいれませんでした。
それが最後にあの仕打ちです。ネグレクトとは、性犯罪と並ぶ大罪だと私は確信しました。
視聴を終えると、私の中にはドス黒い漆黒の感情と衝動が渦巻き始めました。その中から、彼らは生かしてはおけないと、私の中で男とも女とも似つかない複数の声が囁いたのです。
幻覚だろうとあなた方は思うのでしょうが、私はネグレクトや虐待で命を落とした愛し子たちの怨念だと思いました。
ですので、私は夜の中で子供達を守るブギーマンになることにしたのです。
2
最初の殺人は鮮明に覚えています。私は世田谷区の菊池夫妻の家に忍び込んみました。彼らは当時1歳半だった自分の息子を虐待で死なせた、息をするゴミなのです。
私は塀を乗り越えて庭の窓ガラスとサッシの間のゴム部分にドライバーを差し込んで窓を割り侵入しました。二人は別々の寝室で寝ていたので、意外と簡単に殺せましたね。キッチンにあった包丁を持って2階に上がり、先に夫の方を殺しました。妻を先に殺そうとすれば、失敗した時に夫が参戦してしまって殺せる可能性がかなり低くなってしまうと考えたからです。彼は仰向けで寝ていたので、安心して心臓を刺せました。
そして最後に妻を殺しました。こちらは喉を切り裂いて死亡を確認した後に、子宮に何度も歯を突き立てました。私は彼らの家からカードや通帳、金になる物を盗んで家から抜け出しました。
この文を読んでくしゃくしゃに握り締めてしまいたいとお思いでしょうが、子供一人まともに育てられない人間が、努力しながらも幸せな家庭を築いているご家族と同じ人権を持っているとお思いでしたら、私はあなたも殺せばよかったと後悔してしまいますので、どうか考え直してください。
いいニュースとして、盗んだ金は一銭たりとも私利私欲のために使いはしませんでした。標的の金のほとんどは、全て児童保護団体や児童養護施設等への寄付に充てていました。私は自分のためではなく、今と未来を生きる子供達のために悪を倒して回っていたのです。
3
二件目の殺人は危機一髪でした。私ではなく、そこの家の子供がでしたが。
ヒーローならマスクを被らなければと思った私は、麻袋を加工してヴィランのような恐ろしいデザインのマスクを作って少し有頂天でした。初の実戦投入として沼津一家の家に忍び込もうと家の中に入ったら、子供の悲鳴と大人の怒号が聞こえたのです。これは不味いと判断した私は、一階の部屋を開けると悍ましい光景が広がっていました。
まだ小学2年生ほどの小さな娘が、父である男に強姦されかけていたのです。母であろう女は、部屋の片隅に置いてあった椅子に座って悠然とその現場を眺めていました。
そこから先の記憶はあまりありませんでしたが、薄ら覚えてはおります。男の顔を思い切り蹴り飛ばして倒れたところを、私は何度も股間を蹴り続けました。靴を履いたまま侵入したので、さぞ痛かったことでしょう。再起不能になった男の次は女を殴り飛ばして、座っていた椅子でめった打ちにしたはずです。理性を取り戻した時には、男の陰嚢は潰れ女の顔は原型を留めていませんでした。
傷物になる前に救出した娘は私に怯えておりましたが、このままではあらぬ疑いを掛けられてしまうと思った私は彼女を数時間だけ拉致することにしました。固定電話で誘拐を自主通報し、彼女の名誉のためにも被害者としてカボチャの馬車に迎え入れたのです。
不安げな表情は崩れないままでしたが、両親を私に殺されたことに対しては何も反応を示しませんでした。大人しいに越したことはないので、私は彼女を連れて車に乗り込み、市内をぐるぐる回って時間を潰していたのです。お腹の音がなったので、本当はファミレスの温かいものを食べさせてあげたかったのですが、二人で入れば私がカメラに映ってしまうので仕方なくマスクを脱いでコンビニのお弁当やお菓子、念の為にアイスも買って車内で食べさせることにしました。レンジで温めたご飯は久しぶりだったようで、泣きながら嬉しそうに食べる姿を見て私も大層嬉しかったものです。お菓子の甘さに感動し、アイスの滑らかさに舌鼓を打っていました。こんな子供にとって当たり前の幸せすら享受できないあの人間擬きを殺してよかったと、心の底から思いました。
沼津さん、貴方が悪いとは言いませんが、こうしたら死ぬべき人間へと変貌を遂げてしまったお子さんに責任があるのです。真っ当でなかったからヒーローに退治された。たったそれだけの些細なことなのです。
お腹も満たされた彼女はうとうとし出してしまい、眠られると警察に引き渡せないため、コンビニ近くの公園入口に降ろしていきました。あれから8年経っていますが、成長した彼女から手紙を受け取りました。幸せに学校生活を送れていますと、景気のいい近況報告を頂きました。善く学び、善く生きて、善い母となるよう応援しています。
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三件目は、荒川区の嶋野家でしたかね。家庭内暴力で妻と離婚したばかりのあの男は、許し難いことに児童相談所の職員でありながら我が子を殴っていたのです。そのくせ、外では良い父親を演じているのですから、遠目から観察していて不愉快でした。
離婚した妻について行った子供も観察しましたが、服の中に火傷の跡が隠れていました。あの形はタバコを押し付けられたのでしょう。なので、私もタバコでお仕置きしました。
彼を縛り付けて、両目にタバコの火種を押し付けました。タオルを詰め込まれた口から曇った絶叫が漏れ、光を失った世界に発狂していましたね。そろそろ五月蝿いと感じた私は、灯油を彼にかけて火をつけました。死にかけの芋虫のようにのたうち回りながら死んでいく様をいつまでも見ていたかったのですが、一酸化炭素中毒になってはいけないと思い、裏口から反対側の道路まで隠れて出て行きました。少し離れたところから振り返ると、家は轟々と燃え盛り、夜を照らす火柱を天に伸ばしていました。火の不始末は危ないというメッセージ、警察や市民の方々に受け取ってもらえましたかね?
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四件目の殺人をする頃には、私は虐待者を罰するダークヒーローのような存在となっていました。有名になったり注目されたかったわけではないのですが、世間の意識が変わってくれているようで少し達成感がありました。しかし、まだ逮捕されるわけにはいきません。私は警察を欺くために、三ヶ月間の活動停止を行いました。そのおかげもあってか、三ヶ月ちょうど経った頃には外に出ても監視の目は緩くなっていました。
これはチャンスと思い、四件目の天宮一家に赴きました。この家は今までの標的とは少し違い、家族に問題があるわけではなかったのです。問題だったのは父方の実家である天宮祖父母にありました。俗に言う悪質な舅と姑だったのです。散々虐めていた長男が結婚して幸福な家庭を築いているのが気に食わないらしく、悪質な嫌がらせを何年も続けていたそうです。そのせいで、彼の奥様は体調を崩されたと聞き込みで情報を得ました。ならば、ヒーローとして悪しき血縁を断ち切ろうと気合いを入れた私は、彼の実家がある足立区に行き、奴らを拉致して休みだった町工場のドラム缶に詰め込みました。
意識が回復した奴らは口汚く私を罵っておりました。むしろやる気が湧いた私は、有無を言わさず処刑を開始しました。現場を知っている方ならお分かりでしょうが、あそこには硫酸が置いてあるのです。血縁を断つのですから、跡形もなく消さなければ呪いは断てませんでしょう。ドラム缶に上から硫酸を流し込んで、天宮祖父母の髪はもちろん皮膚、筋肉、骨、内臓までをじっくりコトコトと溶かしていきました。唯一嫌だったのは、硫酸を扱うので防護服に着替えなければならなかったことです。あれは非常に面倒臭かったです。幾らか残りカスは缶の中に浮いていましたが、別に使った硫酸を隠す必要もないので放置して立ち去りました。翌朝の第一発見者は驚いたことでしょう。その職人の方には申し訳ありませんでした。
その後、改めて天宮一家を見に行きましたが、憑き物が取れたような晴々とした表情で、奥様も息子さんも笑っておいででした。一つの家族の未来を、私は見事守ってみせたのです。
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五件目は、私の殺人の中で最も嘆かわしい殺人でした。その家は倉橋と表札が出ていて、両親と三姉妹が暮らすマンションだったのですが、三日間監視して分かりました。夫は妻と三姉妹を支配していたのです。DVや性的暴行が日常茶飯事となっていたあの家族は、スクラップにして再構築しなくてはならない。では、どうすれば最も苦痛に喘がせることが出来るだろうと、私は半日考えていました。
その日は、ちょうど博物館の前を歩いていたので気分転換に入ってみると、なんと拷問の歴史を展示していたのです。これは神からの啓示だと受け取った私は熱心に拷問器具を見て周りました。その中に、あの男にぴったりの器具があったのです。
私はホームセンターでペンチを買って準備を整え、夜の7時くらいに倉橋宅に正面からお邪魔させてもらいました。扉の鍵を針金で開け、靴を脱いでリビングまで行くと男は傲慢な態度で行儀悪く夕飯を食べていました。
突然の不審者にキレ気味で向かってきた彼の金的を蹴り上げ、足首を執拗に踏み潰して逃げられないようにしました。あれだけ偉そうにしていたのにこんなにも弱かったのかと失望した私は、母と姉妹らに警察を呼ばせて手足を拘束させてもらいました。こうでもしないと、まるで私と彼女たちが共犯みたいになってしまいますからね。
警察が来るまで8分ぐらいしかないので、手早く粛清することにしました。私はペンチで彼の爪を一枚一枚剥いでいきました。激痛による叫びが長引く前に、急ピッチで彼の右手の爪だけを剥ぎました。時間はもう残されていなかったので、部屋に置いてあった灰皿で頭を割り、死体の冒涜として彼のズボンとパンツを剥ぎ取り警察に下半身を露出させることを思いつきました。
それが終わる頃にはあと2分しか残されていなかったので、非常階段を飛び降りる勢いで駆け降りていき、車でマンションを去りました。
彼女らは事件後に引っ越してしまったそうなので今はどこでどうしているかは存じ上げませんが、警察の方で所在が分かっているならば、幸せに生きてくださいと伝えてください。
7
そして、次が最後の事件でした。私は江戸川区の旧い名家を訪れました。地主だった大原一族はかなり傲慢な一族と地域では有名で、私も一度夜に偵察で侵入した時は、それはまぁ酷かったものです。
この家では悪い意味で血統や実力主義の思想が根付いていました。私が目撃した時は、一人娘であろう高校生に、一家全員で罵声を浴びせていました。どうやら女性が当主になることを禁じている家らしく、彼女を男を産むための道具と見ていることは明らかでした。彼女の扱いと言ったら、舞踏会に行く前のシンデレラも真っ青の待遇だったのですよ。
これは今までにないくらいに徹底的にやらなければならない。最初は彼女だけをなんとか避難させて家ごと吹き飛ばそうかなどと考えましたが、そうしたら今度は彼女の住む家が無くなってしまう。人数も多く、いつも通りの暗殺は難しい。なので、バレても簡単に殺せる手法を思いつきました。
それが、銃殺です。警察が凶器と発表したニューナンブM60を使って、一人一発ずつ撃ち殺していきました。
まず、現当主を撃ち殺しました。逃げられたら厄介なので門の鍵は全て閉じるか壊しておき、玄関から土足で上がっていきました。すると偶然廊下を歩いていた当主と遭遇したので、胸を撃ちました。音に吃驚した祖父や妻が駆けつけて来たので、先に妻の脳天を撃ち抜き、祖父は力が弱かったので組み伏せて銃床で脳みそが見えるまで頭を殴り続けました。最後の標的である祖母は押し入れに隠れていたので、祖父の死体を盾にしながら近づくと押入れから飛び出して包丁で刺してました。しかし私には刺さらず死体に刺さったので、至近距離で首を撃ち抜き口の中に包丁を突っ込んで終わりです。
帰ろうとしたその時、後ろで音がしたので振り返ったら彼女が立っていました。彼女の足は震えており、私の殺人の一部始終をずっと見ていたようです。逃げてもよかったのですが、子供を守る私が彼女にトラウマを与えてしまった。
ヒーローは店仕舞いだ。そう悟った私は、彼女に手足を縛ってもらい通報してもらいました。
こうして、私はこの独房にいるのです。私がここにいる理由は一つだけ。ヒーローを辞めたからです。罪悪感とか、警察にハメられたとか、そんなものは微塵もありません。
一生続けられるとも思っていませんでしたが、捕まってはヒーローの名折れだと思い、半ば自首のような形で逮捕されました次第です。
8
午前9時ごろ、刑務官が私の独房に複数人で訪れました。いつもと違う人数と雰囲気から私は言われるよりも先に察しました。そして案の定、死刑執行が告げられました。そのまま出房して、いま私は刑場に連行されています。こうして連行されているのに文を書けているのは、小説を書いている私への所長の計らいでもあります。歩きながらボードの上に紙を挟んでペンを走らせても、取り上げられないのが証拠です。
少し歩くと映画や再現番組で何度も見たことのある教誨室に辿り着きました。ここでは死刑執行まで1時間ほどの猶予が与えられ、教誨室で教誨師と会話をしたり、祈りを捧げたり、遺言を書いたり、お菓子を食べたり、喫煙したりして過ごします。
私は無宗教ですし、遺言もこの小説に全て書くので必要ありません。しかし、塀の外で生きる少年少女のために祈ることだけはしようと思っていました。
無言で3分ほど祈ると、所長が「前室では手錠を掛けるから字は書けなくなる」と教えて頂きました。できることなら書きたかったですが仕方ありません。代替案として、私が口頭で述べたことを全て刑務官に代筆させることにしましょう。
私の声が代筆されていますか? なら良かったです。
私は執行室とカーテンで区切られた前室に連行され、所長により死刑執行命令が告げられました。その後、目隠しをされ、手錠をかけられ、見えませんが恐らく執行室へと向かっています。
扉が開く音がしました。どうやらここが執行室らしいです。少し歩くと立ち止まらされたので、私の足元には踏み板があることでしょう。足を拘束され、首に絞縄がかけられました。確か映画だと、執行室はガラス張りになっており、検察官などの立会人がいる立会室から執行の様子をみることができたと思います。
そして準備が整うと、別室にある3つのボタンを3人の刑務官が同時に押して、どれか一つが踏み板と連動しており、ボタンを押すと踏み板が外れ、私の身体が執行室の階下に落下する、といった流れでしょう。
私は13人もの怪物を殺し、世の中に罪と罰を見せつけました。これで子供を大事にしないことに対しての恐怖を植え付けられたと満足しています。後のことは、良識と正義のある大人たちに任せることにしましょう。
「最後の言葉は?」とスピーカーで所長が言いました。
そうですね、どうせならヒーローらしくカッコつけたいので、こう言いましょうか。
「私は、罪なき子たちの守護天使になります」
そして、彼は床下へと身を落としていきました。
(代筆刑務官・語)
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