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前科商売

月刊ダ・ヴィンチ読んでたら思いついた。

法律関係は素人なのでフィクションということにしてつかあさい。

「主文、被告人を有罪とする―――――」




 ガベルの音が、地獄の閻魔の意思を代理している気がした。高等裁判所で今まさに、消えることのない人生の傷が誕生した瞬間だったのだ。だが、不安はあれど後悔はない。これも全て、我が親父の為であり渡世(とせい)の為である。

 今年で21歳になったばかりの豊橋秀治(とよはししゅうじ)は、関東に拠点を置く暴力団の下級構成員だった。罪状は、複数の拳銃の所持による銃砲刀剣類所持等取締法違反だ。

 もちろん、その銃は自分の持ち物ではなく幹部が抗争で紛失してしまった拳銃だ。だが、幹部が逮捕されると組の運営に著しい支障をきたしてしまう。そこで選ばれたのが豊橋だった。

 彼は決して無能というほどではなく、むしろ兄貴分たちからの信頼は厚かった方だ。しかし、彼には一つ要素が足りなかった。ヤクザ者としての箔が付いていなかったのである。要するに、刑務所に入れられた経験がなかったのだ。

 そこで先述の事件が発生。これ幸いと組長は、善かれと思って豊橋を勤めに行かせた。

 刑期は五年。最大が十年と言うのだから、これでも破格なのだろう。

 しかし、せっかく箔をつけるなら殺人がよかった。豊橋はそう思っていた。必要最低限の環境が整った房中で、手紙を書いたり本を読んだり、その繰り返しを長い年月の中で身に染み込ませていった。

 あと五年、三年、一年、半年、一ヶ月・・・。悠久の時を静かな塀の中でひたすら過ごし続けた豊橋は、それでも任侠の世界での野望を捨てることはなかったのだ。


 そして五年の月日が泡沫に消えた。早朝に刑務官が檻越しに「出ろ」と短く告げる。釈放の時が来たのだ。

 重厚な鉄の扉を潜り抜けて、頭を下げる。

「お疲れ様です! 豊橋秀治、勤めて参りました!」

 意気揚々と出所宣言をした豊橋だが、反応は何一つ帰ってこない。不審に思って顔を上げると、そこには組の迎えも誰一人としていなかった。

 そんな筈はない・・・。収容中には破門も絶縁の知らせも何もなかった。もしや、知らせすらできないような事態が起きてしまったのか?

 豊橋は焦る気持ちを抱えつつも、懐かしの組事務所へと早歩きで向かっていった。




 東京都西新宿に居を構えていた豊橋の組事務所の前で、彼は膝をついて呆然としていた。人の気配がなく、看板すらも存在しない。窓はブラインドやカーテンは付いておらず、誰もいない内部が露わになっていた。

「うそだろ・・・」

 豊橋はまさかとは思ったが、一抹の希望を胸に抱いて近くにまだ営業していたコンビニに寄った。店員に、事務所がどうなったのかを聞くためである。

 客が二人くらいしかいない今なら話も聞きやすいだろう。豊橋はレジの店員に話しかけた。なるべく、堅気のような態度で。

「あの、すみません。あのビルって前にヤクザの事務所があったらしいんすけど、最近何かありました?」

 いきなり予想外のことを聞かれた店員は少し驚いたが、サービス業のプロらしく、豊橋の質問に丁寧に答えてくれた。

「あそこにあった事務所ですよね? 確か、最近暴力団に対する規制や法律が厳しくなって資金繰りができずに解散したそうです。3年前、でしたっけ」

 豊橋の小さい希望は光を失った。極道の世界でのし上がりたかった彼の野望は、この瞬間に絶たれたのだ。

 他の組に入れば良いと思うだろうが、彼の組は東京の殆どの組と仲が良くないか敵対関係にあったのだ。解散したとはいえ、そんな組の元構成員を懐に抱えたいと思うわけがない。

 八方塞がりとなった豊橋は電車にも乗らずにひたすら意味もなく東京中を彷徨い歩いた。空は青を失い、暗い(とばり)が下りかけていた。天の光が無くとも未だ暖かい風が吹いてくれているのは、豊橋にとって運が良かった。

 途方に暮れるとは正にこのことか。雨風で体も冷えないだけありがたい。

 欲望だらけの夜の路地裏で、無機質な壁に背中を預ける。タバコが吸いたいのは山々だが、慰め程度にしかならない嗜好品に手を出せばいよいよ終わりな気がして、買うことすら躊躇してしまう。

 煙の代わりに溜め息を空に向けて吐き出していると、横から何かが差し出された。見てみると、豊橋の愛用していたタバコ、ハイライト・メンソールだった。

 差出人に目を向けると、それは路地裏にいるには似つかわしくない風貌の男だった。グレーのスーツに赤と黒のストライプネクタイ、高級そうな革靴を履いているが年齢は豊橋とさほど変わらない。営業スマイルを浮かべているが、場所が場所なだけに胡散臭いとしか印象が抱けない。

「その思い詰めた表情、何かどうしようもできない悩みをお抱えと見ました」

「なんでそう思う?」

「私でなくとも、貴方の顔を見れば誰だってそのくらい推測できますよ」

 どうやら豊橋は露骨に酷い顔をしながら街を歩いていたようだ。頭の中でぐるぐると考えながら歩いていたので、通行人の視線など微塵も気にしていなかった。

「・・・それがお前と何の関係がある?」

「いや、貴方のような人間だからこそ、私の商売も盛んになるのですよ。元ヤクザの豊橋さん?」

 名前を突然言われた豊橋は彼から距離を取って臨戦体制になる。狙って話しかけてきたなら刺客か? いや、ならば話しかけもせずに殺しに来ているはずだ。ならば勧誘か、それともヤクの売人か。

「おっと、申し遅れました。私、こういうものです」

 男が名刺を差し出してくる。警戒するのは当然だが、露骨にしては男としての沽券に関わる。豊橋は男から目を離さずに名刺を受け取った。

「"前科商売人"緒方興毅(おがたこうき)・・・?」

 知らない名前であり裏の世界でも聞いたことのない職業だった。名刺の名前も偽名の可能性があり、それ故に、尚更きな臭くなってきてしまう。だが隠す気もない胡散臭さが、逆に彼を信用する要素の一つとなっていたことも事実だ。

「・・・怪しすぎんだろお前」

「ははは、皆そう言いますね」

 兎にも角にも、緒方に前科商売とは何かを聞いてみないことには話が進まない。豊橋は、商売の詳細を話すよう求めた。

「結局、なんなんだよ前科商売って」

「私は前科を持つ人たちから犯罪歴を買っているのですよ。貴方のような元ヤクザや出所した犯罪者は、その前科のせいで社会で生きづらくなっています。そこで私が彼らから前科を買い、その記録を抹消してあげているのです」

 豊橋はようやく納得した。要するに、人の犯罪歴を金を貰って消しているってことだ。前科を消すとなると、警察のデータベースに侵入して削除しなければならないし、書類等も捨てなければならない。この男は、ハッキング技術と警察内に侵入できる腕があるということか。

「なるほど。じゃあ俺に近づいてきた理由は、俺の前科が目当てか?」

「いいえ、貴方は前科を消したいのではなく、逆にもっと重い前科を求めているはずです。私には、その目の奥にある野望の炎が見えています」

「というと?」

「初回サービスで前科を無料で一つ売りましょう。ただし、今まで私が買った前科の中からですが・・・」

「なら殺人をくれ」

 豊橋は迷わず殺人の前科を選んだ。まさか最も重い前科を選ぶとは思わなかった緒方は、豊橋の度胸に感嘆を示した。

「成立ですね。後日には手配します」

 用が済んだ緒方は路地裏から立ち去ろうとしたが、それを豊橋が肩を掴んで引き止めた。急な接触にも、緒方の表情や態度は一切崩れない。

「待て」

「・・・なんでしょう?」

 笑みを絶やさず、緒方は振り返って豊橋を見据える。豊橋は何やら名案を思いついた顔だった。

「お前、何が目的なんだ? なぜこんな商売を続ける?」

 核心に触れるその質問に、緒方は答えようか一瞬迷ったが、そこまで信頼関係のない人間に教えることではないと回答を控えることにした。

「それはお教え出来ません。・・・さて、貴方は望みの物を手に入れた。恐らくその前科という名の箔で、独自に組を立ち上げる腹積もりでしょう。ご自由になさったらいいですよ。・・・では」

 そう言って今度こそ立ち去ろうとしたが、豊橋の手は肩から離れることはなかった。ちょっぴりうんざりし始めた緒方は少し強引に振り解こうとしたが、豊橋からある提案が告げられた。

「お前、前科の商売がしたいんだよな?」

「?・・・えぇ」

「なら、俺と組まねえか」

「はい?」

「俺の組に入って、シノギとして前科商売をやろうって話だよ。前科、つまり経歴の売買ができるなら身分詐称だってお手のものなはずだ。これはいいビジネスチャンスだと思わねえか?」

「・・・・・・確かに、前科以外の身分や経歴を取り扱うという発想は目から鱗でしたね」

「俺が案件や顧客を斡旋したり、組員が増えたらそいつらを手足として使えばいい。どうだ、いい話だろ?」

 手を差し出した豊橋は、裏があるというより純粋にチャンスだという希望的な目をしていた。今この機会を棒に振る意味も利益もない。そう判断した緒方は、初めてのビジネスパートナーと巡り会ったのだ。

「よろしく頼んだぜ、緒方」

「貴方こそ、ここまで言ったからには野望の一つくらい叶えてみせてくださいね?」

 こうして薄暗い路地裏で、元ヤクザと前科商売人のタッグが結成された。



 豊橋と緒方の快進撃は止まることを知らなかった。組の立ち上げはとても簡単で、勝手に豊橋組を名乗って看板を掲げるだけでいい。

 文京区の小さい雑居ビルを借りてそこに事務所を構え、内装はヤクザに似つかわしくない普通のオフィスビルと同じにした。万が一疑いやガサ入れがあった時の為に、偽装を施してあるのだ。

 文京区を選んだ理由は、緒方が「我々は武闘派ではなくあくまで前科商売のようなビジネスで成り立つ組なので、治安がいい場所をあえて選ぶ方が得策です」と言っていた。

 後は、豊橋と緒方で前科や経歴の偽造ビジネスを展開していき、半グレや元ヤクザをメイン層にして活動すれば組員志望者は続々と集まってきた。最初はたった二人しかいなかった組も、今では構成員が60人にまで増えた。組の運営も羽振りも良くなってきたが、徹底的に足がつくことを嫌う豊橋と緒方の方針により、ヤクザだとバレない金の使い方をみっちり組員には教育した。何よりも、警察に検挙されることだけは避けなければならなかった。でなければ、再びあの茫然自失の頃に戻る気がしたのだ。


―――豊橋組設立から二年。

 雑な静けさが大都会を支配した夜に組長室で酒を飲み交わしながら、組んで良かったと二人は口にせずとも心の中で感謝した。

 主に緒方の商人としての観点が大いに組に貢献してくれたと言っても過言ではない。

 裏切りも致命傷になるこの組織において、損得を超えた信頼は必要不可欠だ。だから豊橋も緒方も上下関係が厳しすぎる従来の組織構造ではなく現代に相応しい構造、謂わばカンパニーに近い組綯い構造を採用した。故に、例え組長である豊橋や若頭の緒方と言えど決して威張ることはしなかった。その成果もあって、反発的な組員は一人たりともいなかったのである。

「まさか、こんな上手くいくとは思わなかったぜ」

「ですが油断は禁物ですよ。理不尽や過去の思わぬ因縁は、いつでも私たちに襲いかかるものです」

 裏商人らしい冷静な判断だ。酒を飲んでも衰えることのない彼が、インテリヤクザとして元の組に居たらどうなっていただろうかと、ありえない妄想をしてしまう。

 夜も更けて酒が脳に効いてきた頃合いで、緒方は豊橋にある質問をした。

「豊橋さんは、堅気になったら何がしたいですか?」

「あ? なんだよ急に」

「いえね、もし人生最期まで組長である気がなく表の世界に生きたくなったら、何がしたいのかなと」

 単なる興味本位の質問を豊橋に言うとは、緒方も見かけによらず酒が回っているようだ。

 だから豊橋も、口を滑らせてしまうのは仕方なかった。

「・・・・・・酒場」

「酒場?」

「小っさなバーで、適当に酒を出したりして生きてみてえ。(ささ)やかな仕事で、細やかに生きる。俺には似合わねえ人生だが、生まれ変わったんだったらかつての俺にゃ似合わねえ生き方がしてえ・・・」

 その表情が、酒など関係なく豊橋が真剣に語ったことだと物語っていた。出会った当初なら笑ってしまっただろう小さくて似合わない夢を、緒方は微笑みこそすれど嘲笑う気は毛頭なかった。

「そういや結局、今まで聞いてねえけどお前がアコギな商売する理由ってなんだよ?」

 思えば緒方は、豊橋と会ってから一度も前科の売買なんて奇怪な商売をしている理由を話してはくれなかった。面白い夢を聞かせてくれた礼に、緒方は胸の内を溢すことにした。

「ムカつくからですよ。刑罰を全うしたのに付きまとう前科が、やり直そうと努力する人たちを病魔の如く蝕む。誰も気づいていない司法の現実が、どうしようもなく不快なのです」

 だから私は、彼らから罪の記録を奪うのです。胡散臭い緒方の動機は、なんともロマンチストなものだった。だが、それは美しいものだと感じた。損する人間が誰もいないなら、それは正しいことのはずだ。

 努努(ゆめゆめ)その夢が緒方の記録から消されないことを祈り、薄くなったウイスキーを飲み干す。

 小さいグラスに揺蕩う氷が、均衡を崩してカランと鳴った。



――――翌朝、豊橋は警察に逮捕された。


 朝、目が覚めると自宅のドアを強くノックする音がした。寝ぼけて覗き穴を確認することなく扉を開けてしまった豊橋の前には、複数人の警官が立っていた。

「え、なんすか?」

 先頭の警官が何かの書類を豊橋の前に掲げて、眠気も覚めるような宣告を突きつけた。

「豊橋秀治、暴対法及び軽犯罪法違反で逮捕する」

「・・・・・・はぁ!?」

 そう言った瞬間、ぞろぞろと警官たちが家の中に入っていき、豊橋も連行された。後々を考えて抵抗するようなことはしなかったが、これからどうなってしまうのかと思うと気が気でなかった。

 そうだ、緒方たちは無事だろうか?

 狭い車両の後部座席で、豊橋は床を見ながらそんなことを考えていた。



 緒方を含めた組員たちは、いち早くシノギの証拠を隠滅して普通のオフィスと偽ることに成功していた。豊橋逮捕と同時に踏み込んだ警察も、豊橋ならともかく証拠がない組自体をどうこうすることは今回はできなかった。

 渋々と睨みながら引き上げていった警察を見ながら、緒方は豊橋逮捕を悟った。組長である豊橋を確保したからこそ、今回は引き上げる選択を彼らはできたのである。いくら緒方たちが隠そうとも、豊橋が自白してしまえば全てが藻屑と消えてしまうのだ。

 そうだ、雲隠れしてしまおう。昔の自分が誘惑の悪魔のように囁いてくる。だが、その言葉は全く耳に入らなかった。

 愚直なまでに彼を突き動かすのは何なのか。それは彼のみぞ知るのである。





 裁判当日―――

 ドラマで何度も観た審判の広間で、豊橋は証言台に立っていた。検察が告訴したということは、何か有罪たり得る証拠があるに違いない。

 かくなる上は、全ての罪を自分一人で背負う覚悟であった。弁護士はつけていない。検察とグルの可能性は捨てきれないし、罪が必要以上に重くなってはいけないと考えたからだ。

 裁判官が検察に論告(ろんこく)をするよう促す。待ってましたと言わんばかりに、検察は本件の事実確認や法律的問題に対する意見を述べ始めた。

「被告人は犯罪者の経歴や前科を偽造する裏ビジネスを経営していました。残念ながら、豊橋組にて事務所内の証拠は隠蔽されましたが、彼が関わっている証拠は存在します」

 そう言うと、モニターには一枚の書類が提示された。そこには豊橋の新しい経歴が書かれていた。殺人の前科を得た時の経歴がだ。

「ご覧の通り、被告人は殺人の前科があると記されていますが、裁判所はご存知のはずです。彼は殺人で逮捕などされていません。彼の本来の前科は、銃刀法違反のみです。なのに、経歴が書き換えられている。これは彼が偽造屋に経歴を変えてもらい、二人で手を組んで偽造ビジネスでのし上がった証拠です」

 彼の言っていることに間違いは何一つなかった。これは潮時かもしれないと、豊橋は所謂(いわゆる)諦めの境地に入っていた。

 更に検察は豊橋を追い詰める。その決定打となったのは、とある証人だった。


「裁判長、ここで証人尋問を要求します」

「いいでしょう。証人は証言台へ」


 証言台に立った人物を見て、豊橋の唇は驚愕で乾いていった。彼とは、実に七年ぶりの再会だったのだ。

「・・・・・・組長?」

 そこにいたのは、豊橋の元組長だった。組が解散してから大変な思いだっただろうことが伺えるくらい、髪は傷んで目は落ち窪んでいた。見慣れた長い白髪が、今は幽鬼のように見えた。

「豊橋は、前科商売人の緒方という男と手を組み、自分の前科含め、数多くの人間の経歴を改竄(かいざん)してきました。だからこそ、彼は出所して数日で組を立ち上げられたのです。前科商売人と手を組まなければここまで早く成長することも、ましてや資金を調達することもできないのです」

 冷静に豊橋の証言をする元組長。なぜ彼は自分をこんな罠に嵌めるような真似をしたのか。それがどう考えても分からなかった。

 悶々とした、納得や理解の入る隙もない出来レースが着々と進んでいき、検察官が求刑をした。

「以上のことから、検察側は被告人に懲役4年と豊橋組の資産差し押さえを求めます」

「何だと・・・!?」

 懲役だけなら我慢できた。しかし、彼らの生きる金でもある組の資産まで奪取しようとしているのか。諦めていた豊橋の心に火がついた。何が何でも、彼らをこの司法の場で恥をかかさて黙らせなければ気が済まなくなったのだ。筋は通すし、落とし前はつける。ビジネスのしすぎで衰えていたヤクザとしての流儀が戻ってきた。

 しかし、弁護人はおらず自己弁護のみが許された手段だ。インテリではない自分に、そんな口達者な芸当が出来るのか。

 手詰まりかもしれないと思っていたその時、被告席側の扉が開いた。弁護なんて頼んでいないと思って振り返ると、そこには見知った胡散臭い顔が入ってきていた。


「緒方――――?」

「やあ、豊橋さん。厄介ごとらしいですね」


 そこには、緒方がいた。青を基調とした質のいいスーツを着こなす緒方は、場も相まって弁護士よりも弁護らしかった。

「さて、裁判官。ここまで検察と証人を()()する人たちは、つらつらと大層に被告の有罪根拠を述べていましたが、反論させていただきます」

 豊橋のこれまでも耳に入っているだろうに、普段と変わらない緒方のにこやかな顔が、豊橋にとっては薄皮を被った羅刹にしか見えなかった。目では誤魔化せても、長年連れ添ったからこそ分かる雰囲気や癖が、無音で豊橋に教えていたのだ。

「この裁判・・・いや、検察の訴えそのものが証拠不十分で杜撰なものなのです」


ザワ、ザワ、ザワ

 傍聴席が騒めいた。

 緒方は公衆の面前で、堂々と検察側を批判したのだ。ムッとした検察の顔が、豊橋の心に爽快に梳き渡る。

「そっちと違って、私たちには証拠がありますよ」

 そう言って緒方は、一枚の書類を提示した。それは、検察側が証拠として提示したデータ資料と瓜二つだった。たった一点、資料の一部だけが食い違っていた。

「私たちの調査によれば、被告人及び豊橋組と称されている団体は違法行為などしている証拠も痕跡も存在しませんでした。故に、貴方たちの証拠も証言も、完全なる捏造にすぎません」

「んな馬鹿な! 現にこうして証拠が―――!」

 検察が再び証拠をモニターに写すと、ついさっきまで得意げに見せびらかしていた証拠は()()()()()()()()()()()

「なッ! これは一体!?」

「司法の世界では証拠が全て、でしたっけ?

その証拠って、どこにあるんですか?」

 闇市の悪どい商人のような暗くも据えた目を検察と相棒の元上司に向ける。その目は、こう語っているように感じられた。"私の相棒に気安く関わってくるな"と。

 数少ない緒方のヤクザ的側面を見れたことをラッキーととるべきか、こんな状況になってしまった己と元組長らを恨むべきか。

 この時点で豊橋の心に前の組の因縁やらが入り込む余地などなかった。彼は過去を過去として断ち切り、鼓動を続ける現在(いま)に身を投じているのだと再確認したのだ。

「さっきまでさも証拠があるように立ち振る舞っていたらしいですが、どうやら胡蝶の夢の中だったようですね。起訴する証拠がそもそもない。であれば、そこの爺さんの証言のみでは余りにも脆弱です。よって裁判官、この裁判は不毛なので閉廷した方が宜しいですよ。検察のためにも、ね」

 含みのある言い方が検察側に二の足を踏ませた。しかし、それで止まらない愚か者も世の中にはありふれていた。

「ふ、巫山戯るな! こんなの、お前が改竄したに決まってるだろ!」

 証人の元組長が噛み付く。法廷で最も愚行であるその幼稚な号哭(ごうこく)は、完全なる蛇足となってしまった。

 味方の暴走に困惑する検察を見て緒方が溜息を吐いた。


「・・・・・・チッ、大人しく老人ホームで寝てろよクソジジイ」


 聞いたこともない緒方の強い言葉は豊橋にしか聞こえなかった。底冷えするような硬く冷たい金属の声。空気の澄んだ真冬の森を駆け抜ける風のように、その言葉は耳に届いた。

 これは、彼らにとって(まず)いことになるだろう。豊橋は確信めいた予感がした。

「あーそうそう、そこまで裁判をしたいなら君たちはこちら側に座るべきですよ」

「何!?」

 今度は、緒方がモニターにある証拠を映した。しかしそれは、豊橋の無罪を証明する証拠ではなかった。

『これでいいんだな』

『ええ、このシナリオなら組も潰せて資産も私達のものになる』

 映っていたのは、検察と証人の裏取引だった。

「な、何なのだこれはッ!」

 あからさまに慌てふためく検察と、高血圧で倒れそうなほどに顔を赤くする証人。豊橋も、こんな証拠なら逆に検察側を訴えれると意気込んだが、検察の一人が否定を始めた。

「この映像は捏造(ねつぞう)です。検察の誰の声とも一致しませんし、よく聞けば証人と容姿が完全に一致している訳でもない。これは偽証に他なりません。そもそも、カメラもなかったあの場所で、こんな映像が撮れるはずがないのです!」

 そう言われて緒方を除く全員が冷静に映像を再チェックした。すると、確かに声や容姿が完全に一致している訳ではなかった。ここにきて、なんて致命的なミスなのだ。

 豊橋は力なくテーブルに突っ伏しそうになったが、横から声を殺すように笑う緒方が躍り出た。

「ええ、ええ、そうですとも。この映像は本物ではありません。私の部下たちに演じてもらったフェイク映像です」

「ならば―――」

「ですが、今あなた仰いましたよね? ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()と・・・」

「ッ!?」

 検察官は、反撃したつもりが決定的な失言をしてしまったことに気づいた。酸素を求める魚のように開いた方が痙攣を起こしている。顔色は、小屋に吊るされて血抜きされた鹿のように色が()くなっていた。

「欲で法廷に来ちゃいけませんよ、馬鹿野郎」

 愉悦を孕んだ緒方がそう締め括った。

 裁判官も驚愕したが、すぐに粛々と冷静に裁判を続け始めた。判決は、腹の中で既に決まっていた。




「主文、被告人を無罪とする―――――」

 背後と弁護人席から拍手が聞こえた。緒方と組の人たちからだ。傍聴人の一般人も、少しして熱い拍手を送ってくれた。豊橋がヤクザであることは置いといて、無罪を勝ち取ったことを祝福してくれていたのだ。

 謀略で此処に立たされたとはいえ、これもまた運命なのだろうかと感慨深く正面を見据える。

 策略を捩じ伏せた豊橋組一向は、大手を振って裁判所を去っていったのだった。


「災難でしたね豊橋さん。明日からはもっと慎重にならざるを得ないですね」

「・・・・・・」

「・・・・・・・・・豊橋さん?」

 赤の世界で影法師を引き摺りながら帰路についていた豊橋と緒方だが、豊橋は一向に口を開かない。不審に思った緒方は、豊橋に疑問符を投げかけるばかりだ。

「・・・緒方」

「はい?」

「――――――組、解散しようぜ」

「・・・・・・え?」

 唐突な豊橋からの解散宣言に、緒方は初めて彼に対して信じられないといった顔を見せた。この顔を見れただけでも言った価値があったと、豊橋は胸が爽快になった気がした。ハイライト・メンソールを吸った出会いの時を思い出す。

 最も、緒方はそんな気分になれるわけがなかった。

「・・・理由を聞いても?」

「ここらが潮時だと思ったんだ。これから先もこうして警察に限らず見知らぬ誰かから自分たちを守らなきゃいけねえ。それは限界がある。大規模な組織でもないウチなら尚更な。

なら、今ある資産を組全員で山分けして解散すりゃ、次の人生も問題ねえだろ」

 先頭を歩いていた豊橋が立ち止まる。哀愁を背負った彼の言葉を真摯に待っていた。

「だから、最後の願いだ緒方」

 振り返った豊橋の顔は、なんの不純もなかった。

「俺ら全員の前科をお前に売らせてくれ」

 名残惜しい。ただ、名残惜しい。

 損得勘定を超えた人間関係がここで終えようとしている気がして、思いっきり突っぱねてやりたいと思った。だが、それをしてもまたいつか言い出すだけだし、何度も言うが組長命令は絶対だ。拳を握りしめて、豊橋の願いを叶えよう。

「――――お任せを、相棒」

 涙は流さなかったが、終始声だけは震えていた。




 それから、豊橋組のような組織が形成されることはなかった。金は均等に山分けされたが、組の解散を誰もが惜しんでいた。それでも組長命令は絶対、彼らは大金を持って散り散りになった。

 あれから一年経っても、豊橋は二度と再結成など言わず夢見ていた地下一階で小さなバーを営んでいた。客は疎らで静かな所だ。どれだけ盛況でも、カウンターの半分も埋まらない。でも、その空洞こそが豊橋の新人生には必要だった。

 カラーン。

 入口のベルが鳴った。木造の階段を降りる音からして客は一人だけのようだった。

「いらっしゃ―――」

 豊橋は、それ以上声を発することはできなかった。強盗が来たのではない。警察が来たのでもない。

 ただ、胡散臭そうなビジネスマンが降りてきただけである。


「どうも、豊橋さん。私、プログラマーをしている緒方隼(おがたしゅん)と申します。この店の会計システムと防犯プロコトルの営業に立ち寄らせてもらいました。・・・・・・なんてね」


 客が残していったグラスの氷が、カランと鳴って半回転した。

お控えなすって

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