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極楽蝶

ある人は(あり)が死と言った。

ある人は医療用チューブが死と言った。


私は蝶が死と言われた。だが、それだけではないことも知っていた。

 本日未明、祖父の抜け殻がロッキングチェアに揺られていた。

 心不全だと、医者は重い声で私と両親、そして祖母に告げた。


 蝶の研究家だった祖父は研究室に無数の標本や書籍、蝶の飼育を趣味とする風変わりな祖父だった。厳密には、生物学的研究だけではなく、民俗学的観点での研究も行うほど、蝶という生命体にのめり込んでいた。

 私は、そんな蝶を研究する彼の仕事や情熱がそんなに好きではなかった。子供ながらに、なんでよりによって蝶なのだと、理解してやれなかったのだ。

 だが、別段私と祖父の仲が険悪というわけではなかった。日常では普通に会話を交わすし、研究室で珈琲(コーヒー)を一緒に飲んだこともある。唯一苦手なのは、あの部屋の壁を埋め尽くす、無数の蝶の標本だった。

 綺麗で優美な舞蟲(まいむし)が、段々と祖父の何かを吸い取り、それを鱗粉として光を放っている姿が、その何かを消費して棄てているように見えたから―――――。




 末期の水で潤った唇が、一時的でも生きていると錯覚させる。これから父が死亡届を役場に出し、葬儀の準備が行われることだろう。

 手続きやら何やらで忙しくなった大人達がいなくなり、家には私だけとなった。特に理由はないが、足は自然と祖父の部屋へと導かれる。年季の入った木製の扉が開くと、祖父がいないことだけを除いて変わり映えのない光景がそこに残っていた。

 古時計がカチカチと変わらぬ拍子で喋る。閑散とした祖父の研究室が、なんだかいつもより広く感じた。それは実際に広くなったのか、祖父がいなくなった虚無感から錯覚したのかは分からない。

 左の壁に立て掛けてあるガラスケースの中で、蝶の羽音がいやに耳に届く。中身は普通の鳳蝶(アゲハチョウ)紋白蝶(モンシロチョウ)だ。

 私は、飢えることがないよう、その身体が地に落ちないよう、そう願ってガラスケースを開け放った。蝶たちがひらひらと舞い部屋の天井すれすれを巡回する。そしてしばらく経つと、窓から薄暮はくぼの世界へ消えていった。

 祖父があれだけ愛してやまなかった宝は、日が沈んだ所為で美しく見えなかった。



 次の日、葬儀社が家に来た。祖父の遺体は和室に安置され、今は両親と祖母が葬儀社と葬儀の打ち合わせをしている。

 両親の目は悲しみが未だ解けないままだが、祖母は違った。祖父が死んだ時とは打って変わって、淡々と話して打ち合わせを進行している。

 勘違いしてはいけないのは、祖母は決して精神力が強い訳ではない。むしろ気弱な部類に入る。それでもこうして平静を装っていられるのは、打ち合わせという事務的作業に没頭しているからだろう。

 私はそのやり取りに微塵も興味が持てなくて、席を外して祖父の部屋に再び来ていた。今日も蝶が壁を染め上げている。デスクの前で静止している、あの日祖父が永い眠りに就いたロッキングチェアがあったので、何の気なしに腰かけてみた。少し懐かしく感じるのは、私が物心つく前に祖父の膝の上でこの椅子に揺られていたことがあったからだ。

 椅子を少し左斜めに向ける。祖父の癖なのか、いつも会いに行った時はこの角度で椅子に揺られていたことを思い出した。

 祖父にとっては天国なのだろうが、私にとっては複雑な不快感がある蝶の壁があるだけで、気分転換にもならない。

 あまりに暇だったので、興味も無いのに壁に飾られた標本をさらりと見ていく。すると、たった一匹だけ私でも美しいと思えた蝶がいたのだ。部屋の電灯を反射して青く光る姿に、私は初めて蝶に興味を持った。

 椅子から降りて壁の前に立つ。間近で見ると、(はね)の表面に緑や青の光沢が輝く鱗粉を着て、黒い模様がより鮮やかさを際立たせていた。

 魔力なのかは分からないが、私は気が付けばその蝶の標本を壁から取っていた。そのことに対して、私は疑問を抱きはしなかった。


 その蝶の名前は、祖父の手書きの文字でミヤマカラスアゲハと書かれていた。





 和室の布団の中で寝ている祖父が家にいられるのは、今日で最後だ。

 胸は上下に動かない。生理的な痙攣も起こさない。なのに布団に入っているというだけで、目の前に形としてある死を忘れそうになる。

 誰もいないのをいいことに、祖父の頬に触れた。暖かくない。でも冷たくもない。温度という概念だけが、彼から抹消されたような感触だったのを覚えている。

 不謹慎かもしれないが、温度がないだけで目の前で横たわる祖父が作り物のようにさえ感じられたのだ。

 私は、祖父のいる部屋から出ることなく、ずっと閉じられて見えないはずの双眸(そうぼう)を見つめていた。


 午後になると、いよいよ通夜(つや)の準備が始まった。

 湯灌(ゆかん)で清められて死化粧が施された祖父が、一寸(ちょっと)大きめの棺の中で天井を仰ぎ見ている。手を組んで微動だにしない白い祖父の周りに、皆が思い思いの副葬品を置いていく。

 私は特に何も入れる気はなかったのだが、手は自然と祖父の部屋から持ってきていたミヤマカラスアゲハの標本を置いていた。重ねられた手の上にしっかりと着地した蝶は、誰もが祖父の魂を蜜のように吸いに来た極楽浄土の使いのように見えた。左右水平に開いた翅が、LEDライトによって煌めいている。

 勝手に持ってきた私に誰も怒ることはなく、お似合いだからと快く許してくれた。

 親族と関係者だけが和室に集まり、供え物や線香と蝋燭(ろうそく)を焚いて僧侶の入場を待つ。

 少しすると、襖を開けて僧侶が入場し祖父の側に敷かれた座布団に正座した。いよいよ、生まれて初めての通夜だ。

 横に座っている父からお経の紙を渡され「これを読みなさい」と言う。振り仮名が書かれていて読みやすい写経だ。

 理趣経(りしゅきょう)という聞いたこともないお経を、淡々と僧侶のリズムに合わせて無心に読み進める。全員が、祖父と何かしらの思い出や関係があるからか、私のように無心で唱える人は少なかった。それが終われば、遺族から一人ずつ抹香(まっこう)を摘んで、香炉の炭に()べていく。

 古めかしくも日本人の嗅覚に馴染む香りは、私には少し強めに感じられた。


 こうして通夜は2時間ほどで終わり、あとは弔問客(ちょうもんきゃく)たちと遺族で食事会をさて今日はお終いだ。一区切りして気持ちの整理がついたのだろう、家族の顔色は少し良くなっていた。

 未成年なので煎茶を飲みながら、今日あった通夜というものを振り返る。棺に納められた祖父を皆が追悼する様に、私は一抹の不安を覚えた。

 私が死ぬ時、私はこうして色んな人に囲まれることができるのだろうか?

 身内だから気づきにくかったが、やはり祖父は偉大な研究者の一人だ。告別式はまだなのに、多くの人が訃報を聞いて我が家に駆けつけてくれた。

 蝶も案外馬鹿にできないらしい。祖父のドヤ顔が目に浮かんだ。


―――――――――――――――


 最終日、これから祖父は葬儀場に運ばれて告別式が開かれる。その後は大きな焼却炉の中で火葬され、祖父の肉体は骨だけとなってしまう。

 そう考えると、小さな窓で顔しか見えない祖父を目に焼き付けたい。そんな想いに駆られた私は、告別式が始まる10分前まで無言のまま祖父の顔を目に映していた。

 ぞろぞろと出席者が席に座る。中には祖父と同じ昆虫研究の権威もいた。きっと遺品整理の時に研究成果は、学会や研究機関に譲られることだろう。私には研究についてはてんで分からないが、プロなら無下にして欲しくないとは思う。それは研究データではなく、亡き研究者の遺品なのだから丁重に扱うべきだ。一番後ろの席に座る老年を見て、私はそう願った。

 この会場でやることは、通夜の時とさほど変わらない。読経とともに故人に戒名が授けられ引導渡しが行われる。その後に会葬者による弔辞・弔電だ。故人と親交の深かった研究者や単なる知人数名ほどが、壇上に立って祖父への思いを告白した。

 それらが終わると再び読経が始まり、遺族、親族、参列者の順に焼香をして告別式は幕を下ろした。

 ここから、お別れの儀と呼ばれる出棺の準備に入る。喪主や遺族、参列者で棺に花を入れ、故人と最後のお別れを済ますのだ。副葬品は既に遺族が入れてあるため、皆はほとんど花を添えるだけに留めていた。私が置いた蝶の標本を目にする度に、皆は何か微笑ましく笑うのだ。それほど、祖父と蝶は切っても切れない縁で繋がっているのだな。私はしみじみと縁という奇妙なものを体感していた。

 父がハンマーを持って、棺の蓋を釘で止める釘打ちの儀式を行う。ゴンッ、ゴンッ。木を叩く音が無機質に思えて、人の移ろいを無常という無慈悲なヴェールで包んで棺に被さっているようだった。

 釘打ちをしたら棺を霊柩車へ運び込み、喪主と遺族は別の車やマイクロバスで火葬場へ移動する。火葬場に向かう人以外は、出棺のタイミングで解散した。

 薄情だとは思わない。むしろ、誰よりも悲しんでいるだろう喪主と遺族に気を遣ってくれているのだ。エンジンが掛かり、車体が揺れる。そして、丁寧な運転で葬儀会場を発った。


 マイクロバスから街の変わらぬ景色を見流していると、私はこの時はじめて悲しいと感じた。それは、遅れて到来した祖父の死に対してではない。祖父が死んでも何も変わらないこの世界が、余りにも冷酷に感じたのだ。

 祖父が贔屓にしていた和菓子屋、学生時代に通っていた母校、蝶が見たくて時々訪れていた河原や公園―――――。

 変わらない。厳密には変わっているのだろうが、決して祖父が亡くなったから変わったのではない。それが私には、情が無い冷血漢に思えて仕方なかったのだ。

 窓を開けてもいないのに、今日の街は少し寒そうな蒼色をしていた。




 山の麓にある斎場にマイクロバスが着いた。私達が降りてくると、スタッフが霊柩車から祖父の棺を下ろしているところだった。

 ステンレスの台に乗った棺が中へと運ばれていく。私達はその後を追うと、エントランスのすぐ真正面に三つの火葬場があった。中央のドアが開いている。祖父はこの中で肉体を塵に変えたと同時に、骨だけとなって我々の元に帰ってくる。そう思うと、ここに来て良からぬことをしているような倫理的心理が刺激される。だが、時間が待ってくれることはない。

 僧侶が読経した後、再び葬儀場の時と同じように焼香と合掌をする。そのまま棺は火葬炉へと飲み込まれていき、金属製の扉がゆっくりと閉まった。

 蒼い街で緋に焼かれる祖父を、私は待合室でひたすら待っていることしかできなかった。


―――――――――


――――――


―――




 火葬が1〜2時間も掛かるとして眠ってしまった私は、気がつけば実家に立っていた。詳しく言えば、祖父の部屋の前に立っていた。

 私はすぐに夢だと認識できたが、体は自由に動かずドアノブを捻って開けた。

 中は電灯で少し黄色がかった部屋と、壁を埋め尽くす蝶の標本、そしてロッキングチェアに座っている祖父がいた。

 足は祖父の前まで動いていき、祖父は揺れる椅子を静止して私を見上げていた。私は声を発することはできなかったが、祖父だけは私に話しかけてきた。

「蝶の言い伝えを知っているか?」

 低めでしゃがれた、それでも優しさが滲んでいた声が私の脳に直接響いてくるようだった。つい数日前に死んだはずなのに、まるで何年も逢っていなかったかのような不思議な感覚が心臓の奥で(うごめ)いた。

「蝶は仏教では、魂の導き手と言われていてね。サナギから脱皮して美しい翅をもつ蝶が飛び立つことから、死後に抜け出した魂を極楽浄土に運んでくれるとして神聖視されてたんだ。 輪廻転生の象徴とか言われてて、仏具にはよく蝶の装飾が使われいるんだよ」

 いつも通りの、蝶のことになれば饒舌になる祖父の語り口だ。

「どうせ死ぬなら、あんな美しい蝶に私の魂を天国へ導いて欲しいよ」

 恋焦がれるような潤んだ目と上気した肌が、本気で渇望しているのではないかと私に思わせてくる。そう思った私を察して、祖父はドッキリが成功したかのように笑った。同時に、どこか真剣な表情でもあった。

「ハッハッハッハッ! 冗談だよ冗談。

・・・・・・まあ、できることならお前か息子に研究を継いで欲しいとは思ってるよ」

 祖父は老衰ではなく心不全だった。だから、遺書や遺言なんてものは存在しない。この夢の中の祖父だって実在しないし、今言った遺言のような言葉だって本人のものではない。

 それでも私は、それを幻夢(げんむ)の狂言とすることはできなかった。

 私は祖父に頷いた。言葉は喋れなかったのに、首を振ることは出来たのだ。

 覚悟は決めた。私も若いから夢想なんて幾らでもある。しかし、人間が最後に残した言葉を「知るか」と捨てて叶えた夢は、獏にも食わせれない悪食に勝るものだ。

 私の答えに、祖父は滅多に見せたことのない満足そうな顔だった。

「そうか。・・・・・・では最後に一つ、お前にお願いがある。――――――」

 最後の言葉は、ノイズが混じったような雑音だったが、しっかり私には届いていた。




―――


――――――


―――――――――


 肩を揺らされる感覚がして、意識が深海から波打つ水面へと急浮上する。母が火葬が終わったからと私を起こしたようだ。

 微睡(まどろ)みもそこそこに、待機室から焼却炉へと移動する。これから骨を箸で骨壷に入れていかなければならない。少しグロテスクで気が萎えるが、これも遺族の務めだ。

 スタッフが焼却炉の扉を開くと、誰でもなく「うわっ!」と驚愕の声を上げた。


 祖父の遺骨の上から、青く美しい蝶が飛び出てきたのだ。

 ひらひらと優雅に現世の終着駅を舞う蝶は、ゆっくりと、そして確実に止まって羽を休めた。私の左の人差し指の上に――――。

 こんな奇跡があるのか。私を含め、誰もが度肝を抜かれてしまった。

 標本として棺に入れたはずの蝶が、キリストのように復活して私達の前を飛んだ。親戚の中には、仏の御業(みわざ)と拝む者さえ出てきていた。

 私の指の上に着地したミヤマカラスアゲハは、左右の翅がやや垂直に交わるような角度となっていた。

 この特徴を私は祖父から聞いたことがある。標本の蝶は翅が水平になるよう留められるが、生きている蝶はやや垂直に交わるような翅の角度なのだと・・・。

 これが、祖父の言っていた魂の導き手の姿か。

 蝶は私の手に鮮やかな鱗粉を降らせると、再び飛び立ち外の世界へと出ていった。

 私たちは後を追って外に飛び出た。上を見上げると、蝶はひたすら天空を目指して羽ばたいていた。不意に、千切れた雲の(ほつ)れから陽光が零れ落ち、蝶ごと私たちの目を眩ませた。

 視界が回復した時には、青く輝く蝶はどこにもいなかった。







 数年後、私はある施設の門を叩いた。今日から此処で、私と祖父の夢の続きを成し遂げるのだ。

 所長らしき人物が、エントランスで私を出迎えてくれた。挨拶をして、固く彼と握手を交わす。


「いらっしゃい。蝶類研究所へようこそ」


 私の胸に付けられた青い蝶のブローチが、チリンと羽ばたいた気がした。

Xで生きてる蝶と標本の蝶の比較イラストを見かけた時に、この話を思いつきました。

SNSもまた、書店と同じネタの宝庫ということですね。


ちなみに医療用チューブのくだりは著者が元ネタです。

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