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韋駄天とアインシュタイン

どんな条件であれ、私には確信がある。神は絶対にサイコロを振らない。

 『アルベルト・アインシュタイン』

 仏教が信仰されている国々で、韋駄天(いだてん)と呼ばれ(あが)められている、印度(インド)生まれの神がいた。


 彼の男神(おがみ)は、増長天(ぞうじょうてん)の八将の一神で、四天王下の三十二将中の首位を占める天界の仏神である。

 特に伽藍(がらん)という僧侶が集まり修行する清浄な場所を守る護法神とされ、中国の禅寺では四天王、布袋尊(ほてい)とともに山門や本堂前によく祀られている。

 日本の禅宗では、厨房や僧坊を守る護法神として祀られ、また小児の病魔を除く神ともいわれる。

 本来はヒンドゥー教の神であるため六面十二臂の少年神で孔雀に乗っていたが、仏教に迎合したため唐風の甲冑をまとって剣を持つ若い武将の姿となった。


 その神は、古今東西の神話の中で最も速い神であった。希臘(ギリシャ)神話で最速を誇るアキレウスやヘルメスですら、韋駄天の足元に遠く及ばない。

 それは当然の帰結だ。韋駄天の足の速さは最低でも時速180億kmなのだ。

 実にヘルメスの二億倍、光の16.7倍である。

 これより早い神話上の英雄や神は存在しない。厳密には、数値化できる最速の神が韋駄天のみなのである。

 韋駄天は今日も人の見知らぬ世界を駆け抜け、時には下界を疾走する。誰も走る彼を目に捉えることはできない。光より速いということは、光の反射で物を認識する人間にとって、透明人間と同義なのだ。

 速すぎて自分が見えない人間を、韋駄天は面白おかしく笑っている。その声すら光速を超えているため、耳ですら拾うことはできない。

 山を、谷を、河を、海を走り抜ける韋駄天。

 風も光も、世界も置き去りにして、今日の彼は下界へ降りて東の海へと(はし)った。










 時は過ぎて大正11年11月。

 日本に20世紀最大の物理学者が来日した。

 名を、アルベルト・アインシュタインと云う。ユダヤ系ドイツ人の理論物理学者で、ノーベル物理学賞を受賞した人類史上最高の科学者の一人だ。

 彼は日本が大層好きなようで、日本での相対性理論に関する公演にとても乗り気だった。

 瀬戸内海を進む北野丸から見た日本列島の景色にも、彼はいたく感動した。

 「私の好奇心が最高潮に達したのは、北野丸が日本の海峡を進むとき、朝日に照らされた無数のすばらしい緑の島々を見た時でした」彼は後に日記にそう綴った。

 神戸港に入港した彼は、日本人そのものに一番の衝撃と感動を覚えた。それは、日本人の乗客と乗組員全員の顔だ。

 いつもは朝食前に決して姿を見せたことのない多くの華奢なご婦人たちが、一刻も早く祖国を見たいと、ひんやりとした朝風も気にせず6時頃にはいそいそと甲板に出て、楽しげに歩き回っていた。

 日本人は、他のどの国の人よりも自分の国と人びとを愛している。これがアインシュタインの最初の日本人像だった。


 そもそも、アインシュタインが日本に来た理由は改造(かいぞう)社の山本実彦(やまもとさねひこ)社長からの招待によるものだった。

 改造社とは、『改造』という総合雑誌で界隈に名を馳せた出版社である。『改造』は、大正から昭和にかけて日本で発行されていた、社会主義的な評論を多く掲げた日本の総合雑誌である。

 改造社から日本へ招待された時に、アインシュタインは数ヶ月を要する大旅行に行こうとただちに意を固めた。その理由というのは、もし自分が日本という国を自分自身の目で見ることのできるこのチャンスを逃したならば、後悔してもしきれないというほかないというものだったのだ。


 当時の日本を限りない愛情を込めて西洋に紹介したのは、ラフカディオ・ハーンであった。アインシュタインはハーンの著作を読み、日本への期待を抱いていたのだ。来日後、彼は次のような手紙を親友に認めている。

「優しくて上品な人々と芸術。日本人はハーンの本で知った以上に神秘的で、そのうえ思いやりがあって気取らない。

当時のヨーロッパは、第一次大戦が終わったばかりの荒廃した状態だった。多くのヨーロッパ人は、現代西欧文明の精神的な行き詰まりを感じていただろう。それに対して日本は未だ神秘のベールに包まれている国であった」


 神戸から来日してそのまま京都で一泊し、翌日には東京へとアインシュタインは向かった。

 朝9時から夕方7時まで雲ひとつない空の下、展望車に乗って東京まで汽車旅行を楽しんでいる。海、入り江を通過し、雪に被われた富士山は遠くまで陸地を照らしていた。富士山近くの日没はこの上なく美しかった。森や丘のすばらしいシルエット。村々は穏やかで綺麗であり、学校は美しく、畑は入念に耕されていた。


 そしていざ東京に到着すると、(おびただ)しい数の群衆に取り囲まれ、写真撮影で凄まじいフラッシュを浴びた。無数のマグネシウムをたく閃光で完全に目が眩む。

 そんな中でも、彼らの歓迎の声は鮮明にアインシュタインの耳に届いていた。


「アインシュタイン!」

「アインシュタイン!」

「万歳!」


 怒濤のごとく群衆が博士に殺到し、東京駅は大騒ぎとなった。日本人の熱狂ぶりを見て、駅に博士を出迎えたドイツ人関係者らは喜びのあまり目に涙を浮かべる人さえいた。

 そして11月19日には、アインシュタインは長旅の疲れをものともせずに、慶應義塾大学にて6時間もの講演を行った。

 慶應義塾大学での日本初の講演は内容は「特殊および一般相対性理論について」。1時間半から3時間の講演後、1時間の休憩を挟み、講演が再開され8時半に閉会。実質6時間の長講演に関わらず、2,000人以上の聴衆は一人として席を立たず、アインシュタインと通訳の石原純の一言一言に静粛かつ真剣に聞き入っていた。理屈が理解できる、できないに関わらず、皆アインシュタインの音楽のような声に酔いしれた。

 



 これは、公演ツアーでアインシュタインが京都を訪れた時のことである。

 日本の素晴らしさと美しさに胸をときめかせながら公演に勤しんでいた彼は、仏教に興味を持っていた。

 そこで、西本願寺にてアインシュタインは近角常観ちかずみ じょうかん)というに活動した真宗大谷派僧侶であり宗教家でもある日本仏教徒と対談を図ったのである。

「仏様とは、どんな方でふか?」

 アインシュタインは早速問うた。近角は悩むこともせず、粛々と優しく答え始めた。


「・・・姥捨山(うばすてやま)という昔話をご存知ですかな?」


 近角は優しくも悲しい笑顔で話し出した。

 食糧事情の貧しかったその昔、日本のある地域では一定の年齢に達した老人は、口減らしのために山に捨てられるという悲しい風習が残っていた頃の話だ。

 信濃の国の姥捨て山の麓に住む、ある若い農夫が老いた母親を捨てに行くことになった。親思いの息子であっても、村の掟に背くわけにはいかない。背けば、家族は村に居られなくなる。

 だから、息子は母親を籠に乗せ姥捨て山へと向かっていったのだ。

 ところが、その道すがら背中に負われた母親が、しきりに木の枝を折っては道々に捨てていく。

 これを見た息子は、「ひょっとして、母親は山奥に捨てられる恐怖心に耐えかねて、この落とした枝をたどって、また家に帰ってくるつもりではないのか」 と疑った。

 とうとう捨て場所と思しきところにやってきた息子は母親を背中から降ろし、別れを告げて帰ろうとした。

 その時、母親は息子の袖を捕まえて言う。


「いよいよこれがお前との一生の別れじゃ。身体に気をつけるんだよ。ずい分山奥まで入ったから、お前が家に帰るのに道に迷って困るだろうと思って、私が来る道すがら、小枝を落として目印をしておいたから、それを頼りに、無事家に帰るんだよ。そして立派に跡を継いでおくれ」


 そう言って、母親は息子に手を合わせたのだ。


 その母親の姿を見て若者は泣き崩れた。こちらは母親を捨てているのに、母はこちらをこんなに憂いている。

 こんな母をどうして捨てられようか、息子は思わず知らず、草むらに両手を着いて

「どうかこの籠にお乗り下さい。これから我が家に御伴して、一代の限りお仕えいたします」

と言って、再び母を背負って山を降りた。


 ここまで話をされた近角はアインシュタインに、「この母親の姿こそ、仏さまの姿であります」と言った。

 母は、今まさに自分を捨てようとしている我が子を見捨てることが出来なかった。

 自分を殺そうとしている者をどこまでも生かそうとした。

 近角曰く、これが仏さまの心だと言うのだ。


 涙を(こら)えてこの話を聞いていたアインシュタインは、後の帰国する際に

「日本人がこのような温かい深い宗教を持っていることはこの上もない幸せなことです。日本に来てこんな素晴らしい教えに出あえたことは私にとって何にも勝るものでした」と語った。


 涙を人に見せまいと、休憩時間を使って寺の庭園の奥で一人涙するアインシュタイン。

 仏教・日本・古典的芸術に感動していると、一陣の風が吹いた。

 砂が目に入らないよう、貰い物の和服で目を覆う。風が止むと、目の前に日本には似つかわしくない男が立っていた。古代中華風の戰装束に身を包み、切れ長の目が開かれてアインシュタインを見下ろしていた。

 風と共に現れた謎の男に、20世紀で最も優れた脳を持つアインシュタインは既に解答を弾き出していた。


「なるほど、貴方は仏教の神仏の類か」

「いかにも。我が名は韋駄天。最速の神である。其方(そなた)は、人間界では神と同等の脳を持っているらしいな」


 アインシュタインに興味を持った韋駄天は、彼の前に降臨した。

 神という宗教的存在に過ぎなかった存在が目の前にいる現実は、アインシュタインと言えども瞬時に飲み込めるものではなかった。

 落ち着きを取り戻した彼は、改めて分析する。異教の神であるのに、言葉はアインシュタインでも分かるドイツ語で変換されて聞こえていた。これが神の力なのか。アインシュタインは関心した。

 次に、最速。その言葉にアインシュタインは興味があった。速度は、彼にとって大事な研究要素の一つだ。

「神とこの目で相見えられるとは光栄です。では、貴方はどれくらい速いのですか」

「人間の単位で言うならば、時速180億kmだ」

 アインシュタインは素直に舌を巻いた、予想していたよりも遥かに速かったのだ。ギリシャ神話におけるアキレスが寓話の亀のようではないか。

 しかし、その物理的速度において、アインシュタインは納得できなかった。科学が神秘を駆逐した時代に、たとえ神だろうと光より速いなど納得できるわけがなかった。

 そして、天才と神の問答が始まったのだ。


「韋駄天よ、貴方は光より速いのですか?」

「その通りだ」

「であれば、貴方が走っている時に光は感知できますか?」

「当たり前だろう。でなければ何も見えぬではないか」


 その言葉に、アインシュタインは髭で隠れた口を歪めた。してやったりと笑ったのだ。

「光より速い貴方が、なぜ光を感じ取れるのです? あなたのスピードが真実なら、光を置き去ってしまって真っ暗になるはずです」

 韋駄天の言葉が詰まった。「むぅ・・・」と口から低い唸りが漏れた。

「そして、そんな速さで動く物体なら、原子が形を保っていられるとは思えない。貴方の存在は、身体は、なぜ今も存在していられるのですか?」

 原子は、人間の科学に限った話ではなく、本当に世界を構築する物質だ。そのことは、神も当然承知している。

 アインシュタインと出会って初めて、韋駄天は論理的思考をした。まるで人間のように、顎に手を添えて考えたのだ。

 そして、数分考えた結果、アインシュタインに頭を下げた。神の思考でも、彼の理論を打ち負かすことができずに、敗北を認めたのだ。

「人の子よ、其方は賢い。全知全能を謳う天神よりも、この世のことが分かっているのだろう」

「当然です。全知全能の神は、例え全知全能だとしてもその知と能力を使わなければ無力無能と同じなのです」

 神を目の前に自信に満ち溢れた物言いに、韋駄天は快活に笑った。

「カッカッカ、地が天に追いつくか!

面白いぞ人間よ。其方の歴史、偉業、そしてその在り方は、神である我が寵愛と共に保証しよう。(ゆめ)、人生を(はげ)むがよい!」

 そう言い残し、一瞬にも満たない時間で韋駄天は消え、その後にまた風が吹いた。

 枯葉が舞い上がり、緑木は荒々しく身を(よじ)る。葉と池の波音がより雑音の如く鮮明に聞こえた。

 そんな数分ほどの神との会話を、アインシュタインは夢じゃないと分かっていた。

 なぜなら、アインシュタインが数分とはいえ一人になっていたのに、誰も彼を探しに来なかったのだから。


「アインシュタイン博士! 何処にいらっしゃいますか?」

 ドイツの付き人が、アインシュタインを呼んでいる。

「待っとりなさい、今行く」

 寺に戻る彼の後ろを、枯葉を巻き込んだ風がついていった。

こんな短編のために図書館に2日間通うことになるとは・・・・・・。

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