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ディスマン短編集『語らずとも談る』  作者: ディスマン


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阿賀

純粋無垢な文学をお届けします。

ディップなしで生のままお食べください。

 少しだけ潤いを帯びた風が、山林をするりと駆け抜けては田舎町の錆びた商店街を走り、足跡すら残さず消えていく。

 混凝土(コンクリート)の上でカラカラ揺れる、まだ失色していない落葉は、虫食いのような、或いは煙草で焼かれたような歪で痛々しい穴を穿たれていた。東京から一年ぶりに帰ってくるたびに、そのことを見せつけられている。

 それでも、人々は寂しさや空しさを感じさせるような表情を誰もしていなくて、ただ健気に、自分たちの生きる現在を薄雲に投影していた。阿賀野川の橋の上から川を見下ろせば、子供の声が川沿いから聞こえた。少年少女が、脛までの深さしかない阿賀野川の中心ではしゃいでいた。その動きで舞い上がる川飛沫に跳ね返された日曜の光が、橋の上から見ていた私の網膜を一瞬だけ焼いた。その子供は決して私たちではないのに、生きた影法師のように私の視界に付き纏っていた。


 私は年に一度だけ、この変哲もない、あるいは緩やかにレトロ化していく古里に帰ってくる。そして、流れ過ぎた時や友の痕跡を見ては、えも言えぬ感情に浸るのだ。

 草が生い茂る小学校の校庭、揺れ続ける国旗、斜陽によってスクリーンと化した廊下の埃。どれもが風化し、削れながらも、児童期の私たちをぼんやりと残していた。

 校舎裏には、野生化した椎茸と射光によって神々しく生えるマムシグサがあった。日陰の中で陰鬱と息を潜めるそれらは、私の覚えていない苦い思い出を吸い取って肥大化しているようにも見えた。毒々しさは、反転して邪神を神格化しているようだった。

 触ることは(はばか)られども、目を離すことはできなかった。私は、それが過去の己達が置いてきた罪の泥濘(でいねい)であると直感したからだ。特に、影も形もなくなった生徒専用の畑跡は人の手垢が失くなって痛々しかった。慣れない耕運機で耕し、子供の膝まであった化け茄子を育てていたあの場所は、空爆から復興したかのように雑多に果てていた。

 賞味期限切れの記憶が土に沁みて、蚯蚓(みみず)が貪ってしまったようだった。暴食が無慈悲に欲深く穴を開けて、自然界の一部である故の特権をひけらかしていたのだ。山奥の木の上で鳥が鳴いた。白い腹以外は鴉の如く黒染めされたそれは、オオルリであった。嘴には、大きい蚯蚓が咥えられている。

 私は子供の頃も今もそうだが、他の生物の捕食や不幸に対する心の動きに対して鈍かった。端的に言ってしまえば、あまり情がなかったのである。

 私はそういった指摘に対して、反論することはなかった。自分でも自覚があったのだ。人が泣いている時、泣いている理由を聞かない限り分からないことが多かったのだ。歳を経て、私が二十五歳の時に初めて太宰治の「人間失格」を読んだ時は、なんてノリの効いた皮肉なのだろうと、誰もいない自室で失笑したものだ。思春期に私を殺そうとしていたモラトリアムが、一瞬だけ地獄の淵から甦ってきた瞬間だった。

 今も正直、その頃から欠落した人間は治っていない。誰かの不幸を喜ぶ心はあるが、誰かの痛みに同情できる心はない。

 だから生きていられるのではないかと、時々思う。人が持たざるものを得ようとする欲があるように、私は私が持っていないものを延々と探し求めているのだろう。そして、それを手にした時、私はまた青年期の正体不明の不安や憂鬱に苛まれるという予感がしてならない。

 だが、こんな何十億人もの人間を自死に追いやってきた病魔でさえ、些細な幸福のひとつまみで薄れて酒の肴になってしまうのである。私はどこにあるわけでもない悪魔を鼻で笑って、忘れることのない田舎道を走った。

 そして生家に一時であれど還った夜は、鈴虫の声を聞きながら父の部屋で麒麟山(きりんざん)を呑む。血清のように体に馴染む辛口が、自分はここで生まれ育ったと教えてくれていた。二時間も飲めば酔いも回り、今は亡き友や現状も知らぬ同級生を想起する。菓子工場の火災で命を落とした少年、声優を志して新潟を出た少女、成人式で会ってみれば悪い意味であの頃のままだった悪友。そう言えば、結婚していた者もいたような。

 故郷とは、遠い地で思いに耽ることではないかもしれない。故郷とは、帰ってきてそこで焦がれて初めて在るものなのかもしれない。山で海のことを想えないように、海辺の潮風に吹かれなければ母の回帰を想えないように、自分の始まりの場所は、始まりの場所で想うものなのである。

 しかし、私たちの思い出には場所よりも人が色濃く残っている。場所のみが思い返されるようなことはなく、その幻影の中には常に誰かがいるものだ。


 なればこそ、私にとっての阿賀とは、場所より、建物より、そこに産まれ生きる「人」にあるのだ。

                    (をはり)

書くことがないような故郷が、一番言葉にできる。

何かあれば、自分じゃなくても誰かがそれを書くのだから。

だから私は、何もないと錯覚するような虚空を、ただ見つめ続けるのです。

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