Buddy in the Novel
この小説は一人で執筆していません。
この物語は一人で進んではいません。
この話は、二人で創り上げたものなのです。
作家は早々に筆を止めた。
まだペンのインクは数ミリも減っていない。
事は単純、小説の続きにさっそく躓いてしまっているのだ。
先生は、学園を舞台にしたミステリーを得意とした作家だ。欠点と言えば、アイデアを言葉に表しにくい点にある。
実際、書き出しはよかった。"長針は錆び付いたかのようにぎこちなく揺れていた"、そう書いたのだ。
だが、そこから先が一向に進まない。まるで、指だけが金縛りにあっているように震えるだけで原稿に筆が触れない。
いつもこのようなスロウスタートなのは変わりないが、今日に限っては更に酷かった。
「・・・さて、どうしようか」
先生は悩みながらも、苦悩を噛み締めるようにゆっくりと筆を進めた。
外は既に赤みがかった。鴉は寺の鐘に代わって下校のチャイムを鳴らし、子供がスニーカーの音を立てながら帰路についている。
子供の時間は終わりなのに、先生の時間は終わるどころではなかった。序章で筆がまた止まってしまったのだ。
くしゃくしゃに丸められてゴミ箱に捨てられた原稿は数知れず。インクよりも原稿用紙が無くなりそうな勢いだった。
「さて、どうしたものか」
先生は再び額に手を当てた。しかし、そんな仕草をしたところで筆が進むわけがない。
今日はやめて、明日頭を冷やして再挑戦しようか。そう思い原稿を仕舞おうと手を伸ばした時に、先生はある異変に気がついた。
主人公の台詞が変わっていたのだ。
それは、登場人物に話している口調のはずだったのに、メタ的な台詞に変化していた。
まるで、小説の中の人物が作者に話しかけているように。
『この先の展開が思いつかないのかい?』
主人公が声なき台詞で話してくる。これは、何が起きているのか。
ファンタジーとしか言えない出来事に慌てるべきなのだろうが、先生は驚きつつも彼との会話を始めた。
「ああ。この後に誰と会わせたらいいか思いつかなくてね」
先生は、たった今ヒロインと主人公が仲良くなる第一歩を書くところだった。だが、主人公に似合う女性像が浮かばなかったのだ。
名前や設定は決めている。学校一の文学少女"結月咲耶"という主人公と同学年で、いつも放課後に図書室で静かに本を読む美少女だ。
だが、その外見が決まらない。先生は人生でこのかた、文学少女という存在を見たことがなかったのだ。イメージなんて、デフォルメされた紫式部や清少納言が精一杯だった。
そこで、先生は考えた。そうだ、彼に聞いてみるとしよう。実際に彼が会うのだから、理想的な女性でなければならない。
原稿に喋りかけた先生だが、括弧の中に変化はない。もしやと思い、原稿用紙に自分が言った発言を書き込んでみた。
すると、インクの文字は原稿に溶けていき、彼の台詞が変わり始めた。
『僕はそうだな・・・髪が長い娘が好きだな。俗に言う清楚な娘と言えばいいのか・・・。
あ、胸の大きさは問わないよ』
先生は思わず笑ってしまった。彼は、私が加筆しなくても十分にキャラクターが立っているではないか。
「うーん、だとするとこんな感じかな?」
先生は彼の要望に沿った人物を書いた。
長く艶やかな黒髪、儚さを纏った可憐な雰囲気、静かでつぶらな瞳、そして慎ましい胸ときめ細かい肌。
名もなき彼の理想通りの女性だ。
そして、ここで彼の名前が初めて明かされる。
『友哉さん、でしたね。あなたも本を読むんですか?』
この小説の主人公である友哉は、そんなに熱心に本を読むわけではない普通の男子生徒だ。
それがなんの偶然か、ふらっと図書室に寄ったところからこの物語は幕を開ける。
図書室で偶然会った彼らは、良くも悪くも運命じみたものを感じていた。
片や平凡な生徒、片や学園屈指の文学少女。同じ学校とはいえ、会話することすらままならないはずの二人の道は、今日この場所で交差したのだ。
「よし、ここからはなるべく緩やかに友好関係を築いていこう」
これから先の友哉と咲耶に、自分の筆加減で展開を決める権限があるはずの先生ですら少しワクワクした。
それからというもの、二人の関係は徐々に発展していった。上手くいった原因は、友哉の助言と先生の表現力が合わさってのことだった。
学校だけでなく、休日にも遊んだりするようになり、小説の時間軸における最近では互いの好きな本を交換することまでし始めていた。
まるで、自分が箱庭を見ている神のように思えた。なにせ、先生ではなく小説の登場人物が率先して物語の先を造っているのだ。こんな奇想天外な物語は、古今東西どこにもありはしないだろう。それだけは胸を張って言えることだった。
とは言え、先生の気分はこの先から沈みっぱなしだった。前にも言った通り、先生は青春物語ではなく、あくまでシリアスな謂わばミステリー作家なのだ。
学生カップルにおける最大のミステリーは、恋人の行方不明か殺人事件と相場が決まっている。
しかし、それが意味するのは友哉の愛する人を奪うことと同義だ。
友哉に果たして言えるだろうか。ここから君の恋人が死ぬ展開が始まり、君はそれを解決するのだなんて。
勝手に書いてしまえとも一瞬思ったが、それをしたところで納得した話は書けないだろうと感じた。
そして何より、友哉に恨まれてこの物語が崩壊するのが怖かった。
先生はもう、この小説の中で"生きている"友哉を現実に存在する人間と何ら変わらない存在と思っていた。
非道い冗句だ。平面世界の住人の人生を、立体世界のスランプ作家が悪意なく掻き回すというのだ。
最高の相棒の物語を最高とは言えない相棒が終わらせる。
笑えるか、そんな冗句。先生はダーツの如く筆を投げたくなった。
そんな先生を感じ取ったのか、友哉の台詞が再び変わる。
『僕に構わず、先生は先生の物語を書いてくれ。僕たちは、最初からその為にここに居るんだから』
その言葉に、情けなく涙が溢れた。
原稿のインクが滲まないよう、慌てて顔を逸らしたが、一滴だけ紙に落ちて薄暗く濡れてしまった。
最低な自分を、鏡もないのに映して見ているような気がした。
しばらくして、酷く悲しい感情に見舞われたが、先生は決心した表情で筆を取った。
他でもない自分が始めた世界なのだ。ならば、終わらせる責任もある。
「すまん。・・・・・・では、始めようか」
そして、物語の時間は翌日に変わり、彼女は殺された。物語に潜む誰かが彼女を殺したのだ。正確には、先生が生み出した醜い怪物が殺したと言えるだろう。
滅入っている場合ではない。ここまで来れば、もう止めることは許されない。
先生は殺人現場の状況を書き始めた。咲耶の遺体は何の因果か図書室に横たわっており、首には索条痕、つまり絞殺の痕が残っていた。痕の特徴から、警察は紐のような細いもので締められたと断定した。死亡推定時刻は早朝である。
しかし、無能な警察は勝手に外部犯の犯行だと決めつけた。理由は、校内のどこにも細い紐のようなものなんてなかったのだ。
余りにも杜撰だと、友哉は憤った。そんな凶器なんて、誰でも持ち込めるし嵩張らないから隠蔽も簡単ではないか。
警察が一旦引き上げて、殺人事件があったこともあり学校は一時休校となった。
私室に帰り、ベッドに寝転がった友哉は考える。正しくは、友哉と先生は考える。友哉は「犯人は誰なのか」を、先生は「証拠や閃きをどう登場させようか」とり
タイミングのいいところで証拠を登場させる先生を、友哉は良い意味でコナン・ドイルが書くモリアーティ教授みたいだと思った。
その思いは漏れていたようで、括弧として先生の原稿にも浮き上がった。
そう思われているのか。先生は苦笑いした。
だが、友哉のモリアーティに、先生は稲妻の如き天啓を受けた。
急いで先生は、「彼女は推理ものもよく読んでいた」という設定を追加した。それに勘づく形で友哉も閃く。
「咲耶は、どこでも本は読んでたけどあの図書室で本を読むのが一番好きだったな」
次の日、友哉は休校のため誰もいない学校に忍び込んだ。非常口は体育教師がよくタバコを吸うのだが、ほぼ毎回鍵をかけ忘れるのである。
そのことを知っていた友哉はそこから普通に侵入し、図書室の地窓を開けて中に侵入した。
咲耶の遺体はもう無かったが、その他は事件当時のままだった。
テーブルの上には、咲耶がよく読んでいた文庫がまだ積まれていた。その本を一冊手に取り、懐かしむかのようにページを捲る。1ページごとに彼女との思い出が蘇っていく。
暫くそうして感傷に浸りながらページを進めていくと、最後のページからハラリと何かが抜け落ちた。
それは綺麗に切り取られたルーズリーフの紙片で、細い字で何かが書かれている。
そこには、この図書館にある十数冊の本のタイトルが書かれていた。
試しにその本のうち一冊を探して広げてみると、ページの間にスピンと呼ばれる栞代わりの紐が挟まっていた。
先生は友哉に、そのスピンに注目するよう描写した。運命に従うかのように、スピンに目が止まった友哉はある異変に気がついた。
「このスピン・・・形が歪んでいる」
まさかと思い、書かれていた本を全て引っ張り出して全部のスピンを調べてみると、どれも乱雑に乱れていて根本は接着剤でくっつけられていたのだ。
その瞬間、犯人が誰かは分からなかったが凶器は判明した。
この十数冊の本に付けられていたスピンが凶器だったのだ。
犯人は、適当な本からスピンを切り取り、それを十何本も繋ぎ合わせて絞殺用の紐を作ったのだ。それで彼女の首を絞めた後、元の本にスピンを戻して証拠を隠滅したと推理できる。
持ち去って処分しなかった理由は、本から不自然に切り取られたスピンをバレたくなかったからだろう。
でも、何故彼女はこんなことをメモにしていたのだろうか?
その真相を知っているのは、今となってはこの世に一人だけ。先生しか知らない。
先生は、友哉の推理シーンの後にその事について加筆した。
いつも本を読んでいた咲耶は、誰かがスピンを切り取って持ち去っていたことに気づいていた。だから、何の本のスピンが無くなっているのかを、色や長さまで細かく記録していたのだ。
「死しても尚、僕を支えてくれるんだね・・・」
本の文字が急に読めなくなった。
その日、警察に事情や証拠を全て話した友哉は、後のことは警察に任せることにした。流石の警察も、一般人にここまでされては全力で取り組むしかないのである。彼らも、それに応えるくらいの矜持は持っていたのだ。
そしてあっさりと、犯人は特定されて逮捕された。咲耶と同じクラスの女子だった。
動機は嫉妬だ。
咲耶は可愛いし賢い文学少女だ。そんな彼女が気に食わない女子生徒が、彼女をクラスでハブっていたらしい。それでも咲耶の評判は下がることはなく、悶々とした日々を女子生徒は送っていた。
そこに、友哉という異性の友達ができたことで嫉妬は爆発した。その結果が、今回の事件だったのだ。
なんて自己中心的なのか。嫉妬の何が自分の為になるというのか。友哉は犯人を恨みかけたが、そこで脳裏に咲耶の笑顔が浮かんだ。先生が友哉の脳内に投影したのだ。
その笑顔に、振り上げかけた拳はゆっくりと重く下がっていった。
友哉は、事件を終わらせることができた。だが、それで元通りになったわけではなかった。彼女のいない人生と未来を、再び生きていかなければならないのだ。
そうしてしまったのは避けようのない作家のエゴに他ならない。では、ミステリーを書かなければ良いと思うかも知れないが、先生がミステリー作家である時点でこの残酷な運命は決まっていたのだ。
友哉は犯人に怒り、咲耶を慈しんだ。しかし、先生を恨むことはなかった。
それは先生がそう設定したからではない。友哉自身の"こころ"がそうしたのである。
咲耶がいなくなっても、友哉は未来を生き、どこかでまた恋を育み、子供に未来を託す。そんな先を暗示して、この小説は終わるのだ。
切なさを胸に抱えながら、本編を書き終えた先生はあとがきを書き出した。なんて事の無い、作者自身の心境が飾り気なく書かれている。
最後の数行に、先生はこう書き記して原稿をまとめた。
この小説は一人で執筆していません。
この物語は一人で進んではいません。
この話は、二人で創り上げたものなのです。
あれから数ヶ月後、先生の小説はベストセラーを記録した。友哉と咲耶の甘く切ないミステリー小説は、20万部の売り上げを出したのだ。
それは嬉しいことだ。先生も、何か憑き物が落ちたような顔だった。なんだか、友哉と咲耶が報われた気がしたのだ。
書店の新刊コーナーで平積みされている自分の小説を何気なく手に取る。
「Buddy in the Novel(小説の中の相棒)」
それがこの小説のタイトルだ。
読者はこのタイトルについて、様々な考察をしてくれていた。
友哉や咲耶をヒーローと捉える人、
本を使って事件を解決したからと言う人、
作者にとっての英雄像が友哉だからとする人、
他に何か隠されたメッセージがあると考える人。
どれも間違ってはいないが、正解を言うなら、タイトルの通りと言うしかない。
先生にとっての相棒は、小説の中にいたキャラクターそのものだったのだ。
メタ的な文章で書かれているところも、彼とのやり取りが無意識に反映されていると思える。
あとがきまでページを飛ばし、何か小っ恥ずかしいことを書いていないかとチェックしてみた。
友哉は今頃、どの時間でどのように生きているのだろうか?
思い出に耽る少年のように微笑みながら読んでいく。
最後の数行。少しカッコつけたフレーズに羞恥心を芽生えさせていると、不自然に空いた空間がページの最後にあった。
こんな編纂、編集者と打ち合わせした時にはなかったはず・・・。
顔を近づけて目を凝らしてみると、中止しなければ気付かないくらいに薄い字で何かが書いてある。
その字を見た時に、先生は自分の本を買って家に急いで戻った。書かなければならない、そんな衝動と使命感に駆られたからだ。
書斎に戻り、真新しい原稿用紙を広げて筆を持つ。側には買ってきた「Buddy in the Novel」の最後のページを広げて、それを見ながら目の奥に燃え盛る熱意を滾らせた。
「親愛なる先生であり、相棒へ。
咲き誇る友の花より」
最後のメッセージは、悪戯っぽく隠された二人からの礼だった。
そして、それからというもの先生はまた序盤で悩んでいた。
次のタイトルはあらかじめ決めている。
「伽藍堂の殺人」
数十年は誰も立ち入りがない大きな廃寺で、どう見ても最近死んだようにしか見えない殺人死体が発見された。足跡も指紋もない不可解な殺人事件を、女子高生探偵が助手である語り手と解決していく。そういうストーリーとなっている。
犯人もトリックも考えていない。先に用意しては逆に書きにくくなってしまう。この手の話は、主人公や助手と共に推理するから筆が捗るのだ。
まず、最初の一文を書き始めた。
"風が埃と風化した柱と摩擦を起こして抜けていく。"
書き出しはいつも通り順調だ。廃寺の風景描写も書いた。都内の街並みや人々の様子、そして学校の様子も珍しく筆が進んだ。
さあ、ここからどうしようか。そしていつも通り、このあたりで筆が止まるのだ。
我ながら情けない。友哉に顔向けできるだろうか。もう少し頭を悩ませながら書こう。ちょうど今、主人公である雛形夏目と教室でいつも通り会うシーンだ。
鉤括弧だけ先に書き、どんな言葉を言ってくるか天井を見上げながら考える。
しかし、待てども待てどもアイデアは降って来ず。
仕方なく原稿に目を落とすと、鉤括弧内の空白が広がっていた。
こんなに意味不明な空白は作った覚えがない。
疑問に思っていると、括弧の中に文字が浮かんできた。それは、元気のある活発な女の子のような口調だった。
「ほらどうしたの助手くん? いや、先生。
アタシと一緒に、これから起こる事件を解き明かしていきましょうよ!」
物語は終わったばかりだった。
そして、いま始まったばかりなのだ。
久々の天啓でした。
これは書くしかないでしょと、ね。
現実と小説の中という、不思議なメタさがある作品でした。




