檸檬
梶井先生へ、愛を込めて。
何気ない不安は、朧げながらも私の日々に侵食していた。その正体は一概に言えるものではないが、今の人々を見れば見るほどに姿は克明になっていく。何か崇高な目標もなく、使命もなく、なのに私を含めた人々は営み生き続けられる。それが、私の目で見ても分かる現代人のデフォルトだ。
これを私は不可解だと思った。どこかで劣等感を感じたりしないものなのだろうか。なぜそうも平気で、寿命を刻一刻と消費しているのにも関わらず何かを生み出したり成し遂げたりせず、ただ粛々と日々を流れていけるのか、私には不思議でたまらない。
少なくとも私は、劣等感や焦燥感を感じざるを得ないのだ。人生は一度きりという言葉を、それこそ人生で何度も聞いたし、私自身もそう思う。だからこそ、有限の中で何かしらを成し遂げようと行動することが、最も素晴らしい人生であると私は信じて止まない。特に、自分の才能を自覚している人間はその傾向が強い。歌唱力が高いなら路上ライブや歌動画で活動するし、絵が上手いなら個展を開いたりフリーのイラストレーターになるだろう。人はそうやって、産まれて生きている意味や使命を自認していくべきだと思う。
私に関しては、想像力が最も長けていると自負している。なので現在も合成音声を使った動画制作や作詞、小説の執筆など手広く活動している。いくら己の才覚を信じて疑わずとも、長年やっていれば当然スランプも訪れるし、面白くないアイデアしか出ない時もある。だが、それがクリエイターであるとも思う。最も、最近の私は本業の忙しさや体調不良が影響して小説家としての側面が強くなってしまっている。しかし、私の創作活動は変わらない。そうカッコつけてみるものの、私の短編小説のネタ考案は師走に入ってからは思いつきにくくなっていた。自宅の周りを散歩しても、曇り空や夕暮れの荒川の河川敷を眺めても天啓が降りてこなくなっていた。まるで東京の夜空のように黒一色の空洞となってしまっていたのだ。普段なら書くに至らずとも一つくらい思いつくのだが、今回ばかりは私の前頭前野は錆びていたようだ。
ここ数日、私は今年の不運を一気に後払いしたような気分だった。有休を取ったその日に風邪を引き、弱った心身に追い打ちをかけるように不動産の訪問営業が来たのだ。久しく、私は鬱になった。涙は理由もなく溢れ、風邪とは違う重さに苛まれ、酷い時には自殺願望さえ芽生えかけた。病に伏している間は、ただひたすらに温度が欲しかった。それは布団の温度もそうだが、何よりも人が心に与えてくれる温度を渇望して止まなかった。あの時ほど、私を看取ってくれる存在を願ったことはないだろう。しかし、ないものねだりは余計に心を冷やすことになるため、日々の娯楽を最大限に活用して精神は持ち直したが、私は今年で最も弱い私になっていることは間違いない。未だ咳は健在だが、根源となる病気は治った。それでも、このまま家にいては良からぬ空気になるという直感が走った。
思い切って、私は少し遠出をすることにした。いつもの道を歩いたところで何も生まれないのなら、いっそのこと普段なら何も考えることのないような馴染みのない土地で天啓を探る方がよい。行き先は特に決めていない。とにかく、偶然でもいいから何か劈くような刺激、きっかけが欲しかったのだ。電車に揺られながら夢野久作の小説朗読音声に耳を傾ける私は、席に座る人の量も相まって希薄だったことだろう。
そうしておきながら、結局私が赴いたのは池袋だった。お気に入りの書店に立ち寄ることに慣れた私の無意識は、どうやらこの場所を求めていたらしい。中央改札を抜け、南側の書店へと繋がる連絡通路を目指した。2024年の終わりが近いこともあって、行き交う人々の手には大きな袋がぶら下がっていた。
白い通路を歩きながら、今回も膨大な書籍からネタ探しかと思っていれば、ちょうど書店のある前方から一人の女性が歩いてきた。まず目が行ったのは、照明を反射するストレートの金髪とツインテールの髪型だった。今時めずらしいツインテールに何か惹かれるものを感じた瞬間に、その綺麗で艶のある長い金髪に目が奪われた。人に興味が持てない欠落した精神性である私が、この時は自然と目で彼女を捉えていた。顔立ちも大変可愛らしく、少し日本人離れした印象を受けた。薄いメイクが、彼女の生まれ持った素材の良さを強調している。短い黒のスカートと厚めのストッキングが、陶磁器のようなきめ細かく白い肌に映えていた。
とは言っても、別に声をかけてナンパするほど落ちぶれていないし、私がモテることなど万に一つもあり得ない。自虐が過ぎるかもしれないが、私は私をそう定義付けているのだ。目の保養にするだけにしておこうと彼女の側を通り過ぎた時、私の鼻が微かな残滓を拾った。彼女から、檸檬の香りがしたのだ。恐らくは香水の類なのだろう。だが、それにより彼女と檸檬の二つはその日の私の頭から離れないほどに強く刻みつけられた。嗅覚と記憶は密接にかんけいしていると、大学時代の心理学講義で聞いたことがある。確か、プルースト効果と言っただろうか。私の脳裏には、彼女の美しい顔と金の髪、そして檸檬の匂いが焼き付いた。
そうだ、確か書店の上の階には無印良品があった筈だ。私は書店を通り過ぎ、エスカレーターで上へと昇った。何度か別支店に寄ったことがある私は、一つ確証があった。枕や衣服、日用雑貨の棚を通り過ぎて奥へと足を運ぶと、フレグランスオイルの棚を発見した。エッセンシャルオイルの茶色い小瓶を一つずつ見ていく。白檀、イランイラン、ラベンダー。どれも素敵なのだが、その時の私が求めていたものはたった一つだった。檜の隣に佇む、檸檬のフレグランスだ。見本品の瓶を取って香りを嗅いでみる。瑞々しく爽やかで、さっぱりとした香りがして、手にあるはずのない単色の黄色い紡錘形の果実を錯覚した。私は迷わずそのフレグランスを買った。蓋を少し開けて、少し風が吹く中で鼻腔に甘酸っぱい香りを充満させる。それだけで、私は檸檬の果樹園の中に立っているような気がした。風に少し攫われて薄れた檸檬の香りが、却ってさざめく菱形の厚みのある檸檬の葉を感じさせてくれるのだ。
黄色の蜃気楼に夢中になっていたが、我に帰れば買うはずだった書店に寄らずに外に出てきてしまっていた。しかし、私は後悔はそこまで感じていなかった。いや、この時はその一抹の後悔すらも、檸檬の皮の苦味のように変換されていた。どうやら私は、あの女性と檸檬に惑わされた迷い人になってしまったらしい。私もまだ、そんな愚かしいのか純情なのか、複雑な人間味が残っているようで、なんだか安心した。
風が少し強く寒くなった。今日は帰路について、私を温めてくれるシャワーと布団に甘えることにしようと決めた。私は冬によって地平線へと追いやられた午後五時の陽光に背を向けて、人と文明で少し咳き込んだ都会の吐息を吸いながら、不慣れな暗夜行路に至ったのだった。
2025年、あけましておめでとう




