鈍(なまくら)
梶井基次郎先生よ、オラに文才を分けてくれ
曇天が、今にも鉛に変化しそうだった。あの雲は爆撃機となって、私の上に雨の爆弾を降らすに違いない。冗談抜きでそう思えるほどに、私の上を覆い尽くす天蓋は鈍色だったのだ。
残酷な時の流れが風化を誘い、腐食して風に吹かれた灰塵を雲が吸う。伽藍とした古き良き小さな通りを歩く私の心には、目に見えない重石が地味に圧し潰そうと引力に服従していた。
だが、そんな鈍重に見える暗い空が私は好きだった。晴天はあゝ見えて無慈悲なところがある。どんなに気分が沈んでいても、そんな人間などつゆ知らず空は青かったりする。だから私は、晴天こそ最も無情な天気だと思わざるを得ないのだ。
母なる天照の威光は遮断され、世界が灰色になる模様を私は見ていた。屋根、窓、扉、そしてアスファルトと暗く濁されていく。私がそんな錯覚をしてしまうほどに不満な日々を送っていると言ってしまえばそれまでだが、そんなことはない。借金も特になく、仕事で大きな失敗をしたわけでもない。持病の偏頭痛がいつ緊箍児となって、私の頭を締め潰そうとしてくるかと怯えてもいない。ただ、そう、何もないから空洞なのです。
私は休日、家にいる以外ならよく池袋や秋葉原、偶に東所沢へ足を運んでいた。アマチュア創作家である私は、今時の若者が好むサブカルチアに興味が無いわけではないが、今は小説がブゥムとなっていた。
特に私の心を掴んだのは、梶井基次郎の檸檬だった。筆舌し難いがとにかく、表現が素晴らしいのだ。得体の知れない憂鬱な心情や、ふと抱いた悪戯な感情を、色彩豊かな事物や心象と共に詩的に描いている。私はこの檸檬という短編小説の酸味の中毒になっていた。私もまた、レモンエロウの紡錘形から放たれる、得体の知れない魔力に充てられたのである。
今回も池袋駅沿いを歩いていた私は、来れば必ず立ち寄る馴染みの書店である、三省堂書店への階段を降りた。T字路のようにブロックが別れていて、一番広い正面のスペースには小説や単行本など、私にとってはミスカトニック大学の禁書庫のような宝の山であった。漫画もしばしば買うことはあるが、この歳になると文庫や単行本が過半数を占め始めていた。
ビジネス書は無視して、とにかく私の心を惹きつける文庫を探す。目的の本が分かっているなら検索して探すが、私はそれじゃ何も楽しくないとして目的もなく探すのが好きだった。だから私の探本は、全ての文庫を見て回るため時間がすごくかかる。別に何も見つからなくてもいい。私は、この自分が求めている何かを探すこと自体が好きなのだ。
あれでもない、これでもない―――。気になる本を手に取っては、タイトルとあらすじを見て購買を決める。絶対に中は開かない、立ち読みも一切しない。買う前に読んで決めるのだったら、書店ではなく図書館に行くべきだという独自の思想があった私は、中身を見て買うべき本を選ぶ行為に納得できなかった。買うべき本なら読むまでもないだろう。私の理性はそう囁いていた。それが天使か悪魔かはさておき、私はその声に無条件で従ってきたのだ。
何度も店内を徘徊して、私は一冊の本をカゴに入れた。現代純文学「星を編む」という短編集だ。凪良ゆうという小説家が書いた、才能という名の星を輝かせるために魂を燃やす編集者たちの物語である。
私はこの本だけを抱えて、豊島区立南池袋公園にてページを広げた。芝生の上に腰を下ろして、なけなしの自然の中で物語に想いを馳せる。その頃、太陽は鈍色に誘拐されたが、あの晴天の日に文字すらも奪っていきそうなイデア界の影もない。むしろ曇天こそ読書には最も適していると私は信じている。黒が文字を塗り潰すこともなく、白が掻き消すこともない。太陽を祀っていた古代の人々は阿呆なのではないかと本気で思うこともあった。
閑話休題、読書日和の天気も束の間、曇天は重さに耐えきれず、ポツポツと雫を溢れさせてきた。天気を予め知っていた私は傘を常備していたが、その時の私はある天啓が降りてきていた。
「そうだ、傘も差さずに雨曝しのなかで読んでみよう」持病の気狂いが発作を起こし、私は雲と雨を感じてみたくなったのだ。
雨に髪や本が濡れることも厭わず、私は天が流す蒼い血を浴びた。文字は滲み、紙に冷たくて塩気のない涙が浸透していく。ザーッと降るのではなく、小雨のように疎らに降り注いでいるだけなのだが、私はこの雨を降らす曇天の下で冷まされる体温を草木に滴らせたくなっていた。空を見上げ、雲で隠れて見えない黒いコスモを夢想した。太陽や雲があろうとも、私たちの頭上では常に星彩が散りばめられている。人を常に照らすものは、天照やアポロンではなく、アストライオスや天津甕星なのである。そう思うと、不思議なくらいに心に染み渡った。
とはいえ、ずぶ濡れになるまで外に立ち惚ける訳にもいかないので、私はしとどに濡れた本を脇に抱えて公園の芝生の上から立ち退いた。しっとりと濡れた肌と髪、体から放出される微熱、頬を伝う少し温くなった雨雫。キリストの洗礼が私の言語化し難い心の不純物を浄化していくのを実感した。濡れてページが引っ付いた小説は今日はもう読めそうにない。
「少し寒いな。喫茶店で落ち着こうか」
湿った服が気持ち悪くなってきた私は近くの喫茶店へ避難した。カランと鳴った鈴と同時に、店内に充満している珈琲の香りが私の鼻を通り、肌の雨水に吸着した。一番奥のカウンターに腰を下ろし、本をテーブルの上に置く。店員が注文を聞いてきたので、ジャワの豆を使った珈琲とバターたっぷりのトーストを注文した。待つ間に、暖房の効いた店内で別の小説を読む。運良く暖房の風が通る席だったので、店を出る頃には「星を編む」はある程度乾いているだろう。私はそう思いながら、ミステリー小説「その可能性はすでに考えた」を開いた。76ページに差し掛かった時だった。
珈琲は予想より早く私の前に置かれて、熱い湯気と焦げた麦のような独特な深い香りが指を絡めていた。本にスピンを挟んで二口ほど呑む。酸味が少なく、やや強い苦味とコクが舌に浸透していった。雨に打たれた私の体に、恒温動物としての温度を取り戻させてくれる。息に熱が込もってきた。
外から聞こえる雨音を意識外から鼓膜で拾いながら読書を再開する。ミステリーと純文学に惹かれるようになって、私は昔の自分が死んだような錯覚に陥っていた。気を抜けば、空虚というか、感傷というか、人生の時間に比例するジクジクした違和感が私の心を内側から切り裂くのである。
今は小説を読むことが好きな私は、人生の途中でドッペルゲンガーの如く成り変わった存在かもしれない。文学少女がいつまでもそうじゃないように、スポーツ少年がいつまでもそうじゃないように、人は昔とどれだけ変わろうと、現在になれば胸を張って「これが自分だ」と自信ありげに主張できる。私が空洞なのは、そういった根拠のないことが恐ろしいと感じているからだ。ダークブラウンの磨かれたテーブルに映る自分の顔が外の時とは違って鬱屈になっているのが分かる。
バタートーストが到着したので急いで口に詰め込む。芳醇なまろやかさが口内を埋め尽くし、それを洗い流すように珈琲を啜る。ものの5分も経たずしてトーストと珈琲を完食した私は、まだ空が晴れる前に外へ再び出ることにした。勘定を払い本をカバンに入れ、未だ光の漏れない鉛の空を闊歩する。すると、さっきまで答えのない哲学的迷宮で餓死しかけていた自分が嘘だったかのように、心は晴れやかになっていった。なるほどそうか。この曇った空が私の心模様と同調しているから心地いいのか。天を見上げれば、雨は止んで雲色の明度が上がっていた。もうすぐ雲の傷口から射光が漏れ出て、音の無い天使の喇叭が祝福のヴェールを下ろしてくるだろう。北風の出番は終わり、次は太陽が旅人を照らす番となるのだ。
まだ少し冷たい風が、乾きたての髪を撫でていく。焼け焦げて灰になった高天原を、鈍の白いナイフは突き刺せなかったようだ。だが、私はまだこの色のない世界に居たかった。鈍色が消えてしまう前に、私は濡れたアスファルトの匂いが立ち込める街道を歩いていった。
雲すら切り裂けない鈍が、いつか私を切り殺してしまう前に、暗い部屋へと避難しなければ。
曇り空の公園で1時間、すぐ近くの喫茶店で2時間かけてプロット書いてました。
残り半分は酔った頭で書いてみました。ソルマック最強卍




