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01 兄が返ってきた(2)

 兄の言葉に、私はそれ以上の言葉を飲み込んだ。

 兄が返ってきたことを、父はきっと喜ぶだろうから。

 何も言わないでも、父が寂しがっていたことは分かっていた。存在感のない私と、場を楽しませる兄、どちらが家の中を明るくしていたかなんて、考えなくても分かってる。兄がいなくなった家は、とても静かだった。その静けさに、時折寂しそうにため息をつく父の姿を、何度も見かけていた。

「お父様に、ちゃんと、会ってくださいね」

「分かってるよ。大事な話もあるし、今から会いに行くよ」

「・・・大事な話?」

 神妙にうなずく兄に、胸騒ぎがする。

「結婚の話だ」

「ええ!」

 突然のことに、私は普段絶対に上げない大声をあげてしまった。

 自分の声の大きさに自分で驚いてしまう。

「結婚ですか!」

(ついにこの人が結婚!?だから帰ってきたの?)

「そうだ。父上の許しを得てから話を進めないといけないと思って、帰ってきたんだ」

「そうなのですね。突然のことで驚いてしまいましたが、ようやく相手を見つけられたのですね」

 この兄を選んでくれる女性が現れるとは、奇跡のような話に私は心が浮きだった。これでようやく、我が家の後継者問題も解決するだろう。最悪、私が継がなければならないのかというプレッシャーからようやく解放されるのか。なんて素晴らしいことなのだ。

(お兄様も家門のことを考えてくれていたのですね)

「ああ、見つけるのに苦労したよ」

「そうでしょうとも」

 この兄を選ぶような奇特な女性など、砂漠の中で一粒のガラス球を見つけるくらいの奇跡なのだ。そんな貴重な女性を見つけて帰ってきたとは、なんという功績だろう。

「相手の方はどちらにいらっしゃるのですか?一緒に帰ってこられたのですか?どんな方なのでしょう。今どちらにいらっしゃるのですか?どうせならお父様には一緒にお会いした方がよろしいのではなくて?」

「おいおい、落ち着けって。嬉しいのは分かるが、あまりはしゃぐのもみっともないぞ」

「あっ、確かに。第一印象は大事ですよね。これから家族になられる方ですもの、気を悪くされないようにお迎えしませんとね」

「うんうん、いい心がけだ」

 偉そうな兄の態度は釈然としないが、喜ばしい報告があるから、今日だけは多めに見てあげよう。

「それで、どちらにいらっしゃいますの?」

「今回は俺一人で来てるんだ。早くお前に合わせてやりたかったが、向こうも忙しい方でな。それに父上の許可がなければ話が進まないし。お前の準備もあるしな」

 私の準備?

「ああ、お兄様たちの居住スペースを整えないといけませんものね。お任せください、わたくしがきちんと新婚にふさわしいお部屋を準備いたしますわ」

「いやいや、向こうは事業も手広く手掛けているし、中央都市に拠点があるから、向こうでの生活になるぞ」

「では、お兄様は帰ってこられたわけではないのですか」

 我が家門の後継問題はどうなるの。

「ん?だから俺はが帰ってきたんだ。心配するな、家のことも父上のことも、これからは俺が面倒みるから」

「え?」

 何か話がかみ合っていない気がする。

「今まで好き勝手やらせてもらった分、これからは俺が家と父上を支えていくさ。領地運営も、中央都市で色々学んできたんだ。最新の事業手腕を発揮して、改革に乗り出すぞ!」

「でも、先ほどは都市での生活になると・・・拠点を二つ持つということですか?」

「流石にそれは無理だろう。うちの領地がしょぼいからと言って、それでも季節ごとにやることは多いし、あの公爵家の宮殿を散り仕切るには並大抵のことじゃないんだぞ。まあ、みう後継者は決まっているから、子供を産まないといけないってわけじゃないし、1番の重積はないから気楽にやればいいさ」


 体に悪寒が走る。

 兄は一体、何の話を持ち込んできたのだ。


「お兄様、聞いてもよろしいでしょうか?」

「なんだ?何でも聞いてくれ。この兄がズバッと答えてやろう」

「誰が結婚をするのでしょう」

「何を言ってるんだ。お前がするに決まっているだろう」


 ああ、言葉が出ない。


「お前も24歳だろ。生まれてもうすぐ四半世紀にもなるんだ、早く結婚した方がいいだろう」

 だから俺が面倒を見てやってるんだ、と平然と兄が言う。

 言っても無駄だと分かっていても、今回ばかりは黙っていられなかった。

「私は22歳です。27歳のお兄様、妹の年齢も計算できない阿呆が人の世話を焼くなんて、紅茶に大量の塩を入れてがぶ飲みするくらい無謀なことですよ」

「相変わらず口が悪いな。数年の間に少しは変わったかと思ってたけど、かわいげがないまま大人になってしまって、兄は悲しいぞ」

「お兄様が家を飛び出して10年ですよ。数年ではなく、10年です!正確には10年と56日です。計算もできない兄を持つ私の身の上が悲しいです。お兄様」

「そうか、そうか」と兄は豪快に笑う。「そこまで正確に数えているお前がちょっと気持ち悪いぞ」

 思ったことをそのまま言葉にする兄を前に、私はこみあげる怒りを抑えきれなかった。否、怒りではなく殺意だ。

 幼いころから、なぜか兄に対してだけ、私は冷静ではいられなかった。どれだけ気配を消していても、兄は私を見つけるのだ。無理やり私の存在を周囲に知らしめる。それもわざとではなく、ごく自然に、当たり前のように私を巻き込んでいく。私がどれだけ兄の視界から遠ざかり逃げようとも、兄の世界に引きずり込まれてしまう。私と同じように平凡な顔立ちの兄だが、私とは正反対に存在感だけは強いのだ。自己アピールが得意で、人好きな、あっけらかんとした性格が、周囲を巻き込んで楽しませる。だから、人に好かれる人だ。

 そんな真逆な兄の存在は、私にとっては苦手を通り越して災厄そのものだった。

「この、クソバカ兄」

「お前はどうしてそう言葉が汚いのだ。これから公爵夫人になるんだぞ。社交界でみくびられないように、優雅さと威厳を持って、言動には一層気を配らないとダメだろう」

「なぜ私が公爵夫人にならないといけないのですか!今まで私がここを守ってきたのよっ。阿呆な兄の代わりに!ようやく新しい事業も軌道に乗ってきて、これからって時に!」

「俺が引き継いで、もっと盛り立てていくから心配するな」

「お前なんかに渡せるかー!」


 私の魂の叫びは、どこにも届かなかった。


 クソバカ兄様が持ち込んだ結婚話は、とんとん拍子に進んでしまった。

 冷静に考えれば、田舎の農地しか持たない伯爵家と、中央都市で政治経済の中枢を支えるアルバイン公爵家。反論も抵抗も、逃げることすらできるはずがない。

 なぜか正式に送り付けられた結婚申込書を受け取った父は一度気絶した。その後は毎日泣きながら私に謝り続けた。

「私の力がないばかりに、お前にちゃんとした結婚相手も用意してやれなかった父を許してくれ」と。

 相手は公爵家の現当主。ちゃんとしすぎるお相手だと思うが。周囲は皆、使用人たちはもちろん、領地民たちまでも、葬式の参列者のような悲壮漂う顔をしている。私が話しかけると泣き始めるから、何も聞けなくなってしまった。

 普通であれば、求婚をしに一度はこちらの領地に出向くのが当然の公爵閣下様は、忙しいという理由で一度も来なかった。私への手紙ひとつない。

(まあ、事前にあったところで何かが変わるわけではないし)

 そんな風にのんきにかまえていた私だったが、結婚式当日、初めてお目にかかった公爵様に、私は本気の殺意を抱いたのだった。

 もちろん、殺意の相手はクソバカ兄にだ。


 普通に考えて、若くして公爵位を継いだ青年であれば、お相手の令嬢など、掃いて捨てるほど集まるだろう。より取り見取りの中で、あえて私のような平凡な田舎女を選ぶ男性など存在するはずがないのだ。

(だからみんな、あんなに憐れむ目で私を見てたのね)


 私の旦那様となるお方は、半世紀を生きた白髪の紳士だった。

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