01 兄が返ってきた(1)
レイブラグル家は、伯爵の爵位を持つ貴族の家門だ。昔は国王陛下の側近を務めた当主がいたり、高官職を歴任した時代もあるという。それは教科書に出てくるような大昔の話で、私からすれば絵本や小説の中の出来事と大差ない。今の我が家は、広い領地を有してはいるが、その大部分は農地で、領主といっても毎日畑を耕す田舎者だ。爵位を代々受け継いでるが、華やかな社交界には縁遠く、私は生まれ育った田舎から出たこともなかった。兄は10年ほど前に、田舎を嫌って家を飛び出して以来一度も帰ってこない。母は田舎町のカフェでウエイトレスをしていたところを、父に見初められて結婚したらしい。こんな田舎では、貴族と平民の身分格差によって反対されることもなかったという。そんな母は、貴族に見初められるほど見目麗しかったかと言えば、そんなことは全くなかった。ごく普通の女性の容姿だ。若い女性が少ない田舎町で、年ごろの娘だったから選択肢がなかったのだろうというのが私の予想だ。
そんな母は、私を生んでほどなく、病気で亡くなった。私は父と、乳母のマルテに育てられた。愛情いっぱいとは言わないが、それなりに大切に育ててもらったと思う。好きな本を読み漁り、地元の役場で仕事をして、父の農地運営の手伝いもしている。順調な人生だ。
(・・・この平凡すぎる顔のせいで恋人が一度もできたことがないってことを除けばね)
不運なことに、私の同世代にはそれなりにかわいい顔立ちの少女が数人いた。若い男性たちはみな、彼女たちに吸い寄せられ、私の周りには誰も寄ってこない。鏡を見るたびに劣等感を感じていた多感な少女時代を経て、私はようやく悟った。化粧をしても変化のない平坦な顔立ちは、ある意味、才能だろう。少女たちの熾烈な優劣の争いに巻き込まれることもなく、低能なアピールで男の子たちに付きまとわれることもない。意味のなさない派閥争いに神経をすり減らす心配もない。田舎町だからこそ、閉鎖的な社会の中で、私は心を乱されることなく、日々を過ごしてきた。それもすべて、平凡な容姿を持つ両親の遺伝子のおかげだ。その恩恵を最大限に活用するために、私は気配を消すことを習得した。私はその辺の壁と同じだ。空気のように漂いながら、人々の間をすり抜けていく。私がそばで聞いていることを誰も気づかないから、人々のうわさ話も聞き放題だ。平穏で、他人事の刺激があるこの日常に私は満足していた。
そんな私も、今年22歳になる。そろそろ行き遅れと呼ばれる年になる。同年代の女性たちは、結婚して子供を産んでいる人もいる。私にはそんな兆しは全くないが、だれからも何も言われない。この田舎で私が生きていることをみんな知らないのかもしれない。それほどに、私の周辺は穏やかだった。
兄が返ってくるまでは。
「相変わらず特徴のない顔だな、妹よ」
約10年ぶりに返ってきた兄の第一声だ。
「お兄様も相変わらず失礼極まりないですわね」
「ははっ、お互い変わりなくてよかった、よかった」
どこがだ、と思っても、言うだけ無駄だと分かっているので、それ以上は言及しなかった。
腹は立つが、変わりない兄の姿に、少しだけ、ほっとした。
「・・・10年音沙汰なかったのに、いきなり戻ってこられた理由をお聞きしてもよろしいでしょうか」
「ん?連絡しなかったか?一度も?」
「はい、一度も、一切、どこで何をしているのか連絡などありませんでしたよ」
兄は、首をかしげている。なにを不思議そうな顔をしているのだ。そのわざとさを感じさせない態度が余計に腹立たしい。
「お父様も心配していましたのに。どこで何をして生きているのか、一度くらい連絡できたでしょうに。それを今更突然戻ってきて、どんな魂胆をお持ちなのでしょう」
「おいおい、兄を悪者のように言うなよ」
「親不孝者であることは確かでしょう」
私の言葉に、兄が黙り込んだ。
言い過ぎただろうか。
こんな兄だが、親を大切に思う気持ちだけは私と同じだから。
「・・・父上には、ちゃんと謝るよ」