side 琴葉
「あのね」
「どうかした?」
「音には、私が見送りに来てたって言わないで欲しいの」
「どうして?」
「だって、見送りに来たって知ったら嫌な思いするでしょ?だから伝えないで欲しい」
「本当に、それでいいの?」
「いいの、いいの」
徹君は、困った顔をしながらも「わかった」と頷いてくれた。
これからは、私の傷や想いに音が縛り付けられて欲しくなかった。
私が見送りに来たって聞いたら、音はまた何かを考えてしまう。
「今だから言うけど。俺、嬉しかったんだ。たぶん、音のお姉ちゃんも同じだったと思う」
「嬉しかった?」
「そう。音が、母親の顔色伺わないで自分らしくいれたのがね」
「自分らしく?」
「あのお母さんだよ。ずっと、自分を殺して生きてきたんだよ、音は……。琴葉ちゃんに出会うまでずっと」
「そんな事ないですよ。音は、私が出会った時からずっと自由で自分らしかったですよ」
「琴葉ちゃんのお陰だよ。少なくとも、俺も、音のお姉さんもそう思ってる。だから、ちょっと心配なんだよ。お母さんの元に戻ったら音は、また、隠すのかなって」
徹君は、苦笑いを浮かべながら耳を指差した。
「音のお母さんは、手話や筆談や機械に頼る事は許してくれないから」
「そう、そう。だからって、今の音の発音、少しおかしいところがあるだろ?」
「はい。耳が聞こえなくなって、音をとれなくなったから、おかしくなってるところがありますね」
「音のお母さん、そう言うの許してくれるのかなーーって心配だわ」
徹君は、後頭部を掻いてから立ち止まって空を眺めた。
音とお母さんの間にある離れていた時間。
その間に、音は聴力を完全に失い、発音も少しずつおかしくなった。
お母さんは、それを理解し、音を受け入れてくれるのだろうか?
「本当なら、手話とか使えたらいいんだろうな」
「音は、使いたいって話してました?」
「一度、図書館から本を借りて私た時は喜んだんだけど。結局、お母さんに反対されて終わった。だから、手話を使いたくても、また反対されるんじゃないかな」
「そうなると音のコミュニケーションの幅はどんどん狭まりますよね」
「まあ、元々狭かったんだけどな」
「確かに、そうですけど。でも、今の音は、前と違って聴力が完全になくて……」
「口読むよりスマホが画面見てるのが多くなったよな。でも、音のお母さんは許すかな?俺は無理だと思ってるんだけどね」
徹君は、大きくため息をついた後で「こんな事言ったら音に怒られるだろうけど、音は琴葉ちゃんといるべきだったと思ってるよ」と笑った。
「そんな事ないですよ」
「謙遜しないの。あっ、そうだ。気になってたんだけど、今の家にはずっといるの?」
「男女が付き合ってないのに一つ屋根の下にいるのは、やっぱりおかしいと思うんです」
「それって……」
「実家に帰ろうかなってかんがえてるんです」
春樹の家の前に着くと徹君は私の顔を見つめていた。
本当にそれでいいの?って言われてるのがわかる。
「真弓が待ってますから急ぎましょう」
「琴葉ちゃん……」
「はい」
「琴葉ちゃんが選ぶ事だから、俺が決められないんだけど。ーー実家に帰ると生きるの諦めたくならない?」
徹君の言葉に胸の奥が締め付けられる。
私は、あの日。
音と徹君と真弓の前で話したんだ。
ずっと抱えていたあの気持ちの正体を……。
「ごめん、偉そうな事言って」
「う、ううん」
「じゃあ、行こうか」
「あっ、うん」
春樹の家に向かう足取りは重くなる。
徹君は、聞いたらいけない事を聞いてしまった事を後悔したのか。
もう、何も話さなかった。




