side 音
15時までいようと決めていたけれど、何もする事が思い付かなかった。
それに、琴葉といないこの家は寂しくて悲しい場所だった。
「早めに出ようかな」
もしかしたら、徹が来るかも知れない。
だけど、いいや。
徹に会って、琴葉に挨拶してから行けと言われるのも嫌だな。
今、琴葉に会ったら……。
俺、向こうに行きたくなくなる。
14時すぎまでは、部屋にいたけれど。
もうこれ以上いる意味は感じられなかった。
スーツケースをひいて、家を出る。
鍵を閉めてから、封筒にしまう。
管理会社の人が、鍵は郵送で送ってくれて大丈夫ですと言ってくれたのだ。
向こうについたら、ポストに投函するかな。
家を出て、どっちの道を通るか考える。
琴葉が彼といたら嫌だから、反対にしよう。
反対側から行こうとすると、琴葉にいつも怒られたのを思い出す。
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「駅からだと、こっちを渡った方が早いだろ?だから、こっち」
「駄目!そっちの道は、自転車が多いの!専用道路を作る話しもあるけど、今の状態なら駄目」
「何で?大丈夫だよ」
「駄目だよ!自転車が急に飛び出してきたらどうするの?もうスピードでやってきたらどうするの?耳が聞こえない音は、危ないんだよ!私がいたら大丈夫だけど。だから、駄目だよ」
「琴葉は、心配性だな」
「だって、音がいない人生なんて意味ないよ」
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今も、そう思ってくれてるのかな?
最近、自転車専用道路が出来たから琴葉が心配する事はなくなったよ。
まあ、琴葉もわかっているだろうけど……。
反対側に渡らなければ、俺はこの日琴葉に再会できたはずだった。
だけど、すれ違った運命は俺達を引き離していく。
駅に向かって歩く。
予定より早くついたから、徹も来ていなかった。
電車に乗る為に、ホームに行く。
「音ーー」
頭に中に、何かが響いた気がして振り返ったけれど気のせいだった。
さよなら、この街。
さよなら、琴葉。
電車の扉が閉まり、発車する。
琴葉……。
ギャラリーからスクリーンショットした写真を見つめる。
琴葉が俺にくれた羅列を指でなぞる。
ポトッ……。
指に涙が落ちてきた。
俺は、ずっと……。
琴葉の羅列に支えられて、今日まで生きてきた。
スライドしながら写真を見ているとズキン……胸に鋭い痛みが走る。
【娘と別れてくれてありがとう】
ポタポタと落ちてきた涙が画面の文字を滲ませる。
あの日、自分への戒めに置いておいたメッセージだ。
俺が引き留めちゃいけない。
琴葉は、耳が聞こえる人と生きていくべきなんだ。
それを、お父さんは望んでる。
スマホの電源を切って、ポケットにしまう。
もう、俺は戻らない。
この街にも……。
琴葉の元にも……。
三章では、音と琴葉が別々の道を進んでいきます。
二人は、もう一度再会する事ができるのか?
二人の事を反対している人達の考えを変える事ができるのか?
読んでいただけたら、嬉しいです。




