side 音
「お帰り」
「ごめん。すぐにやるから」
帰りながらたくさん泣いて、無理矢理、涙を止めてから家に入ると徹に声をかけられた。
「後、三時間で引っ越し屋さんくるから!頑張んなきゃ!あっ、音。スマホ貸してくんない?」
「何で?」
「充電切れたから。後、一時間以上は掛かるって真弓にかけなきゃ怒られるから」
「わかった。スマホ、充電してこようか?」
「あっ、悪い。じゃあ、よろしく」
「うん」
徹のスマホは、充電が切れていて本当に真っ黒だった。
一瞬、嘘だと思った自分は最低だ。
寝室に入って、充電器に徹のスマホを差した。
差した瞬間に%表示される。
【28%】
やっぱり、嘘だった。
俺は、急いでリビングに向かう。
「充電器に差してはきたけど、電話ぐらいなら出来るだけは充電あったけど……って、何で泣いてんの?」
「こんな酷い羅列を読まされて、悲しくなかったのか?音」
「もう終わった事だから……」
「結婚したい相手って誰だよ!美弥子ちゃんとは終わったんだろ?そんな奴いないだろ!何で嘘ついたんだよ!音」
「嘘なんかついてないよ。気になる子は、本当にいるから……。それに、琴葉には新しい相手がいるから大丈夫だって。その人の方が琴葉を幸せにしてくれるんだから」
「本気で言ってんのか、音?」
徹は、俺の代わりに泣いている。
さっき、涙が枯れ果てたと思ったのに徹の顔を見ていると涙が流れるのがわかった。
「音……」
「琴葉のお父さんが、安堵しているのがわかったんだ。俺と別れて別の人と一緒にいる事に……」
「だからって」
「まだ、琴葉を愛しているって伝えないでくれよ。俺、本当に、気になる人には出会えてるから大丈夫だから」
「それって誰だよ」
徹に言われて、ダイニングに置いていた紙を見せる。
「向こうでやってる手話教室で出会ったんだ。お試しで行ってみてね。結局、母さんにバレて怒鳴られて一回だけになったんだけど。ここに通っている優衣さんが心配して会いに来てくれた。それから、仲良くしてる。すごくいい人なんだ。俺と母さんの事も理解してくれるし、俺の病気もわかってくれるんだ。優衣さんはね、ストーカーに階段から突き飛ばされて、頭を強く打って、耳が聞こえなくなったんだ」
「その人といると楽なんだな」
「そうかも知れないね」
「自分を傷つける羅列を見なくてすむもんな」
「酷いよね。琴葉は、俺の為に戦ってくれていたのに……。俺は、逃げようとばかりして」
徹は、スマホを見つめて少し考えている。
俺は、自分勝手だ。
傷つけられたくないって逃げてばっかりで……。
だけど……。
「いいんじゃないか?音は、ずっと戦ってきたんだから。逃げたっていいよ」
「徹……」
「おばさんから逃げられないのわかってるからだろ?美弥子ちゃんとは無理になっても、琴葉ちゃんを選んだらおばさんがまた琴葉ちゃんを傷つけるのわかってるから逃げるんだろ?」
「そんな人間じゃないよ。俺は、ただズルいだけだよ」
「音がどんな道を選んでも俺は応援する。音が、幸せになってくれるなら俺はそれでいいよ」
「ありがとう……徹」
「じゃあ、準備しよう」
「うん」
思い出の場所を離れる。
この間取り、この壁、この床。
全てが、ここにしかなくて……。
ここを離れる事を決めた日から、今日まで胸が押し潰されそうになった。
叔母さん達が、新しい場所に行った方がいいと周りに言われて自分達で建てた戸建てを手放した。
どれだけ苦しくて、悲しかった事だろう。
思い出が、全部なくなっちゃう気がするんだよ。
写真には、うつっていても……。
それを繋ぎ合わせても、この場所にならなくて……。
この場所を作り上げる事は出来ない。
ここには、新しい人が住んで新しい思い出を刻んでいく。
執着を手放さなきゃ幸せになれないなんて言う奴がいるけど……。
手放した先に幸せがあるかどうかなんてわからないじゃないか。
少なくとも俺は、琴葉との執着を手放した所で幸せになんてなれない。
許されるなら、ずっとここに縛りついていたかったよ。
「どうした?音」
「ううん。別に……」
「本当は、ここにいたいんじゃないのか?」
「いたいよ。いれるならずっと」
「でも、いるのも辛いか?」
「そうだね。ここには、たくさんの思い出があるから。俺ね、ずっとここに居たかったんだ。ここで、琴葉とずっと……」
「それなら、ずっと琴葉ちゃんをここで待ってたらいいんじゃないのか?」
「出来るわけないよ。待っていたって、琴葉は俺の元に戻ってこないから。それに、悲しみはすぐに消えると……思う」
「本当にそうかな?愛子ちゃんを失った悲しみ癒えてないだろ?みんな……」
「癒えなくても、未来は続いていくんだから仕方ないよ。生きるってそういう事だろ」
もっと時間が経っていけば、この場所から離れられなくなるのがわかる。
まだ、今なら悲しみを乗り越える力だってあるはずだから……。
だから、みんな力のあるうちに手放すんだ。
大好きな場所を……。




