side 琴葉
コーヒーをいれてくれるっていうからついていく。
音に泣いていたのをバレたくない。
まだ、引きずってるのかって思われたくなかった。
ゴミの事を伝えると音が捨ててくれると言った。
ヘッドフォンを捨てていいと言われて胸が痛む。
大切な想い出のヘッドフォンを大嫌いな想い出だと言われたのはショックだった。
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あれは、ちょうど8回目のデートだった。
「ここ、きれいだね」
「ゆっくり話さなくて大丈夫だよ。これ、見ればわかるから」
「あっ、そうだった。ごめんね、気づかなかった」
「大丈夫、大丈夫。それより俺のイントネーションおかしいでしょ?」
「確かに、他の人は気になるかも知れないけど……。私は、全然大丈夫だよ」
「そっか。それなら、よかった。じゃあ、ご飯食べに行こう」
「うん」
音君が連れて行ってくれたのは、イタリアンレストランだった。
カジュアルでありながらも、おしゃれな店内は、たくさんの人で賑わっている。
「素敵な所だね」
「でしょ?ここ、気に入ってるんだ」
音君を見て周りの人が話し出す。
「何かイントネーション変だよな?」
「あの子、たまに来る耳が聞こえない子じゃない」
「ああ。可哀想な子だよな」
周囲の雑音が耳の中に響き、辛くなる。
「どうしたの?暗い顔して大丈夫?」
「うん。大丈夫」
「なら、いいんだけど……」
「気にしないで」
イタリアンレストランで食事をして、外に出る。
イントネーションのおかしい音君の言葉に周囲はざわつく。
「美味しかった。琴葉ちゃんは?」「うん。美味しかった」
「それなら、よかった。俺は、好きだけど琴葉ちゃんが嫌いだったらどうしようかと思ったよ」
「心配しなくても大丈夫だよ」
二人だけの世界に入りたいのに敏感なこの耳は雑音を聞き分ける。
「どこの田舎?やばくない」
「あの感じは、そうとうだよな」
「つうか、日本人?」
「さあ、どうだろうな」
声を使って話しているから、イタリアンレストランと違い、耳が聞こえないってよりはどこか地方から出てきたか、海外からやってきたかと周りは考えてるようだった。
「琴葉ちゃん、大丈夫?体調悪い?」
「うん。大丈夫、大丈夫。行こう」
敏感な耳は、いつだって周囲の雑音を聞き分ける。
「それでね」
「うん」
歩きながら話すと向けられる言葉。
「声でかくない?」
「何、今の話し方。ヤバすぎて受けるんだけど」
「ってか、あれ日本人じゃないよね?」
「すげーー。田舎から出てきたんじゃね?」
うるさい。
うるさい。
うるさい。
「それでさ……」
「ごめん。ちょっと待って」
二人だけの世界にならない。
この耳が敏感だから……。
立ち止まった私を音君が見つめる。
「俺ばっかり話してる。琴葉ちゃん、何か話したいじゃない」
「ううん」
「嘘だ。話したいって顔してるよ」
音君は、スマホの画面と私を交互に見つめる。
「耳がいいの。昔から……。だから、周囲の雑音がよく聞こえる。バイト先でもね、可愛くない子とか役に立たない子って言われてたりするの。生きてるだけで、誰かに迷惑をかけるなら、いっそ死んじゃおうかなって思ってる」
音君は、スマホを見て私の言葉を受けとると両耳に両手を当てる。
「何?」
「聞きたい音も聞けなくなるけど、こうやって耳を塞げばいいんだよ」
音君の温もりが耳から伝わってきて、ようやく二人だけの世界になれた。
「行こう」
「どこに?」
私の腕を引っ張って音君は、走り出す。
やってきたのは、家電量販店だった。
「徹がね。あっ、俺の友達なんだけど」
「うん」
「音楽やってて。周りの雑音で集中出来ない時はこのヘッドフォンがいいって話してたんだ」
音君は、高価なヘッドフォンを手に取った。
「お給料入ったら買うね。教えてくれてありがとう」
「違う、違う。これは、俺がプレゼントするんだよ」
「何で?私、誕生日じゃないよ」
「好きな人には嫌な雑音を聞いて欲しくないから。それとデートのお礼だから」
まるで、プロポーズされたみたいだった。
婚約指輪を渡されて、結婚してくださいと言われて嬉しい気持ちになる女性の気持ちがわかる。
音君は、ヘッドフォンを買ってくれて……。
婚約指輪のように、それは耳にはめられた。
「スマホつけて」
「あっ、うん」
まだ声が聞こえる。
ヘッドフォンをスマホと繋ぐ。
ブー
ブー
「もしもし……」
「これでもう、俺の声しか琴葉に届かないんじゃない?」
「きづいてたの?」
「ずっとわかってたよ。まだ、耳はかろうじで聞こえるから……。琴葉の耳は、俺と違って敏感なんだって」
音君の声しかない世界。
周囲の雑音は、消えていて。
「好きです。付き合ってください」
愛の言葉だけに包まれた。
「はい」
私の言葉に音君は、手を繋いでくれて……。
この後は、ヘッドフォンをしたまま街を歩いた変なデートになった。
それでも、私は幸せで。
幸せすぎて……。
初めて生きたいと心底思ったんだ。
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あの日の想い出を音が壊していく。
それでも、優しくしていたい。
音の目に入る羅列は、優しくあるべきだと思ってる。
だから、精一杯言葉を選ぶ。
音が嫌な思いをしないように。
音が悲しい思いをしないように。
だって、私はまだ音を愛しているから……。
音のお陰で聞こえなくなった雑音は、再び聞こえるようになったけど……。
そんな事を言って、音を引き留めたくないから嘘をつく。
飲み干したコーヒーカップ。
二人の想い出がつまった食器は捨ててと頼んだ。
もう、音と一緒にはいれない。
これ以上いると優しく出来なくなりそうだから……。




