天才
スプリングラーの大雨はまだ続いている。
服が濡れる。せっかく着替えたのに。ついてない。
楓は廊下の端まで走ると、金属製のドアを押し開いて非常階段に飛び込む。
すぐに敵は現れた。
下の踊り場に二人の人物が立っている。
ひとりは漆黒のドレスに身を包んだ美女、支路井岬。以前、楓も彼女から戦いの説明を受けた。誰かとつるむなんてかったるいと思った楓は当然、断ったが。
岬は自身の願いを叶えるには協力者が必要だと言っていた。なら、隣にいる少年がその協力者なのだろう。
少年はヒステリックにわめいていた。
「くそ! なんでだよ、ありえない! 僕のゴーレムが! ゴーレムがやられるなんて! あんな小娘に!」
お前も対して変わらん歳だろ、楓は内心つっこむ。
「そんな小物っぽいのとつるんだんだ。必死すぎ、うける」
小娘と言われた意趣返しだ。
岬はどこ吹く風。
「そうかしら? 頼もしい子だと思っているけど?」
頼もしい、その言葉が出た瞬間、少年の顔が明るくなる。少年が馬鹿なのか、岬が少年の扱いを心得ているのか。
「そ、そうだ、そうだよな。僕の能力は最強なんだ! あれくらいでやられるわけ……」
少年はいい、しゃがみこんでぶつぶつ呟きはじめる。
何をやっているのか知らないが、好きにさせる気はない。
小銃を取り出す。M-16。米海兵隊愛用の武器を連発でぶっ放した。
もちろん空砲。だがこの至近距離では衝撃だけでも殺傷能力はある。
「ひいいいっ!」
少年は情けない声を残して階段を下の階へ逃げた。
同時、岬が消えた。
後ろから床に足をつく音。振り返りながらしゃがみ込む。
頭上をダガーが走った。楓もカランビットナイフを出し、相手の腹を切り付ける。
刃物は服にあたる。しかし肉体に届く前に、岬は消えた。
楓は感覚をとぎ澄ます。
瞬間移動だとしても、必ず攻撃の瞬間には接地する。中空に現れた刃物を振ったところで大した威力は出ない。
接地し、ナイフをふる。移動自体は一瞬でも、攻撃までにはタイムラグがある。
常人ならば隙とも呼べない隙。
だが、楓の反射神経は神がかっていて、楓は生まれついて天才的な運動能力を持っていて、10才で格闘技を始めてからの7年間、すべての才能は格闘のみに振り向けられていた。
楓の感覚器官は捕らえる。微弱な音を。
楓の反射神経は攻撃に対処するに十分な時間を与える。
培った技術と経験が、楓に最適な動きをとらせる。
岬は驚愕した。格闘家というものを舐めていた。異能を持っているだけで優位に立てる相手ではなかった。
岬の刃物は楓に追いつかない。相手の死角に移動し、攻撃するのに、まるで当たらない。楓は四方に目を持っているかのように岬の動きを捕らえる。ダガーを最小限の動きでよけると同時にカウンター。
楓のナイフが届く寸前で移動しているから致命傷にはならない。だが消耗しているのは岬のほうだ。
突然、楓はナイフを手放す。だらりと手を下げる。なんの緊張もない、自然体。
意図はわからない。だがチャンスだ。
岬は楓の背後に移動し、視界が途切れた。
遅れて痛み。
数瞬遅れて理解した。
ジャブだ。ただのジャブ。左手で顔を殴られた。
致命傷を与えられるのはナイフだ。だが、楓にとって最速の一撃は素手のジャブ。
本能が危険を叫ぶ。
どこでもいい、早く移動を。
真後ろへ1メートルほど移動。
目を開く。まだ痛みはあるが、見えはする。
楓は右ストレートを打ったところだ。移動が遅れたら危なかった。
加減して勝てる相手じゃない。
岬はドレスの下に隠していたホルスターに手を伸ばす。日本ゆえ、弾薬はたいして持ってこれなかった。せいぜい一戦分、だがこの少女は仕留めなければ脅威になる。
「やったぞ! やっぱり僕のゴーレムは最強だ!」
覚悟を決めた時、岬の協力者、瀬良が叫んだ。
だが今構っている余裕はない。
拳銃を抜くと同時、ゴーレムが壁を突き破って飛び出てきた。
「なっ、ちょっと!」
邪魔でしかなかった。
楓はゴーレムを見ると、舌打ちし、何かを投げつける。
視界が白く染まる。
閃光弾だ。
階段を駆け降りる音。瀬良のうめき声。
視界が戻ると、瀬良が泡を吹いて倒れていた。楓の姿はない。
「起きて、瀬良くん」
叩き起こすも、反応なし。泡が喉に溜まって窒息しないように処置して、岬は下へ向かった。