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ヴァルハラ  作者: 八神あき
開戦
6/27

敗北

 ホテルの2階にはジムがある。

 部屋で稽古をしてもよかったのだが、せっかくなのでジムを使ってみることにした。


 司は戦い方を誰かに習ったわけではない。戦って、強かった相手の戦い方を真似しているだけだ。

 特に影響を受けたのは中学のときに戦った相手。

 とんでもなく強いおっさんだった。負けて、悔しくて、何度も何度も再戦した。最初に負けた時は殴り方を盗んだ。二度目に負けた時は相手の意表をついて攻撃するタイミングを学んだ。三度目に負けた時は拳の握り方を。四度目は足腰の使い方を。そうしてどんどん戦い方が似ていった。


 十五度目、次こそはといさんでおっさんのうろついている酒屋の辺りに出向いたが、その日は見つからなかった。次の日もおっさんはいない。三度目も見つからなくて、それからも近くを通る度にそれとなく探したが姿は見えない。やがて探すことを諦めた。


 後から自分の戦い方は中国拳法に似ていると気づいた。図書館で武術関連の本を漁るうち、あのおっさんは中国武術の使い手だったのだと確信した。

 戦い方は盗んだ。体の鍛え方は本で覚えた。あとは道端で喧嘩を繰り返した。

 司が稽古をするのは、狭苦しい部屋か、汚い公園。ホテルの綺麗なジムがどんなものか見てやろうと思った。


 エレベーターで二階へ。

 まず目に入ったのは奇妙な椅子だ。銭湯に置いてあるマッサージ機みたいな、いかつい椅子が何十と並んでいる。おそらく、体を鍛える道具なのだろう。


 他にもダンベルや、ベンチもあるが、武術とは関係なさそうなので無視する。

 気をひかれたのは奥にあるリングだ。そばにはサンドバックもある。

 近づいていくと、誰かの息遣いが聞こえてきた。


 短い呼気、リズム良く繰り返されるステップ、拳が空を裂く音。

 このホテルには司の他には一人しかいない。


 向かいのビルのネオンに照らされ、少女は舞う。

 何千、何万回と繰り返されたであろうジャブは全く同じ軌道を滑らかに走る。

 地を蹴り、上半身を振り、拳を出す。しなやかな足は見えない敵の頭を打ち、ぐらついたところへ容赦なく追撃。左のミドルキック、右のフック。立て直した相手のパンチを紙重でかわし、ハイキックで顎を砕く。


 足を踏み入れることを禁忌とする、聖域じみた空間。


 司が立ち尽くしていると、少女は動きをとめ、置いてあったボトルを口にした。タオルで頭をふく。澄んだ汗が少女の体の表面を転がり、地面に転々と跡を残す。

「なんか用?」

 少女の言葉でようやく金縛りが解けた。

「あ、いや、用ってか……ちょっと稽古しようと思って」

「あっそ」

 勝手にしろと言うことなのだろう。少女はシャドーに戻る。


 そう言ったものの、司はこの設備の使い方を知らない。いつも使っている木人もなければ砂の入ったバケツもない。


 結局、できるのは型稽古のみ。広めの場所を見つけて基本の構え、四六式をとる。

 右震脚、前に出て、左震脚と同時に左の中段突き。腕を曲げて肘を突き出し、両手を大きく回して両掌を真下に打ち付けながら震脚、両手を開きつつ左手で上段を打ち、下がる。左震脚、前に出て、右震脚と同時に右の中段突き。

 一通り動きを終えると、手近なベンチに腰掛ける。


「ねえ」

 少女の声。

 そちらを見ると、グローブが飛んできた。慌ててキャッチすると、バンテージも投げられる。

 少女が顎でリングを指す。言葉足らずにも程があるが、試合しようということだろう。


「お前には手出さない約束なんだが」

「ただのスパーリング。てか、お前ってやめて。私は楓。九条楓」

 そうかよ、とだけ返すと、楓は司を睨む。

「名乗ったんだから、そっちも名乗りなよ。常識ないの?」

 いちいち喧嘩腰な女だ。

 司はイライラを抑えながら答える。

「雲上司」

「えらそうな名前」

 抑えきれなくなった。

 ぶちのめそうとグローブに手を突っ込む。


「バンテージ巻きなよ」

 と、冷たい声がかかった。知らない単語が出たせいで気勢を削がれる。

「何?」

「知らないの?」

 頷くと、楓は呆れながら近寄ってくる。司の持っていたバンテージを奪った。

「手出して」

 言われた通りにすると、バンテージを巻き付けられる。その上からグローブをはめられた。


「あんた、格闘技やったことないの?」

「ねえよ」

 言うと、楓はため息。

「急所への攻撃はなし。あと、髪掴んだりも。絞め技はタップしたら離す」

「わかった」

 二人はリングへ上がる。


 開始の合図も待たず、司は上段を突いた。

 楓は司の拳を叩くが、司はそのまま体当たりをかける。

 楓はかわし、蹴る。司は楓の足に頭突き。そのまま足を掴んでもう片方の足を払う。

 楓はバランスを崩すが、すぐに姿勢を制御し、地面に手をついて司を蹴り上げた。続いて腹を蹴る。司は足を離してよろけた。そこへ楓のフック。

 司は倒れる。立ち上がると同時、電子音が鳴った。楓はリングを降りる。


「おい! まだ終わってねえ!」

「スパーリングでしょ。1ラウンドだけ」

 言って、タイマーを止める。


 司も渋々リングを降りた。

「負けたわけじゃねえからな」

「どう見ても負けてたでしょ」

「一回倒れただけだ。まだ負けてねえ」

「うるさい」

 冷たく言われ、司は押し黙る。

「……次は勝つからな」

 悔し紛れに言うと、楓は輪をかけて不機嫌になる。

「うざい。言い訳したって負けは負けでしょ。身勝手な理屈こねてないで現実みたら? 次は次はって言い張って負けたことを受け入れようとしない。そうやって逃げてばっかだから勝てないんじゃないの?」

 一刀両断。司はもはや言い返す言葉がない。

 言いたいことを言い切ると、楓はその場を後にした。

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