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01,さくらの〜  作者: 橙ノ縁
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四楽章 さくらのうた

 ホルン吹きの彼女は、こう言った。

「今の私には吹奏楽部しか居場所がないんです。だからです」

 どうして部長になったのかという問いの答えが、どこか悲し気で、白葉は彼女のその言葉に自分の過去を少し重ねていた。

 音楽の中に居場所を見つけ、居心地が良くなった人間は、人付き合いで困りやすくなるという、持論を白葉は持っている。

 人間同士は言葉や表情で意思疎通をし、醸し出す雰囲気を読んで、臨機応変に表情や意見を変えていくものだ。

 しかし、音楽にのめり込んでしまうと、全ての感性を音や呼吸、指などに向かせてしまうので、言葉を疎かにしがちになる。居心地の悪い場所からすぐに離れたくなり、分かり合える楽器の方を選ぶのだ。

 彼女もそうなのだろう。彼女のホルンの音色は真剣にホルンと向き合い、愛情をもって楽器と語り合った人間の音色だった。

 その上、吹奏楽部でいる時、そうではない時の表情や雰囲気が別人のように違っている。

 きっと日常生活は生きにくいだろうなと想像がついた。

 白葉自身もそうだったからだ。

 地獄のような日常を忘れる為、人間の汚い部分をなるべく見ないようにする為、音楽の世界に逃げ込んで、引き籠っていた。

 毎日白と黒の鍵盤から湧き出る音に溺れ、窒息するような生活をしていた。

「私はこの曲を聴いて、昔を思い出した」

 そう言って、白葉はピアノで「さくらのうた」の演奏を始める。

「昔っていつのことですか?」

「私が、この国にやって来た時の事だよ」

 それは、満開の桜が咲く春のこと。白葉は知り合いの伝手で日本にやって来た。

 ひらひら舞い落ちる桜の花びらを始めて見た時、率直に思ったのが、「道が汚れる」ということだった。

 進む道に花びらが舞い落ち、いろんな人に踏みつけられて土色に汚れていくのが、どうにも美しいとは思えなかった。

 花びらが煩わしく、掌で避けながら歩いていると、すれ違った人達に白い目で見られた。

 白葉が外国人だったから、そんな目で見られたのかもしれないが、その日は、人の目がとても気になっていたことは確かだった。

 町を歩いていると、目が合っただけで突然謝られたり、石を投げられたりした。

「この国に来て一番初めに覚えた言葉は、カエセだった。何を返してと叫んでいるのか理解するまで少し時間が掛かった」

 その言葉の意味を理解した頃、ある一人の女性に出会った。

 彼女は毎日琴を演奏する、音楽好きの女性で、白葉に日本の音楽を教えた人物でもある。

 琴で聴く日本の音楽と、彼女の声で覚える日本語、季節毎に通り過ぎていく草花、少しずつ日本を知りながら一年が過ぎた時、再び満開の桜の下を歩いた。

「一年前とは比べ物にならないくらい、桜は綺麗だったよ。この国を知れば知るほど、桜が美しく思えていく。そんな体験を思い出した」

 ピアノがトランペットのソロパートをドラマチックに演奏すると、ピアノを囲むように電車から降りてきた乗客たちが集まってくる。

 音楽は自由で、演奏者の表現によって雰囲気が変わるという所が素晴らしい所だ。

 しかし、コンクールはその自由さを殆ど求めていない。評価には一定の基準があり、その基準を満たしている演奏に賞を与えている。

 誰もが納得する基準、それは楽譜通りであるという事。表現力を求められるのは、楽譜通りに演奏出来た上でようやく求められる。

「君たちのさくらのうたは、それぞれが違う桜を思い描いていた。それはそれでとても面白かった。だから私も自分勝手な桜を思い出したのかもしれない」

 最後の一音の空気振動が止むと、駅構内に拍手が鳴り響いた。

 観客は白葉が立ち上がって鞄を担ぐ姿を見て、二曲目が演奏されないと知り、それぞれ家路を急いでいく。

「返せってどういう意味だったんですか?」

 ホルンの彼女が首を傾げながら質問する。もう、彼女のような若者には想像もつかない昔になってしまったなあ、と白葉は寂しさを感じた。

「お前たちが殺した、父を兄を弟を夫を母を姉を妹を妻を息子を娘を孫を友人を返せという意味だよ」

「え?」

「あの頃、私も居場所はどこにもない。ピアノしか自分にはないと思っていた。でも焼け野原で独りぼっちになった人たちを見て、自分だけじゃないと思ったっけ……」

 白葉の話に耳を傾けている彼女は、ずっと眉間に皺を寄せて困った顔をしている。それもそうだ、こんな昔話をしたところで、ただのお伽話にしか思えないだろうから。

「早勢君、では夜も遅いから気をつけて」

 彼女は小さく頷くと、俯きかげんで何かを考えながら改札を越えてくのだった。

 白葉は珍しく昔の事を喋りすぎたなと反省し、ピアノの蓋をきっちり閉め、タクシー乗り場横の駐輪場に進んでいく。愛車の電動アシスト付き自転車に跨って、ライトをつけた。




 成香は悩んでいた。昨日の夜、あのピアニストに出会ったのに、もう一度演奏を聴きに来て欲しいと伝えられなかったことを、部員たちにどう説明すればいいのか。

 重苦しいため息をつま先にぶつけながら、階段を上っていく。

 今日は日曜日。毎週成香は朝一番に来て、部室を開けて部員たちを待つのだが、今日は誰かが部室の鍵を先に借りていた。

「誰だろうなー。朝練に来た人」

 楽器の音も聴こえないので、パーカッションの誰かだろうかと予想しながら、部室の扉を開いた。

「おはよー」

「おはよう」

 その声は若い学生の声ではない。しっかり低い、大人の男の声だ。

 成香は目の前の男を見て、思わず後ずさりして、部室の扉を開け、そのまま無言で外に出て、扉を閉めた。

「幻?白昼夢?私、夢遊病?」

 混乱する頭を抱えながら、その場でぐるぐると小さな円を描きながら歩いていると、部室の扉が勢いよく開かれる。

「おい、何故逃げるんだ?」

 金髪で背が高く、堀の深い顔立ちの外国人。間違いない、あのピアニストだ。

「……ええっと、お名前なんでしたっけ?」

「まだ名前を知らなかったのか。名前は白葉黎」

「白葉さん、どうしてここに?」

 男は斜め上を少し見ると、ふっと白い歯を見せて微笑みこう言った。

「逮捕はされたくないから」

 それは成香が部室に呼び込む時、下手な脅しをした時の発言だ。

「安心してください、警察に駆け込んだりしません」

「そうなのか。毎日私を待っているようだったから、てっきり痴漢か窃盗の容疑で警察に突き出されるのかとばかり思っていた」

 本気か冗談か分からない白葉の発言を聞き流しながら、成香は携帯電話を取り出してひなみに電話をかける。

「まさか、本当に警察に連絡するんじゃないだろうな……」

「もしもし、おはようございます。あの、ひなみさん。目の前に白葉黎と名乗る不審な男性がいるんですが、どうしたらいいですか?」

 電話の向こうで、眠そうな声をしたひなみが「成香ちゃんの好きにしたら?」と無責任な言い方をして、一方的に電話を切る。

「あの、何をしにここに?」

「何を今更。君が呼んだんだろう?」

「はあ、まあ……」

 出会った日に指揮者になってほしいとお願いしたが、昨日会った時はなにも言えずじまいだった。成香の中では勧誘が失敗に終わったのだと思っていた。

「白葉さんが、私たちの演奏を聴いてすごくがっかりしたようだったので、指揮者の話は無かったことになったのだと思っていました」

「別に断ったつもりはないが」

「そうなんですか。なら、もう一度、演奏を聴いてくれませんか?」

「ああ、いいよ。何度も聴いてあげる」

 突然、金色の髪を靡かせた男が花がほころぶように微笑むので、ホルン吹きの女子高生は、呼吸を少し止めて後ろにのけぞった。

「先輩、これはどういう状況ですか?」

 登校した二年生男子達が、向かい合う男と女子高生の構図に首を傾げている。

「成香ちゃん!あのピアニスト連れて来てくれたんだね」

 男子生徒を簡単に押しのけて、三年の瑞岩海利が成香のもとに駆け込んできた。

「海利ちゃん、今日は、合奏に変更しよう」

「もちろん!練習の成果を披露しないとね。そうと決まれば、さっそく準備しないと」

 海利は男子生徒に鞄を置かせて、会議室に連れて行く。

「早勢君、今日はどんな曲を聴かせてくれるんだ?」

「前回の続きです」

 成果は自分の鞄も部室前に置くと、中に入ってハーモニーディレクターを抱え、白葉に渡す。

「これ、会議室までお願いします」

「あ、ああ」

「もっと気合入れてください。それから、絶対にハーモニーディレクターは落とさないでくださいね」

「ああ、分かってる」

「それを運んだら、次はグロッケンをお願いします」

「人使いが荒いな」と白葉が小声で不満を吐露すると、成香の眉尻が少し上がった。

「ウチは少人数なので、白葉さんにも手伝って貰います」

「君は何を運ぶんだ?」

「私は、指揮棒を探します」

 白葉はハーモニーディレクターを抱え、階段をゆっくり下っていく。その時、登校してきた吹奏楽員たちとすれ違い、「おはよう」と挨拶を交わした。



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