白の蛇と金の少女
青空の下、森の緑に包まれて俺はせっせと草を摘んでいた。勿論その草はただの草ではない。薬草という、回復ポーションの材料になる草だ。
冒険者ギルドでクエストカウンターの人に、最初に受ける依頼はどんなものが良いか相談してみると、初めての場合は採取の依頼を受けるのがオススメだと言われた。
何事も最初が肝心。俺はギルドの人のアドバイスに従って薬草を三十本集める依頼を受け、現在それに挑戦中である。
「………よし、結構採れたな」
薬草を摘むために長時間屈んでいたので、立ち上がると体が少し固くなったように感じる。手に持っている薬草を籠に入れて空を向くように体を反らすと、骨の鳴る音がした。
体をほぐした後、籠の中を覗き薬草を手に取りながら数を数える。
「…………二十七、二十八、二十九、三十。……丁度だ」
これで採取は完了。後はギルドに持って行くだけだ。
気持ちの良い達成感を感じる。今日の空のような晴れやかな気分だ。
と、同時に自分の腹の音が聞こえた。腹を摩りながら、今の時間を考える。
依頼を受けてから、移動時間を含めればもう二時間半は経っている。冒険者ギルドに来た時が大体十時頃だったので、それを考えると確かに腹が限界を迎えてもおかしくはない。
採取も終わったところなので、アルカディアに戻って報酬を受け取ってから昼飯を頂こうかと考えた時、別の考えが浮かんだ。
「《サーチ》」
探知魔法で周囲を調べる。
俺から広がる魔力波はすぐに一匹を探知した。それは普通よりも少し大きい猪の形をしている。たしか名前はワイルドボアといったか。
「………決めた」
今日の昼飯はアイツにしよう。
魔物だって動物だ。勿論その肉は食用として扱われ、特定の魔物の肉や卵などを納品させる依頼もある。――――というのをクエストカウンターの人から教えてもらった。
ワイルドボアはそう遠くはないので、薬草の入った籠を《アイテムボックス》に入れ、獲物の元へと向かう。
少し走ると獲物の姿が視認できた。今はキノコを美味しそうに食べている。どうやら、奴も俺と同じで空腹らしい。
木の後ろに屈み、見つからないよう息を潜める。どうやって狩ろうかと考えていると、ワイルドボアの周りの木々が目に留まった。
あの木々を使えば、獲物に気付かれることなく接近できるかもしれない。そう思った俺は脚に魔力を集中させる。
「《フォース》」
両脚を強化して、そっと剣を抜きながら立ち上がる。そして、片方の足に力を込めて地面を蹴った。体が向かう場所は木の幹。ぶつかる前にもう片方の足で木の幹を踏み台にして別の木へ跳ぶ。そして、また同じように別の木へ。それを繰り返しながら獲物に接近する。
獲物は音に振り向くが、その頃には俺は他の木に移っている。十度目の移動で俺はワイルドボアの背後からその頭上に移り、逆手持ちにした剣でその頸を突き刺した。猪から叫び声が漏れる。
「ブギィィィィィィ!!!」
すぐさま猪から剣を抜き、離れる。次の瞬間、猪は血を吹きながら走り回り、周りの木々にぶつかりまくった後、力尽きたようにバタリと倒れた。ぶつかられた木々は表面が砕けその中身が剥き出しになっている。
「うわ、怖っ………」
自分の口から恐怖が漏れる。
剣で刺されたワイルドボアが叫んだ時、咄嗟に離れて正解だった。そうしていなかったら今頃、木に叩きつけられてその生涯を終えていたかもしれない。
神経を切断するためにわざと刃と猪の頸骨が垂直になるようにしたというのに、あれだけの大暴れ。
やはり魔物を舐めてかかってはいけないと俺は自分を戒め、ワイルドボアの元へ向かう。
食べられるように処理をして、肉を一口サイズに切り、手に乗せる。
「―――よし。それじゃ、いただきます。《ヒート》」
熱を生み出す魔法で、自分の手を高熱にする。
すると、ジュゥゥゥと音を立てながら、赤かった肉が段々茶色に変化していく。
俺は食べ頃になった肉を口に入れて味わうように噛む。
―――――――うん。美味い。
丁度良い焼け具合、歯応え。人生で初めての一人焼肉は成功したと言っても良いだろう。
俺はその調子で肉を焼き続け、満腹になるまで食べ続けた。余った肉は氷結魔法で凍らせて《アイテムボックス》に入れ、冷凍保存する。後でおじさんにも食べさせてやろう。
「――――そんじゃ、帰りますか」
忘れ物が無いよう確認して、立ち上がる。
初めての依頼は完璧。アルカディアに戻って、宿でゆっくり休むとしよう。
そう考え、歩きだそうとしたその時。
魔物の強い気配を感じた。
「――――何か、来る………!」
気配がした方向に振り向き、走る。
この気配、魔物討伐試験で戦った蜂の魔物と同じぐらいの強さだ。しかも、その気配を複数感じる。
気配の方向にはアルカディアに繋がる街道があったはずだ。
「《サーチ》……!」
探知魔法で調べると、蛇の魔物の反応が三つ出た。二つは同じ場所に、もう一つは何故か少し離れた場所にいる。
森を抜けようとした時、街道に壊れた馬車が見えた。そこには男が馬車の下敷きになっていて、近くで馬も倒れている。二匹の白い蛇の目前には、俺と年が変わらないであろう金髪の少女が一人立っていた。
「お嬢様!俺を置いて行ってください!」
「そんなことできません!私が食い止めている内に、早く!」
男は逃げろと言っているが、少女にその意思は無い。二匹の蛇は少女に襲いかかるが、少女はそれを光の壁で防いでいる。だが、それも限界は近いだろう。
下敷きになっている男を庇うように立っているため、自由に行動することはできない。その上、二匹の蛇が上手に立ち回っているので、少女は防ぐことで手一杯だ。
少女の魔力が無くなれば、その瞬間に蛇の勝利は確定される。雑魚なら魔力は長く保てるが、あの蛇はそれには当てはまらない。少女が疲弊しているのがその証拠だ。つまり、かなりマズイ状況となっている。
「《フォース》 ……!」
急いで肉体全体に強化魔法をかけて走るが、それと同時に少女の防御が崩された。
魔力が尽きてしまったのだろう。光の壁は砕け散り、少女は力無く座りこんでいる。蛇はそれを見て嬉しそうに体をくねらせて口を開け、少女の体に頭から突っ込む。その大きい口が少女を食い殺そうと迫り、しかしそれは叶わなかった。
横槍を入れられ、蛇は隣のもう一匹を巻き込んで地面に叩きつけられる。否、入ったのは槍ではなく俺の足だ。
強化された俺の足が蛇を蹴り飛ばしたのだ。
「《バリア》」
俺は少女の前に着地し、少女と男を護る半球型の魔力障壁を展開した。少女の顔には戸惑いが見られる。
「あ、貴方は………?」
「通りすがりの冒険者だ。あの人以外には誰がいる?」
少女の疑問に淡々と言葉を返し、逆に質問する。
あの人というのが馬車の下敷きになっている男だと分かった少女は、心配するような表情で正面の森を指して答える。
「向こうに私の妹が………。少しでも注意を引きつけると言って………」
これで納得がいった。
少女の妹が三匹の内の一匹をあの森に誘い込んだから、探知した際に一匹だけ離れた場所にいたのだ。
普通に考えれば、誰もが少女の妹は死んでいると思うだろう。しかし実際は、誘い込まれた蛇は未だ森を彷徨っている。あれだけ息の合った攻撃ができる蛇達が何の用も無しに勝手に単独行動するとは思えないし、道に迷ったというのも変な話だ。
つまり、少女の妹はまだ生きている可能性が高い。
「―――分かった。すぐに向かう。先にコイツらを倒すけど、念のためこの障壁から出ないようにしてくれ」
「えっ?倒すって………」
少女の力無い声を無視し、起き上がった蛇に向かって走る。少女の妹もいつまで逃げられるのか分からないのだ。時間の猶予は多くないだろう。
蛇は血走った眼で俺を見ている。御馳走を奪われた怒りか、俺に蹴り飛ばされた恨みか。どちらでも良いのだが、向かって来るのならばこちらも迎え撃とう。
「シャアアアアアア!!!」
喉が張り裂けるのではないかと思うほどの大声で叫んだ蛇は、俺を噛み殺そうと真っ直ぐに突っ込んできた。俺は脚に魔力を込めて地面を蹴り、蛇の頭の下を通るように避ける。背後の衝撃音を聞きながら、今度は剣に魔力を送った。
「《フレイムエッジ》!」
詠唱の後、炎が刃を包み込み、その刀身を大きくする。
俺は後ろを振り向きながら、目前の蛇の首にその刃を素早く一閃した。
炎の刃が蛇の首を灼き断ち、蛇の体が地面に倒れる。
「シャアッッ!!」
すると、倒れた体から飛び出るようにもう一匹が地面を滑ってこちらに襲いかかってきた。俺はそれを横に避け、剣を蛇の体に突き刺す。その瞬間、すぐに炎の威力を調節する。そして、先ほどより短く、しかしより高密度にした炎刃で、蛇の体を横に切り裂いた。
「《ライトニング》……!」
二匹の蛇を切り捨てた後、駿足と化した脚で急いで森へと向かう。残りのもう一匹は、今はまだ少女の妹を追いかけるような動きをしているが、予断を許す状況ではない。
森へ入り木々の間を駆け抜け、俺はようやく敵の姿を捉えた。そこでは、白蛇が木々の間にその体を通し、俺よりニ、三歳年下の金髪の女の子を追っている。女の子は必死に逃げているが体力の限界が近かったのか、その場で躓いて転んでしまう。その瞬間を蛇が逃すはずがなく、食らいつくように女の子に迫って行く。
「危ないッ………!」
「ひゃっ!?」
雷光の脚で女の子の元へ駆け寄ってその背中と両脚に腕を通して抱え、蛇の正面を突っ切る。抱えられた女の子は突然出てきた俺に驚いたのか、可愛らしい声を上げた。ギリギリ女の子を救出できた俺はそのまま地面を滑って勢いを殺しながら、蛇と向かい合う。
「シャアアッ!!シャアアアッッ!!!」
蛇は叫びながら俺を睨む。その様子を見る限り、獲物を返せとか消え失せろとか、そのようなことを言っているのだろう。無論、そんなことをする気は全くないのだが。
しかし、少々困ったことになっている。女の子を守るために抱えたは良いものの、両手が塞がっている状態では敵を葬り去る手段が限られてしまう。自由に動けなければ倒すのが難しくなるのだが、十分に満たないとしてもこんな大きな蛇から逃げ続けた女の子に降りろと言うのも酷な気がする。
実際、目の前の女の子はこっちを頼るように服をギュッと掴んでいる。この状況で降りてくれなんてとてもじゃないが言えない。
「あのぅ………」
蛇と睨み合いながら考えていると、女の子が恐る恐る話しかけてきた。それにできるだけ優しい顔と声で返す。
「どうしたの?」
「わたし、もう大丈夫なんですか………?」
俺が何者か、という質問かと思ったのだが違ったようだ。突然現れた人物のことより、自分はもう助かったのかと訊いてくるということは、今までの遁走がそれだけ怖かったということだろう。
肩を震わせる女の子は目に涙を浮かべながら、上目遣いで尋ねてくる。俺はその瞬間に悟った。とてもじゃないが言えない、ではなく、とても言えない。結局、俺は手が塞がったままで戦うしかないらしい。
女の子の問いに、俺は優しく答える。
「うん、もう大丈夫だよ。だから安心して。君は俺が守るから」
それを聞いた女の子は安心したように体の緊張を少しだけ解いた。俺の言葉がよほど嬉しかったのか、女の子の可愛らしい顔が少し赤くなっている。
女の子を安心させることができた俺は、目の前の蛇を見上げる。いつまでもこのままでいる訳にはいかない。一刻も早く、この子を姉の元へ戻してやらねば。
俺は氷結を想像し、蛇に向かって詠唱を呟く。
「――――《フリーズ》」
俺の足元の地面がパキパキと凍り、その氷結が蛇に向かって速いスピードで伸びて行く。蛇は危険を察知したのかそこから飛び退くように避けた。
今のは威力を抑えて速さに特化させたつもりだったが、あっさり避けられてしまったか。木々を通り抜けて避けるその器用さは、流石としか言いようがない。だが、これで速さでは通じないということが分かった。ならば、今度は範囲を広くしてみよう。
再び蛇と睨み合いながら、タイミングを計る。魔力の準備は既に完了しているので、後は放出するだけだ。
短い睨み合いの末、先に仕掛けてきたのは蛇の方だった。俺の横へ素早く回り込みながら、噛みつこうとその首を伸ばしてくる。俺はそれを雷光の脚で後ろに下がって避け、扇状に魔力を放出させる。
「《フリーズ》!」
次の瞬間、扇状に広がった氷結が蛇の体を食んでいった。蛇が、凍った身を動かそうとするが体はそれに応えることができない。
「――――ようやく捕まえた」
後は止めを刺すだけなので、これで一安心だ。
俺は女の子を降ろし、魔力障壁の方向に身体を向ける。
「それじゃ、お姉さんの所に戻ろっか」
「え?戻るって、お姉様は無事なんですか?」
女の子は驚いたように訊く。対して俺は、その言葉でハッと思い出した。
そういえば、お姉さんを助けたことをまだ言っていなかった。この女の子だってその不安があったというのに、どうして俺は気付いてやれなかったのだろう。
俺は自己嫌悪しながらも、それに答える。
「ああ無事だよ。君より先に助けたんだ。ごめんね、言えてなくて」
「いえ、大丈夫ですから、そう落ち込まないでください。わたしは助けてもらっただけでも凄くありがたいので。………助けてくださって、本当にありがとうございます」
女の子はそう言って、ペコリと頭を下げる。
な、なんて良い子なんだ………!こんな俺を許してくれるなんて………!
感動に浸る俺に対して、女の子は凍って身動きが取れない蛇を見ている。
「あの、この魔物放っておいても大丈夫なんですか?」
女の子の問いに、俺は蛇を見上げながら答える。
「ん、あぁソイツ?体が凍って動けないし、動いてもすぐ分かるようにしてるから大丈夫。君を帰した後、止めを刺すつもりだよ」
その答えに、女の子はなるほど、と納得している。
たしかに、凍っているとはいえ、こんな怪物を何の理由も無しに放ったままにするのは不安だろう。
「じゃあ、戻ろう」
「はい」
こうして、俺達は魔力障壁の方向に走って戻った。
女の子を走らせる訳にはいかないので背負って帰ったのだが、その時女の子が不服そうだったのが少し気になった。