探索者の様相
魔力操作の実技が開始され、生徒が我先にと勇み足で杖の元に向かう。
名のある実力者を前に、やる気は十二分といったところだったが……。
「……くそ、全然分かんねぇぞ! 複雑過ぎて、どれがどれだか……!」
「《スキャン》、《スキャン》……っ! うぅ、頭痛くなってきた……」
「ええっと、こっち……あぁ違う。こっちじゃなくて……思うように魔力が行かない……!」
「どうやったらできんだよ、こんなの……!」
実際に杖に向かった者は皆苦悶の顔を浮かべていた。
最初の真摯な面持ちは徐々に嫌な強張りを生み、進捗は目に見えて芳しくない。
彼らの反応を見る限り、どうやら最初の構造把握にかなり苦戦しているようだ。
外からは窺えないが、内部は非常に複雑としているのだろう。
しかも魔力の流通にも弊害を及ぼしていると来た。
魔力に多種の指向を持たせることは別段おかしな話ではない。
中・上級魔法の行使はもちろん、基本魔法の練度向上にも必要とされる。
だが、ここで苦戦するということは、この作業の難易度は外野の予想を大きく上回るものらしい。
実技開始から五分は経っただろうか。苦戦している生徒の内の一人に、ナーバ先生が近付く。
何事かと目を丸くする男子生徒。
頭一つ分上から見下ろす先生の瞳に、さしたる感慨はない。
「君、これ以上は時間の無駄だ。中断したまえ」
「え。でも、まだ時間が――」
「ミスタ・フォンホルンの説明を聞いていなかったのか? それを決めるのは私だ。また、彼はこうも言っていただろう。現時点の実力の参考とするものだと。一般的な立ち位置を理解できない者は、三流すら名乗れない無礼者だ」
「……はい、すみませんでした……」
肩を落として男子生徒が引き下がる。
集団に戻っていく彼の姿を気にも掛けず、ナーバ先生は最も近い距離にいる他の生徒を手招きした。
早々に人が入れ替わり、先生は何事もなかったかのように元の位置に戻る。
だが、こちら側は不意を衝かれたことによってざわめきだしていた。
「まだ四分しか経っていませんよ……!?」
エリスが愕然と呟く。
半分の時間すら越えていないという事実に、俺もぎょっとしてしまう。
「始まったばかりでコレって……。容赦ないにも程があるだろ」
「まずいですね。みんな、引け気味になってます」
見渡すと、空気感は顕著な様変わりを見せていた。
始まる前の活気は鳴りを潜め、不安に陰った声がちらほらと聞こえる。
実際、俺も身につまされた気分だ。
成功や失敗以前の問題をこんな早くに突きつけられては、どんな人でも気落ちしそうになるというもの。
これ以上周囲の空気にあてられないように、取り敢えず今は不安に耳を傾けないでおく。
最初の中断から少しして、ナーバ先生が再び動く。
次に呼び掛けたのは、各々魔法杖に向かい合っていた男女二人だった。
二人は特に反論することなく、指示に従ってそそくさと身を引いた。
たぶん、さっきのやり取りを見ていて問答は意味を成さないと悟ったのだろう。指示には従っても、納得はいっていないようだった。
ナーバ先生が待機中の俺たちに目を向ける。今回も無差別な人選を行うのだろう。
何人か遠慮がちに後退する中、不意にエリスが前に歩き出した。
「エリス、行くのか」
はい、と頼もしい返事でエリスは振り返った。
「ちょっと、チャレンジしてみたくなって。アレスくんも一緒に来ますか?」
「俺は……まだいいや。それも良いけど、今は応援したい感じだ」
「分かりました。じゃあ、見ててくださいね」
「ああ、任せろ」
ただ見るだけのことに『任せろ』というのはどうも大袈裟な気がしたが、エリスが嬉しそうな顔をしてくれたので良しとしよう。
周囲から称えるように見送られ、彼女は魔法杖の正面で立ち止まる。
一つ大きめに息を吐くと右手を伸ばし、真っ直ぐに杖とその先の鎧を見据えた。
「《スキャン》」
静かに、けれど気力の籠もった声。
穏やかな光が魔法杖を包み、エリスは目を閉じて専心する。
集中し続ける彼女の隣でも、他の生徒がナーバ先生の指示で中断・交代させられる。
生徒たちが憂いを見せる中でも、エリスは一切動じない。
半端じゃない集中力だ。
まるで外界から隔絶しているかのように、エリスは自分自身のみの空間を構築している。
エリスの表情は険しい。
彼女を取り巻く緊迫感は、眼前の課題が決して易々とこなせるものではないことを如実に物語っていた。
エリスが杖と対峙してから十分は越えただろうか。なお彼女の集中は絶えない。
既に制限時間外だが、エリスはそこを意識から弾いているようだ。始まったときのまま、視界を閉ざして魔法のみに向き合っている。
ナーバ先生は何も言わない。
こちらも最初と変わらず、基本は全体を静観、進展が見られない生徒に交代を命じている。
現時点で成功者は見られない。
さらに言ってしまえば、実技に挑んだ者はエリスを除いた全員が中断させられている。最長記録は九分手前。そこまでいけば残りの一分くらいは挑ませてやってもいいのではと思うが、僅かの情けすら許さないことがアルル・ナーバの信条であるようだ。
だからこそ今、継続を許されているエリスに注目が集まる。
魔法杖を覆う魔力はやや不安定気味に揺れ動きながらも、瓦解などの杞憂は感じさせない。
盤石な組成はまもなく完成に至るようだ。
「……っ! いっけぇ……!」
最後の一押しをするように一層の力をこめ、エリスの瞳は再び的を射貫く。
直後に発射された光弾は杖から鎧までを一直線に貫き、鎧の持つ盾に砕け散った。
おぉ、と歓声らしきどよめきが波打つ。
誇らしげに頷くフォンホルン先生を余所に、ナーバ先生はフンと鼻を鳴らした。
「十八分と三秒……か。最近の中では、なかなか悪くないじゃないか」
「あ、ありがとうございます」
息も絶え絶えに、エリスは杖から離れる。
やはり二十分にも迫る集中状態は疲労もそれなりのようだ。
「エリス、お疲れ様。頑張ったな!」
「アレスくん。見ていて、くれましたか」
「もちろん。最高に勇気づけられたよ、ありがとう」
「あぁ、それなら」
良かった、と息を吐くように言って、エリスは嬉しそうに目を細める。
そこでようやく俺は彼女から達成感らしきものを感じ、ふと思った。
もしかして、陰っていた空気の中でも前に出て行ったのは、俺の不安を取り除こうと……?
……いや、それは自意識過剰が過ぎる。
俺が居なくたってエリスは前に進んだだろう。
その強さを彼女が持っているのはさっき知ったことじゃないか。
「それじゃ、次は俺が――」
行ってくる、と言おうとして、止まった。
不思議そうな顔でエリスが俺の視線を追う。
「あれは……誰でしょうか?」
集団からはぐれた場所。
黒い人影が静かに近づいてきていた。
その人物は出入り口の扉からこちらへ歩いてくる。
大した距離は無いはずだが、それでも黒く見えるのは頭から足までを一枚の外套ですっぽり覆っているからだ。
黒い外套は主を護るかのように、学園には似つかわしくない沈鬱な雰囲気を醸し出していた。
大口のフードの中で、小さく艶やかな唇が動く。
「……申し訳ありません。体調不良につき、遅れました」
透き通った声だった。
年若い女性特有の音の高さ、けれど落ち着きのある、上品な出で立ちを想起する凛々しさがある。
外套に覆われた姿では容姿など分かりもしないのに、声の持つ格別な麗しさは想像上の姿形を過剰に美化してしまう。
清廉な印象に一切の疑念を持たせない。
一種の催眠めいた声だった。
「――」
「……」
格好と声のちぐはぐさに、俺たちはしばし何も言えない。
向こうも沈黙している。そもそも何かを言うつもりも無いようだ。
全員が固まる中、最初に彼女を迎え入れたのはフォンホルン先生だった。
「ルーシー・シクライルさんですね。聞いていたより早い回復でしたが……?」
「今回は偶々……。この時間なら先生のおっしゃった途中参加にも間に合うと踏んだのですが」
「ええ、それは勿論。実技内容については説明しましたね」
フードの中で短く頷き、ルーシー・シクライルと呼ばれた彼女は前に出る。
魔法杖に手をかざし、唇が何かを唱えた。
呼応した杖は眩しいくらいに白く輝き、どこからか吹き上がる風に外套がはためく。
強烈な光と向かい風に、俺は自分の目を手で覆い守る。
エリスも非常に驚いた様子で、それでもなんとか視界に収めようと苦心していた。
「《スキャン》を使っただけで、こんな……!?」
「使ってる魔力が多すぎて吹き出てるんだ。……そういえば、前にもこんなこと」
こんなことが、あったような。
そんな曖昧な既視感を覚えたとき、ルーシー・シクライルの被っているフードが一際大きく跳ね上がり、素顔が一瞬だけ見えた。
声に並び立つ端正な顔立ち。
あどけなさを残しつつも、大人びた青い瞳。
光にも風にも動じない、極めて冷静な表情。
――思い出した。
医務室の記憶と魔法学園の入学試験の記憶、そして今。一本の線としてピンと繋がった。
俺はルーシー・シクライルという少女を既に知っている。
医務室で音もなく眠っていた少女。
そして、魔法学園の入学試験で行った魔力測定のとき、水晶に眩い光を灯して何事もなかったような顔で去っていったあの少女だ。
「あの子、入学試験で見たことある。魔力測定用の水晶を今くらい光らせてたよ。魔力量はお墨付きみたいなものだ」
「ええっ!? ……でも確かに、それは納得せざるを得ないといいますか。ちなみに、アレスくんはどうだったのですか?」
「いや、俺は……なんというか…………砕けた……」
……唖然としたエリスの顔に心から同意を示したい。
俺でも『なんだそりゃ』な感じだし……。
そんな話をしている間に、杖の光が弱々しくなっていく。
光が一点に収束され、向かい合う鎧へと飛び去った。
細く、しかし確かな密度を秘めた光は流星の軌跡を刻みながら、鎧そのものを大きくのけ反らせる。
早い。
速い。
《スキャン》を始めてから五分とかかっていない。
にもかかわらず通常の魔力弾と同等の威力、速度を確立させていた。
本人の技量もさることながら、力押しを可能とする魔力量にはやはり目を見張るものがある。
入学試験のときから周りの目を奪っていたんだ。流石としか言いようがない。
実際、今回も周囲を騒がしくしている。
生徒はもちろんのこと、フォンホルン先生も感嘆するように目を瞬いていた。
ナーバ先生も表情こそ変えていないが、つまらなそうな様子ではない。
「……なるほど。魔力の扱いはお粗末だが、御しきれている分は加点ものだな。鍛え方によっては上位魔術師にも届くだろう」
「……ありがとうございます。精進します」
二人の応酬にざわめきが一段と勢いを増した。
「お、おい。今の聞いたか」
「上位魔術師が、自分と同じところに来れるって。普通、僕らの年で言われることじゃなくない?」
「いやまぁ、どう見ても凄かったもんな。魔力の扱いが云々って、こっちはそれどころじゃないのにさ」
「ねぇねぇ、さっき一瞬だけ顔見えたんだけど、すっごいキレイだったの分かった?」
「うん。顔も綺麗、声も綺麗、上位魔術師に褒められてもあんなに落ち着いてて。同級生でも憧れ止まらないよね……」
「最後の最後でこんなこと起きるなんて思わなかったなぁ……」
……あれ。ちょっと待ってくれ。
なんか、勝手に終わっていないか?
「さて。これで諸君も己が実力を痛感できたことだろう。この経験を糧とするか膿とするかは君次第だ。では、私は次の歓迎準備があるので直ちに――――」
「ちょ、ちょっと待った! あの、俺まだやってません」
「何、本当かね農夫くん」
ヘンなあだ名を付けられている。
「アレス・ウォルターです」
「む、その名……。君か、入学試験で散々やったのは。…………推薦者を担任につけるとは、徹底した保護態勢のようだ」
あらぬ疑いをかけられている。
「まぁ、いいだろう。しかし妙だ。この私が見落とすとはどういう了見で……?」
「あぁ、それは俺が《ヴェール》を使っていたからですね」
「認識阻害……だと……?」
「すみません。友達が頑張ってるところから目を離したくなくて」
《ヴェール》は視覚でも聴覚でも勘でも、周囲からの認識に妨害を行う魔法だ。似た魔法に、対象に認識不良を発生させる《ダークネス》がある。
相手の弱体化が目的であれば《ダークネス》、自己の防衛が目的であれば《ヴェール》と、自分の中では使い分けている。
もしエリスが実技に取り組んでいる最中で呼ばれてしまったら、エリスの奮闘を見届けられないかもしれない。
そう思い、エリスが《スキャン》を始める前にこっそり使っていたのだ。大勢の人がいる中で《ヴェール》を纏っておけば、派手なことをしない限りは目立たない。
今回は視覚のみをぼやかせば良かったので、やりやすい部類だった。気配の察知に優れている動物の場合は二、三層は重ねておかないといけないのが辛いところである。
といったワケでエリスの完遂を確認した時点で認識阻害の外套は剝がしていたのだが、そのまま気づかれなかったのはちょっとだけショックである。
自分の影の薄さを証明してしまった切なさというか。わざわざ使わなくてもよかったのではと、現在自問中。
その最中、くぐもった笑い声が聞こえた。
見ると、目の前の男性が片頬を引き攣らせている。
「……ふ、ふふふ。この宮廷上位魔術師である私に《ヴェール》……授業中に《ヴェール》……指名を避けるためだけに《ヴェール》……しかもこの私が気づかない《ヴェール》を私が気づかない間に《ヴェール》……」
どうしたのだろう。ナーバ先生の様子がおかしい。
何やら唄らしきものを口ずさんでいる。気品ある出で立ちからして音楽に馴染みがあっても不思議ではないが、まさか演奏側の立場にいるとは。
人間、見かけによらないものだ。
「ウォルターくん。君は推薦を受け、また試験においても合格という結果を出した」
「は、はい。ありがとうございます……?」
「ならば示してみせたまえ。君の持つ実力を、この私自ら見定めてやろう」
ナーバ先生は直立した杖のうち、最も近い位置にある一本に手を伸ばす。
先生の位置からでは届かない距離にある杖。
しかし、先生が誘いこむように人差し指を曲げると、それはひとりでに床から飛び立って先生の手に納まった。
「……え」
「君の杖はこっちだ」
もう片方の手を俺に向かって振るう。
今度は俺に近い位置に立っていた杖が手元に飛んできた。
結果として俺とナーバ先生は同じ杖を持って対峙している。
『今ここに、戦いが始まる』みたいな、そんな構図が出来上がっている。らしい。
――――いや。
「「「ええええええええ!!??」」」
らしい、じゃないだろう!
何が、どうして、そうなる!?