上位魔術師の諦観
杖持ちを医務室に預け、俺たちは今度こそ教室に入ることができた。
担任教師が来るまでにかなりの時間の余裕があったおかげで、一応は間に合った形になっている。
……さて。邪魔するヤツも成敗したことだし、これでやっと念願の学園生活を送れるぞ……!
――と、思っていたのだが。
「ねぇ。あの人、噂の……」
「あんまり、そうは見えないけど……」
「……あんなのが? マジで……?」
「いやでも実際――って、やば。目合った……!」
……めちゃくちゃ見られてる。
しかも目逸らされた。
エリスが労るようにこちらを窺う。
「アレスくん、大丈夫ですか……?」
「……ノーコメントで」
どう言えば良いのやら。
そんなことしか言えません。
きっと悪気は無いのでしょう、きっと。
ただ、背面集中は肌に悪い……むず痒い……。
「やっぱり、ヴォイドの……?」
「おそらく。決闘のことがかなり賑わっていましたし」
「問題児懲らしめただけなんだけどなぁ……」
教室に入った途端に、こんな視線が一斉に。
せっかくだからと教壇に最も近い前側の席についたことが災いし、ここぞとばかりにグサグサと来ている。
……まあ、所詮は一時のものだろう。
明日明後日には収まっているはずだ。
それから少しして、教室は扉の音で静まり返った。
長い髪を揺らし、眼鏡の男が教壇に立つ。
「あ――――!」
「お待たせしました。今日よりこのクラスを受け持つ、フロイド・フォンホルンです。これからよろしくお願いしますね」
穏やかな声が教室に行き届く。
広く見渡し、フォンホルン先生は最後に俺に目を向けた。
小さく頭を下げると、向こうも優しい微笑みを見せる。
ほぅ、と自分の口から安堵の息が漏れたのが分かった。
まさか、フォンホルン先生が担任だとは。
驚きやら嬉しいやらで、つい体に力が籠る。
自分を導いてくれた人の生徒になれたのだ。
活力ばかりが湧き出て、どうのしようもない。
「何人かの欠席は把握していますが、早速授業に移りたいと思います。まずは魔力操作の実技授業を」
早くも実技か。
漲る力を抑えるように、俺は強く拳を握った。
★★★★★
フォンホルン先生に連れられて、俺たちは屋内の訓練場に移動した。
石の床からは魔法杖が細木のように伸びており、その向こうには盾を構えた鎧が設置されている。
その組み合わせが二十近く揃えられていて、的当ての訓練場所であることは早々に察しがついた。
「来たようだな、ミスタ・フォンホルン。一分と十二秒の遅れだ」
トゲのある声は、一本の魔法杖のそばに立つ男のものだった。
「すみません、ナーバ先生」
「全く、こちらも暇じゃないのだがね。そも、ここを一年のしかも新学期に使わせること自体が反対なのだ。できない者多数、できる者少数かつ二、三の十分掛かる、その程度でしかない者をこの緻密で清廉な場に並べ置くことに何の意義があるのかと問わぬ日々は無いというのに、毎度毎度見せしめのように開かれるこの授業において当然の出来に然るべき不出来を二、三の時間見せられてため息つく他ない暇じゃない我々主に私のしがなく虚しい優越感の何たるかを知らないミスタ・フォンホルン、君だよ、のためにしかも最善の整備を整えた決して暇じゃない私の時間を一分と十二秒も無駄に――って、待て待て勝手に杖を触るんじゃないそこの白髪の君ィ!」
「あ、俺ですか」
「君以外誰がいる!? あと、引っこ抜こうとするな! その杖は農作物ではないのだぞ、農夫かね君は!」
怒られてしまった。
床に刺さっている杖なんて初めて見たので、興味が出て。
それにとても個人的な話をしていたから、今ならって思って、つい……。
「すみません。こういった物を見るの、初めてで」
「フン、最低限持ち合わせたその好奇心は評価してやらんでもないがね。さて、授業だ授業。ミスタ、説明を」
「こちらはアルル・ナーバ先生。高度の魔力操作を必要とする傀儡魔法、そのスペシャリストです。今回皆さんにはナーバ先生の監督の下、この魔法杖で構造把握と魔力操作の並行作業を行っていただきます」
傀儡魔法は、魔力の糸を巻きつかせて物の動きを操る魔法だ。
対象を自由自在に制御するものから、一瞬でも封じたり宙吊りにしたりするものまで、活用の幅は広い。
しかし強靭な糸を作るには魔力の編み方も工夫が必要で、糸の操作も意識しなければままならない。
俺も一応できなくはないのだが、その達人ともなると一体どれほどのものなのだろうか。
そんな疑問の答えは思うと同時に返ってきた。
「アルル・ナーバ……って、二年前のガラスホッパー氾濫で活躍した、宮廷上位魔術師じゃないか!」
興奮した声を上げたのは一人の男子生徒だった。
すると他の生徒たちも何かを思い出したように浮き立ち始め、輝いた目をナーバ先生に向ける。
やはりここでも情報の差があるのだろう。皆と違って俺にはいまいちピンと来ない。
けど、俺にも分かる言葉が一つあった。
「宮廷上位魔術師……ってことは、めちゃくちゃ優秀ってことじゃないか!」
「それはもう! ガラスホッパーは鋭い牙や羽を持ったバッタの魔物で、群れを成して農地や人を襲う凶悪さで知られています。二年前に南東の侯爵領に数千の大群が攻め込み、領地に甚大な被害が出るところだったのですが、間一髪でそれを阻止した討伐部隊の一人が、あのアルル・ナーバ先生です。聞いた話では、傀儡魔法で一匹一匹の動きを止めて領地に踏み入れさせなかったとか。上位にいることからも、紛れもない実力者であることは確かです」
「なるほどな。そりゃあ、あの沸きようも納得だ。魔術師の卵からしたら憧れの存在なんだから」
しかし、活気づく雰囲気を他所にナーバ先生は表情を変えない。
彫りの浅い顔立ちは未だに眉をひそめていて、つまらなそうな様子が見て取れる。
フォンホルン先生の説明が続く。
「こちらの魔法杖は内部が迷路構造となっていて、魔力弾を発射するには末端から先端に続く正しいルートで魔力を通さなくてはなりません。まずは構造把握魔法によりルートを見出します。十分の時間制限は設けますが、ナーバ先生の判断で延長や早めの打ち切りがなされることもあります。もちろん、最初なので失敗は当然です。今の自分がどのレベルにあるかの指標だと思ってください。それでは始めますが、その前にナーバ先生から一言お願いします」
「若者の良いところは些末なことで活力が湧くところだ。今の空気を維持したままこの贅沢な時間を終えるように。なに、期待はしていないので安心したまえ」
温かみのない即答は、前もって予定されたものだろうか。
皮肉を漂わせる笑みは、先のことを暗示するかのようだった。