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天使の涙

「多分、私信じちゃうと思います」

「―――え?」


 エリスは弱々しい笑顔で俺を肯定してくれた。それは想像もつかない言葉で、俺の心に纏わりついている不安を取り払った。予想外過ぎて、俺は自身が救われたことにすら気付くのに時間が掛かった状態だ。

 せっかく喉から出た声は困惑に染まっており、動いた口は精神的な衝撃でポカンと開いている。

 傍から見ると、かなり間の抜けた姿になってしまっているのだろう。だが、今は自分のことなどどうでもよく、感情は自分の姿よりも相手の言葉に向けられている。


「信じるって、なんで」


 自分の話は誰にも信じてもらえず、人を軽く笑わせるだけの冗談とされた。親ですらそうだったのだから、俺は皆同じだと思い込んでいた。

 だから、エリスが俺の荒唐無稽な話を信じると言ったときは嬉しかった。だが、俺にはその理由が分からない。エリスが嘘を吐くとは微塵も思わないが、彼女が何を以て俺の言葉を信じるのか、俺はどうしても気になった。

 困惑した状態で問いかける俺に対してエリスは平然としており、その態度に迷いは無いように感じる。


「だって、アレス君が嘘を吐いてるようには見えないんですもの。貴方があんなにも悲しい表情をしているのですから、きっとまだ何か誰にも言ってないことがあるのでしょう?」

「………それは」


 あるにはある。しかし、それを言って良いものか、悩ましい。

 俺が躊躇っていると、エリスは大きく一歩を踏み出し、無言でこちらの顔を覗き込んできた。突然迫ってきた顔にたじろぎ、俺は後ずさる。何も言わないエリスの真剣な表情は俺に言えと強いていて、俺には言うという選択肢しか提示されていないように感じられた。

 必死に目を泳がせた末、エリスに気圧された俺は抵抗を諦めることにした。ここまで詰め寄られたからにはもう話すしかないのだろう。エリスは誤魔化しは許さないと言わんばかりの目をしているし、そもそもエリスは俺を信じてくれた。だったら、俺も彼女を信じなければいけない。

 エリスはちゃんと俺という人間を見て、多少強引でも救いの手を差し伸べたのだ。だから、その手を取るのが俺の役目であり、エリスを信じるという気持ちの表れでもあるはずだ。


「分かった。話すよ。実は―――」


 俺は今まで隠していたことを話し始めた。自分だけに見え、感じ、そして誰にも理解されなかった世界の話を。

 説明にそう時間は要らず、俺の話を全て聞いたエリスは「そうだったんですね」と悲しそうな表情で頷き、俺に背を向けて空を仰いだ。

 エリスの金の髪が、風に揺れる。柔らかで涼しい風は俺達の空間を、時間と共に通り過ぎて行った。

 エリスの顔が見えないのでどんな表情をしているのか、俺には分からない。しかし、その背中には強い悲しさが含まれているように感じて、彼女の背中はいつもより小さく見えた。

 しばらく待っていると、エリスは微笑を浮かべた顔で振り向いた。その目は潤んで再び赤くなっており、頬には何かの液体が通った跡が見られる。


「泣いてた、のか?」

「はい。アレス君があんまりにも可哀想で、ちょっとうるっときちゃいました。変ですね、私」

「そんなことないさ。………俺のために、ありがとう」


 エリスが俺を信じてくれて、俺の話を聞いてくれて、俺のことを想って泣いてくれている。そこに不満などあるわけがなく、むしろ嬉しい。

 昔は話す度に苦しい思いをしていたのに、今は溜めこんでいたものが無くなって気持ちが軽くなっている。こうなったのは全てエリスのおかげだ。

 俺の心からの感謝を受けたエリスはふるふると首を横に振り、構わないといった動作をした。


「いいんです。これでアレス君が一人で抱え込むことが無くなるのなら、私は嬉しいです。………でも、他の人に信じてもらえないのはきっと仕方のないことです。私だって、アレス君のことを知らなかったら、きっと半信半疑だったと思いますよ」

「………それでも半分は信じてくれるんだな」

「私、すぐ人を信じちゃう性格なので。だから、騙されやすいんです。さっきだってアゾスタに欺かれたばかりですし、私は本当に駄目な人間です。……ああもう、思い出すだけで涙が………」


 俺がヴォイドのゴーレムに潰されかけたときの光景を思い出したのかもしれない。

 エリスは自嘲し、自らの目に手を伸ばそうとする。それよりも速く動いた俺はエリスに近寄り、彼女の目に指を差し出した。そして、そっとエリスの目尻に溜まった涙を拭い取る。

 突然の俺の行動に驚いたのか、エリスの動きが止まり、目が見開かれた。エリスの瞳を見つめた俺は、彼女に激励の言葉をかける。


「エリスはそのままで良いんだ。というか、そのままでいてほしい。優しくて純粋なエリスのことを、俺は好きになったんだから」

「へ……?」


 エリスの長所は、優しくて人を信頼できる性格だと俺は思う。心が広く他者を尊重できる人間であることは今までの会話から分かるし、虐げられている人のために自ら助けに入るその姿勢は、伝説の種族と言われている天使を連想させる。

 要するに、エリスは超が付くほどの善人なのだ。だからこそ、俺はエリスに好感が持てるし、理由も無く人を疑ったり自分を卑下するような人間にはなってほしくないとも思う。悪いのは騙される人間ではなく、騙す人間なのだから。エリスに何かあったときは俺も含めた周りの人達が助ければ良いので、エリスには自分らしく生きてほしい。


 そんな気持ちを込めてエリスを励ましたのだが、最後の部分を聞いた辺りからエリスは何故か再び顔を赤くし始めてしまった。少しだけエリスが遠ざかり、チラチラとこちらを見ては、やはり両手で顔を覆う始末。

 先程の重い雰囲気が戻って来たことを感じつつ、またかと俺は心の中で頭を抱えた。前回は理由が分からずじまいに終わってしまったが、本日二度目のこの状況は俺自身が原因である可能性が高い。

 だが、今回は自分が何をやらかしたのかさっぱり分からない。しかし、このまま黙っているわけにもいかないので、取り敢えず俺は恐る恐る、今回も湯気が立っている(ように見える)エリスに休憩を促すことにした。


「エリス、大丈夫か? 一旦休んだ方が……」

「だ、大丈夫、です。それよりも、あの。好きっていうのは、………本当に?」


 目を合わせようとしないエリスは、もじもじしながらそんなことを訊いてきた。俺の好意が真かどうかを知りたいらしい。

 俺にとっては問われるまでもないことであり、答えることに何の弊害も不都合もない。


「ああ、本当だ。エリスのことが好きだから、俺は友達になりたいと思ったんだ」

「だ、だったら、その先まで考えてる……とか?」

「ああ、勿論だ。それが、俺の夢、その更に向こう側だからな」

「そ、そうなんですね。でも私、心の準備がまだというか」

「それで構わない。俺達にはまだ経験が足りないからな。だが、それを積み重ねることで俺達の友情はより強い絆へと進化するはずだ……!」

「そ、そうですね。………あれ? 何かおかしくないですか?」

「ん、そうか?」


 俺の熱弁に相槌を打ってくれたエリスだったが、どこかで違和感を感じたのか、首を傾げた。しかし、俺にはそれを感じることができない。

 よくよく考えてみたらそんな気がするような、しないような。俺はそんな曖昧な感覚を覚え、変になったらしい会話を思い出す。

 より強い絆、経験、心の準備、向こう側、その先、好きになった。

 ………何か、ズレてる。この状況、間違っているというより嚙み合っていない、の方が正しいか?

 もしそうなら、誤ったのはどこからなのか、確かめないと。まずは最初からだな。まさか最初から違っていたなんてオチはないと思いたいが……。


「エリス。俺達何について話してたっけ?」

「え、それは―――」

「親友、だよな」

「恋人、ですよね」


 同時に発した声が見事にすれ違い、俺達の間を静寂が支配する。

 エリスは思いがけない事態に目を丸くしている。多分、俺も似たような顔になっているだろう。

 例えば初めから間違っていたとして、俺はきっとそのことに驚き、その可能性を否定していた自分に呆れていただろう。そして、ただの間違いならば笑って過ごしていたはずだ。

 しかし、まさかの事態が起こったことよりも俺が驚いたのは、エリスが言った話題だ。

 まだ赤い顔を驚きに染めて慌てふためいているエリスに、俺は何故という疑問に駆られて尋ねた。


「………エリス、なんでそんな話になったんだ?」

「だ、だってアレス君、私のこと好きって………」

「言ったけど、あれは友達としての感情であって、恋愛感情じゃないんだ」

「え、う、嘘……。じゃあ私、凄い勘違いを………」


 エリスはそう呟いて俯くと、顔を更に赤くしてしまった。耳まで真っ赤になっているので、流石にこれ以上赤くなることはないだろうけど……って、今はそんなことを考えている場合ではない。

 恋愛関係の勘違いが恥ずかしいことは田舎出身の俺でも分かる。今はとにかくエリスのフォローに回らなくては。


「し、仕方ないって。誰でもそういう勘違いあるだろうし。俺は全然気にしてないからさ!」

「き、気にしてないって何ですかぁ! ちょっとは気にしてください! アレス君が紛らわしい言い方するからこうなったんじゃないですか! 反省してください! 今すっごく恥ずかしいんですから、私!」

「う―――」


 俺のフォローを跳ね除け、エリスは凄い剣幕で反論する。彼女の正論が突き刺さり、俺は呻き声を上げた。

 確かにエリスの言う通りである。元は俺が勘違いさせてしまう言動をしたのが原因だ。そのせいでエリスが恥ずかしい思いをしているのだから、気にしないという言葉は俺にとっては良い意味になっても、エリスにとってはただの無責任な言葉に相違ない。

 他に良いフォローが思い浮かばず、選択肢を一つに絞られた俺は姿勢を正し、勢い良く頭を下げた。今の俺にできることは、心からの謝罪、それのみだった。


「ごめんなさい! こんな俺を赦してくださると幸いです!」

「……むぅ。そんな風に謝られると、私が悪者になっちゃうじゃないですか。………もう。分かりました。今回は特別に赦してあげます。だから顔を上げてください、アレス君」

「ああ、本当にありがとう。これからは気を付けるよ。………そういえば、俺のこと君付けになったんだな」

「え?」


 ビンタを食らった辺りから呼び方が変わっていたことに気付いたのだが、言うタイミングをうっかり逃し続けていた。

 敢えて変えているのかと思ったが、エリスが驚いた様子で口元に手をやるのを見る限り、本人も意識していなかったのだろう。


「言われてみれば確かに。元に戻した方が良いですよね」

「いや、嫌じゃないならそのままにしてくれないか? さん付けよりもそっちの方が俺は良い」

「………分かりました。なら、このままで。―――あの、アレス君」

「ん?」

「私のことそのままで良いって言ってくれたの、嬉しかったです。………ありがとうございます」


 エリスはそう言って、花が咲き誇ったような笑顔を見せる。本当に嬉しそうで、裏の無い無邪気な表情。その美しさに俺は見惚れると同時に、俺の気持ちは伝わってくれたのだと思った。

 証拠は無く、ただの直感だ。だが、それを大事にしていくべきだと、俺は考える。きっと、それが人を信じることにも繋がるはずなのだから。


「………ああ、いいんだ。あ、訊き忘れてたけどさ。ヴォイドがエリスに俺の身代わりになれって言ったとき、エリスはどうするつもりだったんだ?」


 ヴォイドは何故かエリスが言うことを聞くと疑わなかったが、実際どうだったのか。もし従うつもりだったのなら、危ない目に遭わせるところだったので、それについても謝らなくてはならないのだが………。

 問われたエリスは、ああと思い出したような声を出すと、ムッと眉を寄せた。


「聞くわけないじゃないですか、あんな下心丸出しな要求。向こうは勝手に、従うって結論出してたみたいですけど」

「でも、決闘のルールを破ったってヴォイドは言いふらすつもりだったぞ。原因作った俺が言うのもあれだけどさ、滅茶苦茶な言いがかりだとしても、決闘のルール破るのって結構マズいんだろ?」

「そのときはどんな汚名を着せられても絶対に抗います。アレス君が私のために戦ってくれたのですから、私は私自身を永遠に守り抜かなければならないんです。アゾスタの言いなりになんて、なってやるものですか」


 エリスはふんと鼻を鳴らし、自信満々にそう言い放つ。俺はそんなエリスに少し驚きながらもそれに納得し、意識せずに笑みを零した。

 人の間違いに抗うエリスが間違った人間に簡単に屈しないのは、何とも彼女らしい話だ。それに、俺の気持ちを汲み取ってくれていることも嬉しい。


「………そっか。エリスも案外頑固なんだな」

「む。それ、褒めてます?」

「ああ勿論。―――君は俺が思ってる以上に強い人だよ」

「そ、そうですか。………えへへ」

「気配を隠すのも上手いしな。多分後ろから狙われても気付かない」

「………そこは余分だと思いますよ」


 ありゃ失敗。どうやら良かれと思った最後の一言が余計だったようです。

 エリスは凄いと褒めたつもりなんだけどなぁ。いつ如何なるときも油断は禁物らしい。

 注意しないとな。これからの学園生活、友達作りにもコミュニケーション能力は必要不可欠なのだから。


「褒めてたんだけど、気に障ったなら謝るよ。ごめん」


 俺が手を合わせて謝罪の意を示すと、俺を叱るように睨んでいたエリスは一度大きくため息を吐いた。


「そういうわけではないのですが。私、アレス君と戦っても勝てる自信がありませんよ?」

「……やけに確信めいてるな」

「アレス君と私の魔法のレベルが段違いというか、アレス君が異常すぎるんです。正直、あり得ないことだらけでパニックだったんですよ」

「?」


 エリスの言っていることはよく分からない。


 俺が、異常?


 そんなはずはない。俺は普通の人間だ。

 確かに、俺だけが見たり感じたりできることはあるし、ちょっと珍しい魔法を使うこともできる。だが、あくまでそれだけだ。俺だって魔法を失敗したことがあるし、習得に時間がかかった魔法もある。

 フォンホルン先生に褒めてもらったことはあるが、あれは少々言い過ぎなところがある。魔法にはある程度の自信があっても、先生の言葉をそのまま鵜呑みにできるほどのものではない。

 そんな俺の一体どこが、エリスを驚かせているのか。


「本当に、気付いてないんですね。まぁ、いいでしょう」


 エリスはぷいと、俺から見えないように顔を背けた。怒っている雰囲気は感じないので、俺の察しがいまいち良くないことを気にしているのではないと思いたい。

 しかし、それでは顔を背ける理由が分からずじまいだ。特に意味はないという考えもある。だが。


「それが分かるときが、………いつか来てしまうのですから」


 俺には、どうしても何かあるようにしか思えなかった。

 しかし、何も知らない今の俺にはどうすることもできない。彼女の静かな声にどんな気持ちが込められているのか、察することができない。きっと訊いても、答えてくれないだろう。俺にできることといえば、ただ彼女の望むままに誘導されて従うことのみ。

 エリスはいつも通りの柔らかな笑顔で振り向いた。さっきの声とはあまりにも似つかわしくないその表情に、俺は驚かされる。しかし、俺にはその笑顔がとても良く馴染んで見えたので、違和感はすぐに打ち消された。


「それじゃ、教室に向かいましょうか」

「………ああ、そうだな。………あ」

「どうかしましたか?」


 校舎へ足を向けたエリスだったが、俺から零れた声に振り返った。

 平穏を阻む障害を追い出した今、本当ならば俺もエリスも気持ちを切り替えて教室に向かうはずだった。

 しかし、その前に行かなければならない場所が一つ。

 俺はうなだれたまま、ある場所を指差した。エリスもそちらへ目をやり、それに気付いた後、ばつが悪そうに苦笑いする。

 指の先には地面に倒れ伏している男――気絶している杖持ちの姿があった。


「まずは医務室に行かないとな」

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― 新着の感想 ―
[一言] いや〜面白いです。この手の話は大好きですわ。しばらく更新止まってるようですが気長に待ちます。
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