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安堵故の叱責、孤独故の失言

「なっ――、エリス………?」


 戸惑いで声が漏れる。自分が何をされたのか、理解できたが理解できなかった。

 そっと左頬に触れると、そこがじんじんと熱を帯びているのを感じる。

 つまるところ、俺はエリスにビンタされた。それが理解できたこと。理解できなかったことは、何故俺がビンタを食らったのかということだった。

 俺には理由が分からなかった。さっきまで応援されていて、たった今勝利を喜び合ったばかりだというのに、何の前触れもなく突然のビンタだ。あまりにも意味が分からなくて、ほんの少しだけ反抗心が湧く。

 頬の熱さを、ぶれる視界を、唐突だった衝撃を、その理不尽を、俺は鬱陶しく感じた。


「今のは一体―――」

「アレス君こそ、何のつもりだったんですか」


 エリスの行動に文句を言おうとしたが、俺の言葉はエリスの質問にばっさりと斬り捨てられる。俺の都合なんてどうでもいい、みたいな言い方で、それも気に食わなかった。

 それはこっちの台詞だ。そう言い返そうとして顔を上げる。そのとき、エリスの顔を見た。見てしまった。

 俺の目に映ったのは、彼女の今にも泣きそうな顔だった。目は赤く充血していて、目尻にはうっすらと涙が溜まっている。唇はキュッと引き結ばれており、肩は僅かながらもぷるぷると震えていた。怒りと安堵が入り混じった、そんな表情をエリスはしている。


「………死んでしまったと思ったんです。私は間違っていないって、アレス君は言ってくれました。でも、貴方がゴーレムに潰されたのを見て、やっぱり私は間違っていたんだと、私のせいだと、短い間でもすごく後悔しました。だから、貴方が無事で本当に良かったと思います。けれど、もうあんなことをしないでほしいとも思っています。どうしても心配しちゃうんです。お願いですから、勝手に消えてしまうのはやめてください。残された人のことも考えてください。もうあんな思い、したくないんです……!」

「―――――」


 身体から湧いていた暗い感情が消えていく。

 今の俺は、そんなものを持つべき人間ではない。ぶたれた理由なんて一つしかなかった。俺がそれに気付けなかっただけで、それは確かにそこにあった。


 ………俺は、なんて馬鹿だったのか。自分のことばっかりでエリスの気持ちを考えてやれなかった。ヴォイドを倒すのだって、他にやりようがあったはずだ。それなのに、エリスに心配かけて、そのくせ自分だけスッキリして、なんて自分勝手な人間なんだ。そのせいでエリスにこんなことをさせてしまった。人の気持ちを考えない人間なんて、それこそヴォイドと同じじゃないか。


 理不尽だったのは一体どちらだったのか。せめてでも俺は姿を現したあのとき、エリスに言うべきだったのだ。心配かけてごめん、と。

 それを怠っておいて、ぶたれるのは理不尽だなんて、本当にふざけている。


「ごめん、エリス。俺、自分勝手だった。………そうだよな。いくら嘘だったとしても、いきなり友達に死なれたら嫌だもんな。なんで気にしなかったんだろうな、俺」

「じゃあ、もう二度としないと誓えますか?」

「ああ勿論だ。絶対にしない。この世界の赤ちゃんからお年寄りまで、全員に誓える」


 俺を心配して気にかけてくれる、大切な友のために身勝手は控えなければいけない。

 そう決意し、はっきりとその気持ちを口にした。すると、エリスは少し大袈裟に驚いた様子で、おぉと感嘆の声を上げる。

 彼女の目は赤くなったままだが、いつものエリスに戻ってくれたようだ。


「アゾスタと違って潔いですね。流石、アレス君。すごい決意が窺えます」

「理解してもらえたようで何よりです、お嬢様」

「もう、何言ってるんですか」


 俺がおどけた調子で恭しく頭を下げると、エリスが吹き出し、笑いながらツッコミを入れた。

 俺達の空間に笑いが広がるのを感じ、俺は胸を撫で下ろした。エリスの優しさが身に染みて、とても心地良い。

 きっと、これが俺の求めていたもののはずだ。心配してくれて、笑い合える人がいる。この、何物にも代え難い出会い。何度も実感していることだが、俺は本当に人に恵まれている。


「………そういえば、気付いてたんだな。ヴォイドが反省してないこと」

「もちろんです。あんな分かりやすい顔をしてるのですから、私でも気付きましたよ。流石に決闘を無かったことにするなんて愚行は犯さないと思いますし、学校も辞めるはずですけど」

「そうかなぁ。俺としては、アイツがここに来たこと自体が驚きだったよ。待ってる間、ヴォイドは来ないんじゃないかって、内心ひやひやしてた」

「決闘のルールの重要性はアレス君が思っている以上に高いんです。決闘で決められたことは絶対。適当な口約束と一緒にしてはいけせんよ」

「へぇ、そうなのか」


 俺の故郷には決闘は名前と大まかな内容しか伝わっていなかったので、その強制力については何も知らなかった。

 ロナさんと戦った際も、ロナさんが真面目そうな人間だから勝った場合の要求を吞んでくれるだろうと思い、決闘にどれほどの強制力があるか考えもしなかった。

 だから、ヴォイドのことにも不安を抱えてしまう羽目になったのだが………。


「じゃあ、俺の心配は………」

「………あはは。全くの杞憂ってことになっちゃいますね」

「そうなのか………」


 俺の無知を誤魔化そうとエリスは小さく和やかな笑いを含めて教えてくれるが、全くという言葉を付け加えてしまう辺り、それが彼女の素直な感想なのだろう。なんだか嬉しいような悲しいような、そんな複雑な気持ちになってきた。

 心配するほどのことではなかったということだが、そうなると、ヴォイドが来なかった場合を考えていたあの時間は無駄だったということにもなる。杞憂、という言葉があまりにも似合っている気がして、何も知らなかった自分がバカみたいに思えてきた。


 ………いや、こんなときこそ前向きになるべきだ。あの時間は良い時間潰しになってくれたと考えよう。ただ十五分待ち続けるのは退屈だし、戦いに備えて緊張感を高めておくのは大事だ。そう考えれば、無駄になったわけではない。ものは考えようなのだ。


 そう結論付け、自らの落ち込みを追い出すようにかぶりを振る。そのとき、エリスからまじまじとした視線を感じた。


「………?」

「………」


 視線の先は俺の顔、更に言ってしまえば俺の目に向けられている。

 特に気に障ったわけではないのだが、なんとなく仕返しをしようと考えてしまい、こちらもエリスの金の瞳を覗き込んだ。しかし、エリスは更に俺との距離を詰めてくる。

 そちらがそう来るならばと、俺もエリスに更に近付いた。息がかかりそうなほどの至近距離で繰り広げられる見つめ合いが、互いの声が発せられることもなく続けられる。

 しばらくそのままでいたのだが、自分でも何してるのかよく分からなくなってきた。この行動に意味があるとは思えないし、エリスの意図も全く分からない。なので、そろそろ声をかけようと俺は決めた。


「………エリス、何かあったのか?」

「………え? あ――、え、えぇ!?」


 俺に声をかけられてようやく我に返ったエリスは、少しの間身体を硬直させた後、目を飛び出そうなくらい見開いて、慌てたように後ろへ下がった。

 《ライトニング》を使ったわけでもないのに、その速さと瞬発力は素晴らしいものだった。そんなに慌てる要素は一体何だったのかは分からないが。

 エリスが両手で隠す顔は真っ赤に色づいており、幻視かもしれないが頭からは湯気が立っているようにも見える。


「ア、アレス君。私達、何してましたか……?」

「? 互いに見つめ合ってただけだけど、至近距離で」

「き、きす、とか、してないですよね……?」

「いや、してない」

「………本当ですか?」


 俺がああと頷くと、エリスは安心した様子でほっと息を吐く。顔が赤くなっていたので、恐らく彼女の心に何かあったのだと思うが、それが何なのかまでは予想できなかった。

 エリスは少し落ち着いたようだが、もう一度俺と目が合うと再び顔を赤くし、視線を逸らす。………多分嫌われているわけではないと思うのだが、その反応が何に対する反応なのかはやはり分からない。


「……………」

「……………」


 謎の沈黙が続く。

 黙らなければいけない理由なんて無いはずだが、何故か話し辛い雰囲気になっていることは感じ取れた。何か話そうにも話の話題が見つからない上に、エリスとも目が合ったり合わなかったりで何だか落ち着かない。

 非常事態が起きたわけでもないのに、何故こんな空気になってしまったのだろうか、考えてみる。

 確か、お互いの顔が近づいていたことにエリスが気付き、彼女が何故か顔を赤くし始めてからこんな雰囲気になってしまったはずだ。

 今も雰囲気は重い。だが、とりあえず思い返してみたおかげでこの空気を壊す話題が見つかってくれた。俺もそうだが、エリスもこのままではどうにもならないと分かっているはずだ。このもどかしい空気もそろそろ終わりにしよう。


「なあ、エリス」

「!? は、はい。何でひょうか、アレス君」


 噛んだな、今。少し面白かったが、そこには触れないでおこう。今のところは。


「いや、大した質問じゃないんだけど、なんで俺の顔を凝視してたのかなって。俺の顔、なんか付いてた?」

「――ああ、そっちでしたか」


 俺の質問に、エリスは安心したように息を吐く。それと同時に、俺達を取り巻く空気が軽くなったことを感じた。

 しかし、俺はエリスの言葉が少し気になった。そっちとは、他にも尋ねられることがあったということを意味するようにも思われる。俺が気付いていないだけで、まだおかしな部分があったのだろうか?

 一応記憶に留めておこう。そう考えた俺を見つめながら、エリスは自分の瞳を指差した。


「アレス君、目が違うなって思ったんです」

「眼? 普通の金の眼だけど」

「そうではなくて、目つきが違うんです。いつもは優しそうな目なのに、戦うときになるとキリッとした目になるというか……。別人みたいな変化に、私すごく驚いたんです」

「……そうなんだ。全然意識してないんだけどなぁ」


 エリスから意外なことを聞き、おもむろに目に触れる。

 まさか自分にそんな特徴があるとは、全く思わなかった。もしかすると、戦闘時に意識を研ぎ澄ましているときに、それに連動して変化するのかもしれない。そんな分かりやすい変化が起きる人間なんて、俺ぐらいしかいないだろうけど。

 あと、そんなことは初めて言われた。俺が戦っているところを見る人は今までに何人もいたが、そこに触れる人は誰もいなかった。ロナさんと決闘をしたときは周りに三十人以上はいたと思うが、それでもだ。まぁ、皆が俺の顔に注目する理由は全く無いので、それも当然なのかもしれない。逆に言えば、そこに気付いたエリスの方が珍しいのだろう。

 だが、さっきの出来事で驚いたのはエリスだけではない。


「でも、エリスだって他の人とは違うところがあるぞ」

「そうですか?」

「ああ。エリスが俺をビンタしたとき、その気配を全く感じなかったんだ。基本誰かに攻撃されるときは、攻撃されるって直感が働くんだけど、エリスのときはそれがなかった」


 魔物でも人間でも、狙われたらそれを感じることができる。魔力を無意識に知覚できるので、その感覚が応用されていると俺は思っている。

 どんなものにも魔力が宿っているので、それを知覚することでそれが視界の外にいても、俺はその存在を感じ取ることができる。だから、戦闘のときは大いに役立つし、日常生活でも常に危険を察知してくれる能力として働いてくれる。

 魔力を見ることもできるが、それは魔眼ではないと思う。魔眼は見えないものを見えるようにするが、俺の場合は元から見えていたからだ。それでは魔眼の定義に合わない。


 まぁ、気配察知ならまだしも、魔力感知の方は過敏になって少々邪魔なので、そっちの感覚は鈍らせているのだが。


 ともかく、俺には危機察知の力があり、かなりの自信があった。だからこそ、エリスにビンタされたのは危機察知の面でも予想外の出来事だった。

 なので、エリスにもその凄さを理解してほしかったのだが、恐らく自らが成し遂げたことの素晴らしさを分かっていないのだろう。凄技を発揮した当の本人は怪しむような目で俺を見ている。俺を噓吐きか狂言者とでも言いたげなその視線、やめてほしい。


「ええー。本当ですか、それ」

「本当だよ。エリスには気配を殺す才能が―――」

「そっちではなくて、直感が働く、のところですよ」

「―――――」


 俺は、自分のミスを自覚した。

 忘れられない過去の記憶が告げる。


 お前は失敗した、と。


 ………エリスはもっと根本的な部分――俺の直感の存在を疑っている。ビンタを食らうという初めての経験で失念していたが、よくよく考えるとそれも当然の話だ。

 今のところ、このことを理解してくれる人はゼロに等しい。俺が魔力の存在を知った五歳の頃、親や村の大人達に魔力が見える、人の気配を感じ取れると言っても誰もまともに信じてくれず、子供の構ってほしい口実や想像で遊んでいる、そう思われていた。そして、俺が一年間周りに言い続けた結果、冗談好きはジョーカーという悪魔に攫われてしまう、なんて言われてしまい、俺はそのときに理解してしまったのだ。


 この景色は誰にも理解されない、自分だけのものなんだと。


 だから、俺は皆が見ているものと同じ景色を見たいと思って、魔力感知を鈍らせようと決意したんだ。結果としてそれは成功し、魔力が見えない世界を俺は手に入れた。時間はかかったが、それは俺にとってとても嬉しい出来事だった。

 けれど、俺は俺だけの景色が見えることを後悔したことはない。あの景色のおかげで、俺は素晴らしいものを見ることができるのだから。

 しかし、信じてもらえないという事実は少しだけ、心に重くのしかかる。ザウロおじさんには俺だけが見えている世界の話をしたことがないが、しようと決意できないのはそれが原因だ。


 やはり、エリスも信じてはくれないのだろうか。せめてエリスには、友達には信じてほしい。そう願う自分がいる。だが、仕方ないと割り切れる自分もいる。

 きっと信じてもらえなくても俺は何も変わらない。今まで通りに話すだけ。その心の中に、自分だけの世界の存在を押し込めて、口にしないよう抑えつけるだけ。それで何もかもが変わらずに廻り続ける。

 ………ならば、俺はそれで構わない。それは既に通った道だ。恐らくいつもの俺なら言葉を濁したりして誤魔化そうとするだろう。俺の言葉は冗談として処理されるが、それでいい。そうするのがどちらにとっても最良の選択のはずだ。

 それを話すとどうなるか、俺自身が体験しているのだから。

 なのに。


「―――本当だって言ったら、どうする?」


 俺はエリスに尋ねてしまっていた。


「――――!」


 言葉に表した後、己が何を言ったかすぐに気付き、口を押さえて後悔した。

 だが、そんなものは後の祭りだ。すぐに冗談だと言おうとしても、口が上手く動かず、声すら出ない。魔法に阻害されているのではない。俺の身体が俺の意思を拒絶し、エリスの答えを待ち望んでいるのだ。

 静かな沈黙が流れる。

 俺の問いを聞いたエリスは考え込むような動作で顎に手を当て、ほんの僅かに俯いた。それが俺を疑っているように見え、俺の胸の中に不安が渦巻く。たったの一秒すら長く感じてしまう空間の中、エリスがようやく顔を上げ、こちらをじっと見つめた。

 そして―――。

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