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インパクト・デストロイ

 地を叩き割る衝撃音と共にゴーレムの手の周りを大きな土煙が覆う。

 土煙で確認はできないが、恐らく地面には亀裂が入っているはずだ。ゴーレムが振り下ろした拳はそれほどに堅く、威力の高いものだった。

 普通の人間がまともに食らえばその身は地面と拳の間でペッチャンコ。そこに残っているのは僅かな血と肉片のみだろう。


「……ハッ、ハハハ、アハハハハハ!! どうだ、ざまあみろバカが! この俺を侮辱するからこうなるんだ!」


 目の前の光景に、ヴォイドは勝利を確信した。

 心の底から溢れ出る嗤いが止まらない。

 なんという、快感。

 身体中を駆け巡る心地良さと経験したことのない高揚がヴォイドを支配する。この感覚は才の無いカスを足蹴にしていたときにもなかったものだ。

 手下は役立たずだったが、今回はそれで良かったかもしれない。逃げた奴も気絶した奴も、今なら許してやれるだろう。


 ―――ああ、やはり俺は強い! 俺はこんな奴に負けてなんかいなかった! 俺は選ばれた人間なんだ!


 ヴォイドは勝利を噛み締め、己の価値と優位性を再確認し、危機が過ぎ去ったことに安堵した。

 自分と同じ選ばれた人間ならまだしも、名前も聞いたことのない村のただの農民風情には負けられない、負けてはいけない。

 ゴーレム使いのアゾスタがどこぞの一般人に負けるなんて、彼の家にとってはあってはならない出来事―――家の恥なのだから。


「―――そんな、嘘、でしょう? アレスさん? ―――ア、アレスさん!」


 突如、女の叫び声が聞こえる。

 そこには、もういない男の応援をしていた女、エリス・ミルリットの姿があった。エリスの顔は血の気が引いた真っ青な色になっており、それが益々ヴォイドの増長を後押しする。

 未だ地面に鎮座しているゴーレムの拳に駆け寄ろうとするエリスの前に、気分が最高潮に達しているヴォイドが邪魔をするように躍り出た。

 ニヤケ顔が張り付いているヴォイドを怒りで顔をしかめるエリスが鋭く睨むが、視線の先の人物はどこ吹く風でその嗤いに変化はない。


「そこをどきなさい、アゾスタ……! 早くアレスさんを医務室に運ばないと!」

「諦めろよミルリット。どうせ死んでるんだ。見ない方が良いっていうこの俺の忠告は聞いておくべきだと思うぜ?」

「卑怯なことをしておいて、よくもそんなこと………!」

「何だとぉ?」


 せっかく気を遣って忠告してやったのに、エリスは聞く耳を持たず、その上誤解を招く発言をしてきた。あまりにもわがままな物言いに、ご機嫌なヴォイドも流石に気を悪くする。

 自分に正義があるとでも言いたげなエリスを見て、彼は少女がどんな人間なのか思い出した。


 この女も本当にどうかしてしまっているカスだ。選ばれなかったからって勝手に嫉妬して勝手にひがんで、まるで選ばれた人間が間違っているかのようなことを息をするように吹聴して回っている。

 そして、周りの同じ選ばれなかった人間に「私はこの理不尽に反抗している良い子ですぅ」みたいなイメージを植え付け、高くなった自分の存在価値に酔っている偽善者だ。

 教室前では慈悲で敢えて本性を言わないでやったが、それに対する感謝もないことがこの女の性格を表している。

 中等部の二年のとき、格の違いをカスどもに教えてやろうとして、この女に何度邪魔されたか分からない。そのおかげで中等部の三年のときはあんな女ごときに警戒してなかなか手が出せなかった。


 ヴォイドはその記憶を思い出し、忌々し気に歯噛みした。

 だが今の状況を顧みて、再び口が嗤いに変わる。

 この場において、自分の立場が優位にあることを理解しているからだ。

 自分は勝者、相手は敗者。

 アレス・ウォルターが死んだという事実がある限り、この立場が揺らぐことはない。


「卑怯? 違う違う、それは大間違いだぜ。これも戦略、敵を欺くっていう戦いの基本さ」

「そんなわけが―――!」

「あるんだよ。大体、俺は話し合おうとは言っても、負けましたー、なんて一言も口にしてないからなあ。騙された奴が悪いんだよ、騙された奴が」

「そんな屁理屈が通じると、本気で思ってるんですか!?」

「どうだろうねぇ。ま、相手が死んじまったから、今更どうしようもないけどな」


 嗤い顔が治まらないヴォイドに軽くあしらわれ、エリスは苦虫を嚙み潰したような顔で押し黙った。

 今更どうしようもない。それはエリスも理解はしているらしい。

 だが、顔以外の取り柄がない馬鹿な女にできることは、せいぜいが負け犬の遠吠え。ヴォイドにとっては痛くも痒くもない些事である。

 彼は彼自身の行動に間違いを感じることはない。例えその行動がどんなに卑劣なものと言われても、それはヴォイドの中では戦略、作戦という言葉に変換される。その思想が幼少の頃から培われ、彼は今に至っている。

 それ故、己より立場や肩書が下の人間を貶めることを愉しむと共に、それと同じくらい、気に食わない人間の絶望もヴォイドの愉しみの要素の一つとなっていた。

 満足するまで嗤い愉しんだヴォイドは、最後にエリスに向けて尊大に口を開く。ヴォイドにとっての決闘が、終わろうとしていた。


「ああ忘れてたけどよ。あいつには俺が勝ったら一生言いなりになるって条件を出してたんだよな」

「………何が言いたいんですか」

「ウォルターが死んじまったから、誰かがペナルティを負わなきゃいけねぇよな」

「………私に、それをやれ、と……?」


 愕然とした表情でエリスがぽつりと呟く。エリスの反応に満足そうに、そして餌を前にした飼い犬のように、待ち焦がれた表情でヴォイドは頷いた。

 つい一時の感情でアレス・ウォルターを殺してしまったが、そのおかげで素晴らしい特典が付いてきた。自らを脅かす男を排除し、見た目は極上な女が自分に下る。

 ここまでの最高な一石二鳥にはそうお目にかかれないだろう。


「決闘のルールは絶対だ。ルールにないから適用されないんじゃない。ルールで禁止されてないから適用されるんだ。従わないなんて非常識なこと、しないよな? まあ、そんなことしたら、その事実が学校全体に知られる運命にあるんだけどな」

「………」


 勝負から逃げるのは敗北と同義、勝った相手の要求は呑まなければいけない。

 これは決闘における絶対の掟だ。ヴォイドの要求とあの田舎者の要求の帳尻があまりにも合っていなかったので、あの男がそれを理解していたかは分からない。しかし、既にこの戦いに勝利したと思っているヴォイドにとって、その疑問は構う必要のない問題になっている。


 彼が思案しているのは過去より未来の出来事だ。これだけ脅せば、エリスは自分の言うことを聞くだろう。ヴォイドにはそんな確信があった。

 周りの評価ばかり窺っている女なのだから、決闘から逃げたという事実をこの学校に知られるような行動をするわけがない。

 それ故に、彼女が自分の奴隷となることは絶対。

 そうなれば幾らでも一方的に彼女のことをなじり、貶め、見下すことができる。そんな状況、ヴォイドにとっては得しかない。

 エリスが自分に下ったときに何をしてやろうか、どんな罵声を浴びせてやろうか、想像するだけで身体が疼く。そんな疑似的快感をヴォイドは覚えた。


 黙りこくったままのエリスをヴォイドはじっと待つ。その内では、ヴォイドは己の妙案に陶酔していた。

 アレス・ウォルターを葬ったときもエリス・ミルリットを論破したときも、自画自賛できるほどに自分の頭は冴えわたっていたと、彼は信じて疑わない。


 自身を信じる心は、アレス・ウォルターもヴォイド・アゾスタも同じ。だが、その結末がそれぞれ違うものとなることは必然である。どんなに過程が美しくても醜くても、最後の締めくくりが無くては、いつまでも未完のままなのだ。


「そうだ。それで良い。ミルリット、お前は素直に俺の言うことを聞いてりゃいいんだ。学校なんて辞めて今すぐ俺の家に来い。お前のその身体、俺がじっくり弄んで――――」

「急いで作った屁理屈にしては上手だな。少し無茶が過ぎる気もするけど」

「何――!?」

「え――!?」


 突然の声に場が凍った。

 ヴォイドの顔から笑みが消え、彼の目が周囲を探り始める。エリスもあり得ない出来事に戸惑いの声が漏れた。

 何故なら、その声はもう二度と聞くことのできないものだと二人が思い込んでいたからだ。


「そんな馬鹿な。だって―――」


 奴はゴーレムに叩き潰されて死んだはずだ、と。

 勝利の光景を思い返し、先程の声が幻聴であることを祈ったヴォイドは振り下ろされたゴーレムの拳に目をやり、目を見張った。

 土煙が消え去ったそこには、亀裂の入った地面、ただそれだけ。血痕も無ければ肉片も無い。

 その状況は、まるであの不意打ちが相手に当たらなかったことを物語っているようで。非情にも、その光景とあの声がヴォイドの頭に現実というものを叩きこんだ。


「クソ、どこだ。どこなんだよ………!」


 懸命に目を横に働かせても男は見つからない。ヴォイドはそんな自分に苛立ち、同時に焦りを覚える。

 焦りの理由は自身でも分かるほど明瞭だった。

 自分は不意打ちで殺そうとした。だから同じように殺されても文句は言えない。

 その思考と、身体が凍えそうなほどの悪寒。それは自分が何者かに脅かされるという感情―――恐怖に等しかった。

 ヴォイドが必死で探す中、エリスが呆然と空を見上げているのが目に映る。そんなエリスを不思議に思いながらもその視線を追い、ヴォイドは目的の男をようやくその瞳に捉えた。

 そして理解する。必死に目を横に動かしていた己の愚かさを、その行動が如何に無意味で無様かを。


「な、んで……」


 ヴォイドが幾度探し回っても見つからなかったのは当然だった。彼は男が自分と同じ位置にいると勝手に思い込んでいた。

 だが事実は違う。男は上にいた。

 ヴォイドが意気揚々と造り出した土人形、ゴーレムの頭の上に、死んだとされていた男―――アレス・ウォルターは座っていたのだった。



 ☆☆☆



「な、んで……」


 ゴーレムBの頭に悠々と座っている俺を、ヴォイドとエリスは愕然とした表情で見上げる。

 彼等からすれば、俺がここにいることは死人が蘇ったことと同じなのかもしれない。確認もしていないのに勝手に人を殺したことにするのはちょっとひどい気がするが、そもそも俺がそうなるように仕向けたので、あまり二人のことは言えない。


「教えてやろうか? なんで俺が生きてるのか」

「もったいぶってんじゃねえ! 答えろ! お前は確かに死んだはずなのに、なんでなんだ……!」


 答えをちらつかせてみると、ヴォイドは悪夢でも見ているような顔で絞り出すように叫んだ。

 余分な言葉も、相手の精神を削る役割を持っていることがある。それはついさっき、ゴーレムを造ったときに学んだことだ。何回も使えるとは思っていなかったが、意外にも効果は十分らしい。

 今のヴォイドは目の前に人参をぶら下げた馬そのものなので、もう少し焦らせば更に彼の心を擦り減らすことができるだろう。そう考えたのだが、エリスも興味津々な瞳でこちらを見ていることに気付いた。

 表情は違えど、ヴォイドと同じくエリスも俺が生きている理由が気になるようだ。ヴォイドの精神を削るかエリスを納得させるか少し悩む。

 考えること約二秒、焦らしは諦めることにした。下衆に構うよりも友達を思いやる方が断然良いからだ。


「簡単な話だ。当たる寸前に《ワープ》をして、見えないようにゴーレムの頭に移動した。ただそれだけの話だよ」

「そ、そんなのあり得ねぇ! 転移魔法ってのは、最上級魔法と呼ばれる馬鹿みたいに難しい魔法なんだ! 最下位なんかに使えるわけがねぇんだよ!」

「え、そうなの? ………あ」


 しまった。せっかく悠然と構えていたのに、ヴォイドの言葉に殻を剝がされてしまった。

 だが今はそれよりも、ヴォイドの言葉の方が大事だ。《ワープ》が最上級魔法というのは本当なのだろうか?

 そういえば、魔法学園の入学試験で魔物討伐をやったときに試験管に《ワープ》のことを話して不思議がられたことがあるが、怪しまれたのはそれが原因だったのかもしれない。確かに見つけたのは偶然だし、使いこなすのは少し難しかった。

 しかし、根気よく練習すれば結果として表れる魔法の一例でもある。もしかして、魔術師は皆努力不足だったりするのか?

 いや、そんなことはないだろう。人は苦手なものより得意なものを極めたがる。だから、難しい転移魔法はあまり練習されなかったのかもしれないな。


「ハッ、ようやくボロを出したな。やっぱりお前は転移魔法なんて使えねぇんだ! この噓つきが!」


 一人考え事をしていると、ヴォイドは何を勘違いしたのか嬉しそうに俺を嘘つき呼ばわりしてきた。俺に嘘をついて殺そうとしてきた奴が何を言ってるんだ、という話だが、恐らくそんなことを言ってもヴォイドは聞いてはくれないのだろう。

 案の定エリスが、どの口が言っているのか、と言いたげにヴォイドを睨んでくれているが本人に気にする様子はない。むしろ俺を罵倒したことで気持ちに少し余裕が出来たようだ。

 あまり魔力の無駄遣いをしたくないのだが、無駄な自信はへし折らなければならないので致し方ない。


「《ワープ》」

「なっ……、消えた!?」


 転移魔法で瞬時にヴォイドの背後を取る。俺の姿を見失ったヴォイドはきょろきょろと首を動かして周りを探るが、背後の注意が疎かになっており、俺に気付く様子はない。

 驚いた顔をしているエリスに静かにするようジェスチャーで伝え、ヴォイドが後ろを振り向くのを息と気配を殺してじっと待つ。

 五秒が経ち、十秒が経ち、二十秒が経った。

 しかし、どんなに待ってもヴォイドは後ろを振り向かない。ずっと、ひたすらに前方の景色だけを視界に捉え続け、後ろに気を配る様子は皆無だった。


「クッソォ、どこ行った!?」

「ここだよ!!」

「うわぁ!!?」


 ヴォイドのあまりにも間の抜けた発言に、流石に堪忍袋の緒が切れてしまった。後ろからの大声にヴォイドはビクッと肩を震わせ、逃げるように俺から距離を取る。

 三十秒待った末、俺に気付いたきっかけは俺のツッコミという何とも情けない結果に終わり、俺は呆れ返るしかなかった。

 視野が狭いというか何というか、それ以前の話な気がする。


 前向きな性格なのは何よりだが、後ろを振り返るということも覚えるべきだと思うぞ。振り返りが無ければ、経験も反省も見つけることができないのだから。ついでに俺も。


「お、お前! 一体何の魔法を使いやがった!」

「いやだから、《ワープ》ってさっきから言ってるだろ………」

「そんなわけねぇだろうが! この俺にはお見通しだからな!」


 ヴォイドは俺に指を差し、自信満々にそう言い放った。ヴォイドのそんな態度に、俺はもはや言葉も出ない。


 ………本当に何なんだコイツ。もはやバカを通り越した存在になっているとしか思えない。ワイルドウルフでも力の差を感じることができるというのに、目の前の男は突きつけられた現実にすら目を背けている。


 コイツどう思う?

 そんなエリスに送ってみるが、エリスも呆れてものが言えなくなっている状態だった。ヴォイドを見る目が死んでしまっているので、言葉を出さずともそれが感じられる。

 目は口ほどに物を言う、という言葉は本当だったようだ。

 エリス自身、自分を貶めようとした人間がこんな奴で、内心ショックなのかもしれない。多分俺でもエリスみたいな顔になるだろう。


「おう、どうした!? ビビってんのか!? そりゃそうだよなぁ。お前の気持ちも分からんことはないぜ」

「……別に。もういいから早く戦おう。お前に構ってる時間がマジで無駄ってことに今更気付いたよ、俺」

「ハハッ、いいぜ。タネは分かんねぇが、この俺様の慧眼から逃れることはできねぇ。圧倒的な力の差ってもんを―――」


 慧眼なんて言葉を知っていたことに驚きがあるが、自分のことをそう言うのは更に衝撃だった。

 コイツの目はただの節穴でしかないと思うが、それを言葉として口に出すのは憚られた。彼にはある頼みを聞き入れてもらうために、上機嫌でいてほしいからだ。

 所々で本音が漏れてしまっていることには目を瞑ってほしい。


「それ、もう聞いた。―――条件追加だ。俺は三秒でそのゴーレムを破壊する。そこに直立してるソイツのことだ。できたら俺の勝ち、できなかったらお前の勝ちだ。その代わり、俺が勝ったら、ヴォイド。お前には最初の条件と一緒に、この学校を辞めてもらう」

「ほぉん。随分と大胆に出たなぁ。………いいぜ。認めてやるよ。だが、俺が勝てばミルリットも俺の奴隷になってもらうぜ。そうまでしないと帳尻が合わねえからな」


 そう来たか。

 もういっそのこと、『時間の無駄』をその身に体現した超越者にはこの学校を辞めてもらおうという思いつき、俺は条件を持ち掛けてみることにした。

 幸いにもヴォイドがそれを受け入れてくれたので一応は成功と言っても良いかもしれないが、その代わりの条件がエリスにとって望まないものなら、この条件は破棄するしかない。

 ちらりとエリスに視線を送る。少女は俺の視線に気付き、互いの目が合う。そして躊躇うことなく、覚悟を決めた表情で頷いてくれた。

 ほんの少しの見つめ合い。その瞬間にこちらの意図を読み取り、決断してくれた彼女に、嬉しさで思わず笑みが零れる。これで、俺が気にかけることは無くなった。

 俺も頷きで返し、ニヤリと嗤いを浮かべるヴォイドに向き直る。


「決まりのようだな。じゃあ始めようぜ。………このヴォイド様の糧となれ―――!」


 ヴォイドの自信に満ちた声に応え、ゴーレムが後ろに下がる。

 時間稼ぎで俺を敗北させようという魂胆なのだろう。勿論、そんなことは予想済みだ。いや、そもそも予想していてもしていなくても、俺のやることは変わらない。

 初志貫徹。目的と経路は既に定まっている。詠唱は省略する。そんなものに構う時間は初めから無い。

 だが今はそれよりも、この胸を占めるものがあった。エリスの期待に応えたい。彼女に勝利を見せてあげたい。その気持ちが、己の身体を動かしていた。


 転移魔法でゴーレムBの足元、その更に後ろへ移動し、強化魔法で強化した足で地面を蹴る。逆立ちをしているような体勢で空中に浮き、ゴーレムBの背中の中心にピタリと手で触れる。

 そして、そこに魔法で発生した衝撃を叩きこんだ。ゴーレムBの身体中に衝撃が走り、あちこちが木端微塵に砕け散っていく。内側から勢いよく大量の砂が溢れ出し、ゴーレムBは膝をついて力が抜けたように俯いたまま崩壊を始めた。

 身体の各部が弾け飛んだのは衝撃魔法の余波であり、集中的に狙った中心部――魔道具である球が砕けたのは、もはや言うまでもないことだ。


 約二秒で戦闘は終了し、着地した俺は制服に飛び散った砂を丁寧に払い、ヴォイドに視線をやる。


 今の攻撃は我ながら最高のパフォーマンスだった。はっきりと見えるように転移魔法を使い、衝撃魔法でゴーレムBを粉砕。

 その光景を目撃したヴォイドが、自らの考えを全否定された彼の表情が、一体どうなるか非常に楽しみだ。


「そんな……、俺のゴーレムがこんな容易く、やられるなんて………」


 予想外であろう結末を見せつけられたヴォイドは膝を折り、か細い声で自身の敗北を呟いた。その表情は落胆と絶望に染まっており、精神的にかなりダメージが入っていることが見て取れる。自信が消え失せたヴォイドの暗い顔を見て、それを待ち焦がれていた俺はようやく安心感と満足感に包まれた。

 俺が待ち望んだそれは期待以上の代物であり、今は溢れ出そうな喜びと満面の笑みを抑えるのに全神経を注いでいる、かなり忙しい状態だ。だが、その最中でもこの状況への感謝は止まらない。


 ―――ああ、俺はその顔が見たかったんだ。お前のその顔を見るために俺は《ゴーレム》を真似して、どのゴーレムも見せつけるようにぶっ壊した。

 お前の絶望を見るために、俺はこんなに頑張ることができた。どのくらい時間がかかったのかは知らないが、お前はきっとこの魔法を努力で磨き上げたのだろう。だからこそ自分が一生懸命積み上げたものを超えられたとき、無遠慮に壊されたとき、その感情は絶望に堕ちるだろう。

 良かったよ、お前がそういう人間で。ああ、本当に良かった。これで俺の目的は果たされた。ありがとう、ヴォイド・アゾスタ。そして―――――さようなら。


「ヴォイド。俺が勝った場合どうするか、覚えているな?」


 精一杯真顔を保ち、俺はヴォイドに行動を促した。

 ヴォイドがやるべきことは幾つかあるが、優先するべきはこの場にいる少女への謝罪だ。俺はそのためにここまでやったのだから、その瞬間を見るまではまだ安心できない。

 ヴォイドの、自身が優位でないと気が済まない性格からして、自分が見下していた人間への謝罪はきっと彼自身にとって耐え難いもののはず。それをこの場で実現することが、これからの行動に対する信頼の礎となる。


「―――ッ。………ああ」


 ヴォイドは苦い顔で立ち上がり、エリスとの距離を詰めて向かい合う。

 そして少し躊躇った後、やけくそ気味に頭を下げた。


「………す、すまなかった! お前とお前の家族を馬鹿にしたこと、謝る! ………俺が悪かった!」

「………もう、二度としないと誓えますか?」

「………ッ! あ、ああ。もう二度としない。絶対に、しないッ……!!」

「分かりました。その言葉、忘れないでください」

「くッ……!!」


 ヴォイドは声を押し殺し、頭を上げたかと思うと俺を鋭く睨んで足早に立ち去った。

 徐々に遠ざかっていく背中。彼の姿を見ることは、恐らく二度ないだろう。

 少なくとも、俺はもう二度とアイツの姿を見たくない。


「………ふぅ」


 その姿が完全に見えなくなってから、俺は大きく息を吐いた。

 緊張や戦意が身体から抜けていくのを感じる。ひとまずはこれで安心だ。ヴォイドが約束を破らない限り、俺達を脅かす存在はいなくなったということになる。色々とスッキリしたし、これでようやく平穏な学園生活に戻れるだろう。

 重荷が無くなった俺は、同じくヴォイドの去る姿を見届けたエリスと互いに向かい合い、勝利の喜びを分かち合うように笑った。


「エリス、俺達勝てたぜ!」

「はい、今度こそ終わりましたね。………アレスさん。ちょっとそのままじっとしててください」


 俺の勝利宣言に、エリスは柔らかな笑顔で返した。

 そしてその笑顔を保ったまま、こちらに近付いて来る。その姿を視界に留め続ける俺は、彼女の様子にどこか違和感を覚えた。

 歩み寄ってくるエリスの笑顔は固まったままなのだ。最初はその笑顔に邪気は感じなかったのだが、今のエリスの表情には何かを我慢しているような印象を受ける。

 言われたとおりに立ち止まっている俺の目の前にやって来たエリスは、右手を肩の高さまで上げた。一体何をするつもりなのだろうか。そんな疑問を抱えていると、俺の左頬に突然、衝撃が走った。

 首が勢いに負け、視界が右にずれる。不意打ちに身体がよろめき、脳は混乱に溺れた。

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